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17.黒と群青の密談II

 邸に帰ってから自室で着替え、久々にルシアと昼食をとってから執務室に入ると、エルが書類の山と共に待ち構えていた。


「散歩は楽しめましたか?」


 エルは人前でもないのに丁寧に言って、おまけににっこりと微笑んだが、声にはなんだかトゲがあった。これはいつものことなので気にしない。


「ああ。色々と根回しありがとうな。ルシアはとても楽しそうにしていたぞ」


「そうか」


 俺は執務机に向かった。書類の山が思ったより高くて怯んだが、いったん見て見ぬ振りをすることにした。


「ああ。きっと喜んでくれたと思う。俺の話を一生懸命聞いてくれて、一緒に地面に座って花を観察したんだ。土の上に座り込んだら立てなくなってしまうし、女性の手にはルーペですら重いみたいだ。ほんと子ウサギみたいで可愛いよなあ……そうだ、アーケフェンの花に毒ってあったっけか? なければジャムか砂糖漬けにしたいと思ってるんだが。あと、何かルシアに任せられるような仕事はあるだろうか」


「んん……?」


 エルが珍しく話について来れずに固まっている。答えを待てずに俺は書庫から薬草学の本を喚び出し、索引からアーケフェンを探してページを開く。


 残念ながら全草に毒成分を含むとの記述がある。


「ああ……ダメかあ。いい考えだと思ったんだがな」


「……毒があるのは常識だと思うが」


 ようやく動けるようになったらしいエルが、成績優秀者らしいすました顔で言う。


「ウソだ。そんなこと薬草学の教科書には書いてなかったぞ」


「書いてないにしても常識だ」


「そうなのかあー……」


 やはり俺の知識なんてまだまだらしい。


 自分でも驚くくらい大きなため息が出た。アーケフェンの花の砂糖漬け、ルシアと一緒に味わってみたかった。実現したならきっと、今まで口にしたどんなものよりも美味かっただろうに。


 叶わぬ願いを胸にしまい、本も元の場所に還す。


 ルシアとの散歩は楽しかった。本当に楽しかった。儀式と、朝食の席で向かい合うだけでは決して見られない表情や仕草を、たくさん目に焼き付けることができた。


 彼女が葉の上に毛虫を見つけて上げた微かな悲鳴。座り込んだ姿勢から立ち上がれずにもがいている姿。甘い香りを吸い込んでとろける顔。菓子の話をしている時の嬉しそうな笑い声。


 何より風に揺れる花を追っていた彼女の目は、ずっと明るく輝いて美しかった。晴れた空の下で見ているだからだと思ったが、彼女を支えるためにと繋いだ手を何度も小さく引っ張られるうちに気がついた。


 今までは悪い環境に潰されてしまっていただけで、本当はとても好奇心旺盛な人なのかもしれないと。


「この子は、なんていう名前なのかしら……」


 小さな花に目を留めたルシアのほんの小さな呟きを、俺は聞き逃さなかった。


 花だけではなく俺のことも見て欲しくて、名前を急いで思い出して答えた。そのあともルシアが足を止めるたび、俺は頭の中にある知識を全部吐き出すくらいの勢いで話しまくった。


 ルシアは調子に乗ってだんだん前のめりになってしまう俺を嫌がる様子も見せず、目を合わせて、何度でも頷いてくれた。


 手を握れば、同じ力で握り返してくれた。


 その暖かさも、手の小ささも、何もかもが愛おしかった。


 それに、好きな色を教えてもらうこともできた。


「ルシアは紫が一番好きなんだと……」


「……まあ、覚えておく」


 エルは怪訝な顔になっているが知ったことか。今日はいいこと続きだからな。そういえば、あそこに紫の花は咲いていなかった。互いが着ていた服の色も違った。


 ならば、ルシアが紫と言ったのはどうしてなのだろうか。


 俺は理由をじっと考える。むしろ紫の花がなかったことで、好きだと気づいたということか? 失って初めて気づいた、みたいな言葉もあるし……違うか。


 ああもう理由なんかなんでもいい。次に贈るなら紫色の服だ……いや、一方的なのはよくないから、今度は一緒に服屋に行こう。『紫』とひとくちに言っても、明るい、暗い、くすんだ色から鮮やかな色までいろいろある。ぜひ実際に見て選んでもらおうと思う。


 彼女の目はまた輝くだろうか? それとも困ってしまうだろうか?


 もし服はもういらないと言われたら、首飾りや、髪飾りを贈るのもいい。とにかく何かをしてやりたい。また今日のように彼女が喜ぶ顔が見たい……だめだ、喜ぶことを押し付けてしまっている。だけど俺は。


