あなたも私と同じ心を持っていた
お読みいただきありがとうございます。
姉の名前は雪乃だった。寒い冬の日に生まれた、かわいい妖精のような子だからそう名付けたらしい。
私の名前はあかりだった。姉が死んだ金魚をあまりにも悼むから、生まれた赤子にその金魚の名をつけたのだろう。
つまり、そういうこと。私はいつも、世界が円滑に回るための舞台装置だった。
◇◇◇
いつも世界の中心は姉で、私は世界の端っこにいた。彼女は不条理なほどに愛された。両親という衣をまとった神様に。
なぜ、姉だけ。そう何度も思って、理由はいらないことに気づいた。愛される理由が必要ないように、愛されない理由もまた不必要だったのだ。
そんな生活に嫌気がさして、私は高校卒業と共に家を出た。その日は家族が全員家にいたけれど、大荷物を持ってどこかへ行こうとする私を引き止める人はいなかった。
会社の寮に住む私の生活は穏やかで。淡々としていた。
だが、雨の日に段ボールに入った猫だなんてベタな展開に遭遇してから全てが変わっていった。
最初に寮を出て、動物と共にあることが許されるマンションへと引っ越した。それから猫が過ごしやすいように衣食を整え、一人と一匹の生活が始まった。
猫との生活は心地良かった。だって猫は、私なしでは生きていけないから。世界から放り出された私が、求められている気がした。
そっちがどう思っていたかはわからないけど。
――十年の月日が経った。猫はもうよぼよぼで、時折遠くを見つめては長い眠りについている。私は、この子は私の前から去るのだろうと思っていた。猫は死ぬ姿を人に見せないとよく聞いたから。
とある晴れた日。薄水色の空を龍の形をした雲がまたぐ。冷たい風が肌を撫でる感触に私は目を細めた。
目の前には、今際の際の猫。いつかの日みたいに、私の膝を我が物顔で陣取っている。
「ねぇ、行かなくていいの?」
無言。おかしいな、凄くお喋りな子なのに。
私は喉を震わせた。
「――それとも、まだ行かなくていいの?」
丸いふくふくの手が私の手に重ねられた。
くりくりした目に、その眼差しに、呼吸が止まる。
優しい表情は、どこか覚えがある気がした。誰? 分からない。母でも父でも姉でもない。そんな眼差しを私に向ける人、私は知らない。
「ねぇ、ねぇ――」
問いかける。だけどもう猫はうんともすんとも言ってくれない。ただ穏やかな、永遠の眠りについていた。
それから数十年余りの時間が過ぎた。私は長生きをした。夫も子どもも選ばない、世間からしたら大層面白みのない人生だったが、それでも天寿を全うした。
だって、いけないことを考える度にちらつくのだ。あのくりくりの目が。それを振り払うのに必死になれば、すぐにいけない気持ちも飛散する。
「……天国って、なんか明るい」
すごく質の良いカメラで収めたような、色彩豊かな世界。若い頃の姿で私は辺りをほっつき歩く。
沢山の人、沢山の生き物が集っている。そわそわと視線を巡らせたが、誰とも目は合わなかった。あの子はここにはいないらしい。
嬉しいような、寂しいような気持ちが往々と巡っていれば、ちょいちょい足を引っ掻かれた。
おや、目線を下げれば穏やかな顔をした猫が一匹足を揃えて座っている。あの子ではない。
「どうも、こんにちは」
喋った。利口な猫なのだろう。灰色の猫は凛とした声でこんにちはとお辞儀した。倣って私もお辞儀する。
「わたしは貴女が一緒に暮らしたユリの知り合いです。縁があったのか天国でも会いまして」
彼女、器用に脱走しては時折わたしに餌を分けてくれたんですよ。
明かされたわんぱく話に驚きながら、それでも私は脳みそをフル回転し声を震わせる。跪けば、親愛の鼻すりすりをされた。
「天国でも縁があったって、あの子と? じゃあ今あの子はどこにいるの?」
今偶然いないだけ? それとも私と――会いたくないの?
猫は穏やかな顔をしている。
「時間が来たから、彼女は泣く泣く転生しました。わたしは新参者でしてまだ時間があったから、ユリに託されたのです」
煮干しのお礼はこれで果たせましたね。にこ、と目を細めた。
「そっかぁ」
花が膨らむみたいな声が出てしまった。求められていた、という事実に嬉しくなってしまう。けど胸にぽっかり穴が空いてしまった。
ホロリと涙が溢れる。一度出てしまえば、止めることができない。わんわん泣きながら蹲ってしまう。
「ごめん、ごめんなさい。ずっとそっちに行けなくて、ごめんなさい。もう一度、会えたはずなのに……。ユリちゃん、ユリちゃん……っ」
三毛猫のユリちゃん。ふくふくな短い毛を持つ女の子。
大好きで、どんなに辛いことがあっても頑張れた。
泣き続ける私に、猫がすりすりしてくれる。
「泣く必要はありません。ユリは言ってました。会うことができなくて良かったと」
「え」
「それは、彼女が生きることを諦めてない証拠だからと。だから、永遠に会えなければそれで嬉しいと」
涙がぴったり止まってしまった。上手く言葉が咀嚼できない。
ようやく、あの日向けられた眼差しの所在に気づいた。私だった。私がユリちゃんに向けていた。
そしてユリちゃんも。私に同じ気持ちを抱いていた。
生きていてほしい。できれば、ずっとずっと。
――永遠に、生きていてほしい。
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