ばらばらな日々
弓。
もはやこれを引くのに、いつかのような気負いはいらない。
矢。
1本だけを取り、的を見た。
今は私の何が掛かっている訳でもない。
気楽に構え、気楽に引いた。
矢はそんな私の気持ちを乗せて素直に飛び去り、そして的へと突き立った。
第1階層の中央より、そこに広場のようなスペースがあった。
的は太い樹の幹に立てかけてある。
これなら外したとしても、よほど大きく外さない限りは誰の迷惑にもならないだろう。
野次馬が多いのが気になる所ではあった。
的に突き立った矢を見て、3人の戦士がそれぞれ声を上げる。
3人とも私よりも大きい。
それはいつかの殺人鬼と同じ種族のようだ。
ただし、殺人鬼とは大分印象が違う。
ひとりは全身を金属鎧に身を包んでいる。
その姿だけ見ればいかにも強そうだ。
しかし、兜の間から覗く目は意志が足りないのか時折頼りなく揺れる。
全身を鎧わないと安心できないのだろう。
己が傷つくのを恐れない戦士はいない。
体に欠損が出ては戦えなくなる。
そして死んでしまっては意味が無い。
だからこそ腕を磨き、体を鍛え、より良い防具を求める。
ただし、それも行き過ぎてしまえば戦いの妨げになる。
ひとりは妙に線が細かった。
その装備はいつかの殺人鬼そのままだ。
ただし、殺人鬼とは違って背の高さと相まって、とにかく細く見える。
戦うのに必要な筋肉は付いているようだ。
しかし、最低限のトレーニングしか積んでいないのではないだろうか?
そして最後のひとりは筋肉が付き過ぎだ。
その筋肉を自慢するように、肌にぴったりと合う服を着ていて、その上にぴったりと、着るというよりも自身の皮だとでも言うようにはまった革鎧だった。
無駄に太くたくましい腕を見て、こっちはトレーニングのし過ぎではないだろうか?と、ひっそり思った。
三者三様。
持っている弓矢だけは用意された物なのか皆同じだった。
とりあえずは、何度か射って見せた。
3人とも弓は普通に使えるようだ。
しかし、試しに射たせてみると、3人とも第1射は外した。
何度か射たせると、その内の数本が的に当たった。
3人の中では線が細い彼が一番うまいようだ。
ただし、これであの鋼の鳥を射抜くのは不可能だろうと感じた。
動かない的にすら当たったり、当たらなかったりがあるのでは、素早く動く魔獣を相手に使うのは難しいだろう。
ひとまずは私が射るのを見てもらい、その後に同じように射ってもらう。
これを繰り返した。
「うまくいきません」
「意識はどこにある?」
「分かりません」
「そう。じゃあ自分の意識がどこにあるのか、それを考えてみて」
鎧の彼にはとりあえず、鎧を脱がせた。
今は必要無いはずだし、それに体の動きがきちんと見えない。
筋力は十分にあるようだ。
ただ、回数を重ねる毎に動きがばらばらになっていくのが気になった。
一度、的に当たった時に射るのをやめさせて、どうして今のがうまくいったのか、それが分かるまで考えてみるように伝えた。
意識。
それが自分自身の体から離れて見えるというのは、どうやら普通の事ではないらしい。
それが伝わらないというのは難しい。
「当たらねぇ」
「力を抜いたら?」
「手を抜けってのか?」
「そうじゃないわ」
必要以上の力がこもれば無駄が生じる。
そう言ってしまうと、筋肉の彼の体そのものが無駄だ。
さすがにそう言うのは問題なのは私でも分かる。
力もそうだけれども、彼は意志が強過ぎる。
いや、それが分かり易すぎるのだ。
とにかく何をするにもその力がどこに向かっているのかが一目で分かる。
戦うのにこうもはっきりとそれが見えてしまうのは問題だと思うのだけれども、それがどうにも伝わらない。
ただ、彼を見ていて、自分の場合はどうなのだろうか?
