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第七話 観測ログ

「……お前、何見てんだ?」

「ここの内部情報です」

「それを早く言えよ!」


 人通りの無い廊下の奥に、ぽつりと置かれた検索用パソコンは冷たい。キーボードを叩くリーベスへ、それを壁に寄りかかってぼんやり見てたルドルフは声が張り上げた。

 むしろ、ここまで来て何をするつもりだと思っていたのか。呆れたようにルドルフを見るが、彼は何やらブチブチと文句を垂れながら視線を周囲に巡らせていた。


「役所っつーのは、そういうセキュリティみたいなもんはしっかりしてると思ってたが……」

「ここの区域は予算が少ないそうですから、手が回らないんでしょう」


 公式サイトをプログラムウィンドウへ移動させ、何層ものアクセス権限を掻い潜っていく。

 児童福祉。

 教育支援。

 家庭保護。

 どれも似たような名前だが、奥へ進むほど権限が強くなっていった。


「……ありました」


 小さく呟いたリーベスの横から、ルドルフも画面を覗き込んできた。


「来年度予算案……支援状況、違う……あぁ、これですね」


 トン、とリーベスの指がとある項目で止まった。


『初等教育過程における児童保護および将来適応性確保に関する包括同意書-A-24』


 先ほど見た草案だ。だが、今開いているのは別のページだった。


「これは?」

「草案の、管理ログです」

「ログ?」

「はい。いつ、誰が、どのデータを更新させたか、です」


 ジッと文字列を読んでいたルドルフだったが、途端に眉を顰めた。


「……おい、これ」

「はい」


 二人の視線が、同じ行で止まった。


「A-24実験処理ログ……進行率、92%」


 その数字を見ながら、リーベスは静かに息を吐いた。


「やはり、実験でしたか」

「実験って……」


 コン、とルドルフが指の関節で画面を叩く。


「子供で?」

「えぇ。善意で」


 リーベスは小さく肩をすくめた。読み上げるのも嫌になる。


「将来の失敗を減らす。競争を抑える。精神を安定させる」


 画面をもう一度スクロールさせていくと、「目的」という文言が見えた。


目的:対象者の不確実性排除及び社会適応率の最大化


 その一文を読んでいくごとに、ルドルフの眉間に皺が増えて行った。


「……」

「ルドの解釈の通りでしたね。不確実性の排除……失敗の排除、です」

「……挑戦も、だろ」


 リーベスは答えなかった。

 その代わり、別のログを開いた。細かな数字の羅列の中に、妙なコードがある。


例外処理コード

EW-01

WD-02


「……」


 リーベスのマウスを持つ手が止まった。


「……なんだ?」

「分かりません」


 しかし、漏れ出たリーベスの声は低かった。

 その時だった。

 空気の揺れる感覚に、ルドルフが顔を上げる。


「リーベス」

「はい」

「来るぞ」

「誰が?」


 ルドルフは廊下の奥を見ていた。その視線を辿って、リーベスもそちらを見る。

 一人の男が、廊下の向こうから歩いてきた。

 静かな足音。

 規則的で、無駄がない。

 黒いスーツに、白い手袋。胸元には小さな金属バッジが光っている。


 トンッ、と踵を揃えて、男が立ち止まった。彼の目が、リーベスと、その後ろのルドルフに動いた。


「……」


 視線が合った瞬間、リーベスは理解した。

 この男は、職員ではない。


「監査官、ですか」


 小さく呟く声に、男は無反応だ。

 こちらを見つめながら、男は胸元から携帯端末を取り出した。

 チラと画面を一瞥する。


「ログ異常を感知」


 淡々とした声だった。


「パソコンから離れてください」


 彼の言葉に、リーベスは両手を軽く上げながら少し離れる。そっと後ろに隠れたルドルフが耳打ちしてきた。


「逃げるぞ」

「ですね」


 男の目がパソコンに向かったのを見て、リーベスはメモリを引き抜いた。

 次の瞬間、廊下に警告音が鳴り響いた。

 廊下の奥で、扉が開く音が聞こえる。


「走れ!」

 

