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21.私の憧れ、勇気を出して

「ルシア様、おはようございます」


 今日もリーネの声で目を覚ます。窓から差す爽やかな朝の光を浴びて、私の一日が始まる。


 今日は儀式の日だから、少し念入りに顔を洗った。服を決めて、着替えを手伝ってもらう。今日は若草色の服を選んでみた。それから肌をよく手入れして、髪を結ってもらって。


「できました。ご確認ください」


「ありがとう」


 リーネから大きな手鏡を受け取った。髪型はいつも通りのハーフアップ……だけど、鏡の端にわずかに映り込んでいるリーネの首元に変わったものを見つけた。


 気になって、振り返って直接見てみる。


 襟に結ばれたリボンの先に、小さな刺繍がされていた。黄色や白の丸いお花にギザギザの葉っぱは、図鑑で見たことがある。指先ほどの大きさの絵柄だけど、特徴をはっきりと捉えているので、何の花かはすぐにわかった。


「ねえ、これって、タンポポの花かしら? かわいい」


 リーネはまさに花が咲いたような笑顔になった。


「そうです、素敵でしょう? アンナに刺してもらったんです。アンナはお裁縫が得意で、刺繍も上手なんです。若い頃、仕事の合間に教本を見ながら自分で覚えたんですって。すごいですよね」


 先生につかずに、自分で覚えたなんてすごいと思う。リーネがこんなにも声を弾ませたくなる気持ちもわかる。


「それに今度、私に刺繍を教えてくれると言ってくれて」


「わあ、それは楽しみね」


 年下の女の子が嬉しそうにしていると、なんだかこちらまで嬉しくなる。顔を緩ませていると、リーネがずいっと前のめりになった。


「ルシア様も刺繍を嗜まれているんですよね? 今まで、どんなものを作られたのですか?」


 リーネの無邪気に輝く瞳を受け止めた私はぎくっとした。


 確かに、刺繍は貴族女性の嗜みであり、かつ、子供を産むのと並ぶ大きな役目のひとつである。


 糸に加護の魔法を込めて、婚約者や夫、もしくは家族や友人のことを思いながら、ひと針ひと針刺すのだ。そうして生み出された品は、贈られた者を、しいては家を強力に守る護符となる。確か妹たちも、いつか来る日のために教室に通っていた。


 私だって、憧れてはいたけれど……苦々しい思いが浮かんできて、持ったままだった手鏡をそっと机の上に伏せた。


「その……実はね、今まで教えてもらえる機会がなかったの」


 今度はリーネがぎくっとしたようだ。貴族女性にとって刺繍がどんなものかちゃんと知識があったのだろう。それなのに結婚していてもおかしくない歳の女性がこんなことを言うなんて、びっくりしても仕方がない。


 もしかするとまだ年若い彼女は、私がアルヴェン家で受けていた仕打ちについて詳しいことまで聞かされていなかったのかもしれない。


 リーネは「どうしよう」と小さな声を出すと、深く深く頭を下げた。


「も、申し訳ありません!」


「こちらこそ、ごめんなさい。どうか気にしないで。よかったら、私に刺繍のお話を聞かせてくれると嬉しいわ」


 すっかり落ち込んでしまったリーネを宥めているうちに、私は気づく。


 そうか、別に魔法が使えないからと諦める必要なんかなかったんだ、と。


 幸いなことに時間はたくさんあるのだし、私も自分の力でやってみたい、と。


 ◆


 今日も儀式は薄暗い部屋で行われ、手短に終わる。


「あっ、あのっ」


 お願いがあります、と言えずにパクパクと口を動かすだけしかできない私を見て、セドリック様は眉をひそめた。


「……もしや、体調が悪いのか?」


 あまりにも真剣な顔をされるので、私はさらに焦ってしまった。


「いいえっ、そんなことはなくて……元気です! あの、セドリック様こそ、もうお体は良いのでしょうか?」


「ん? 俺か?」


「そうですっ、あの、この間、倒れられてしまったじゃないですか。ちゃんと良くなったのかと、心配で」


 だめだ。話が、見事に逸れてしまった。


 私は愕然としながら、お願いがあります、お願いがあります、と心の中で練習するけれど、喉の辺りで言葉が丸まっていくだけだ。


「あはは、そんなことを気にしてくれてたのか」


 セドリック様は笑い、大きな手を私の前に差し出す。そのまま手首を振ると、手の中にパッと花が現れた。


「きゃあっ」


 本当に目の前でのことだったので、びっくりして声を上げてしまう。今度は白い一重咲きの花だ。庭に咲いているものね……名前は……なんだったかしら?


