15.秘密のおでかけ、私の望み
セドリック様からバラをいただいてから数日後のこと。
朝の支度にやってきたリーネの様子がいつもとは違っていた。
「今日は朝食の後、お出かけだそうです」
正直、『お出かけ』と言われると、夜会に連れて行かれたことを思い出して体が硬くなる。しかもリーネが明らかに曇った顔をしているからなおのことだった。
「今日はこちらを着るようにと、セドリック様が」
ためらいと一緒に取り出された服を見て、私はキョトンとするほかなかった。
目の前に吊るされているのは、実家にいた時に着ていたものを思わせる真っ黒のワンピース。それに足首を隠す丈のブーツに、飾り気のない生成り色の帽子と手袋。
つまり、外出着と呼ぶにはちょっと微妙な服だった。ふさわしいものは先日たくさん贈ってくださったのに……と不思議に思いながらも着替え、髪は後ろでひとまとめにして紐で縛ってもらう。髪はできるだけ邪魔にならないようにと言われたんだとか。
服は単に色が暗いだけで真新しいし、私に少し大きいけれど、着心地はとてもいい。なにより、鏡の中の自分が久々に見慣れた地味な姿をしているものだから、ちょっと肩の力が抜けてしまった。
「お着替えが終わったらそのまま応接室へ、とのことです」
「わかったわ。ありがとう」
応接室に行くと、セドリック様はすでに席に着いていた。
テーブルの上にはまだ何もなく、少し伏せられた瞳は書類の束の上で忙しそうに動いている。朝食の場にまでお仕事を持ち込まれているのを見るのは初めてだった。文字を追うのに集中されているようで、私が近づいても気づく様子はない。
「おはようございます」
驚かさないようにつとめて小さく挨拶したけれど、セドリック様はビクッと肩を揺らした。
「ああ! おはよう」
書類の束を背中の後ろに隠すように置いたセドリック様は、私を見て微笑んでくださった。
「驚かせてすみません」
「構わないよ。そうだ、リーネから話は聞いたか?」
「はい……お出かけですよね?」
それで、どちらに……と私が尋ねるよりも早く、セドリック様が言葉を継ぐ。
「そう。急なことで申し訳ないな。さあ、とりあえず朝めしにしよう」
私は席に着いてまず、セドリック様のお召し物に注目する。今日のお召し物は生成りのシャツに、ベストとズボンは茶色だ。使用人の方が外仕事の時に着ている作業着とよく似ている、というより同じ。
それでもセドリック様がお召しになると、正装に見えかけるから不思議だ。やはり黒以外もお似合いになるのね、とうっとりしたのも一瞬。
はっとした私は、自分が着ている服に目をやる……そうだ、これはメイドの制服。髪は後ろでまとめられ、今すぐにでも働き始められそうな格好だ。
どおりでリーネが変な顔をしていたわけだ。エプロンはつけていないので気が付かなかった。
メイドの服に、まとめられた髪。お仕事、という言葉が頭をよぎった。
セドリック様に魔力をお分けするのが私の役割とはいえ、『儀式』は二日に一度。そのためにお部屋を訪ねるための時間を含めても、数分にも満たない。苦痛もないし、疲れもしない。ただ口付けをされるだけ。
それ以外は自由に過ごしていい。それが私とセドリック様の間で交わされた契約でもあるから、私はなんの疑いもなく言われた通りにしていた。
けれど体調も良くなり、ここでの暮らしに慣れてくると、皆さんがどんな生活をしているのかがはっきりと見えてくるようになった。
私の実家では、両親が何か仕事をしているところを、ほとんど見たことがなかった。
邸のことは使用人たちが取り仕切っていて、お父様もお母様もも、困ることがあれば誰かを呼びつけるだけだったように思う。それが貴族というものなのだと、疑いもせずに育った。
けれど、セドリック様は領主や魔術師として、邸の中でも外でも忙しく働いている。もちろん、使用人の皆さんだって朝から晩まで与えられたお仕事に励んでいる。
そう。この家にいる人間で、悠々と暮らしているのは私ひとりだけ。
こんなことを考えるようになったのは、やはり『灰まみれ姫』を読んだからだろうか。
貴族令嬢でありながら実の家族に疎まれていた彼女は『ただでは食べさせない』と母親に言われ、少女の頃から使用人と一緒に働いていた。掃除に洗濯、庭の手入れ。彼女はとにかく働き者だった。
私は似た境遇だけど、ただ部屋に閉じ込められていただけだ。家事のことなど何もわからない。もし灰まみれ姫のように『働け』と言われても、私には何もできない。
それがなんだか情けなく思えてくる。せめて私も実家で働かされていたら、何か仕事ができたら、こんな不安を覚えなくても済んだかもしれないと。
目の前ではセドリック様が、運ばれてきた山盛りの朝食を前に、いつもどおり少年のような無邪気な笑顔を見せていた。
交わした会話も普段と変わりなく、服装のことや行き先のことは聞くに聞けなかった。そうして朝食をいただいた後は、セドリック様と並んで玄関の外に出る。
見上げれば、私の気持ちとは裏腹に空は青く澄んでいる。今日もとても天気がよかった。ここは雨が少なめで晴れの多い地域なんだそうだ。
目の前には、前に乗ったのと同じ、真っ黒な馬車が朝の日差しに輝いている。馭者の方の手を借りて乗り込むと、程なくして馬車がゆっくりと走り出した。ここに来てからもう何週間か経っているけれど、邸の外に出るのは初めてだ。
私は落ち着けるはずもなくそわそわ。そしてセドリック様はといえば……笑っている。気のせいでなければ、何かを企んでらっしゃるように見えて。
「あの、今日はどちらへ行くのですか?」
ここでやっと勇気を出して尋ねると、セドリック様はイタズラっぽく笑って答えた。
「ふふ、それは行ってみてのお楽しみだ」
「でしたら、この服は……?」
メイド服のスカートをつまむ。セドリック様はあっ、と声を上げた。
「汚れても大丈夫なものをと……アンナに相談して予備の制服を借りたんだ。悪い意味は何もないから安心してくれ」
「……わ、わかりました」
今から行くところは、もしかしたら服が汚れるようなところらしい……やはりセドリック様から直々に家事を仕込まれる? それとも畑仕事のお手伝い?