 警備員だ、と理解する前に二人は走り出した。

 ルドルフの先導で、廊下を駆け抜ける。役所の内部は迷路のようだった。


「階段!」

「わかってます!」


 角を曲がる。

 また曲がる。

 その瞬間、先ほどの監査官が廊下の反対側からヌッと現れた。逃げ道が塞がれた、とルドルフが舌打ちした。


「チッ……!」

「ルド、こっちです!」


 リーベスが方向を変え、非常階段のドアを体当たりするようにして開けた。

 無機質な鉄の階段を駆け降りる。

 しかし、二段飛ばしで降りた瞬間だった。

 背後で、ズドン、と重い音がした。次の瞬間、ふくらはぎに焼けるような痛みが走った。

 背後を見ると、階段の壁に、小さな穴が空いているのが見えた。


「……っ!」

「リーベス!」


 身体が前に投げ出される。千切れた布の間から飛び出る血が見えた。

 踊り場の壁に手をついたが、視界が揺れる。

 ルドルフが、リーベスの腕を掴んだ。なんとか体勢を立て直すが、ふくらはぎの痛みで上手く力が入らない。


「おい、大丈夫か?」

「……大丈夫です」

「嘘つけ」


 ルドルフが階段の上を見ると、監査官の影が一定の速度で降りてきた。

 走ってもいない。急いでもいない。だが、距離だけが確実に縮まっている。

 急いでリーベスに駆け寄って、ルドルフは上階をもう一度見る。監査官の視線が、まっすぐこちらを向いていた。

 彼に表情はない。

 怒りも、焦りも、苛立ちもない。

 ただ、処理対象を見る目だった。

 ルドルフは、これまで何度も銃口を向けられたことがある。喧嘩も、撃ち合いも、追われたことも珍しくない。だから慣れているはずだった。

 だが。

 胸の奥が、妙に冷たい。


 (なんだ、これ……)


 彼の手には何もない。

 銃もなく、刃物すらない。

 なのに、彼から逃げなければならない気がした。

 いや、違う。


 ここにいてはいけない。


 そんな直感だった。

 監査官が、また一段降りた。

 その動きは、あまりにも正確だった。

 無駄がない。

 呼吸すら、見えない。

 まるで、一定の間隔で再生される映像のようだった。


 (こいつ、人間か……?)


 ルドルフはそこで初めて、怖いと思った。

 背中を冷たいものが伝う。


 この男は、戦える相手ではない。

 戦ってはいけない。


「行くぞ」


 背後のリーベスに、低く伝え、そして、彼の背を押した。

 階段を駆け降りる。

 廊下を走る。

 裏口を抜ける。

 夜の風が吹き込んできたのも構わず、車に飛び乗った。ドアを閉めた瞬間、ルドルフがアクセルを踏み込んだ。

 ようやく役所の明かりが遠ざかった頃、ルドルフが建物の影に車を停めると、チラリとリーベスの足を見た。


「足」

「え?」

「さっき、撃たれただろ」

「えぇ、そうですね」

「見せろ」


 リーベスが止める間もなく、ルドルフが無理矢理破れたズボンを捲った。

 何かを言いかけたルドルフが、口を閉じた。

 そこに、銃弾の跡は無かった。

 服は裂けている。

 だが、血の跡すら見当たらない。

 さっきまで濡れていたはずの靴下まで乾いていた。


「……おい」


 今日初めて聞く低い声を、リーベスはどこかぼんやりと聞き流した。


「血もなくなってる」


 チラ、とリーベスも足を見たものの、少しだけ首を傾げた。


「……そういう、処理なんでしょうね。契約書に怪我に対する条項はありませんでしたから」


 ルドルフは何も言わなかった。

 ただ、運転席に座り直してすぐ、アクセルを踏んだ。

 車は夜の道路を滑らかに走って行った。



 同時刻。

 街の隅にある小さな図書室は、明かりが煌々と灯る中静かな時間が流れていた。

 閉館時間が近く、利用者はほとんどいない。

 そんな中、窓際のカウンター席に二人の子供が並んで座っていた。

 どちらも七歳頃の子供で、一筋の乱れもなく髪が切り揃えられていた。

 彼らは背筋を伸ばし、静かに本を読んでいた。

 ページをめくる小さな音だけが、規則正しく部屋の中に響いていた。


「動いたね」


 向かって右側に座る子供が、ポツリと呟いた。その声に、左側に座る子供が顔を上げた。


「どこ?」

「セントラルのログ」


 机の上に置かれた紙には、子供の落書きのような線がいくつも走っていた。

 その線の一つが、さっきまで丸を描いていたはずなのに、僅かにズレている。

 片方の子供は、静かに口を開いた。


「ログ?」

「うん」


 頷いた子供は、窓の外へ視線を向けた。

 真っ暗な夜空には、星が一つも見えなかった。


「やっぱり」


 静かな声が、図書室内に溶けた。


「始まった」


 図書室の時計が、カチリと音を立てた。

 二人は互いに顔を見合わせた後、また本へ視線を戻した。

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