それが無性に気になった。
「どうしたらもっと正確に、素早く放てるのですかねぇ?」
「私は最初は良く考えたわ。どうしたら、どうすれば、そうやって射る内に、急に分かった気がするのよ」
「何がですか?」
「具体的に言葉だったり、動きそのものだったりはしないわ。ただ、そういう気になってやっていると、それが自然になって、それで上手くやれるようになったわ」
そう言うと、線の細い彼は曖昧に笑った。
確かに具体的なアドバイスでは無かったかもしれない。
ただ、他のふたりに比べて、彼には明らかに直した方が良いようなおかしな所は見えにくい。
結局、彼と私では体の大きさも、筋肉の付き方も、骨格も違う。
つまり別人なのだ。
そんな相手に、変に具体的にこうした方が良いと言うと、彼の自然を崩してしまいかねない。
自然に。
そう言っていて、私の言う自然と、リデルの言う普通は何が違うのだろうか?と考えていた。
もしかすると、リデルは私といるのは自然ではいられないのだろうか?
成果があったのか、無かったのか。
それも良く分からないままに日暮れを迎え、その日は解散となった。
部屋へと戻ると、リデルはまだ戻っていなかった。
時間的にはこれからが仕事の本番なのだろう。
リックはリデルと共に行ってしまったので、部屋には私ひとりだ。
そうだ。
剣を取りに行かないと。
預けていた剣がそろそろ出来ているはずだった。
帰りがけに受け取れば手間が無かったのに。
色々と考えている内に、宿へと帰ってきてしまっていた。
剣を受け取り、そのまま食事を取った。
そしてぼんやりと街行く人々を眺めた。
「おかえりなさい」
どれほどの時間、そうしていたのか。
自分が思っているよりも長くそうしていたのかもしれない。
部屋に帰ると、既にリデルとリックが部屋に戻ってきていた。
「ただいま」
リデルが見せる笑顔はいつも通りに見えた。
「どうでした?」
「どうだった?」
質問が被って、お互いに苦笑した。
リデルが譲る動作を見せる。
「どうかしらね?教えると言っても、私ではうまく言葉に出来ないから。もしかしたら明日は来ないかもね」
ピンときているのかきていないのか。
私自身が話していて、時々何を言っているのか良く分からなくなる。
これで何かを教えた事になっているのだろうか?
そんな不安があった。
「そうですか……私は疲れました、としか言いようが無いですね」
リデルが働いている店は第4階層の小さな人々が行き交う通りの食堂のようだ。
特に不器用ではないはずなので、仕事自体には特に問題はなかったらしい。
ただ、夕暮れ近くなってからの忙しさは尋常ではなかったようだ。
「そう。あ、リデルには悪いけど、先に食事を済ましてしまったわ」
「いえ、大丈夫です。私もまかないが出て、それを食べましたので」
そう言ったきり、お互いに言葉が途切れた。
「そろそろ寝ましょうか」
何だかひどく疲れた気分になった。
それはリデルも同じだったのだろうか。
「そうですね。おやすみなさい」
「おやすみ」
やっぱり、何かリデルとの距離が開いてしまったように感じていた。
暗い部屋で横になり、考える。
私は今まで、きちんと人に何かを伝えられていたのだろうか?
ひとりで長く暮らしている内に、私は他の人が当たり前に持っている事を取りこぼしているのではないだろうか?
私は本当にリデルの友達なのだろうか?
その夜はなかなか寝付けなかった。
翌日もギルドへと向かうと、昨日の3人がすでに来ていた。
どうやらまだ私に付き合ってくれるようだ。
ギルドの職員に願い出て、昨日とは場所を変えてもらった。
あそこは人の目につき過ぎている。
紹介された場所は、寂れた通りだった。
傷ついた家が並び、そしてその傷には見覚えがある。
鋼の鳥に襲われた最初の頃の場所のようだ。
その爪痕は私が遭遇した時よりも酷い。
再襲撃を恐れて、そのまま置いておかれた結果、今のようになってしまったようだ。
的をどこに置こうかと考えていると、筋肉の彼に話しかけられた。
「なあ、今日は弓はやめてコイツにしないか?」
背中にしょった剣の握りに手をやり言う。
その視線は私の腰の剣に注がれていた。
昨日は下げていなかったのに、今日は下げていたから気を引いたようだ。
「弓を教えるという話だったと思うんだけど」
「どうせ弓なんてすぐに役に立つほど上達するもんじゃねえだろ。それは昨日見ていてあんたもそう思ったんじゃないか?」
それに素直に頷いてしまうのはどうだろうか?
