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18.招かれざる客、ばら撒かれた金貨

 ある日の昼下がり。私はセドリック様の執務室の隅にいた。


「では、こちらが今日の分です」


「わかりました。お預かりしますね」


 窓際に作ってもらったスペースで、エルンスト様から託された書類を一枚ずつあらためていく。


 まずは、順番が入れ替わってしまってるところがあったので直す。あら、ここには別の案件の書類が混ざっていて、一番下からまだ決裁が終わっていないものが出てきた。これは別に避けておかなきゃ。


 こんなふうに、書類の整理や仕分けをしていく。ある程度まとまってきたらエルンスト様に点検していただいて、問題がなければ紐でとじて、それぞれ保管箱に入れる。


「手伝っていただいてありがとうございます。ずいぶん溜めてしまったので、どうしたものかと思っていたんですよ」


 エルンスト様は私が渡した書類の束をぱらぱらとめくり、やがて頷きながら言った。私はエルンスト様から差し出された書類を受け取る。問題ないようで、胸を撫でおろす。


「足を引っ張っていないのなら安心しました」


「とんでもない。私もその間に他の仕事ができるので助かります」


「セドリック様も、エルンスト様も本当にお忙しそうですものね」


 ちなみにセドリック様は今朝も儀式をし、朝食を召し上がられたあとすぐに、王都の魔術師団本部へと出かけられた。馬車では丸一日の距離だけど、魔術師団からの呼び出しの時は転送魔法で送迎してもらえるので移動は一瞬ですむ。


 しかし縮まるのは移動時間だけらしく、丸一日馬車に揺られるのと同じくらいの疲れは溜まるのだとか。さらには領地での仕事もある。


 エルンスト様もセドリック様を支えるため、夜遅くまで仕事をされているようだ。どうしても、ふたりのお体が心配になる。


 しかしエルンスト様は、疲れなど感じさせない笑顔を見せた。


「というわけで、ルシア様が仕事をしたいと言ってくださったのが嬉しかったようですよ」


「そんな。私はただわがままを言っただけなのに」


 セドリック様が『君に頼むことをさっそく決めたぞ』と言ったのは薬草畑へのお出かけの翌日だった。


 書類整理と、それから執務室の簡単なお掃除。それが私に与えられた仕事だった。それぞれエルンスト様とアンナに指導してもらって、今はひとりでも何とかこなせるようになった。


「よし。では、こちらはあとで書庫に運びましょう……」


 昨日より書類箱に詰まったものが多いように思う。きっと上達したということだと思うので、なんだか嬉しくなる。


 しかし、エルンスト様は何かに引っかかったようなお顔をされた。


「あの、どうかされましたか?」


「そういえば、お茶が来ないなと思いまして」


「……そういえば、そうですね」


 エルンスト様は私に懐中時計を見せた。 時刻は三時を少し回っている。いつもならリーネかアンナがお茶と小さな菓子を持って来てくれるのに、今日はまだノックの音がしない。


「遅れてるだけだとは思いますが、念のために様子を見てきましょう」


「では、私はお掃除をしてしまいます」


 お茶をいただいた後にするつもりだったけれど、待っているだけもと思い、私は掃除用のクロスを手に取った。


 メイドの腕にはとうてい及ばないけれど、少しでも気持ちよくお仕事をしていただきたいと心を込めて。魔石ランプの傘を拭いて、次は机。それから椅子の肘かけを拭いたところで、ドアの向こうがにわかに騒がしいのに気がついた。


 なにかあったのかしら? 掃除用のクロスを片付けて部屋を出た。廊下を進むにつれ、ざわめきはどんどん大きくなってくる。お届け物が届いた……にしては騒々しい。窓の外、空は珍しく曇っていて、今にも雨が降りそうだ。邸の裏に干してある洗濯物が心配になった。


「うるさい!! 早くノイマン子爵を出せ!!」


 突如響いた雷のような怒号に、全身が凍りつきそうになった。


 ……嘘でしょう!?


