湖の街ふたたび
大きな湖は相変わらず静かに、波ひとつ立てない穏やかさをたたえている。
ひたすらに歩き続けてまた湖の街へと戻って来た。
「大きな湖!」
「ええ。そうね」
リデルは、はしゃいで先頭を飛んでいる。
途中、以前にも襲われた事のある黒犬に襲われた時には顔面蒼白だったのに。
リックは一番後ろをとことこと付いてきている。
住んでた街に帰って来たのに、彼に感想は無さそうだ。
それとも、この辺で生まれ育った訳ではないのだろうか?
街に入ると、真っ先にギルドに向かった。
「おや、お早いお戻りで」
久しぶり、と言う程ではないランプの人は意外そうな顔で迎えてくれた。
戻ってくるかどうかも分からない。
そう言って出て来たのに、結局一ヶ月足らずで戻って来たのは私自身、苦笑するしか無い。
「ええ。あなたに聞きたい事が出来たから」
リデルを紹介して、持っていた魔石を出した。
「この子にこれで魔法を使う道具を作って欲しいんだけど」
「わざわざ取りに行かれたのですか?」
肯定も否定もしないで尋ねる。
「どう?そういう研究をしていたって言っていたでしょ?」
「そうですな」
功績があるからだろうか。
ランプの人は私が魔石を持っていた事には特に触れずに、リデルに魔法に関する質問をいくつかすると、しばらく考えるように目を瞑った。
「あまり効果の高い物は作れませんが、それでも宜しければお作りしましょう」
「ありがとうございます!」
「そう。じゃあよろしくね」
ただで作ってくれるのかと思ったけれども、そうはいかないらしい。
出来てから掛かった手間と費用に応じて報酬を払う事になった。
わざわざ西の果てに行かなくても良くなった事を考えれば、それくらいは安い物だろう。
ギルドを出て、宿を探す事にした。
「これからどうするんですか?」
まずはとばかりに装備の手入れを始めると、リデルが尋ねてきた。
リックを部屋に入れても大丈夫な宿を探して部屋を取った。
料金は多少割高だったけれども、仕方無い。
「そうね。今日明日で出来る物では無いらしいから」
「私、街が見たいです!」
リデルは開け放った窓から身を乗り出し、ご機嫌だった。
そんなリデルの様子に、あちらの街での事を思い出す。
リデルの街巡りは長くなる。
間違いない。
目的も無く店に突撃しては、買う気も無いのに店員にあれは何ですか?これは何ですか?と質問攻め。
それに付き合うのは正直面倒だ。
「リデルはもっと戦闘に慣れた方が良いと思うの」
「ええ?突然何ですか?」
「黒犬が出てきた時のリデルはちょっと情けなかったわ」
部屋の中をうろうろと歩き回っていたリックがタイミングよく同意するように、わんと一声鳴いた。
「ほら。リックも同意してる」
「リックはそんな子じゃありません!ね!」
私とリデルを見比べるようにした後、リックは私の足下へと寄ってきて、尻尾を振っている。
偉い。
頭を念入りに撫でてあげる。
「そんな。リックが私よりもモリーアンさんを選ぶなんて」
「この子は賢いのよ」
「どういう意味ですか!?」
「とにかく。明日はちょっと訓練に行きましょう」
「う、とても嫌な響きですね。それは杖が出来てからではいけないでしょうか?」
「待ってる時間を有効に活用したいのだから、それは駄目ね」
鬼!と言いつつ、リデルはベッドの中に逃げ込んだ。
ちなみにベッドはふたつある。
彼女の大きさにそのベッドはとてつもなく大きい。
リデルは同じベッドでも良いですよ!
と元気いっぱいだったけれども、私の夢見が悪そうなのでツインにしてもらった。
「リックも行く?」
そう聞くと、リックは同意するようにわんと吠えた。
翌日。
湖の洞窟にリデル、リック、私のふたりと1頭で入った。
「なんだか変なにおいがしません?」
「そうね。昔、何かの実験施設だったらしいわよ」
リックが先頭で進んで行く。
今回もランプをギルドで借りた。
「さて、リデルは魔法を使えないので、これを貸すわ」
ナイフを渡す。
ナイフの方がリデルより大きかった。
リデルはそれを抱えるようにして飛びながら持ち上げる。
「あら、ちゃんと持てるのね」
「魔力を使ってますからー。でもこれで戦うなんてー無ー理ーでーすーよー」
「まあ持ってるだけでもトレーニングにはなるでしょう。それよりも魔力を使ってるってのはどういう事?」
魔力を使えば筋力を上げられる?
