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20.黒衣の魔術師の独白Ⅲ

「お前は何をやっているんだ!」


 エルの怒号で、俺は幸せな夢から叩き出され……いや、まだ夢は続いていた。ルシアが俺の腕の中ですやすやと寝ていたからだ。


「るっ、ルシっ」


 ぽかぽかと温かくて、花のような甘い匂いがするのに心臓が飛び跳ねたが、すぐに何があったかを思い出す。


 魔力をもらった後、ふたりして寝てしまった。たぶん俺が先に落ちて、その後にルシアが。この状況で寝られたということは、彼女もかなり気疲れしていたのだろうか。そりゃそうか。


 できることなら可愛い寝顔をずっと拝んでいたかったが、エルの突き刺すような視線がそれを許さない。俺はそっとルシアを解放し、必死に言い逃れるための文句を考える。


 いや、別にやましいことなんて何もないんだが。


「ううん……」


 ルシアが手を伸ばし、何かを探すようにもぞもぞと動き出す。それからゆっくりと起き上がって、ぼんやりと目を動かした。


「セドリックさま……?」


 俺と目が合うと目をはっと丸くして、それからエルの姿を見て珍しく大きな声を出した。


「あああっ、こっ、これは!! その、気が抜けてしまって!! 本当にごめんなさい!!」


 ルシアはベッドからぴょんと降りると、首か腰が折れるんじゃないかと心配になるくらいの勢いで俺たちにペコペコと頭を下げた。


「おい、ルシ……」


「本当に失礼いたしましたっ!!」


 叫ぶようにそう言い残したルシアは、逃げるように部屋から出て行ってしまった。


 謝るべきは俺なのに、彼女はすばしっこくて、声をかける隙がなかった。修行時代に、森で見かけた子リスを思い起こさせ、顔が緩む。


「かわいい」


「……バカか?」


「ごめんて」


「いや、俺に謝ってどうするんだ」


 エルは鼻の下が伸びているであろう俺を見て大袈裟にため息をついたが、同時に気遣ってもくれた。細々とした仕事は残っていたが、あとは任せるようにと言われたので、遠慮なく横になった。


 激しく降っていた雨がようやく止んで、使用人たちの足音がよく聞こえてくるようになった。今は晩飯の支度やらで忙しい時間だ。そんな時に、ひとりでゴロゴロしているのが申し訳なくなってくる。


 ルシアのおかげで魔力は満ちているが、体は重くてだるい。転移魔法で長距離を動くのは、他人に送ってもらったとしてもかなり疲れるのだ。今日は休んで、明日から頑張ることにする。


