研究室-5
◆◆◆研究室-5◆◆◆
トラックを襲ったのは、国家ではない。
ただし、ユグマが裏切り者でない限り。
ユグマが国家に消されなかったのは、ユグマが国家側に味方する『(ニル博士たちにとっての)裏切り者』だからではないか。
何を言い出すのだ、博士。サマルは、緊張で鼓動が速くなる。この、人が良さそうな運転手が裏切るだなんて。博士は混乱のあまり、疑心暗鬼になっているのだろうか、それとも…?
「『箱』は本当に"奪われた"のだろうか、ユグマくん」
博士が意味深に尋ねる。
「疑ってるんですか、博士…?」
ケイスは、固唾を飲む。「ダミーを詰めたのは、君だ。つまり、君はどれが本物か知っていた。犯人が本物を見つけやすいように印を付けておくことは、容易い」
「違う!俺じゃないです!」
「国が主犯なら、君が無実であっても邪魔者。消されていたはずだ。しかし現に君は生きている。なぜだ?」
「じゃあ国が主犯でないということです」
「君が国側の人間だったとしたら、国は君のことを消さないだろう。仲間だからな」
「国側って、つまり博士たちの敵ということですか?もうやめてください」
「国以外の犯行だとしても、君の容疑は消えるわけではない」
「無実だ!博士、今日はどうかしてます!」「もう一度聞こう。本当に"奪われた"のかね?」
「絶対です!信じてください!」
そのとき、サマルの脳に、電流が走る。もう疑う余地は無かった。サマルは後部座席のすぐ右隣に座るユグマの腹を、思い切り、肘で突いた。
ユグマの嗚咽が、車内に響く。
「ケイス!押さえるぞ!」
事態を把握できず戸惑いながらも、ケイスは助手席から乗り出し、ユグマの両手首を握る。
サマルが、こんどはユグマの頬を殴る。振り向きざまに、もう一発。もう一発。
さらに頭突きを加えるとユグマは気絶し、動かなくなった。
首を折り曲げて、眠ったようにしている。
ユグマの手首を離すと、ケイスがサマルに顔を向ける。「どういうことだ?」
サマルは乱れた呼吸を鎮めながら応じる。
「罠に」
はあはあ言いながら、声を絞り出す。まだ鼓動が早い。慣れないことは、するものじゃないな。
「引っかかったんだ、博士の罠に」
ケイスは未だきょとん、としている。
「サマルくんはよくやったよ」
乱闘のとばっちりを受け、ニル博士はユグマと車のドアの間に挟まる形になっていた。顔をしかめながら身を起こし、
「なんとかなったな」
ぼりぼりと、白髪頭を掻く。
「罠って何だよ」
ケイスがサマルに再び問う。
サマルは服を直しながら説明にかかる。
「気付いたんだ」
興奮が、ようやく収まってきた。人を殴ったのなんて、学生のとき以来だ。自分の拳に目をやる。
「ユグマさんは、奪われたのは絶対、って言った」
「そうだな」
できるだけ簡潔にと、言葉を選ぶ。
「どうしてユグマさんは、奪われたと断言できるんだ?」ケイスはサマルの言葉をしばらく反芻し、そして、あっ、と声を上げる。
「そう、トラックに詰めてしまえば、もうどれが本物か見分けが付かない。だって、そのためのダミーなんだから」
ケイスの顔がぱっと明るくなるが、またすぐに曇る。
「待て、ユグマさんが、自分だけ分かるようにしてたかもしれないじゃないか。小さく印を付けるとか。そうだ、発信機でもいい」
「発信機は付けないように、ユグマさんは指示されてたはずだ。今回運ぶのは機械だから、電波の出るものは一応避けるって。僕が博士から聞いたんだから間違いない。そしてユグマさんがシロなら、その言い付けに背いたりしないだろ。
印を付けたなら、さっき“犯人はどうやって本物を見分けたか”って話になったとき。彼が無実ならそのことを言うはずだ。例え小さな印だとも」
ケイスが納得の表情を浮かべる。
「結論はこうだ。ユグマさんが無実潔白であれば、『箱』を見分ける手段が一切無い。奪われたことを“断言”できるわけがないんだ。彼が言えるのは、『奪われたかもしれない』か『トラックが襲われた』だけ」
「お前、よく気付いたな」
「いや、全部博士のおかげなんだ。ほら博士って、そうそう人を疑ったりしないだろ。いくら気が動転してても、きっとそれは変わらない。それなのに、親しいはずのユグマさんに、いきなり尋問みたいなことを始めた。これは何かある、と思って、よく注意してたんだ」
黙って聞いていた博士に視線をやると、口を開いて喋り出した。
「検問だ。検問のことがあったから、気付けた」ケンモン?サマルたちは、新たな要素の出現に戸惑う。
「サマル、君は私が今日、研究室に飛び込んだとき言っただろ。『輸送車は検問に捕まり、渋滞に巻き込まれた』と」
サマルは、はて、と思い記憶を探る。『誰か、サマル、届いたか?』『いえ、さっき電話が……検問が長引いて……渋滞に……』
そうだあのとき、興奮気味の博士に僕はそう伝えた。(※『研究室-2』参照)
「あのあとアムタくんが、今日の検問所の情報を念のため、調べてくれていたのだ」
トラックが爆破されました、声を張り上げたアムタ助手の、切迫した表情が蘇る。
「すると確かに今日、ユグマが我々の研究室に来るには、検問を通らなければならなかった」
一同が耳を傾ける。ジェイナもまた、後部座席をちらりと見やる。
「つまり、国の、正式な検問をだ」
