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第二話 空白の生活

 まだ不機嫌さを隠そうともしないルドルフの運転で、真っ昼間の明るい街を抜けた。

 車内は静かだった。


 ルドルフが黙る時は、大抵ろくなことを考えていない。四年前から変わらない癖だ。

 赤信号でようやく止まった時、ルドルフが指でリーベスを呼んだ。

 

「……貸せ」

「何をです?」

「端末だ」


 言われるまま渡すと、彼は画面を睨みつける。数秒後、舌打ちが落ちた。


「更新されてねぇ」

「妙ですね。前は違ったんですけど……端末の故障ですかね」

「そんな悠長な話じゃない」


 ルドルフが投げてよこした端末画面には、短い文言。


《契約者の状態確認中》

《処理を保留します》


「支払いも、手続きも済んでる」

「はい」

「なのに保留だ。……はぁ、やってらんねぇな」


 ルドルフはそう言って、アクセルを踏んだ。


「買い物、先に済ませるぞ」

「家は?」

「後だ。今のお前じゃ、何も通らねぇよ」



 表通りの高級店では門前払いをされてしまったので、仕方なく現金払いが可能な安価な店に入った。適当に服と下着を購入し、財布にかろうじて残っていた現金で支払う。

 わざわざ現金を出したところに店中の視線が集まったのには、さすがのリーベスも参った。


「囚人たちの方が幾分か親切でしたね……」

「なんだ? もうホームシックか?」

「馬鹿なことを言わないでください」


 袋を車に放り込み、ルドルフがまた「ん」と手を差し出してきた。携帯端末を渡すと、ルドルフの眉間にまた皺が寄った。


「まだみたいですね」

「あぁ。……やっぱり、おかしいぜ、今回」

 

 ルドルフは低く唸りながらハンドルを切った。


「さて、次は家ですか」

「違う。次は不動産じゃない」

「では、"彼女"のところですね」

「そうだ」


 ダウンタウンの端まで車を飛ばし、近くのコインパーキングの奥に停めてから、路地裏に入る。湿った空気と、古いレンガ。非常に歩きづらいこの場所に、"彼女"はひっそりといる。

 肩書きは「情報照会屋」だそうだが、リーベスはその裏の顔をよく知っていた。


「そういえば、彼女は元々あなたの紹介でしたっけ。彼女は、何者なんですか?」

「元、州立情報管理官だ」


 就職も離職も難しいと聞いていた職種が飛び出して、リーベスは驚いて横を見た。

 

「それは、信用できますか」

「信用できないから、今も生きてる」



 古ぼけたビルの裏に勝手に増築されたドアを開けると、机に向かっていた女が顔を上げた。


「……リーベス?」


 驚きと、計算と、躊躇が一瞬で混じった女の表情に、リーベスはにこやかに返した。


「リーベス?! あんた、出てこれたの?!」

「お久しぶりですね、カメリア」


 二人がソファに座るのも止められず、カメリアはズレてしまった丸い眼鏡を直しながら、ドタバタとコーヒーマシーンに水を注ぎ始めた。天井から下りた白熱電球が、リーベスたちだけを照らしていた。


「いつ出てきたの? っていうか、出てこれたんだね」

「どんな想像をしていたのか知りませんが、僕は別に大罪を犯したわけじゃありませんよ。ただの軽犯罪です」


 自分のした仕事の中では一番楽な部類ですらあった。カメリアは、落ち着かない様子でコーヒーを用意している。


「確か、あんたは砂糖が三つよね」

「よく覚えていましたね」

「そういう記録だったもの」


 カメリアの昔から変わらない返事に、リーベスは懐かしさで舌打ちをしそうになった。

 さっと出されたコーヒーカップにはすでに角砂糖が沈んでいて、楽しさのかけらもない。仕方なく、リーバスはしょぼしょぼとカップの中身をかき混ぜた。

 

「それにしたって、もう三年? 五年?」

「四年です」

「四年は十分に大罪人だわ。普段は長くても半年くらいで出てくるくせに」

「今回は事情が違います」


 リーベスの固い声に、カメリアの視線がリーベスからルドルフに移った。それを受けてか知らずか、ルドルフが苛立ちげに足を組んだ。


「こいつのIDデータが更新されない」

「え? ……見せて」


 途端に、彼女の表情が消えた。

 IDカードを渡すと、カメリアは机に戻って端末のキーボードを叩き出した。ピーヒョロガチャガチャと、彼女の机周りだけ喧しい。


 リーベスのカップが空になる頃にカメリアはようやく顔を上げた。


「おかしいわ」

「だから来たんだろ」

「いいえ、違うのよ。リーベス。あなた、本当に出所したの?」

「え?」


 彼女の言葉に、ルドルフだけが固まった。一拍置いて突き刺さる視線に、リーベスは「えーっと」とあえて前置きをして、胸元から例の封筒をチラリと見せてすぐしまった。カメリアに最後まで見せるようなものではない。


「刑期はともかく、おそらくこの契約のせいですね」

「まさか、あんた上書きしたの?」

「おそらくは」


 のんびりと返事をするリーベスとは反対に、カメリアの方が慌てふためいていた。赤くなったり青くなったりと百面相をする彼女を、リーベスは「おもしろいなぁ」と他人事のように見る。

