2・まさかの申し出
そんな出会いのあった夜会から数日後、我が家に一通の書簡が届いたことで私の静かな日常が一転する。
差出人は、セドリック・ノイマン子爵。
そこに書かれていたのはなんと、『ルシア嬢を貰い受けたい』という言葉だったという。
私は父の部屋でそのことを告げられたとき、目の前が真っ白になった。
婚約の申し込みということ? 妹にではなく? 何かの間違いでは? と数多の疑問が頭を忙しく走り抜けていく。
「まさかこんなことになるとは。たまには恥を捨てて外に連れ出してみるものだ」
急なことに混乱して返す言葉を見つけられない私をよそに、父は赤い顔をして舞い上がっていた。
「そんな、よりによって私と婚約だなんて。ノイマン卿はいったい何を考えて……」
ようやくそれだけを言えたけれど、お父様はおかしそうに笑いながら書簡を私に見せびらかした。
「婚約? まさか。お前を魔道具として欲してるとのことだ」
確かにそこには父が言った通りの文言が書かれていた。身請け金として提示された金額は、一般的な結納金の相場をはるかに超えていた。どういった用途で求めているかは明かせないという理由で、金額をさらに積み増ししたらしい。
――あくまで魔道具として欲しい。それ以上は何も求めない。
私は自室のドアを閉めると、その場に崩れ落ちた。父の前では何とか堪えていた涙がこぼれ落ちてきた。
もはや人間としてすら扱ってもらえないの?
『魔道具』という言葉に、心をずたずたにされていた。いくら灰色の髪を持って生まれたとしても、私は血が通った人間なのに。
そもそも魔道具とは? 私は魔法が使えないのだから、せいぜい魔法の実験台か、儀式の生贄にしかならないだろう。ああ、きっとそうに違いない。考えれば考えるほど、暗い気持ちになる。
修道院に駆け込もうかとも考えたけれど、すでに部屋の前や窓の真下には見張りを立てられている。両親も大金を手にしたうえで私を追い出せる千載一遇のチャンスを得て必死なのだ。
私はベッドの上で膝を折った。こんなことになるなら早く家出していればよかった。お父様を逆らったとぶたれてもいいから、あんな夜会になんて行かなければよかった。価値なんかつかない方がよかった。
泣いて拒否したところで通るはずはない。ぐるぐると時計は無常に回り、決して止めることはできない。父は申し出を了承する旨の書簡を速達魔法で届けてしまった。
私の心なんか置き去りで、『魔道具』としてノイマン子爵に引き渡されるのはもう決定事項となってしまっている。
「お嬢様、少しでいいので何か召し上がりましょう。このままだとお身体に悪いです」
今日も部屋に閉じ込められて泣きくれていると、侍女のクララが言葉をかけてくれた。食欲なんかあるわけがなかったけれど、彼女を悲しませたくなくて久々に食事に手をつけた。
お腹が満たされると、涙を流しすぎて冷えた身体が温まった。少しだけ気持ちが前を向く。
「ありがとう」
「さて、次はお髪を綺麗にしましょうね」
それから、クララはすっかりぼさぼさになってしまった髪に優しく櫛を通してくれる。
気がつけば、ノイマン子爵から書簡を受け取った日から三日経っていた。明日か、明後日か、とにかく、ごく近いうちに。灰髪の私にも優しくしてくれたクララとも、永遠にお別れをしなければならない。
「……私、どうなるのかしら」
我慢できずこぼした不安に、クララは悲しそうな声で答えた。茶色くて丸い瞳が、涙で揺れている。
「お側でお守りできなくて申し訳ありません。ですが、私の心はいつでもお嬢様のもとにありますから」
短く切り揃えられた髪が揺れる。私よりは少し濃いけれど、お揃いの灰色だ。
「ありがとう」
つい抱きついてしまった私を、クララは優しく受け止めてくれた。使用人すらも冷たいこの家の中にあって、彼女だけは優しくされるのが嬉しかった。今もこうして私を案じて涙を流してくれる。大丈夫。彼女の心がそばにあれば、私はきっと頑張れる。
私たちはしばらくの間、二人で抱き合って泣いた。
――それから二日後の朝、なんとノイマン様自ら伯爵家を訪れた。
ノイマン様は両親に丁寧に挨拶をされたあと、歓待は謹んで辞退する、と言って早々に私の身柄を求めた。
ろくな縁談は望めない厄介ものの娘を大金で買ってくれた人に、父はペコペコと頭を下げていた。子爵は息子ほどに若く、格下の家の方を相手にそんな態度をとることが不思議だったけど、ノイマン様は名門の侯爵家に連なるお方でもある。繋がりができたことを喜んでいるのだ。
「ルシア、このご恩に報いるため、しっかりと務めを果たすのだぞ」
相変わらず赤ら顔の父は私の肩を叩き、晴々とした笑顔でそう言った。父からそんな顔を向けられたのは初めてだった。もっとも、頭の中には私のことではなく、私と引き換えに手に入れた金貨が詰まっているのだろう。
「もう二度と帰ってこないでちょうだいね」
母はノイマン様には笑顔を見せていたけれど、私と目が合うと途端に陰鬱な顔になって、ノイマン様に聞こえないように耳打ちしてきた。扇子で私のお腹をグリっと押しながら。私はうめき声を飲み込んで、小さく頷いた。
「わかりました、今までお世話になりました」
「ふん」
母は私を一瞥すると、その場を辞してしまった。ノイマン様がまだ目の前にいらっしゃるにも関わらず、だ。
母は、私に対してずっとこんな感じの態度だ。けれど、私は母のことを別に恨んではいない。私を、灰髪を産んだことで、母はたいへん苦しい立場にいたこともある。そのことを思うとどうしても憎みきれないのだ。
妹たちや弟は見送りに出てこない。これにも何も感じない。私はいつも仲睦まじくて幸せな伯爵家の邪魔者でしかなかった。これでようやくあるべき形の家族になるのだろう。
生まれ育った家との別れを呆気なく済ませた私は、ノイマン様によって馬車に誘われた。玄関を出ると、馬車寄せに二頭立ての小ぶりな馬車が停められているのが見えた。
馬も客室も黒い。ノイマン様がお召しの服も真っ黒。まるで墓場にでも向かうみたいだ。まるで私の運命を示しているように。