 俺はベッドの上に痕跡を探した。しかし、彼女が纏う香りはとても淡いので、何も残ってはいない。


『可愛がれば、似たような声で鳴くはず』


 下卑た笑いと共に放たれたあの一言に、俺はつい怯んでしまった。必死に隠していた本心を、あんなクソオヤジなんかに暴かれてしまったなんて。


 俺はルシアが好きだ。好きと思うからには身も心も欲しい。そりゃ抱けたらいいと思う。けどさ。


 たまらなくなって、両手でがりがりと頭を掻く。


 あの時、不意にめまいがしたのは本当で、彼女を巻き込んだのは事故だった。決して故意ではない。それは神に誓える。


 だがそのあとは。自分をどうしても抑えられなかった。悲しそうに微笑むルシアを、抱きしめずにはいられなかった。


 魔道具と持ち主。ルシアとの関係をそう決めたのは自分で、彼女は忠実に俺の魔道具でいようとしてくれる。彼女にとって俺は、逆らうことのできない相手でしかない。


 俺の腕の中に閉じ込められてしまったルシアは、父親に殴られる時と同じように、主人の横暴にじっと耐えていただけなのではないか。


 俺に触れられるのは嫌じゃない、とは言われた。けど、アルヴェン家に帰りたくない一心で出た言葉なのではないか。


 俺の機嫌を損ねて手を離されたらどうなるかと考えていたのではないか。


 彼女にはもう帰るところがない。手に職もない、身寄りのない女性がひとりで生きていけるほど世の中は甘くない。


 彼女もそのことをわかっていて、嫌でも、辛くても、憎くても、心を殺して俺を受け入れているのでは。命がかかってるなら、心になくても笑えるだろう。


 俺は無邪気に喜んで……ルシアは、何もかもを飲み込んで、心の中で泣いて。愛していると言いながら、その心をぐちゃぐちゃに踏みつける。


「はあ……」


 さっきから、血が熱くなったり冷たくなったり忙しい。風邪を引いてしまいそうだ。


 なんか、疲れたな……俺はぼんやりと、窓の外に広がる暮れかけた空を眺めていた。


 ……決めた。


 愛しているからこそ、ルシアの笑顔に心揺らされたりしない。最初の契約通りに、高価な魔道具として大切に扱うだけだ。歯を食いしばって、割り切った関係でいつづける。


 俺は報われなくてもいい。だが、彼女のことは全力で守りたい。嫌われていたって、盾になることくらいはできるのだから。


 とにかく懸念を取り除かないといけない。俺はベッドから起き上がって、椅子に腰掛けた。


 アルヴェン伯爵が、ルシアを買い戻したがっている理由を探ることにする。今日はただ追い返しただけだから、またやってくるかもしれない。


 机の引き出しの奥から、報告書の束を出した。


 ルシアの元実家、アルヴェン家は比較的裕福な家門だ。代々引き継がれている資産も多く、領地の運営も安定している……と言われているが、現当主、エドガルド・アルヴェンに関してはきな臭い話ばかり出てくる。


 ルシアを買ってほしいとあちこちに持ちかけていたという話もそうだし、怪しい儲け話に手を出して、大損をしていたという話も出てきた。その穴埋めに代々受け継いできた資産にも手をつけ、さらには領民にまで負担を強いていることも。


 あまりに愚かだと言って、まともな人間は近寄らなくなっているらしい。俺も知り合いに『関わり合うな』と釘を刺されたくらいだ。


 灰髪が……ルシアがいるせいで妹君たちの縁談が上手くいかないと常々こぼしていたらしいが、そうではなく単に伯爵の立ち回りのせいだ。


 もしかすると沈むかもしれない家と縁続きになりたい変わり者なんてそういない。俺もできるだけ距離を取るために、ルシア以外のものは一切受け取らないようにした。


 ともかく、伯爵はあまり深く物事を考えられない人間らしい。目先の益だけを気にして、先を見通せない。まるで小さな子供がわがままを言うように、気分で周りを振り回す。それがどんな結果を招くことになるかも想像できない。


 ていうか、これなら深く考えるまでもない。ルシアを買い戻そうとしていた理由はひとつだ。


「まあ、金だろうな」


 俺と同じようにルシアに価値を見出した誰かが、アルヴェン伯爵の前に俺よりも多く金貨を積んだ、もしくはうまい話を持ちかけたというところだろう。


 俺は報告書を一旦置き、ルシアの価値について考える。


 灰色の髪の彼女には貴族社会での立場がない。たとえ血筋が高貴であったとしても、見た目だけで侮られ、見下される。


 一方で、ルシアはその身に強い魔力を秘めている。これは見ようとすれば見えるはずだが、魔力だけでいいと考える人間はそうそういない。


 というわけで、申し訳ないが、結婚相手にしたいと考える人間がいるとは思えない。『灰色の髪は連れて歩けない』と考えるのが普通だ。


 金貨を積んでまで欲しいという理由はやはり、魔力の提供者としてだと思う。


 しかし、俺のように自らの魔力不足を補う目的で欲しい、というのは珍しいと思う。


 自分の魔力と他人の魔力を混ぜると、扱いづらくなるというのが理由だ。それで思い通りに魔法を使うには、相当高い技術と柔軟性を要求される。


 ……俺はその辺に不安は感じなかったが。ああ失敬。


 となると、最後に残るのは。


「まさか、生贄か?」


 つまり、大規模な魔法を使うときに必要な魔力を補う装置。


 生贄にされると命がなくなるか、それに極めて近い状態になる。だから今では人道的な理由で魔石を代替に用いるのが普通だ。


 まあ、古い魔法の中には生きた人間の魔力でなければならないものはゴロゴロあるが、もちろん全て禁術となっている。発覚すれば、自分の命を持って償わなければならないほどの罪だ。