 横のルドルフはこの面白さが分からないようで、呆れたように肩をすくめていた。


「……それで? わたしにいったい何をさせに来たの?」


 ようやく本題に入れる、とカメリアの問いにリーベスは姿勢を正した。余裕たっぷりに足を組んで、膝に軽く両手を乗せた。


「僕の別IDを作ってください。報酬はキチンとお支払いします」


 今度は二人分の時間が止まった。

 彼女にとってはこちらが本業だろうに、と思うのは、どうやらリーベスだけだったらしい。


「別IDって……リーベス、あんた何言ってるか分かってる?」

「えぇ、分かってますよ」

「いいえ、あんたは何も分かっていないわ」


 そう言うや否やカメリアは部屋の奥に引っ込んだ。数分ののち戻ってきた彼女の手には、リーベスたちの持つカードよりは小さい丸型の板があった。


「これは?」

「別の顧客に言われて作ったIDカードの複製よ」


 そう言って、カメリアは端末にそのカードをかざした。端末上部に滲んだ文字が浮かんだが、オレンジ色だった。

 彼女に手招きされるままにモニターを覗き込むと、そこには誰かの個人情報が羅列されていた。よく見る画面だ。リーベスが覗き込んだところで、モニターに「確認中」と一瞬出てすぐ消えてしまった。


「おい、今の……」


 ルドルフの声が漏れたところで、カメリアは淡々と「そう言うことよ」と言った。


「え? なんですか?」

「リーベス、お前、今の見たか?」

「いえ、特には」

 

 ルドルフを見たが、しかし彼は難しい顔をしたまま「ならいい」と言ったあと、黙ってしまった。

 画面上は綺麗で、端末も反応していた。

 二人の間だけに通じた意図は、リーベスにはさっぱりだった。


「特に問題は無さそうですね。僕の分も作成をお願いします」

「本当にいいの?」

「え? はい」

「……分かった。すぐ作るわ。ちょっと待ってて」


 いったい何だと言うのだろう。

 二人の顔を見ても、何も返事がない。仕方なくリーベスはソファに戻って待つことにした。少し遅れてソファに来たルドルフは、表現のし辛い顔をしていた。


 *


 三十分と言いつつ、カメリアはものの十分で作業を終わらせた。

 やはり彼女は優秀だった。

 黒色のIDカードを持って奥から出てきたカメリアは、奥歯に何か挟まったような顔したままだったが、携帯端末をいじって時間を潰していた二人の前に立つ。


「はい、これ」

「ありがとうございます。意外と早かったですね」

「放棄されたIDを使っただけだからね。念のため言っておくけど、もって半年よ」

「十分です。ありがとうございます。あなたの口座に金は送っておきますね」


 新たなIDは、リーベスのIDよりも軽い素材で出来ていた。この中にあるのは、空っぽのハリボテで構成された情報だ。致し方ない。


「では、これを使って不動産契約も行ってください」

「そう言うと思ったから、もうやっておいたわ。ただ、引き渡しは来月よ」

「来月ぅ?!」


 驚きの声を上げたのは、やはりルドルフの方で、リーベスとしては想定内である。


「そりゃそうよ。こんな身分不明の人間が入れる家なんて限られてるんだから」

「そうは言うが、その為の別IDだろ?」

「今ちょうど建設中なの。施工完了と同時に入居できるようにしたんだから、感謝してよね」


 カメリアの話を聞き流しながら、リーベスは新たに作られたIDを自分の端末にかざした。オレンジ色の文字が浮かんで、少し画面が固まった後に見慣れた画面に切り替わった。


「接続できました。うん、これで一安心ですね」

 

 出てきた基本情報の住所欄には、隣の州の、中央街の一等地だった。それを横から覗き込んできたルドルフが、分かりやすく「げぇ……」と漏らした。


「おい、カメリア。お前どんな奴のIDを拝借したんだよ……」

「そりゃ、リーベスのファーストネームに引けを取らない人のやつよ。名義だけが残っててね。有り難く拝借したわ」

「なるほど、助かりました。ありがとう。ルドルフ、行きましょう」


 とりあえず、第一歩。

 その時は、上々に思えた。


 クルクルと指先で遊ばせて、リーベスはスルッと指先からカードを消してみせた。渾身のマジックだったのだが、見慣れていた二人から賞賛はなかったのは残念だった。


 カメリアは律儀にドアまで見送りに来ると、口をモニョモニョ動かして「ねぇ、本当に大丈夫?」と言ってきた。


「えぇ。むしろ、何か問題でも?」

「いやまぁ、そうじゃないんだけど……」


 彼女の一番の売れ筋商品がこれだと思っていたリーベスは率直にそう伝えると、カメリアは「まぁ、そう言われたらそうなんだけどね」とやっぱり唸った。


「何か不具合が起きたらまた来てちょうだい。すぐに見てあげるわ」

「はい。お願いします」

「ルドルフ、あんた、ちゃんと見ててあげなさいよ」


 突然話を振られたルドルフは、「へーへー」と適当な返事をした。

 大通りまで出ると、小さな子供がこちらをジッと見ていることに気づいた。手を振ってみると、子供は困ったような顔をした後、手を振り返してくる。


「さて、ルド。これから一ヶ月、お世話になりますね」


 ニコッと人好きのする笑顔を後方にいたルドルフへ向けると、ルドルフは本当に嫌そうな顔をして「仕方なくだからな」と言った。


 一歩進んだ。

 ―――そう処理された。

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