洋平-5
物語は、核心へ。
◆◆◆洋平-5◆◆◆
道を歩いていたら、異世界に迷い込んだ。
SFマンガにありそうな話だ。
そして迷い込んだ主人公は、みんな決まって慌てふためく。洋平と弟の慶太は、そんな描写を見る度に「これはおかしい」などと議論していたものだった。
「目の前が突然、見たことない景色になってたらさ、普通は感動すると思わないか、兄貴?」
弟よ。俺たちはどうやら、甘かったようだ。
洋平は、焦っていた。
彼は今、現実に知らない世界に放り出され、途方に暮れているのだ。
立ち並ぶビル、走りゆく自動車、道路の作り、そしてなにか漠然とした、肌に感じる、この世界の雰囲気。洋平たちが住み慣れた世界のそれとは、明らかに違っていた。今目の前に横たわっている街は、洋平にとって違和感に満ちていた。何なんだ、何が起こったんだ、どうすればいいんだ、思考は激しく廻るものの、上滑りしてばかりだ。
「雄介!どうなったんだ僕たちは?」
「おば…」
「おばけなんてない!ここは一体どこだ!外国か?そもそも地球なのか?それとも悪い夢を見ているのか?」
「俺にもなにがなんだか…頭が働かねえんだ」
「僕も同じさ」
「洋平」
「ん」
「探検するか」
探検、という言葉がとても幼稚で安直に聞こえた。しかし、これほど現実に即した形で使われる日が来るとは思ってもみなかった。
「歩くか」
洋平はどうにもならず、雄介についていった。雄介は行くあてがあって歩いているのだろうか、と考えてすぐに愚問だと思い直す。見ず知らずの世界に、あても拠り所もあるものか。それでもやはり、行動せねば何も始まらない。そうだな、今は歩いてみるしか、しょうがない。
「情報収集って訳だな。何か見つけた?」
「いや、それもあるけど、ちょっとテンション上がった」
「は?」
「テレビでも、本でも見たことない世界に、俺たちはいるんだぜ。見て置かないともったいないだろ」
日頃の僕や慶太と同じ発想だな、と洋平は苦笑したが、一方でこいつについていて大丈夫なんだろうか、と訝しみもした。興味本意で動いている場合じゃない気がする。そうだ第一、来た道を引き返せば良かったんだな。
張り切りと緊張の混じった雄介の表情を見ていると今さら止める訳にもいかず、黙って歩くことにした。
大通りの左側、歩道と思しき道を進む。
はて、ここはどこだろう。
どうやら何かの店らしき、古びた家屋を発見する。日本ではあまり見かけない丸型の屋根を有し、薄い赤色に塗られた木製の壁は、ところどころ塗装が剥がれている。その前に、看板が立てられていた。
洋平が、先を急ごうとする雄介の肩を掴み、引き止める。
「おい待てって。これ、何の文字だ?」
洋平がその淡い青色に黒く文字が記された木の看板を指を指す。
「これは…まるで落書きか模様みたいだ」
「アルファベットは見つからないし、アラビア語とも違う気がする」
洋平は、テレビや地理の教科書で見たことがあるアラビア語の記憶を引っ張り出す。
「少なくとも日本語ではない」
「…ということはやはり、僕たちはどこか別の世界へ飛ばされてしまったのか」
別の世界ってなんだよ。
洋平は自分が何か突飛なことを口にしているようで可笑しくなる。しかし、状況を考えたとき、それは決して誇大妄想ではないことをもまた、自覚していた。
雄介は頬を弛ませ、
「現実主義者のお前がそんなこと言うとはな。まあ俺も同じことを考えてたところだよ」
広告車なのか、派手なイラストの車が通り過ぎる。黄色いペイントで、奇妙なキャラクターが描かれている。その車にも先の看板と同じような文字が記されており、別の店の看板も同じだった。どうやらこれが公用語らしいということは、もはや確信せざるを得なかった。
「なあ雄介、僕にはどうも、地球の文字には思えない。こんな団子虫が踊ってるような文字、見たことない」
「じゃあ、ここは地球じゃないってか」
洋平は少しためらってから、
「そうかもしれない。いや、そう考えるしかない」
