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4・魔道具令嬢は微笑む

 いったい、どのくらい経っただろう。一瞬のようにも、長い時間にも思えた。ようやくセドリック様の唇が離れた。


「あ……あ……」


 震えが止まらない。恐怖よりも驚きが大きい。急な口付けのことよりも、その間に自分の身体の中で起こったことに驚いて、言葉が出てこない。


「すまない」


 大きな手に髪をゆっくり撫でられた。それから、震える体を支えられる。まるで愛する人を慈しむような、優しい手つきだった。


 かっと身体が熱くなる。ようやく見上げたセドリック様の紫色の瞳の奥に、青白い光が灯っていた。私の瞳の色が乗り移ったみたいに、不思議な色……。


「止めてくれ!」


 鋭い指示が馭者に飛ぶと、馬車は急停車する。


 素早く私から離れ、馬車を飛び降りたセドリック様は召喚魔法で杖を喚び出した。それは流れるような魔法で、実に鮮やかな手前だった。


 我に返った私も開いた扉から身を乗り出す。セドリック様は攻撃魔法の構えをとっていて、彼の背丈ほどもある長い杖先は、まっすぐ飛竜のいる方へ向いている。


 私は目を見開いた。まさか、あの竜をここから撃ち落とすつもりなの?


「そんなことができるの?」


 私に魔法は使えないけれど、貴族令嬢の嗜みとしてある程度の知識は身につけさせられている。


 標的である飛竜の姿はまだ遥か向こう。つまり、魔弾で撃つにはどう考えても遠すぎる。


 基本的に、弓矢で届かない距離には、魔弾は届かないといわれる。飛ばすことは可能だけど、飛距離が伸びれば伸びるほど効果がなくなってしまう。よって、あのサイズの魔獣に致命傷を与えるためには、できるだけ近い距離から撃ち込まなければならない。


 セドリック様は、そんな常識を越えようとしている。


「黎明の光、蒼穹を裂き、(わざわい)を滅せよ――〈ルクス・ディスパルス〉」


 杖の先から、見たことないくらい巨大な魔弾が放たれた。青白い光が、稲妻さえも追い越しそうな速さで空を駆ける。


「うわあっ!!」


 セドリック様は反動で後ろにふっ飛んで、勢いのままに地面を転がっていった。


「セドリック様!」


 私が叫ぶのと、轟音が聞こえたのはほぼ同時だった。魔弾の直撃を開けた飛竜は、上空で蒸発するように消えた。


 一発で飛竜を消すなんて人間の業じゃない。どれだけの魔力を秘めていたの?


 天才と呼ばれる人の実力を目の当たりにして、私はいま、化け物を見るような顔をしていると思う。


 ぼうっとしている場合じゃない! 私はドレスの裾を持ち上げ、馬車から飛び降りた。誰の手も借りずに降りるなんてはしたない行いだけど、そんなことを言っている場合じゃない。


 セドリック様の元に駆け寄り、膝をついた。ゆるゆると身を起こしたセドリック様は額に汗をかき、肩で息をしている。


「身体は耐え切ったが、発射の反動をなんとかする術式を追加しないとな。こんなふうにいちいち飛ばされていたのではかなわない」


 笑った。


「あ、あの、大丈夫ですか? お怪我は……」


「ああ、大丈夫。どこかに擦り傷くらいは作っただろうが、このくらいで壊れたりしない」


 身体中が土まみれになってしまったセドリック様は嬉しそうな顔で、まるで少年のように目を輝かせていた。


「君がいてくれて助かった!! ありがとう!!」


 目が合った瞬間、大きな身体で強く抱きしめられて、息が止まりそうになる。


「あのっ、あのっ……??」


 声を上げても腕は緩まない。嫌ではないけれど、いったいいつまでこうしているの?