 じゃあ、かつては生贄としてどんな人々が犠牲になってきたか。


 ……ルシアのことを考えていたはずなのに、いつのまにか魔術師団の寄り合いで聞いてきた話と繋げてしまっていた。


 ここ数日の間に、王都周辺で人攫いが何件か起こっているらしい。最初は中心にほど近いところから。それから水の波紋のように外に広がっているのだとか。


 攫われているのは平民の子供……まあ、この手の事件は騎士団の管轄なので、魔術師団でわざわざ話題になることはない。


 だが、それは攫われた平民の子供が、ただの子供であったならの話だ。


 ドアが開く音がしたので、顔を上げる。ヤツは、ポットとカップを乗せたトレイを片手に、何の遠慮もなく進んできた。


 鮮やかな青の長髪を後ろでひとつにまとめ、飾り気のない濃紺の詰め襟の胸元には、魔術師章が飾られている。今まで積み上げてきた努力を示す銀縁の眼鏡の奥に、よく磨かれた刃物のような銀色の瞳が光る。


「……調子はどうだ?」


「あ、ああ。だいぶ良くなった……と思う」


 毎度お馴染みの……俺の部下というか腹心というか四番目の兄というかなエルこと、エルンスト。


 彼とは魔術学院で出会って以来の付き合いで、もう十年以上になる。


 エルは貴族ではなく平民の出身だ。本来は貴族の血を引いたものにしか備わらないはずの魔法回路と魔力核を持っている、いわゆる『色付き』と呼ばれる人間。


 この『色付き』は、たしか何百人だかにひとりの割合で生まれるのではと言われている。どこかに貴族の血が入っているからという説もあるらしいが調査してみると否定されることの方が多く、詳しい理由は未だに解明されていない。


 平民……つまり灰色の髪で生まれるはずだったのに、そうではなかったから『色付き』というわけだ。差別的な要素も含まれる言葉なので、俺はあまり使わないようにしているが。


――攫われた子供は、全員『色付き』だそうだ。


――そんなことして何になるんだ? まだ魔法も使えないんだろう?


――もしかして、生贄にでもする気か?


――まさか!! 逆に自分の命を捧げることになるぞ。



「どうしたんだ?」


 エルが怪訝な顔でカップを差し出してきた。


「ああいや。実は今日、魔術師団で……」


 そう言いつつ出されたカップに何の疑いもなく口をつけて……思いっきり咳き込む。中身は茶ではなかった。


 匂いに怪しいところはないのに、苦味と酸味と金属味がいっぺんに襲ってきて、最後に強烈な渋みで締めくくられる……あまりに酷い味に目が覚め、なんなら冷や汗まで噴き出してくる。


「げえっ!! 何だこれ!? 毒か!?」


「つべこべ言わずに全部飲め。疲労回復を助ける煎じ薬だそうだ」


 いやむしろ疲れが倍増した気がするんだが……と目で訴えるも、エルはすまし顔だ。クソ。


 ぶっちゃけ飲めたものじゃないが負けた気がして癪だったので、カップの中身を一気に飲み干した。だが、全く効いている気がしないどころか、手足の震えが止まらなくなってきた。


 これって、単にめちゃくちゃな味のせいで一時的に疲れを感じなくなるだけなのでは?


 ……あと、言おうとしていたこともバラバラになって飛んだんだが。


 俺は、ぐぬぬと唸って腕を組む。


「えーっと……」


 頭に散った破片を拾って、もう一度言葉をまとめなおそうとしている俺より先に、エルが口を開く。


「話は聞けそうか? 使用人から上がってきた話があったので、報告をしたい」


「……ああ。わかった、聞こう」


 何もかもを繋げてしまうのは、いくらなんでも短絡的すぎるか。


 俺は頷いて、エルの話に耳を傾けた。


 アルヴェン伯爵の訪問が、何かおかしなことの前触れでなければいいが、と思いながら。

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