「俺たちは、異星に飛ばされた」
「…そうだ。いや、納得なんかするわけない。こんなこと、ありえない」「だけど現実に起きている」
「そうだ、だから僕達は困ってる。…もう戻ろう雄介。とりあえず、最初の林にさ」
雄介は名残惜しい、といった感じで少し考えたが
「それがいい。俺だって馬鹿じゃない。帰れなくなったら困るよ」
洋平は胸を撫で下ろす。ここでまだ冒険を続けようだの言われたらどうしようかと思っていた。かくなる上は雄介を残して帰るという選択も致し方ないとまで覚悟をしていた。素直に聞き入れてくれたことに一安心した矢先、
「あ」
洋平の心臓が飛び出す。
異変に気付いた雄介は、洋平の視線の先に目をやる。うっ、と小さく声を漏らした。2人の顔は強張り、青ざめる。彼らが見つけたのは、歩道の向こうからやってくる2人組だった。ここが異星なら、彼らは異星人に違いあるまい。2人が着ていたのは、地球に存在する衣服の種類には分類しがたいが、強いて言えばシャツのようなものだった。一方は白、一方はグレーだ。
2人がぎょっとしたのは、彼らが異星人よろしく、化け物じみた出で立ちをしているからだった。黒ずんだ肌、並の人間の二倍はあろうかという大きなぎょろ目、バンパイアのような尖った耳、大きな団子っ鼻、二足歩行であることや顔の構造などは似通っているものの、それが洋平たちと別の生き物だということは疑いようもなかった。さらに悪いことには、彼ら一一一2人の異星人一一一は、洋平たちが引き返すべき方向から向かってくるのだ。
「どうする、ここじゃ宇宙人は僕達の方だ。見つかったら面倒だぞ」
雄介は頭を悩ませた挙げ句、
「行こう、もと来た道を」
「奴らとすれ違うってことか」
「大丈夫、顔伏せて、普通にしてればバレねえさ。奴ら背ぇ高いし」
確かにあの2人組は、身長2メートルはあろうか、かなり長身だった。
「この星の人はみんなあんなにでかいのか?やんなっちゃうな」
「とにかく行こう。顔は伏せろよ、不自然じゃない程度にな。変な好奇心出して、奴らのこと見上げたりすんなよ」
「お前だろ」
「目があったが最後、やられちゃうからな。ビームで、じゅわっと」
「やめてくれ」
2人は顔を見合わせ、心を固め、同時に頷く。よし、行くか。
顎を引き、決して前を向かないようにする。緊張で、歩き方が不自然になりそうだ。脂汗が、額を濡らし始める。
異星人まで、あと3メートル。鼓動が速く、強くなる。
2メートル。無意識に、拳を握っていた。胸の内から震えがこみ上げてくる。
1メートル。目を開けていられなかった。歯を食いしばる。気付くな、気付いてくれるな。
ゼロ。
何事もなく、通り過ぎた。そのまま息を殺し、歩く。心の中で、ガッツポーズを決めていた。やったぜ、僕たち。洋平が安堵していると、ぽんと肩を叩かれる。
雄介、ではなかった。
さっきの2人が、引き返して来ていたのだ。
失敗だったか。洋平の胸を、恐怖が締め付ける。異星人2人組は洋平たちの顔を、まるで新種の動物かのように見て、やはり驚いたらしい様子を見せる。
「逃げ…」
雄介が言いかけた時には、遅かった。洋平たちは腕を掴まれ、彼らの腕力を持って簡単に押さえられた。
その後2人組は何やらがやがやと喚き散らしたが、洋平も雄介も何を言っているのか理解できないまま、引き摺られるように連行されてしまった。
そのまま近くの敷地に停めてあった車の後部座席に押し込まれた。白いシャツを着た方が運転するようで、グレーの服の方は、洋平の隣に乗り合わせてきた。
グレーの方がカバンから、何やら布を取り出す。それで洋平の口と鼻が覆われ、湿った感触がする。薬だ、と理解した時には、すでに意識が遠のいていた。
景色がぐるぐると回転する。視界がぼやけて、頭も動かなくなる。まずい、まずい、頭蓋骨の中で言葉だけが反響するが、身体はすでに脳から切り離されたかのようになり、動く気配はなかった。そしてだんだんと瞼が重くなり、ゆっくりと落ちていく。