 私は早歩きで廊下を進んだ。階段まで辿り着いたところで、今度こそ息が止まりそうになる。


 玄関先に、エドガルド・アルヴェン……つまり私のお父様が立っていた。お父様は階段上に私がいることに気づいていないらしく、立ちはだかったエルンスト様に食ってかかっている。


「隠しても無駄だぞ、馬車も出払ってないじゃないか!」


「ですから主人は不在と申し上げています。お約束もされていないのに突然来られても!」


 お父様に怒鳴られたエルンスト様が、負けじと強い口調で言った。


 普通ならそれで引き下がりそうなものだけど、お父様はエルンスト様の胸に輝く魔術師章を一瞥すると、吐き捨てるように言った。


「ああ。そうかお前か、平民出身の魔術師というのは。偉そうな口を叩きやがって。汚い手で私に触るな!!」


 エルンスト様はグッと押し黙り、何も言い返さない。


 私はそのことに、顔がカッと熱くなるのを感じた。これは、大切な人を侮辱された怒りなのだと、少し遅れて理解した。


 私は勢いをつけて階段を駆け下り、エルンスト様とお父様の間に割って入った。


「お、お父様。し、失礼ですよ!!」


「ハッ、下賎な生まれなのは事実だろう……ああ、なんだ、ルシアだったか、元気そうでなによりだな」


 お父様は私の顔を見るなり満面の笑顔になり、まるで愛し子に話しかけるような優しい声で言う。わざとらしい、と今なら思う。人前に出ていてもなお、そんな顔や声で私に接したことなどめったにないのに。


 お父様は綺麗に笑顔を消した。


「とにかく、早く子爵を出せ。話があるんだ」


 それまでお父様を黙って見つめていたエルンスト様が突然後ろを振り返り、素早く頭を下げた。私もつられて後ろを向く。


 玄関の奥、転送のための魔法陣が刻んである部屋から、セドリック様が顔を出されていた。


「おい、いったいなんの騒ぎだ……って!?」


「なんだ、やっぱりいたんじゃないか。いつまでも待っていられないから、ルシアを迎えに来た」


 お父様はセドリック様を見るなり不躾に言うと、従者に指示して木箱を取り出させた。中はぎっしりと金貨が詰まっていて、不気味なほどにギラギラと輝いていた。目に痛いほどの眩しさに、喉の奥がひゅっと閉まった。


 セドリック様が、荒っぽい足音を立てながらこちらにやってくる。


 私はすっかり怯んでしまったけれど、セドリック様は黄金の輝きを前にしてもぴくりとも反応しない。お父様が明らかに苛ついているのがよくわかった。


「……これはいったい何の真似ですか?」


 セドリック様が静かに問うと、お父様は早口で答える。


「ルシアを買い戻したいと何度も言っただろう。ここに貴公に支払ってもらった金額の倍額を持ってきた。こっちは急いでいるんだ。今すぐルシアを引き渡してくれ」


「ちょっと待ってください!! いったいどういうことですか!?」


 セドリック様が答えるよりも先に、つい大きな声が出てしまった。お父様が私を睨んで真っ赤な顔になったのを見てつい口を押さえる。セドリック様は氷のように冷えた無表情を保ったまま、しかしきっぱりと言った。


()は、厳にお断りすると言ったはずです」


 あくまで冷静さを保つセドリック様とは対照的に、お父様の顔は釜で茹でられたみたいにみるみる真っ赤になっていく。


「何だと!? わざわざこんなところまで出向いてやったのに!!」


「招待した覚えはありません。何度も断ったでしょう。届いていないはずはない。私はその手の魔法で失敗することはない」


 え、お父様から手紙や通信が来ていた? しかも何度も? 私は何も聞かされていない。


 セドリック様は刺すような表情でお父様を見つめているけれど、お父様は全く怯む様子はない。まだ年若いセドリック様を侮っているからなのは何となくわかる。あろうことか、セドリック様を挑発するようにニタリと口角を釣り上げた。


「ああなるほど、金だけでは納得できないと言うなら、一番下の娘を代わりによこしてもいい。しかも傷ひとつない美しい娘だ。顔や体つきはルシアによく似ているし、可愛がれば似た声で鳴くはず。それでいいだろう?」


 お父様がそう言った途端、セドリック様からそれまでの悠然とした態度がふっと消えた。目を皿のように丸く開き、少しだけ開いた唇がわずかに震えている。


 お父様は勝ち誇ったように大声で笑った。


「決まりだな。さあ帰ろうルシア」


「嫌です!! 私は……!!」


「なんだと、お前は父親に逆らうのか!!」


 お父様のひときわ大きな怒声に驚いたのか、従者の手から箱が滑り落ち、中に入っていた金貨が床にばら撒かれた。まるで雷が落ちたような音が響き、周りで見守っていた使用人の方々の悲鳴に似た声が聞こえる。


「私は、セドリック様の!!」


 ……何?


