14.新しいドレス、鴇色の髪飾り
「さて。魔力ももらったし、あとは美味い朝めしを食って腹も満たせば完璧だな」
今にも鼻歌を歌い出しそうなセドリック様と並んで、応接室へと歩いていく。
ガラス窓の向こうに見える空は清々しい青。木々の緑も、今まさに盛りを迎えているバラの色も鮮やかに見えるだろうと思うと楽しみだ。そういえば、ここに植えてあるバラはこのドレスと同じ鴇色。偶然よね?
「いい天気ですね……」
「ああ。君の散歩もきっと捗るんだろうな」
つい呟いてしまうと、セドリック様も窓の外に視線を向けて、眩しそうに目を細めた。
アルヴェン家での……つまり邸に引きこもりっきりの暮らしは、私の体に悪い影響を及ぼしていたのだという。魔力は人に分けられるくらい強いけれど、「普通に生きていくのに必要なだけの体力もない」とお医者様にきっぱり言われてしまった。
これからはしっかり食事をして、陽の光と外の風にあたって、少しでいいから歩くようにとのことだった。体調を崩して皆さんにご迷惑をかけるわけにはいかないから、きちんと守るようにしている。
……初めは明るい場所にいるだけで疲れてしまったけれど。
「だいぶ歩けるようになったそうだが、ここの庭をぐるぐる回るだけではそろそろ飽きる頃じゃないか?」
「いいえ。鳥の声から姿を想像してみたり、今日はどの蕾が開いているか、って考えるのが楽しいです。今はバラが次々咲いていて、とってもいい香りがして」
うららかな陽の光で体を温めて、気ままに吹く風に髪を遊ばせる。賑やかな鳥の歌に耳を傾け、甘い花の香りや土の匂いをめいっぱい吸い込んで。
お庭には限りがあるから、見えるものは確かに変わり映えしないけど、全く同じというでもない。些細な違いを見つけると楽しくなるし、外に出て息をするだけで錆がすこしずつ剥がれていくようで気持ちがいい。
セドリック様が、こうして私の話を聞いて笑ってくださるのも嬉しい。
「そうか、そうか。なるほどなあ。じゃあ、もっと花の種類を増やしてもらわないとなあ。君が退屈しないように」
「ありがとうございます!」
セドリック様は目を丸くした。つい、声が大きくなってしまったからだろう。恥ずかしい。庭に綺麗な花が溢れている光景を想像したら、目の前がさらに明るくなってしまって。
会話をしているうちに、目の前にふたり分の食事が用意された。ちなみに、内容は同じものではなくなった。
セドリック様は朝からたくさん召し上がる。私にはとても食べきれない量だ。対する私の分は、ほんのちょっぴりと言ってもいい。量だけをとれば、実家にいた時と大差ない。
お腹を壊して倒れてしまったあの日以来、私のためだけに特別な食事が用意されるようになった。
今朝の献立は、丁寧に裏漉しされた根菜のミルクスープ、大好きな卵料理に、よく煮込まれたお肉も少し。添えられたパンも柔らかいもので、果物にも火を入れてある。
骨や血を作るための栄養がきちんと取れること。冷たいものや生のものは避けること。筋ばったものや固いものは柔らかく仕上げること。お医者様からの指示に従って、料理人の方が腕を振るってくださっている。
食前の祈りに、私のために惜しみなく手間をかけてくださったことへの感謝も載せてから、まずはスープをひとくち。程よい塩気と根菜の甘さをゆっくりと味わっているうちに、顔が溶けるように綻んでくる。セドリック様は大きくちぎったパンをがぶりと齧った。
「美味いか?」
「はい。とっても美味しいです」
制限が多いのに、毎日こんなにも美味しいものが食べられる幸せ。今日も、厨房にお礼を言いに行こうと思う。
顔を上げれば、私と食事を共にしてくれる方もいる。同じテーブルで一緒に温かいものを食べると、胸の奥も温かくなることを知った。
卵料理を頬張りながら、今日の予定を考える。セドリック様を見送ったらお散歩に行く。お昼をいただいたら、先日買っていただいた本を読み進めたい。
ちなみにタイトルは『灰まみれ姫』。有名な童話らしく、年下のリーネですら結末を知っているらしいその物語に、私は生まれて初めて触れている。
