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第五話 説明のための原因

 その日、記録が一件、処理済みになった。

 リーベスは、それを確認しながらスティックチーズパンを齧った。


 トントン、と携帯端末をいじる音だけが夜を迎え始めた部屋に響く。だらけた体勢のまま、行儀よく並んだ文字を追っていた。意味は考えない。

 突然、頭上から固い箱が落ちてリーベスの額に角が当たった。コンッと軽い音からは信じられないほど痛い。


「いてっ! ……おかえりなさい、ルド」

「だらけた体勢で物食ってんじゃねぇ。おら、ご所望のモンだ」


 そう言って指さされた先にあった箱は、リーベスが逮捕前に手放せなかった銘柄だった。それが額に落ちてきたのだが、リーベスは額をさすりながらも笑みが止められなかった。


「助かります。僕のID、どっちもまだ反応しなくって」

「ったく……よく吸ってられるな、そんなもん」

「まぁ、もう癖みたいなものですから」


 それでも嬉しそうなリーベスに、非喫煙者からの溜め息は重かった。

 パンをさっさと食べ終えたリーベスは受け取った箱を指先で転がし、すぐには封を切らなかった。


「外の空気吸ってからにしろ。飯のあとに吸うもんじゃねぇ」

「え?」

「外で吸えって言ってんだよ」

「こんなに風通しのいい部屋なのに?」

「なんか言ったか?」

「いえ、別に」


 場を離れたルドルフに向かって唇を尖らせてみるも、彼はこちらに気づこうとしない。

 仕方がないので、窓枠しかないベランダに出て箱の封を解いた。

 このマンションの周囲は風がよく通る。遠くに、隣の州の高いビルや広い敷地を有した公的機関などがよく見えた。

 一本咥えて、ライターの石を弾く。

 だが、火はつかなかった。


「おや」


 石がこすれる手応えはある。火花も確かに散っている。

 だが、その火花はタバコの先端に触れた瞬間に、「燃えるべき対象」を見失ったかのように、空気に溶けて消えてしまった。


「……」

 

 三度、四度と親指を弾く。虚しい金属音だけがベランダに響いた。

 リーベスは、自分の指先をじっと見つめた。

 

「……ああ」


 次は、これか。


 咥えたままのタバコが、ひどく重く感じられた。

 もはや自分は、この細い紙一本に火を灯すという「当たり前の契約」すら結べない。

 虚空を見つめるリーベスの瞳に、ふと、隣から小さな、けれど暴力的なまでの熱が割り込んできた。

 カチッ、と明快な音。視線を後方に向けると、ルドルフがいた。

 ルドルフの持つライターが、意志の強さを象徴するようにオレンジ色の焔を宿していた。

 

「……」

 

 リーベスはその火を、まるで遠い異国の奇跡でも見るような目で見つめた。

 ルドルフが黙って火を差し出す。

 リーベスがタバコを寄せると、その瞬間だけは、ルドルフの「契約」を借りる形で、タバコの先に赤い熱が宿った。

 

「……ありがとうございます」

 

 煙を吐き出す。

 だが、肺を満たしたはずの煙は、どこか実感がなかった。

 自分の内側が、少しずつ「空白」という名の虚無で満たされていく。

 リーベスは、ルドルフから手渡された古いライターを、壊れ物を扱うように掌の中に包み込んだ。

 自分では二度と生み出せない「熱」。

 それを惜しむように、彼はただ、消えかけた自分の影を見つめていた。

 

