16.初めての花畑、私の好きな色
畑に植えられている薬草はじつに多種多様で、もちろん初めて見るものばかり。葉の形も、花の色もさまざまだった。
気になるものを見つけるたびに足を止めてしまい、なかなか前に進めない私。セドリック様は呆れたりすることなく、つど腰を折って目線の高さを合わせ、名前や用途を教えてくださった。
薬草とひと口に言っても、医薬品の材料になるものと、魔法薬の材料になるものがあるらしい。このあたりで盛んに作られるのは、魔法薬の材料になる方だ。この地は水も豊富で土に魔力素を多く含み、質の良い薬草が取れる、とのこと。
つまり花を愛でるため育てられている植物ではないということ。けれど、可愛らしく咲き、風にあそぶ姿を見ていると心が安らぐことには変わりない。
セドリック様が急に止まったので、私はその大きな背中にぶつかってしまった。ドキドキする。花を追うのに夢中になっていたせいで、目の前に金属製の高い柵が立ちはだかっていることに気が付かなかった。
セドリック様は同じく金属でできたと思われる扉の前に立つと、鎖にぶら下がった錠に手を伸ばして軽く触れる。すると鍵を取り出さずとも錠が外れた。魔法を使われたのだろうか。
扉はぎいと音を立てて開き、私は中へと誘われた。
ちょうど馬小屋ほどのスペースに、何種類かの植物が数株ずつ、まばらに植えられていた。花は咲いていたり咲いていなかったり。残念ながら枯れかけているものもある。
「ここは何ですか?」
「ちょっと珍しいものを集めてあるんだ。俺の趣味みたいなもので、無理を言って一緒に育ててもらってる。本当は自分で面倒を見るべきなんだが、なかなか時間が取れなくてな。先に記録を取るから、君は適当に見ててくれ」
セドリック様は植物の状態を確かめて、手帳に記録を取りながら一喜一憂されている。
私は観察の邪魔にならないように、ひとりで奥に進んでいった。すると隅の方にひっそり咲く、ひときわ鮮やかな青に目が止まった。さらに近寄ってみる。
草丈は私の腰ほどの高さ。いくつかついている蕾のうちのひとつが開いていた。細い葉をつけた華奢な茎の先に、おしゃれなドレスのスカートのように、丸くて薄い花びらが何重にも重なっている花。
ここにあった植物のほとんどが生まれて初めて見たもので、この花もそうのはずなのに、私はなぜか強い既視感を覚えた。
「これって……」
そうだ。この花は、エルンスト様が最初に書庫から持ってきてくださった図鑑に大きく載っていたものだ。知らない文字で綴られていたから名前はわからなかったけれど……。
「ああ、これはアーケフェンだな」
セドリック様がいつの間にか私の隣に立っていた。手帳をズボンのポケットに押し込みながら、また私に合わせるように腰を軽く折って、言葉を続ける。
「これの花粉を精製したものは特級の触媒になるんだ。ちなみに、小指の先ほどの小瓶一本分で、金貨が一枚消える」
セドリック様が親指と人差し指で丸を作って苦笑いすると、私の背筋はすうっと冷たくなった。
「ということは……金より高いということですか?」
「そう。だからそうそう手に取れるものでもないんだが……試しに少しだけ作ってみてもらったのが、今年ようやく上手くいったんだ……よしよし」
セドリック様はそう言って、なんの躊躇もなく地面にすとんと座り込んだ。アーケフェンの花をそっと手に取り、中を覗き込んでいる。
「なんでも、精製前の花粉はまるで金粉のように光るんだと。それが見てみたかったんだよなあ……」
そう言われると、気になってしかたなくなった。立ったままだと花が遠くて見えないので、私もセドリック様の隣にえいっと座ってみる。
すると、ちょうどアーケフェンの草丈と同じ高さ……かえって見づらいかも?