 欲望と理性が激しい殴り合いをしているせいで、頭がだんだん痛くなってきた。ルシアのことを考えていると、頭か胸のどちらかが爆発しそうになってしまう。


 咳払いの音がしたので我に返った。見上げるとエルの呆れ顔、目の前には白い封筒があった。


「真面目に考え事をしているところ悪いが、夜会の招待状が届いている。早めに返事が欲しいらしい」


 真面目、の部分が変に強調されていた。きっと考えていることを見通されている。こいつに隠し事をしても仕方がないので、気にしないことにする。


「行かない」


 俺が首を横に振っても、エルは構わず招待状を押し付けようとしつつ、わざとらしくため息をついてみせる。


「……なあセド。興味がなくても、一応詳細は確かめるものだ」


「別に聞く必要ない。欠席の返事をしておいてくれ」


 俺はそのまま呆れ顔のエルに招待状を突き返す。まるでボードゲームの駒のように、机の上をするすると往復する封筒。そして互いに睨み合う。


「セドリック……」


 わがままを窘めるように俺の名前を呼ぶ声は、やっぱり一番上の兄貴によく似ている。俺は首を横に振る。


「いやだ。仕事も忙しいのに、いちいちめかし込んで出かけていく暇はない」


 ルシアと一緒に行けるならまだしも。という言葉は飲み込んだ。


 ああ、どうせめかし込むなら、ルシアとふたりでがいい。揃いの色を身につけたりなんかして、洒落たところに一緒に行ってみたい。演劇を見るなんてどうだろう。それから喫茶室で流行りの甘味を食べて、王都に新しくできたという百貨店とやらに行くのはどうだ? 聞いたところによると、何でも売ってる店なのだとか。


 ……またもや妄想を編み始めた俺を見たエルは、駄々っ子をあしらうように静かに続ける。


「それでもお前、付き合いというものもあるだろう」


「……別にどうでもいい。どうしてもってならお前が代理で出ろ」


「あのなあ。そういうわけにはいかないのはわかってるだろうが」


 エルは眼鏡のブリッジを押さえつけながら、深くため息をついた。


 ただのわがままだと分かっている。わかっているとも。だが、夜会で得られるもの、たとえば人脈なら魔術師団にいた時からのを大切にして少しずつ育ててもいるし、女性との出会いをと言うなら……俺にはもう、ルシアがいる。


 彼女以外を愛せるとは思えない。


 もっと笑顔が見たい。もっと名前を呼ばれたい。抱きしめたい。愛していると言いたい。言われたい。彼女の心が欲しい。俺だけを見て欲しい。


 わかっている。彼女を道具呼ばわりして金で買った最悪な男が、愛される未来を夢見るなんて許されないことなんて。


 彼女が笑ってくれるのは、俺が『持ち主』だから。生きるためには機嫌を取らないといけない相手だからだ。決して愛などではない。


 わかっているのに、あの綺麗な青い瞳に見つめられるたびに、胸を焼くほどに想いが強くなっていく。


 俺の内心がひどく荒れていても、夜会の招待状は机の上でじっとしている。エルは手を出してくれそうになく、鋭い刃のような色の瞳でじっと俺に圧力をかけてくるだけ。いつだってそうだ。


「ああもう、自分で書く」


「そうしてくれ」


 今日も俺の負けだ……観念してしぶしぶ封筒を開けた。文章を確かめ、やはり行く価値はないと判断した。便箋を取り出し、ペンを手に取る。


 まるで欠席をすることを咎められているように、やたらとペンの滑りが悪いことに気がついたが、面倒ごとは早く終わらせたいので無理やり進めていった。


『拝復。このたびはご丁寧なご招待を賜り』


 ここまで書いたところで、ガリッと嫌な音がした。便箋に穴を開けてしまった。


「クソ。何だこれ……まだ替えたばっかなのに」


 ぼやきを呪文に手の中にルーペを喚び出し、言うことを聞かないペン先を睨んでやろうとしたその時、


「あっ」


 銀色に光るルーペの縁に、確かに紫色が映り込んでいるのが見えた。


 ルシアは紫が好きと言った。その時の彼女は俺の目をまっすぐに見て、まるで、小さい女の子がすみれの花を見つけたときのように愛らしく笑っていた。


「ーーーっ!!」


 熱いものが背筋を駆け上がっていく。


 そう。紫は、決して俺の目が届かないところにあったのだ。


 いや、まさか、まさかな? たまたまに決まってるよな。俺の目の色だから好きなんて、そんなわけがないよな。でも。


 ああもう、自分にときめいたみたいでなんか気持ち悪い。


 ペン先と便箋を替え、先ほどと同じ文章を書き始める。ただでさえ文字は下手なのに、今日はさらに乱れている気がする。 伝わればいいと言い聞かせながら書き上げて、署名をして判を捺し、エルに叩きつけるようにして見せつけた。


「できたぞ!!」


「はい。よくできました……ああ、そうだ。手紙はもう一通あるぞ」


 エルはそう言うと、再びどこからともなく封筒を取り出した。奇術師かよ。


「行かないっつーの!!」


「……いや、だから詳細を聞けと……こればかりは反応しないわけにはいかないんじゃないか?」


 先ほどまでとは違い、エルの表情は険しかった。只事ではないことを察知して素直に封筒を受け取った。宛名の文字には特に癖がなく、覚えもない。差出人は誰だと裏返す。


 ……氷水をぶっかけられたかと思った。封蝋に捺されていたのは確かによく知っている家紋だ。


 妄想のしすぎでのぼせきった体が一気に冷めていく。


「……は? 今さら何だってんだよ……?」


 息を呑んで、視線を下にずらす。差出人はルシアの父……アルヴェン伯爵だった。

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