「魔法は何かを出すだけじゃなくて、自分自身にも作用させられるんです」
「便利ね。私にも出来るのかしら?」
「すぐには無理ですよ。魔力があれば、ある程度は使えるようになるはずです」
「そう。じゃあ教えてくれる?」
「ええ!?ここでですか!?」
「どこでだって一緒じゃないの」
リックにも声を掛けて足を止めた。
「うう。いいですけど。モリーアンさんって結構むちゃくちゃですよね」
「そう?ああ後、さんはやめて」
「そうですか?じゃあモリーアン」
一瞬、アンと言おうと思ったけれども、照れたように言うリデルを見て、良いかと思い直した。
リデルはリデルだ。
それで良いのだろう。
「そう。それでどうやってやるの?」
「それじゃあ手を出してください」
ランプを置き、言われた通りに右手を出した。
リデルもナイフを置き、私の手に自分の左手を重ねた。
「これから魔力を私からモリーアンに流します。少しずつ量を増やしていきますので、何か感じたら言ってください」
リデルが目を瞑った。
最初は何も感じなかった。
しかし、次第に何かぬるま湯が流れ込んできているような感じがしてくる。
「熱を感じる」
「それが魔力です。もう少し量を増やします」
最初はぬるかったそれが段々と熱く感じてくる。
「熱い」
「じゃあここまでにしますね」
そう言うとリデルからの流れが止まった。
リデルが手を離す。
動いていないのに汗が出てきた。
「まずは魔力の流れを感じ取れるようにならないといけません。感覚が分かるようになればそれをコントロールできるようにもなります」
今のですぐに世界が違って見えるようになる訳ではないらしい。
釣りみたいなものだろうか?
最初は魚がエサに食い付いた時の感覚が良く分からなかった。
何となく釣れてしまった。
そういう事を繰り返しているうちに、食い付いた瞬間が分かるようになる。
そうなれば簡単に魚を釣る事が出来るようになった。
「魔法も使えるようになるの?」
「それは難しいです。知識も必要になってきますし、魔力を変換するのには自分にあった方法を探さないといけません。これは本当にちっちゃな頃からやっていないと、ちょっと」
そう言って、口を閉ざした。
そうか。
魔法は使えないのか。
もともと使えるとは考えた事も無かったのだから、それは良いだろう。
「聞いてみただけよ。ありがとう。これを続ければもっと力が出せるようになるのね」
「モリーアンは今でも十分力が有り余ってると思います」
「なに?」
「いえ」
ランプを取り、再び進み出した。
「きゃー!」
リデルが悲鳴を上げる。
トカゲに虫の足が生えたトカゲ虫がジャンプしてリデルに襲いかかっていた。
私は自分の方に来たのだけを斬り落とす。
「モリーアン!助けて!ください!」
「ちょっとくらい噛まれても大丈夫よ。毒も無いし」
「そういう問題ではありません!」
なんだかんだ言いながらも振り回したナイフがトカゲ虫に当たった。
トカゲ虫が落ちた所をリックがぱくりとかじりつく。
「わ!だめ!リック!そんなの食べたらお腹壊しちゃう!」
リデルが飛んでいってあわててリックの背中を叩いた。
思わず私は笑ってしまった。
「モリーアン!笑ってる場合じゃありませんって!」
そう言われても、なかなか笑いは止まらなかった。
その後、ライオンの頭と蟻の体を持った妖獣が現れたので、それはさすがに私がひとりで倒した。
リデルは卒倒しかねない悲鳴を上げていた。
リックは本当にただの犬なのだろうか?
と不思議になるほど落ち着いた足取りで洞窟を歩いていた。
入り口付近をある程度探索した所で洞窟を出た。
まだ昼になったばかりだったけれども、リデルは妙にぐったりしていた。
1週間、魔力を使う訓練をしたり、洞窟に潜ったり、リデルの買い物に付き合ったりしてる内にランプの人から魔法用の杖が出来たと連絡を受けて、ギルドに向かった。
「どうでしょうか?」
渡されたのはリデルの身長よりも少し長いくらいの杖だった。
形状は針を大きくした物のようだ。
糸を通す穴に当たる部分に魔石がはめ込まれている。
針本体は、杖、と聞いていた印象から勝手に木の棒のような物を想像していたけれども、実際にはクリスタルのような物だった。
綺麗だ。
リデルが早速手に持ち、軽く振る。
「完璧です!これで私も戦えますよ!」
「そう。良かったわね」
ランプの人の説明では魔石を再結晶化させて杖の形状にしているらしい。
要求された値段は正直、安くは無かった。
この辺りでは手に入れにくい物なのだから仕方無いか。
リデルはお金を持っていなかったので、私が払った。
「ありがとうございます!」
「これで戦えるんだから、ちゃんと働きなさい」
「勿論です!どんな魔獣妖獣でもどんと来いです!」
「それでしたら、こちらの依頼などはいかがでしょうか?」
ランプの人がすぐにひとつの依頼を出してきた。
それは今までに受けた事のない類いの依頼だった。
「賞金首?つまりコレは蛮族ではないのね?」
「ええ。蛮族を狩ってきた。そう言って殺した者の何人かが人だったようです。今回、ひとりが逃げるのに成功して、ギルドに駆け込んだために発覚しました」
姿形が同じでも、魂と呼ぶべき意志を持たない蛮族とそれを持つ人がいる。