だから何なのだ、サマルは未だ話の趣旨が読めない。
「もし仮に国が犯人であれば。検問所で荷物を全部調べ、『本物』の位置を確認するか、見分けられるように印を付けておく。そのあとで、『本物』を探し出し盗む。この方法なら、短い時間で犯行が可能だった説明が、この通り容易いだろ。だけど、『国以外』が犯人なら、この方法は使えない。なぜならば、繰り返すようだが検問は『国のもの』だから。『国』と犯人が関係なければ、当然検問所で荷物を調べ『箱』を特定できないのだ。つまり、犯人は前情報無しでトラックを襲うことになり、200のダミーを調べる羽目になる。当然時間がかかりすぎるから、無理だ。以上のことを頭に留めて欲しい。」
つまり、
(a)犯人=『国』なら
→検問+爆破→◎
(b)犯人=『国以外』なら
→検問ナシ+爆破
→時間切れ→×
こういうことか。サマルが脳内にイメージを描く。
「そして今“ユグマくんは殺されていない”。このとき可能性は2つ。『ユグマくんがクロかつ国の犯行』、もう1つは『国以外の犯行』」
つまり国に殺されないための理由は2つ。“ユグマが国、つまり犯人側の人間である”または“そもそも犯人は国でない”。こういうことだ。
なぜなら、さっきあったように、『絶対殺されていたはずの』パターンはたった1つだからだ。
それは『犯人=国で、ユグマが国の仲間ではない』とき。『国』が犯人なら、国家権力という盾があるのだから、邪魔者はとりあえず、抹殺しようとする。それが当然だ。
結果として暫定的に、『殺されない』可能性が残るのは『国以外の犯行であるとき』、となる。
解りかけてきた気がする。もう、ひと押しだ。
「2つの可能性のうち、まず前者はそのままクロ」
国側=犯人側の人間、つまりクロ。言うまでもない。サマルの脳がフル回転する。
「問題なのは後者だ。後者『国以外の犯行』ということは犯人は国とは関係ない。だからさっき言った通り、検問所で荷物を調べられない、そして時間切れ」
ピンとくる。脳を覆っていたもやもやに、風穴が空いた。
「だから後者『国以外の犯行』の場合、盗み出すには、“『本物』がどれか知っている者”の協力が必要だ。検問所が使えないからな」
博士は、やっと大演説も終わりだ、とため息をつく。
「“『本物』がどれか知っている者”になり得たのは、誰だ。トラックに積み込んだ本人、ユグマくんしかいないのだ。彼が犯人に協力して、本物を区別できるようにしておくしかない。よって、クロだ」
加えて、それでもユグマがシロだと仮定すれば、トラックが走り出す前に、誰かがユグマの目を盗んで『本物』に細工したことになる。だがしかし、そんな機会があるなら細工などと回り道せず、その場で盗むはずだ。トラックが走り出す前に盗まれたなら、爆破される必要はなかった。しかし現にトラックは爆破された。
ゆえに『ユグマがシロ』は正しくない。
なるほど、これでユグマがクロであることが証明された。サマルが納得しかけたとき、
「いや、まだだ!」
声を上げたのは、ジェイナだった。
「確かに今、ユグマはクロだと立証された。ただそれは、『国が犯人ならユグマは“絶対”殺されていたならば』だ。国が相手と言えど、ユグマさんなら逃げ切れたかもしれない」
サマルの隣で人形のようになって動かないユグマの四肢は、筋肉が隆々と盛り上がっている。この身体であれば、なるほど足も速いかもしれない。
「その反証は簡単だ」
博士が姿勢を変えながら言う。
「ユグマくんは、『犯人らしき人物が数人、逃げたのを見た』と言った」
そういえば、確かに言っていた。一同は、先ほどの記憶が再生される。
「考えられるのは、これまた2つ。それはずはり、ユグマくんがシロか、クロか」
ケイスが、顎に手をやる。博士は、続ける。
「まずクロなら、ユグマくんが我々に嘘をついた、それだけだ。ユグマも共犯なんだから、犯人は逃げる訳がない」
ここまで来ると、サマルにも察しがつく。
「そしてシロである場合だ。まず国が犯人なら、ユグマくんを消しにかかるだろう。少なくとも逃げるはずがない。次に『国以外』が犯人の場合。犯人は誰か知らないが、逃げるのは十分あり得ることだ。ただしそうなるとさっきの『検問所』の理屈で、『国以外が犯人なら、ユグマは必然的に共犯』だ。よってクロ」
全ての論理が整然と並べられ、1つの結論が弾き出された様は、圧巻だった。これで、もう漏れはない。
博士はやはり、目星を付けていたのだ。そして確信を得るために、鎌をかけた。
彼の頭脳の閃きには、やはり感服するしかない。
「しかし、依然として我々の相手が、国家という強敵である可能性は残ってしまった。危険な状態であることに変わりはないのだ…」
車は山岳地帯を抜け、街へ入った。議論に夢中で、窓の外にはほとんど注意していなかった。
「これからどこへ行くんです?」
ケイスが誰にともなく聞いた。
「行き先はジェイナくんが知っておる」
ジェイナはお任せを、といった感じで頷く。
「国を当てにできない。つまり警察もだ。こういうとき、あてと言ったらあいつくらいしかいないのだ」博士の言う『あいつ』、サマルは考えを巡らせるが、分からない。
広い道に出て、車はさらにスピードを上げる。