……セドリック様のお顔は、少し上にある。そうだ、体の大きさが全然違うのを忘れていたわ。しょんぼりしていると、セドリック様が慌てた様子で尋ねてきた。
「君、えっと、座って平気なのか?」
「え?」
つい多めに目を瞬かせると、セドリック様が続ける。
「俺はほら、男だから? 慣れてるけど、君は……その……ほら」
「あっ、すみません……私もお花を近くで見たかったのです」
はしたない行いを遠回しに咎められたというのに気づいたけれど、時すでに遅し。立ち上がりたくても、足元の土がふかふかなせいでうまくいかない。もごもごとやるせなく動くしかない私を見かねたのか、セドリック様はなんだか腹を括ったようにアーケフェンの花を私の目の前まで手繰り寄せた。
花を持っているのと反対の手には、いつの間にか銀色の折りたたみ式ルーペが握られていた。ポケットに入れていたのか、それとも魔法で喚んだのか。
「じゃあ、これを使うといい」
「ありがとうございま……すっ」
気安く差し出されたルーペを受け取ると、ずっしりと重かった。片手で持つのが不安になって、空いている手を添える。
ルーペは手入れが行き届いていて、傷ひとつなくぴかぴか。縁の部分に鏡のように私の顔が写り込んでいる。大切に使われているのは明らかだから、緊張で手を震えさせた私にセドリック様は優しく手を添えるように言った。
「それを太陽に向けちゃダメだぞ。目が潰れるからな」
「わ、わかりました」
恐ろしい忠告にちょっとだけ怯みつつ、けれど、初めての経験にわくわくしながらレンズを覗きこむ。しかし、レンズの中は青くぼやけているだけだ。
「レンズを前後に動かして、焦点を合わせるんだ。そう」
教えてもらってもなかなかうまくできず、しばらく悪戦苦闘していると、やっと焦点が合う場所を見つけることができた。
瞬間、私は息を呑む。目の前に新しい世界が広がっていたからだ。
おしべについた花粉は夜空の星屑をかき集めたような金色に輝き、花びらの表面は上等な布地を思わせる繊細な光沢を帯びている。
図鑑の挿絵も十分すぎるほどに美しかったけれど、本物の姿はそれをさらに上回っていた。しかも図鑑には決して載せられないものも感じる。
「いい香り……」
「おっ、そうか。どれどれ?」
私が観察しやすいように花を持ってくださっていたセドリック様が、興味深げに花に顔を近づけてきた。
決して大きくない花をふたりで覗き込んでいるものだから、今にも頬と頬が触れ合いそうで恥ずかしい。まるでひとつのお菓子を分け合うみたいに花の香りを嗅いでみると、熟れた果物を思わせる甘い香りが鼻の奥に広がった。
セドリック様がほう、と息をついて目を丸くする。
「なんだ? 食えそうな匂いがするぞ?」
「美味しそうですよね」
セドリック様は考え込むように腕を組んだ。
「もしや花びらを砂糖漬けかジャムにでもしたら良いのでは? どうせ捨てるとこだから、試してみたい」
「すてきです! お茶に浮かべたり、お菓子に添えたりしたいですね。色も綺麗ですし。女性に喜ばれるかも」
そうして顔を見合わせて、思いついたことを言い合って、笑い合って。
借りたルーペを返して、手を借りて立ち上がる。私もセドリック様の真似をして、スカートについた土を丁寧に払った。
「さて、帰るか」
「はい」
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
まだまだ見るところはありそうなので名残惜しいけれど、これ以上はセドリック様のお仕事や昼食の時間にさわる。お散歩の時間はここで終わりにして、私たちは邸に帰るために並んで馬車へと引き返していた。
「……楽しめたか?」
「はい! とても! 魔術師の方はやはり薬草にもお詳しいのですね」
「いやあ、俺は魔法で魔獣をぶっ飛ばすしか能がないんだよな……それに学院時代、薬草学の成績は特に酷くて」
「……ご謙遜ですよね?」