 言葉に詰まる。


 私はセドリック様の魔道具、だけど、それは別に私である必要はないはず。確かに力は強いのかもしれないけど、妹にだって魔力はあるし、他の貴族の令嬢にも。つまり代わりはいくらでもいるということ。


 妹との交換を申し出られて、ぴたりと止まったままのセドリック様を見やる。


 ああそうか、私でなければならない理由なんて、どこにもない。


 心に生まれた隙間を突くように、お父様が再び叫ぶ。


「父親に逆らうな!! 今まで誰のおかげで生きていられたと思っている!!」


「いや!!」


 振り払おうとした瞬間、頬に強い衝撃が走った。平手打ちされたのだと気がついた。私は歯を食いしばり、お父様をまっすぐに見る。人を睨んだのなんて初めてだった。


「ほら、行くぞ!!」


 お父様の手が再び私に伸びてくる、けれど、届かない。


「ぐっ!! 貴様!!」


 セドリック様が、お父様の手を掴んでねじり上げていた。みちみちと、嫌な音が聞こえてくる。


「……元父親、だろう。自分から縁を切って捨てておいて、今さら何を寝ぼけたことを抜かすか」


 それは地の底から這い上がってくるような、今まで聞いたこともない低い声だった。いつもは明るくて美しい紫の瞳に暗い影が立ち込めている。


 けれど、私は別のところに驚いていた。元父親? 縁を切って捨てた? 私の知らないところで、何かが動いているということ。しかし、今はそれ以上を考える余裕がない。


「うるさい!! 成り上がりの若造のくせに偉そうな口を聞きやがって!! 私を誰だと思ってる!!」


 セドリック様が振り払うようにお父様の手を離す。お父様はその勢いをうまく殺せず、たたらを踏みながら数歩下がった。


 セドリック様は右手を横に伸ばし、くるりと指先と手首を動かすと、背丈と同じ高さの杖が喚び出されてきて、右手に収まった。


「誰かは知っているつもりだが、訪問を断っているのに突然押しかけてきて、玄関先でぎゃあぎゃあ騒ぐやつに礼儀を払う必要もない」


「なんだと!?」


「……今すぐここから出ていけ。俺たちの前に二度とそのツラを見せるな」


「私はルシアを連れて帰る!!」


 そう叫んだお父様の動きは、魔法で加速でもしたのか信じられないほどに俊敏だった。セドリック様をものともせず、まっすぐ私の方に飛びかかってくる。


「ルシア様!!」


 エルンスト様が素早く私の手を引いて、背中に隠してくださった。さらにリーネと、メイド長のアンナが覆い被さるようにして庇ってくれる。


「平民風情が!!」


 その言葉を聞いたセドリック様がお父様を思いっきり突き飛ばし、お父様は金貨の絨毯の上に尻餅をついた。跳ねたり滑った金貨が立てた甲高い音がいくつも響く。


 いつのまにか、外は土砂降りの雨が降っていた。


「ああもう、うるせえな」


 セドリック様は杖を構え、静かに言い放った。


「去らないと言うなら、今すぐ消えてもらう」


 紫色の瞳が赤く燃えている。


『此処は汝の立つべき場所にあらず――』


 呪文に答えるように、床に散らばっていた金貨と、お父様が薄藤色の光に包まれていく。


「な、何をするつもりだ!?」


 もがくお父様を、セドリック様は一瞥した。


()ね!!』


 どん、と杖で床をつく音を合図に、お父様は散らばった金貨と共に忽然と消えた。玄関ホールに残されたアルヴェン家の従者が慌てふためいている。


「お父様……どこに!?」


 セドリック様は肩で息をしつつ、無理やり作ったような薄い笑顔で私を見た。


「大丈夫、家までお送りしただけだ……エル、すまないが、ルシアに治癒魔法をかけてやってくれ……」


「ああ、わかった……おい!!」


 次の瞬間、セドリック様は白目を剥いてふらついて、エルンスト様に支えられた。


「セドリック様!」


 私はたまらず叫んだ。支えるものをなくした杖が床に倒れる音、メイドたちの悲鳴、エルンスト様が「しっかりしろ!」と呼びかける大声。


 外では、雨が一段と激しさを増している。


 そんななかで、虚ろな目をしたセドリック様だけが静かだった。


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