それを死体の一部分から判断する術は無いらしい。
普通、蛮族を狩ってきた際には、付近の街の住人で、前後に不審な失踪や死人が出ていないか、それを調べて報酬を渡す。
どうやらそれもうまく切り抜けていたらしい。
そういう人はどうしても年に何人かは現れるようだ。
そういう人を出さないために厳しく監視する。ギルドにはそういう目的もあると初めて聞かされた。
実際にどれほどの人が殺されたのかは分からないが、どうやら1件2件の話では無かったようだ。
「ひとつ聞いても良いかしら?蛮族と人って何が違うのかしら?」
姿が同じでも、街に住む人と、野に暮らし人を襲う蛮族とがいる。
私にはその明確な違いが未だに分からなかった。
いや、出くわせばその違いは一目瞭然だ。
目に意志の光が無い。
知りたいのは、理屈だ。
「おや、ご存知ではありませんでしたか。我々、人と呼ばれる意志を持ち、魂を持った者は人から生まれます。蛮族と呼ぶ者たちはどこからか湧いてきて、人を襲います。ダンジョンから現れるという者もおりますが、結局は魂を持たない者から生まれた魂を持たない者、それが蛮族と呼ばれる人でない者たちです」
スルゲリから聞いた話とはまた違っていた。
しかし、なんとなく理解は出来る。
姿は同じでも、やはりあれには魂は無いのだろう。
「姿が同じでも魂の有る無しがあるのは何故なのかしらね」
「それも諸説ありますな。有名なのは皇帝の呪いでしょうか」
結局は誰も分からないし、知らないのだろう。
だからそれらしい話をみんなでして安心しているだけなのかもしれない。
「話が逸れたわね。それで、この賞金首の足取りは掴めているの?」
「事が発覚したのが一昨日でした。ですが、今の所、情報はありません。ここから近い周辺の街のギルドにはすでに連絡を出しています。伝書鳩を使っているので、このオーガが仮にどこかの街を目指したとしても、余程遠くまで行かない限りは街に入れないでしょう。それと、今まで発覚しなかった事からも彼が愚鈍な人で無いのは確かです」
足取りは掴めてはいない。
そして街には入れなくなった事は把握しているだろう。
ならばどう行動するか?
「話は私たち以外にも通っているのかしら?」
「彼も手練として知られた人でした。ですので、依頼としてはある程度腕に信頼の置ける方だけにお話ししております」
依頼としては、というのはつまり警戒するように住民や他の戦士にも警告を出してあるらしい。
それで自身の腕を勘違いした戦士が挑み掛かったりしないのだろうか?
かつて一緒に依頼を受けた豚顔の男の事をちらりと思い出した。
「まだ成果は出ていないのね」
「はい。それほど遠くに行っているとは考えにくいですが、足取りは不明なままです」
人殺し。
殺人鬼。
人であるのに人を殺す人でなし。
それは蛮族よりも、どんな魔獣よりも厄介だろう。
殺人鬼として知られる前だったら、言葉を話し、近づき、油断してから剣を抜けば良い。
殺人鬼にとって、とても簡単な狩りだっただろう。
「受けるんですか?」
リデルが不安そうな声をあげた。
先程までの勢いは無い。
リックの頭に置いた手に力がこもっているのが見て取れた。
ああ言ってはいても、戦いに対する忌避感があるのだろう。
「ええ。受けるわ。私が剣を振る事で変わる事があるのなら、私はそうする」
非力でいる事が何かを救う事は無い。
死んだ命は返らない。
父も、母も、スルゲリも。
誰かを殺す者がいれば、誰かを殺された者もいるのだ。
私が剣を、そして弓を取る事で、止められるのなら私は剣を取り、弓を取る。
いつかみたいに、ただ何かが変わるのを待つだけの私には二度となれない。
「モリーアンが強いのは分かりました。でも、モリーアンが命を掛けるだけの理由があるとは思えません」
「そうね。ただのわがままよ。戦うのは私のわがまま。だから、リデルは心配したり、不安にならなくて良いの。あなたはあなたのわがままを通しなさい」
魔法が使えても、リデルは気弱な女の子だった。
それはこの1週間で十分に分かった。
彼女が戦うのは身を守るため、それで十分だろう。
私のように、望んで戦う必要はどこにも無いのだ。
いつかの私もリデルと同じだった。
父から戦う手ほどきを受けていたとはいえ、私は戦いたいとは思っていなかった。
私が変わったからといって、彼女まで変わる必要なんてどこにも無い。
「と言う訳で、ひとりで行くわ。大丈夫だと思う」
「そうですか。確かにトロールの蛮族を2体も相手にされて無事なのですからな」
「私も行きます。モリーアンはこっちに来てはじめての友達です。友達が戦うなら、私も戦います」
リデルは思い詰め過ぎて、目には涙が浮かんでいた。
思わず笑ってしまった。
「ちょ、なんで笑うんですか!?」
「別に死にに行くのではないのよ。ちょっとリデルは考え過ぎ」
手練の殺人鬼と聞けば、確かに恐ろしそうだ。
しかし、どれだけ強大な敵を想像しているんだか。
「そうですな。モリーアン様にはまだまだやって頂きたい事がたくさんございます。この程度の依頼は簡単にこなして頂かないと」
そう言ったランプの人も笑っていた。
随分と信頼されたものだな。
他人事のように、そっと思った。