「うん、今日の服には白い花がよく合うな」


 セドリック様は、驚き過ぎて名前を思い出せない私の髪に花を飾って、満足そうに笑った。


「召喚、もしくは転移魔法とも言うが、そこそこ魔力を食うんだよな。こんなふうに花一輪くらいならどうってことないが、伯爵は恰幅がいいし、あのときは床に散らかっていた金貨が曲者で……単に重いものを遠くに飛ばすだけでも骨なのに、あの時は玄関ホール全体に魔法を効かせなければならなかった。で、魔力がすっからかんになってしまった、それだけだよ」


 金貨が箱に入ったままなら、まだマシだったかも……と小さく付け足してから、もう一度私に目を合わされた。


「で、本当は何が言いたかったんだ?」


 私のすぐ目の前に、紫水晶の瞳が迫る。もちろん責めるような口調ではなく、あくまで優しい。けれど私の心臓は、緊張から今にも破裂してしまいそうだった。

 

 ……私も刺繍ができるようになりたい。


 アンナが刺した刺繍で、リーネが笑顔になっていたのを見て、気がついたのだ。


 魔法が使えない私には刺繍を習う資格がないと思い込んでいたけれど、それは違うのだと。たとえ加護の力を持たなくても、自分自身や、人を喜ばせることはできる。だから、私もやってみたい。


 幸いなことに私には時間だけはたくさんある。それならアンナと同じように教本を見ながらこつこつ頑張ればいいと思ったのだ。


 欲しいものがあれば言ってみてくれ、とおっしゃってはくれたけれど。いざ言おうとすると、心が振り子のように激しく揺れはじめる。


 私にとって、『欲しい』と声に出すのはとても勇気がいることだ。


「ルシア、ちゃんと聞くから、言ってごらん」


 まるで小さな女の子にでも接しているような柔らかい口調で、セドリック様は言った。私は勇気を出して、自分の手を力いっぱい握った。


「あのっ、セドリック様にお願いがあるのです!!」


「……はっ!? おねがい?」


 セドリック様は私の大声に呆気に取られた顔で、まるで、初めて聞いた言葉のように繰り返した。


「はい。実は私、刺繍をしてみたいと思いまして……」


「ん? 刺繍? 刺繍って、針と糸でやるアレか?」


 セドリック様は手をいかにもそれっぽく動かした。私は頷いて、言葉を継いでいく。


「そうです。ですが、私はそのための道具を持っていないので、買っていただきたくて……独学で頑張ろうと思っているので、教本も一緒だと嬉しいのですが」


 なんとか最後まで言い切れた。息を大きく吸った私を見て、セドリック様は凍らされたみたいに固まってしまった。


 どうしよう。急に怖くなって、体がぶるぶる震えてきた。これまでにも服や靴、本をたくさん買ってやったのに、まだ欲張るのかと呆れられているのかも。やっぱり言わなければよかった、と後悔したのも一瞬。


「買う買う!! すぐに店に連絡を取ろう!!」


 セドリック様は嬉しそうに何度も頷くと、そのまま踵を返して執務机に向かった。私もすかさず後を追う。


「よ、良いのですか?」


「もちろん! あ、でも、届くのにちょっと時間がかかるかもなあ……」


 庭に植えるための花の苗もようやく揃い、出発しているという知らせはあったものの、なかなか届かないとエルンスト様が話していたのを思い出した。


「何かあったのですか?」


「いや、王都のあたりでちょっとゴタゴタがあってな。荷馬車の検問が厳しくなっているせいで、物流が滞ってるんだよ」


「えっ、荷物が届かないなんて……みなさんお困りなのでは?」


 領地の中だけで暮らしに必要な全てを賄えればいいけれど、どうしても他に頼らなければならないものもあるはず。荷物が届かないということは、大変なことなのでは。


 なにも知らなかったとはいえ、私のお願いなんかより、もっと優先されるべきものがある。頼んだ時期が悪すぎたと私は真っ青になったけれど、セドリック様は軽い調子で私の心配を否定した。


「いや。今すぐ食うに困るとか、物資が足りなくなるとか、そこまでではないので。万が一の時のためにある程度の備えもあるし、大丈夫だ。最悪、転送魔法を使うという手もあるし、心配はいらない」


「よかった」


 ほっと胸を撫でおろすと、セドリック様は何かを閃いたのか、ポンと手を叩く。


「あっ、そうか。裁縫道具くらいなら知り合いに転送魔法で飛ばしてもらえばいいか。小物ならうるさく言われることもないし、すぐ届く。よし。品物の届け先をいったん知り合いんとこにして、それから……」


 セドリック様がさっそく便箋を取り出して依頼文を書き付け始めたので、慌ててしまった。


「あの、そこまでしていただかなくても大丈夫です。私、いくらでも待ちますので」


 私のわがままで、お知り合いにまでご迷惑をかけるわけにはいかない、そう考えたけれど、セドリック様はペンを止め、首を横に振ってから笑う。


「……君が自分から欲しいものを言ってくれたなんて、初めてだろう。ここは張り切らせてくれないか?」


 いつも以上にはきはきとした声。紫水晶の瞳は、まるで一番星のように輝いている。


「ありがとうございます……」


 お願いを聞いていただけた……私は安心したとともに感極まり、思わず胸を押さえた。どうやら嬉しすぎても、悲しい時と同じようにひりひりと痛みを覚えるものらしい。


「そういえば、アンナは刺繍を趣味にしていたような。道具が擦り切れたりしてないか聞いて、あるならついでに買ってやろうか」


 セドリック様はなんでもないことのようにさらりと言った。主人が、使用人の方の趣味まで把握しているなんて驚いた。


 私だけが特別でないというのが、むしろ嬉しかった。


 セドリック様が与えてくれるものは何もかもがあたたかい。それに私の心の中を明るく照らしてくれる。熱く、眩しいほどに。


 ……やっぱり、太陽のような方だわ。


 私はセドリック様の手で澱みなく動くペンを、うきうきした気持ちで眺めていた。


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