しかし、そう思ったのは否めない。
「要は戦う技術が上がれば何でも良いんだろう?剣もいけるクチだって聞いてるぜ。それとも、腕が利くのは弓だけで、そいつは飾りか?」
他のふたりを見ると、鎧の彼は落ち着かない目で私たちを見比べるだけ、細い彼は面白そうに眺めるだけだった。
息を吐く。
まあ、良いのか。
剣を抜いた。
「そうこなくっちゃなぁ!」
筋肉の彼も、背中の剣を抜いた。
大剣の長さは私の身長よりも長い。
そして幅が広い。
力任せに振られた斬撃は確かに早かった。
振るった男の口元には笑いが浮かんでいる。
嘲るような。
地に伏せるようにして斬撃をやりすごす。
なるほど。
要は昨日色々言われたのが、なんだかんだと癪に触っていたのだろう。
今回、彼らはタダで私に教えられていた。
ギルドがその分を負担していたからだ。
その代わりに、いくつかの依頼を安い報酬で引き受けなくてはならないらしい。
もしかするとここで私を倒せば、それを無しに出来るとでも考えたのかもしれない。
斬撃をかわす。
確かに速く、そして受け止めるだけでダメージを受けるであろう威力があった。
しかし、それはいつかの殺人鬼のような隙の無いそれではない。
斬撃が行き過ぎる度に、間合いが近くなる。
じわり、じわりと。
それに気付いていないのか、対する男は楽しくて仕方がないとでも言うように笑っていた。
「所詮!女子供だろうが!」
自分が押していると勘違いしている。
確かに私の剣は相手のそれに比べて細く、短い。
まともに受ければ剣が折れる事もあるかもしれない。
だから届かないと思っているのか。
それでもどこかで警戒しているのか、振り下ろしだけはしなかった。
薙ぎ払い、少しずつ距離を詰める私を近づけさせまいとしている。
殺せ。
己を過信する愚か者に後悔を。
振り切った直後にナイフを投げつけろ。
刺されば良し、刺さらずとも避ければ隙が出来る。
今だ。
やれ。
そんな声を心の内に聞きながら、斬撃をやり過ごす。
下がって弓を拾え。
こいつは弓を馬鹿にしているぞ。
その間抜け面にぶちこんでやれ。
間合いはもはや十分に近い。
そんな事をする必要はない。
なら、さっさと飛び込め。
その喉元をかっさばいてやれ。
なぜしない?
殺すつもりならとうにそうしている。
そこまでの相手ではない。
斬撃をかわし、飛び込もうとした刹那、嫌な事を思った。
目つぶしが来るぞ。
そして奴は笑う。
笑うぞ。
不意に怒りが満ちた。
常に自分の命が掛かっている事を忘れるな。
忘れるな。
相手の命を惜しんで、自分の命を失っては元も子もないぞ。
私は跳んだ。
巨漢がうずくまっている。
既に手から大剣は離れていた。
その腕には深い傷。
そんな相手の頭を蹴り飛ばしていた。
魔力で強化されたそれは、十分な威力をもって相手を突き飛ばす。
転がる彼を見て、不意に虚しくなった。
何をしているのだろうか。
私は。
剣の血を払う。
そして下がった。
「さあ、次はあなたたち?」
鎧の彼にははっきりと怯えが、そして細い彼は薄く笑っているものの、やはり腰が引けているようだった。
「取りあえずは、そいつを治療院へ連れて行くよ」
細い彼がそう言うと、結局、その日の授業は無しになった。
本当に、何をしているんだろうか、私は。
リリアンヌの元へと行き、その日は街の外を走り回った。
このまま街を出ても良いのではないだろうか。
流れて行く景色をただ眺めた。
この街にはリデルと同じような種族の人がいっぱいいる。
もはや私は必要ないのでは無いだろうか。
彼女がこの街を見たいと言ったのは、やはり元いたあの街では彼女は自分の住むべき場所だと思えなかったからかもしれない。
そして今、彼女は自分の居場所を手に入れられるかもしれないのだ。
もはや、私は必要無く、そして去るべきなのかもしれない。
それはずっと考えていた事だった。
私はどうすれば良いのだろう?
何をするのが彼女のためになるのだろうか?
「私は邪魔じゃありませんか?」
声にすると無性に悲しくなった。
それは彼女が私にいった言葉だ。
それは本当は、私の事なのではないだろうか?
リリアンヌは疾走する。
その先に夕暮れが映った。
合成弓
冒険者の矢籠
祭儀用の剣
スルゲリのナイフ
左手:黒水牛の小手
右手:黒水牛の小手
牛革のベルト
鹿革のブーツ