まるで図鑑が見えているのようにすらすらと話されていたのに。意外な事実に驚くと、セドリック様はお手本のような苦笑いで首を横に振った。
「いやいや、ほんとだよ。覚えることばかりでつまらないからって、サボってたら落第しそうになって、教授に雷を落とされて……ああ、比喩でなく、魔法で呼びつけた本物の雷だぞ。殺されるかと思った」
「学校ってこわい場所なんですね……」
衝撃の事実だった。妹や弟は毎日笑顔で通っていたものだから、学校は楽しい場所だとばかり思っていた。どうやら現実はそんなに甘くないらしい。
「ああ、落第は死を意味する……のはまあ冗談だが、それで渋々勉強したんだ。けど、せっかく縁あってこの土地にきたから、学び直してる最中だよ。住んでる人のことをちゃんと考えるためにも必要なことだからな」
収穫によって税が入るかどうかにしか興味がない人も多いのではないか、と思うけれど、きっとセドリック様はそうではないのだろう。思えば私の隣にいるときも、目線を合わせて、気持ちに寄り添おうとしてくださる。
ああ、だから私はこの人を好きになったのだ、と思う。
「コツコツ勉強していてよかった。だって、君に成果を披露できて、褒めてもらえた。当然のことだと思ってたけど、やっぱり嬉しいな」
そう言って得意げに笑うセドリック様と目が合ったとき、私の視界に鮮やかな光が差した。
その中に、好きな色を見つけたのだ。
いいえ、違う。私はこの色がとても好きだった。今まで気がつかなかっただけで。
理由が理由なだけに、口に出していいのか迷った。だけど、言葉が勝手に込み上げてくる。
「私、紫がいちばん好きかもしれません」
「え、紫……? 青じゃなくて?」
戸惑ったような声を上げたセドリック様。私が心惹かれていたのはアーケフェンの青い花だし、畑に紫の花はひとつも咲いていなかったはず。だから、きっと不思議に思われたのでしょうね。
私はこくりと頷いた。
「はい、紫が好きなようです」
それは、愛しいあなたの瞳の色。
濁りのない心の中を表したような、鮮やかな紫。月の光の下ではどこか妖しさを含んでいても、陽の光の下だと透き通って綺麗に輝いて、私の心を離さない。ずっと見つめていられる。見つめられたい。
セドリック様が、黒髪をなびかせながら畑の方を振り返った。
「紫の花は……もう少し季節が進めば見られるか」
「ほんとうですか?」
「ああ。あまりたくさん育ててないから、確か隅の方に少しだけだが」
そう言ってセドリック様が指差したあたりは、まだ緑が勢いよく広がっているだけだった。蕾もまだ出ていなさそうだから、まだ先の話だろう。
「あの花が咲くくらいに、また一緒に来よう。約束な」
セドリック様が片方の手袋をとり、小指を立て、私の目の前にそっと出した。
私は、長く端くれだった指に目を寄せる。
どういう意味なのかを図りかねたけれど、すぐに気がついた。約束をする時には、互いに小指を結ぶものと何かで聞いたことがある。
私も手袋を取って小指をセドリック様のにそっと絡ませた。
直に触れ合った小指が、燃えそうなくらいに熱くなる。愛する人と繋がっている。今は約束を介して心までも。
胸の中に収まりきらないほどの幸せが溢れて、今にも涙がこぼれそうになる。
「ありがとうございます。とっても楽しみです」
「俺も楽しみだ」
爽やかな風が渡る。またひとつ、楽しみに待てることが増えた。明日が来るのが、新しい季節が来るのが待ち遠しい。
心の中に暖かい雨が降って、愛しく思う気持ちがまた大きく育つ。同時に、いつかこの人に愛されたいという欲も膨らむ。
だけど魔法に選ばれなかった私は、セドリック様と同じところに立てない。悲しいけれど、これは身分の違いと同じでそう超えられるものではない。
だからこの蕾は決して咲かせてはいけないと、改めて自分に言い聞かせる。私は魔道具として求められるだけで、そばにいられるだけで十分だと。




