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エピクロス

 最近、死ぬのが怖くなってくる。絶対に、死にたくない。この人生、今まで特出して良いことはなかったけれど、俺は絶対に死にたくない。

 田中は、一介の高校生だった。彼は今、人生の頂点にして不安の絶頂にいた。

 ごみ箱の横を速歩きで通り過ぎる。早く家に帰りたかったからだ。が、安全確認は怠りたくない。放課後、日が沈み暗くなってきたころだった。そのため、交通事故、誘拐などいろいろな危険が闇の中から顔を出してくる。かなり暗く、街灯や少しの明かりがないと周りも見えなかった。

 ハァ、ハァ、と息を弾ませながら走る。地域の大きなゴミ捨て場を通り過ぎ、粗大ゴミが不法に置かれているところを通り過ぎようとしたところ。

 ドンッ

 と、誰かにぶつかった。

「ヒッ」

「うぉっと。」

 自分でも驚くほどの情けない声。そして、そこに重ねられたおおらかな嗄れた声がより田中を驚かせた。今ぶつかったのは人だ。謝らなければ。

 ジジ、ジジ、と不気味な音を立てて電柱の光がついた。

 映し出されたのは、ごみを抱えて持ち出そうとしている老人だった。いくら不法に捨てられているとは言え、これ盗みになるだろ。という思考が一瞬頭のなかによぎる。

 古びたテレビがなどが置かれてあるゴミ捨て場、壊れかけ点滅を繰り返している電灯、その下に音もなく固まるボロ服の老人と高校生。傍から見たら面白すぎる絵面である。

「す、すみません。」

 我に返り、田中はとっさに謝った。が、老人は何も言わない。

「あ、あの…」

 その空気に耐えきれず、田中がおずおずと話しかけた途端、老人が突然声を発した。

「お前…、何をそんなに急いでいるのじゃ。」

「はい?」

 突然の問いに、田中が答えられないでいると老人が、そこから盗んだであろう椅子を置いて、そこに座った。

「お前の顔は、恐怖しているように見える。一体なににそんな怯えているのじゃ。」

 お前だよ。と言おうとしたがすんでのところでその言葉を飲み込む。このおっさんだけが原因じゃない、と思ったからだ。

 ふと、ここで話さなければこの先ずっと怯えて生きてしまうのでは無いか、というような考えがよぎる。田中は、老人に向かって話しかけた。 

「僕は、死ぬのが怖い。とてつもなく怖いんですよ。そう思い始めたのは最近のことでした。

二カ月前、祖父が死んだんです。とても充実した顔で逝きました。大往生でした。でも、そんな顔を見ていたら、おじいちゃんの幸せそうな顔を見ていたら、今までの楽しい記憶がよみがえってきました。でも最近、おじいちゃんの顔をはっきりと思い出せないんです。いや、ちゃんと思い出せるんですけど、確信が持てなくなりました。実物がいなくなりましたから。写真を見ても、何処かしっくりこない。そこから思いました。死んだら、思い出も、充足も、何もかも置き去りにしてしまう。自分は感じられなくなる。そんな恐怖に駆られだしました。僕は、僕は死にたくない。」

「お前の祖父は死んでない。」

「え?」

 間髪入れず、老人がレスポンスしてきた。速い。恐ろしく速かった。

 が、田中の心のなかには次第に捻くれた考えが湧いてきた。どうせ、また、君のおじいちゃんは君の心のなかに生き続けるとか綺麗事言われるだろうな、と。が、実際は違った。

「お前の祖父は、死を体験していない。人から忘れられるのが本当の死だとかなんとかの、世迷言ではない。よいか?お前の祖父は、死んでいないんだ。何故なら、お前の祖父が生きてる間に死は存在せず、死が存在する間はお前の祖父は存在しないからだ。」

「は?」

 田中は、まるで意味が分からなかった。何故なら、祖父はもう存在せず、それは死を意味しているからだ。だから、祖父が死んでいないという主張に、納得できなかった。

「何故死を恐れる?いいか、死んでからはお前はもう何もできん。何故ならお前は居ないからだ。存在しないんだよ。死があるから。お前が存在して良いのは、お前が死という概念に置き換わった時までだ。死があるときはお前はお前じゃないんだよ。死ぬ、と言うのは動詞では無く概念だ。だから、お前の祖父は死んだのではなく、お前の祖父が死に置き換わっただけだ。」

 祖父が、死への恐怖が、自分が、心が。何か物のように言われているような気がして、田中は苛立って反論した。

「辞めてくださいよ。僕の祖父は、死という恐怖を全うしたんですよ。それなのにあなたは概念に成っただの何だの。」

「それは違う。お前の祖父が全うしたのは生だ。それを否定して、どうするんだ。」

 田中は、はっとした。いま、自分が一番祖父の人生を蔑ろにしていたことに気がついたからだ。

 その反応に気が付いたのか、否か。老人は更に弁を続けた。

「死ぬというのは、寝ることと似ている。ぐっすりと、ぐっすりと、深く深く寝ている間は、何も感じない。無だ。」

「それですよ。それが怖いんですよ。僕は「最後まで話を聞くんじゃ。」

 田中はあわてて口をつぐんだ。

「じゃが、その日が楽しかったら、充実していたら、その日の夢を見る。不安なことがあったら怖い夢も見る。生きることに、ましてや死ぬことに価値を見出すのであれば、そこであろう。儂らは今、今、この瞬間を、存在している瞬間を夢見るために生きているんじゃ。死なんて、無に置き換わるだけの終焉じゃ。その後は何も夢を見ることもできないし、夢をつくることもできないんじゃ。後ろを向き続けろ。前は浅くで良い。今を全うするんじゃ。少年。後ろにある夢の一つ一つが、祖父との大切な思い出でも、クソちっぽけゴミのようなものでもいい。拾って夢を見るんじゃ。」

 そう言って、老人は粗大ゴミ置き場からかっさらってきた椅子と、更にもう何個かゴミを拾って去っていった。田中は帰り道を引き返して行った。

 帰っている時には気が付かなかった。気が付いていたかもしれないけれど、買う気もなかった。  

 ごみ箱の横にあった、光っている自販機で飲み物を買った。

 ガラ、ドン、と、飲み物が落ちてくる。田中は飲み物におもむろに手を伸ばして、拾って飲んだ。ゴク、ゴク、ゴク、と飲み、最終的に飲み物は空のペットボトルになった。そして、田中はゴミ箱へと、それを捨てる。

 自宅に着くと、母が迎えてくれた。

「遅かったわね、何してたの?」

「自販機で飲み物買ってたんだ。」

「あら、何買ったの?」

 田中は、自信を持って答えた

「コーラだよ。コーラ。すんげぇ、美味かった。」

この物語は、私がエピクロスさんの哲学から勝手に解釈して作った物語です。実際のエピクロスさんの哲学とは、大きく異なっておりますのでご注意ください。

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