ますます謎が深まっていくばかりだった。
◆
「お花がたくさん咲いてます!」
「ああ。たくさん咲いているだろう」
馬車の窓から見えたのは、柔らかな色の糸を選んで織り上げたような花の絨毯だった。つい子供のような歓声を上げた私に、セドリック様は得意げな顔を見せた。
もちろん、お花畑というものを私は生まれて初めて見た。
セドリック様が手を貸してくださり、馬車を降りた。今立っているところからは、木の柵に囲まれた広大な花畑全体を見渡せた。花は色を揃えられ、地面に格子模様を描くように整然と植えられている。
これは自然にできたものでもなければ、見て楽しむために植えられているのでもない、というのはなんとなくわかった。
「……もしかして、ここは畑ですか? お野菜ではなさそうですけど」
「そう。ここにあるのは全て薬草だよ。中でも花や種を採取する種類のものだ。この領の特産品のひとつだ」
やはり今から畑仕事を仕込まれるようだ。頑張って覚えなければと思いながら、私はセドリック様に手を引かれ、ごく緩やかな坂を下って畑に入った。
木の柵を越えて、踏みしめた土の感触はふわふわとしていて、これも上等な絨毯みたい。茶色い見た目からは、乾いて硬い感触を想像していたので驚いた。
「柔らかい……」
「そう。つまり、植物がよく育つ良い土ということらしい」
その場で何度も足踏みをする私を見て、セドリック様がなんだかよちよち歩きの小さい子を見るような顔をしている。恥ずかしい。足を止める。
「さて。庭に花の種類を増やすための手配は済んだんだが、苗や種を揃えるのに少々時間がかかるらしくてな」
「はい」
「つまり、庭が充実するのはしばらく先だ。なので、今日は庭ではなくここを散歩するぞ」
「お散歩……?」
「そうだ。派手な花はないが、種類は多いからそれなりに楽しめるんじゃないかなと……って、あれ? やっぱり嫌だったか?」
私が首を傾げると、なぜか焦った様子を見せたセドリック様。
「……私、ここで畑仕事を仕込まれるのかと思っていて」
「……は? いやいや、なんでそうなるんだ?」
私は目を白黒させているセドリック様に、つらつらと思っていたことを話した。
何不自由ない暮らしをさせていただくのに、儀式だけでは足りないのではないかと考えるようになったことや、何もできない自分を情けなく思っていることも。
「いやまさか。君を家事係として使おうなんて微塵も思っていない……けど、なるほどな。つまり、君は『役に立っている』という実感が欲しいわけだな」
私が頷くと、セドリック様は大きなため息をついた。
「わかった。何か考えておくから、今日のところは俺と一緒に楽しんでくれ。転ぶといけないから、手を」
セドリック様に手を取られ、歩き慣れない土の上をゆっくりと進む。温かくて大きな手から、気遣ってくださってることが伝わってきて、胸の奥が温かくなる。
畑はお庭の何倍もあった。緩やかに吹く風はひとまとめにした髪もスカートの裾も自由に遊ばせる。土の匂いに混じって、薬草が放ったと思われる爽やかな香りが、胸をすっきりさせる。
「疲れたら、我慢しなくていいからな」
暖かい気遣い。言葉を返すより先に、つい握られた手に力が入った。それに当然のように同じ強さで握り返されたことが、胸に痛いほど響く。なんだか泣きたくなってしまう。
「大丈夫です。今までの成果をお見せします」
涙を堪えてそう言うと、セドリック様が声をあげて笑ってくださった。
「それは頼もしいことだ。じゃあ、どんどん行こう」
そうは言いつつ、足取りは私に合わせてゆっくりで。繋いだ手もしっかりと握られたままだ。ちらりと後ろを振り返ると、乗ってきた馬車がかなり小さくなっているのが見えた。
少し前ならとっくに疲れ切っていたかもしれないけれど、今はもうどうってことはない。きっとこの手を離したって、まだまだ歩いていける。それなのに。
あなたと手を繋げることが嬉しいから。
『ひとりで歩けます』という言葉はどうしても言えそうにない。