「ライター、古くなってんだろ」

「……そうかもしれませんね」


 渡されたライターは、リーベスが持っているものよりも汚れていたが、気付かないフリをして手の中にしまった。


「それで?」


 ルドルフの問いに、リーベスは黙って携帯端末を渡した。文字だけが羅列され、とても見にくいそれを、ルドルフは黙々と読み出した。

 風が通る。リーベスが吐き出した煙はルドルフとは反対側へ流れていき、静かな時間が流れていった。

 満足感を得ないまま、タバコは短くなっていった。吸い殻をベランダに転がっていた空き缶に突っ込んで、ルドルフの反応を待つ。

 マンション下を通る車の数を数えるのに飽きた頃、ようやくルドルフが「これ、」と呟いた。


「契約ですらないな。どうしたんだ? このデータ」

「今回の、該当者ですよ」

「こんなにいるのか?!」


 驚いてこちらを見上げたルドルフに、リーベスは「そうですよ」と気のない返事をしながらライターを指先で遊ばせた。


「いや、それにしたって、こんなに大勢……」

「気になるところはありました?」


 ルドルフの"目"は昔から正しい。リーベスに促されて、ルドルフはもう一度端末に目を落とした。彼の猫のような目に文字が反射して写っていた。


「……この二年の間に、爆発的に増えている。全員が、小学生だ」

「そうです。更に言うなら、皆、同じ学区に通っています」

「学区?」


 文字列の中から、彼らの通う学校の住所を見つけたルドルフが、眉を顰めた。


「これ、本当に"原因"か?」

「いいえ。違います」


 はっきりとした否定が出たものの、リーベスは手中のライターをいじる手が止まらない。その手をチラと見たルドルフが、リーベスに変わってハッキリと告げた。

 

「なら、"原因にできる形"か」

「さすがルドルフ。よく気づきましたね」


 リーベスの乾いた讃美は受け流され、ルドルフは更に文章を読み込んだ。


「前にも似たようなモンを読んだ」

 

 そう言って、ルドルフの指が僅かに止まった。彼の爪が画面に当たり、カツリと音が聞こえる。

 

「……えぇ、そうですね」

「契約の形式が、四年前のあの時と同じ……」

 

 言葉が切れて、彼はじっと黙り込んでしまう。ルドルフの見解に、リーベスは肩をすくめた。

 

「まぁ、こちらとしては、仕事がやりやすくて助かります」

「どこがやりやすいんだよ、こんなの」


 キッと、ルドルフの目がこちらを睨んできた。まっすぐな光がやけに心に刺さる。なんでもない風を取り繕うのも大変だった。


「やりやすいですよ。形が整っている」


 そう言いながら、視線は下を向いたままだった。


 事実かどうかは、問われない。

 マンション下を歩く小学生を見ながら、リーベスは無理矢理口角を上に上げた。


「ルドルフ。車を出してください。行きましょう」

「……わかった」


 納得していない、と顔に書いてあるが、ルドルフは鍵を取りに部屋へ戻っていった。その後ろをゆっくり歩きながら、リーベスはライターと石を弾いた。軽い音だけが鳴った。

 

「何も分からず説明できないより、ずっと良いですよ、こんなもの」

「……全員、逃げ場がねぇ年齢だろ」


 リーベスの独り言に、ルドルフは「だから嫌なんだよ」と言った。

 

 リーベスは、ライターの石をもう一度弾いた。

 やはり、火はつかなかった。


「……えぇ、そうですね」


 リーベスはそれを、故障とは思わなかった。


 *


 車の中から、ルドルフはデータにあった学校の一つを見上げていた。

 どこにでもある校舎で、どこにでもある制服を着た子供たちが校庭を走り回っていた。


「……」

 

 ハンドルに両腕と顎を乗せて、ダッシュボードに立てかけた携帯端末と交互にそれを見つめる。携帯端末の下には、学校のパンフレットが数冊積み上がっていて、だが目を通した様子はなかった。


「はー……やる気出ねぇなぁ」


 見張りを任されたものの、相手が子供だからか、なんだか気が抜けてしまう。

 狭い車内でどうにか伸びをしながらチラリとサイドミラーを見ると、リーベスが戻ってくるのが見えた。

 その後方から、やたら派手な男がついてきているのも見える。

 ゆっくりと、ルドルフはごく自然な動作で銃に手を伸ばした。シフトレバー前の隠し蓋を開けようとしたところで、リーベスの「不要ですよ」という声がルドルフに届いた。

 