 鼓動が聞こえる。セドリック様のものかと思ったけれど、私のものだ。もしかして耳の近くに移動してしまったのかと思うくらいに、私の心臓は大きく鳴っていた。


 ◆


 私たちを乗せた馬車は再び子爵邸を目指して走り始めた。


 セドリック様は再びやってきた通信魔法と何か話している。相変わらず暗号化されていて、内容はわからないけれど、セドリック様はずっと嬉しそうだ。


 話を終えた鳥は、また馬車の壁をすり抜けてどこかへ飛んでいった。


「ありがとう。飛竜を撃破できたのは君のおかげだ。兵士にも市民にも死者は出ず、被害も最小限で済んだとのことだ」


 セドリック様に言われ、小さくなるしかなかった。お礼を言われる理由にはどう頑張っても辿り着けない。


「あの、私は何もしていませんが」


「いや、あれはほぼ君の力だ」


「君から吸い上げた魔力を使って撃った。だから、これからもその、度々世話に……そういうことだ。その度に、あの儀式を強いることになる。申し訳ない」


「すみません、先ほどからあの、何もかもわからないことだらけで。すみません、その」


 先ほどのことを思い出すと、だんだん身体が熱くなってきた。セドリック様もなぜか赤面している。ややあって、彼は何とも気まずそうに話し始めた。


「俺は魔法は得意なのだが……実は魔力にあまり恵まれていない。こればかりは持って生まれたものに縛られるから、勉強しても鍛錬してもどうにもならなかった。足りない分は命を差し出して戦ってきたが、いずれ限界が来るだろう。だから俺は足りない魔力を補ってくれる魔道具……魔力の強い女性を探していた」


 突然の口付けの意味。魔力をできるだけ混ざり気のない状態で、かつ素早くもらうためには、ああするしかないらしい。そんな魔法は聞いたことがないと言ったら、特殊な技能なんだ、いざという時のために覚えた。と言われた。


 愛はないことがわかったら、ホッとしたような、少し悲しいような。胸の中がモヤモヤしている。


「事情はわかったのですが、私は無能のはずです」


「君は自分の力を自覚してないのか」


「……無能だからでしょうか」


「ああ、そうか、そうだな。自覚できないのか……」


 自らの中にある魔力を感じるのにも、魔法回路が必要だ。


 つまり、それが欠けている私は体内に莫大な魔力を有しながら、自分ではそれが全く自覚できず、魔法を使うこともできない。本来は揃っているはずのものが片方欠けてしまったという極めて特殊な体質らしい。


 私は驚いた。魔法が使えないのなら、当然魔力も持たないものだと思っていたからだ。


 少なくともご両親は君の状態を把握しているはずだが、とセドリック様は言ったけれど、私はそんな話を一度も聞いたことがない。両親からは、魔法が使えない灰髪の無能と言われるばかりだった。


 それを聞いたセドリック様はみるみるうちに怖い顔になって、なぜか怒った獣のように唸り、私の存在を思い出したのかさっと表情を緩める。


 そこに蔑みの色は全くない。いや、思えば最初からずっとそうだった。私を見つめる紫水晶の瞳は澄んでいて、濁りはなかった。今も、無邪気に輝いている。


「とにかく……なかなか思うような出会いがなく諦めていたところに、ようやく見つけたのが君だ。あの夜会で目が合った瞬間に、どうしても欲しいと思ったんだ」


 セドリック様は手を伸ばし、私の手を取った。大きな手は、私の手をすっぽりと包んでしまう。


 そして、まるで愛の告白のような甘い声色で言った。


「ずっと俺のそばにいてほしい。生涯大切にすると約束する」


 綺麗な瞳でまっすぐに見つめられると、不覚にもときめいてしまう。こんな感情を覚えたのは初めてだった。


 けれど、わかっている。私が必要なのはあくまで魔力を与えるための魔道具としてで、そこに愛などない。


 道具として欲しいなんて言われたら、普通はひどいと思うだろうけれど。


 けれど。どんな形であれ、生まれて初めて他人から求められた。こんな私にも、『そばにいて欲しい』と誰かから乞われる日が来るなんて夢にも思わなかった。


 まるで春の日差しを浴びているように身体があたたかくなる。幸せって、こんな気持ちのことを言うのかしら。


「うれしいです」


 この人にとっては、私は邪魔者でもなく、透明な存在でもない。私はセドリック様の『魔道具』として、居場所と役目を与えていただけたのだ。


 私は、背筋を伸ばして紫水晶の瞳をまっすぐに見返した、


「私のことはセドリック様の思うように扱っていただいて構いません。精一杯あなたのために務めますので、どうかよろしくお願いいたします」


「……こちらこそ」


 私なんかに律儀に頭を下げたセドリック様。なぜかその綺麗なお顔は、苦いものを舐めたときと同じような表情になっていた。

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