洋平-4
◆◆◆洋平-4◆◆◆
職員室に行き用事を済ましてから、洋平は生徒昇降口に向かった。六限目が終わり帰宅路に着くときが、洋平にとって最も幸福な時間の1つだった。靴を突っかけて学校を出ると、校門のところで雄介が待っていた。からかうつもりだなと予想していると、やはりそうだった。
「悪くねーじゃんか」
雄介が洋平の頬をつまみ、ぱちんと離す。
「それ言うために待ってたのか」
「まあな。だけど他にもあるんだよ」
「他?」
なんだろう、洋平は思い当たらない。
「とりあえず歩こうぜ」
2人は歩き始める。
「何か用が?」
「用って程でもないんだ。それは後でいい。ところで洋平」
うん?と洋平が顔を向ける。
「告れよ」
びくっ、体が跳ねた気がしたが、雄介は気付いて無いようで、安心した。今の時代、『愛の告白』という荘厳なテーマを、『告る』という極めて軽薄な単語で表現してしまえるのだから物足りない、と感じる。しかし昔も今も、恋心を伝えるプロセスが1人の青年にとって、一大決心を伴う大仕事であることに変わりはない。
「勝負は夏しかないぜ。絶対、告れ。」
洋平は、嫌だった。その旨を、雄介に伝える。
雄介が、興奮気味に言い返す。
「なんでだよ。洋平お前、今そこそこ早紀子と仲良いんだしさ、もったいないねえよ」
「分かってる。だけど、ダメなんだ」
ダメ?その意固地な物言いが、雄介は気になる。
「ダメって何だよ。どうしてだ」
「分かってるんだ、僕には。早紀子は、みんなから好かれるし、みんなを好いてる。彼女にとって僕も大切な『みんな』のうちの1人でしかない」
「要は、ビビってんのか」
「ビビってるとか、そんなのは違う。早紀子は、みんなに笑いかけるんだ。僕を特別視してるわけじゃない」
「分かんねえだろそんなの」
「分かるよそんなの。僕は格好良くもないし、目立つ存在でもない。『嫌いじゃ無いけど好きでもない』そうフラれて、終わりだ。せいぜい僕は早紀子の中で、数ある愉快な男子の1人」
数ある愉快な男子の1人、リズムの良いフレーズに、雄介は男子ならぬダンスを躍りたくなったが抑えて、お前さ、と呼びかける。
「お前さ、占いとか信じないだろ」
突然変な方向から話題が飛んで来たので、洋平はたじろぐ。
「何だよ急に」
「いや、お前は絶対信じないタイプだな。朝やってる12星座占いとか、おみくじとか」
「世界中の人の運勢がたった12パターンに振り分けられるなんて、ありっこない。信用できるわけないんだ、あんなの」
「やっぱりな。だからだよ」
だから、何?雄介の言わんとすることが、全く分からない。
「だから、お前は早紀子に告れないんだよ」
「お前の思考回路はどこかきっとバイパスしてるよ」
「12星座や天気予報、ああいうのは信じとけばいいんだよ」
「天気予報は別物だ」
「やべえな今日の運勢最下位だ、とか、ラッキーカラーは紫か、よし今日は紫のネクタイして行こう、とかさ、一喜一憂してればいいんだ。そうやって楽しめれば、それでいい」
「紫のネクタイは、営業先で嫌われるぞ」
「早紀子のことも同じだ。お前は結局、ビビってんだよ。もしお前フラれたって、相手はあの陽気な早紀子だ、そうそうギクシャクしねぇだろうよ。お前も想像ついてるだろ」
洋平は、黙っている。
「さあ、ノーリスク・ハイリターンだ。お前はクジを引く前にビビって、結局何もしない。どうってことねぇ、引けばいいんだ。大凶だろうが、末吉だろうが、引いてみれば、何か起こる。何もしないより、とりあえず引いてみた方が、面白くなるだろ」
臆病な人ね。小説の一節が浮かぶ。あれは確か、漱石だ。洋平は、返事ができなかった。
電車に揺られ、洋平と雄介は、同じ駅に降りる。同じ中学校の学区だったので、2人の通学ルートが一緒になるのは当たり前だけれど、こうして同じ電車に乗り合わせることは珍しく、洋平は新鮮味を覚えた。
「ここだ、ここ」
寄り道して連れて来られたのは、洋平たちの家の近所にある、古い神社だった。
「肝試しと言えば、ここだよな」
雄介は気が高ぶる。
「肝試し、やらないんじゃなかったのか」
用事ってこのことだったのか。
「女子がいるなら、話は別だ。あ、もちろん海も行くけどな。この肝試し、お前の為でもあるし」
うっ、と腹を突かれた気分になる。雄介は得意げに、
「肝試しに参加する女子なんてのはさ、男子に守って欲し~い、だとかさ、2人っきりになりた~いだとかさ、少なからず不純な動機があるわけだよ」
肝試し自体が霊を愚弄する不純な遊びだ、などと思いつつも、洋平は耳を貸す。
「そこをお前がガシッと守ってやれば、あとはなるようになる。深まる絆、惹かれ合う二人。シナリオは完璧だ」
あまりに安直な雄介に、洋平は呆れる。
「まあ、歩いてみようぜ。下見だ」
お宮の裏手は林になっておりその中は歩けるようになっている。お宮の裏を回り込むように境内を半周。林の中は祠なんかも置いてあるし、今は明るいが、夜になれば何も見えないくらい真っ暗になる。肝試しには最適の場所だ。その林道を、2人は歩き出す。
「洋平、肝試しはお前が言い出したんだよな。得意なのか」
洋平の顔を覗き込む。
「少なくとも苦手ではない。霊なんか信じてないんだ。占いと一緒で」
この神社に人が来るのは滅多にない。あと2、3週間もしてシーズンが到来すれば、それこそ肝試し客がちらほらとは来るだろうが。
「お化けは、いるよ」
雄介が珍しくまじめに喋る。
「居ないよ」
「お前にはロマンがないのか」
「今の時代にロマンなんて、馬鹿にされておしまいだ」
「お化けとか、超常現象とか。ある、って信じてた方が楽しいじゃんか」
雄介がにこにこするのを見て、洋平は思いつく。
「面白き 事も無き世を 面白く」
「なんだそれ」
「高杉晋作の辞世の句だ。お前を見てたら、なんか思い出した」
「辞世って、死に際にそれを詠んだのか」
かっこいい、と雄介が目を輝かせる。俺も死ぬとき、使おう。
林道も、半分まで来た。結構長いな、と思いつつ歩を進める。2人はだらだら歩きながら、夏休みのプランであるとか、友人の失敗談であるとか、教師の物真似だとかに夢中になる。会話が弾む。笑う。
びゅん。車が、目の前を過ぎていった。2人は、のけぞる。変な形、見たことのない車種だ。新車だろうか。
びゅん、びゅん。立て続けに横切っていくどの車のデザインも、なんだか変てこだった。
あれ、と洋平はようやく気付く。
神社の境内で、なぜ車が走っているのだ。
振り返る。林はあるが、神社は見当たらない。
クヌギの気が生い茂っていたはずの林も、いつの間にかこれまた見覚えのない木々が立ち並んでいる。
また、前を向く。閑静な住宅地とは程遠い。自動車が突っ走る片側二車線、その大通り向こうに高層ビルが立ち並ぶ。洋平は何が起こったのか、飲み込めなかった。
「雄介、これは…?」
視界の端に、口を開きっぱなした雄介の、呆気に取られた顔が映る。
「お化けに、やられた」そのまま2人は呆然と、目の前を流れゆく自動車の、せわしないエンジン音を聞いていた。