「彼は僕が連れてきました」

「……そうかよ」

「どーもー。へぇ、リーベスお前、まだこの子とつるんでたんだ?」


 やたらと軽い口調で、派手な男はこちらを覗き込んできた。初対面のくせにこちらを知った風な口を聞く男の声に、本当に銃を掴んでやろうか、と逡巡してしまった。

 情報屋だと名乗った男を見ずに、ルドルフは「警備が薄い」とリーベスに言った。


「校門が開きっぱなしだ。防犯カメラも、巡回の間隔も、他の学校に比べて極端に少ない。不用心すぎる」

「まぁ、この辺りは治安がいい方ですから」


 そう言って、リーベスは少しだけ校庭に目を向けた後に助手席に乗り込んだ。手には棒付きキャンディが大量に入ったビニール袋を提げていて、外出の本来の目的はそっちかと呆れた。なぜ喫煙者はやたらと棒状のものをくわえたがるのか。ルドルフには理解できない習性だと思った。

 さっそくオレンジ味を取り出して包装を剥がすリーベスが、学校の周囲を掃除する用務員にも目を向けつつ「おや、」と呟いた。


「もう放課後なのに、想定よりも少ないですね」

「この時間、リストにあった子供はほとんどクラブ活動も外遊びもしないそうだ。図書室で過ごしているか、まっすぐ帰る」

「校内の子供たちの様子はどうでしたか?」

「なにも。特筆するほどのものはない。声はデカいし、廊下は走り回っているし、外で走り回ってるやつらと大して変わらない。図書室組は元々大人しい子供ばかりみたいだ」

 

 ルドルフの報告に、リーベスよりも先に、後部座席に勝手に乗り込んできた派手な男が反応した。大仰に足を組んで、やたらと偉そうだ。


「おい、勝手に乗るな、おっさん」

「いいじゃないですか、ルド」


 リーベスの制止に抑止力はまったく感じず、後ろの男は更に調子に乗るばかりだ。ピンクに染めた髪をこれ見よがしにいじりながら、つまらなさそうに言った。

 

「まったく、嘆かわしいことだ。みんな、"問題ない"って顔してる」

 

 情報屋は、ピンク色の髪を指で弄りながら、窓の外の子供たちを顎で示した。促されたからではないが、ルドルフとリーベスも校庭を見やった。

 

「見てみなよ。校庭にいるのはみんな背が高い」

「……あぁ」


 その言葉が、リーベスの脳裏にある「署名された名前」の残像と重なった。

 

「子供というのは、無駄に元気で、有り余った体力を全身に駆け巡らせるものだ。だが、小さい子らはどうだい? お行儀よく座って、時間通りに本を読んでいる」

「それが、彼らの"正解"なんでしょうね」


 リーベスの声に、情報屋は「管理だよ」と続けた。


「あれは"正解"じゃない。"管理"だ」


 情報屋はひとつ、息を吸った。


「一安心させるためのね」

 

 リーベスが飴を口の中で転がした。

 バックミラーで後ろに視線をやり、彼は笑わなかった。


「それは、契約の結果か?」


 ルドルフの確認するような声に、情報屋は「さぁね」とだけ言った。

 リーベスは口を開きかけて、やめた。代わりに、盗んだばかりの他人のIDカードを、無造作に放り出された学校のパンフレットの上に重ねた。


「……行きましょう。管理されているなら、()()()()()()()()()()のは僕の得意分野ですから」


 リーベスは、ルドルフから借りたライターを取り出して、太陽にかざすように掲げた。


「子供たちを閉じ込めたこの"完璧な契約"――原因は座りの良い場所に置かれています」


 微笑むリーベスの瞳には、看守の人生を捨てた時と同じ、透き通った非情さが宿っていた。

読んでいただき、誠にありがとうございます。実は1話〜4話を少しアップデートしました。お楽しみいただけると幸いです。

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