主人公の悲しい境遇にはどこまでも共感を覚えて心が痛くなるけれど、彼女は私と違って強い女の子で、どんな理不尽にも諦めずに立ち向かっていく。私もそうなれたら、と思ってしまう。
続きはいったいどうなるのかしら。リーネが必死で黙ってくれているので、早く読まなければね。心弾ませている私を見つめる紫水晶の瞳が、朝日にきらきら輝いている。
「君に聞きたいことがあるんだが」
お肉をよく噛んで飲み込んだところで、なんだか改まった様子でセドリック様に尋ねられた。
「何でしょうか?」
「君の好きな色を知りたいんだよな」
「好きな色、ですか……? どうしてでしょう?」
「ああ……まあ、ちょっと……」
セドリック様はなぜか返事を濁した。理由は気になったけれどいったん置いておいて、私は食事の手を止めて考える。
……妹たちは服にしてもアクセサリーにしても自分だけのものを誂えてもらったり、好きなものを選んでいたみたいだけれど、灰髪の私にそれは許されなかった。
たまにつける装飾品やドレスは借り物かお古で、普段着は黒や濃紺、濃灰色といった地味なものばかりを与えられていた。
今日のドレスは、昨日買っていただいたものの中から目をつぶって引いたもの。
どうして私は色とりどりの服の中から初めての一着を選べなかったのか。目の前に並んだ服はどれも素敵だったから、という理由もあるけれど。
好きな色がわからないのだ。
少し迷ったけれど、正直に打ち明けることにした。自分の暗い部分を曝け出すのは少し勇気がいるけれど、気持ちを言葉にしてくれたら、と、おっしゃってくれたから。
「すみません。わからないのです」
「……わからない?」
「今まで、『好きなものを選んでいい』と言われたことがなかったので、その、何色が好きかなんて、考えたことがなくて」
なんとか言葉にして、おそるおそる向かいに座る人を見る。そのセドリック様はといえば、別に悲しそうでも不思議そうでもない顔をしていた。それから、ごく軽い調子で頷いた。
「そうか。じゃあ、わかったら一番に俺に教えてほしい。結論を急がなくてもいいから」
「はい。わかりました」
感情がほとんど乗ってないようなあっさりとした態度が、むしろありがたかった。
「……ちなみに俺は黒が好きだな」
「やっぱり」
「わかったか? 俺は髪が黒いし、男は女性と違って常に真っ黒の服を着ていても特に咎められない。色合わせを考えなくていいし、汚れも目立たない。いいことしかないよな」
「そんな理由だとは思いませんでしたけれど」
「考えるのが面倒という理由でも、身につけているうちに好きな色になることもあるってことだ」
少し前の私なら、好きな色を答えられないことを悲しんでいただけだろう。だけど今は違う。今からでも遅くはない、見つけてみよう。そう思える。
私のことを道具として買ったはずの人が、懸命に私の声を聞こうと寄り添ってくれる。ただの人間だった頃より、よほど大切にしてもらえていると、身に染みて感じる。
私はもう、あの薄暗い部屋に閉じ込められてはいない。ここに来てからはずっと、晴れた空の下にいるみたいに眩しくて暖かい。
「じゃあ、行ってくる。夕食は一緒に食べられそうにないが……ひとりにしてすまないな」
「大丈夫です。どうか、お気をつけていってらっしゃいませ」
今日は他領へ会談に向かわれるセドリック様とは朝食の後に別れた。
散歩の前にいったん部屋に戻って休もうと、邸の奥へと進んでいくと、目の前を歩いていたメイド長のアンナが足を止め、私を見てまるで花が咲いたみたいに笑った。
「あらあ、とっても素敵な髪飾りですね!」
「ええ、ありがとうございます?」
一応お礼は言ったものの、確か今日もいつも通りに髪を半結いにして、銀の留め具をつけてもらっただけのはず。何も変わったことはないのだけれど。
不思議に思って頭に手をやると、耳の後ろあたりで柔らかな何かに触れた。
「あら?」
急ぎ足で部屋に戻った私は、鏡を見て声をあげてしまった。今着ているドレスと同じ鴇色の、大きなバラが飾られていたからだ。ここの庭に咲いているものだ。
今日、私の髪に触れたのは、髪を結ってくれたリーネと……セドリック様だけだ。もちろん髪結いが終わった直後には何もなかったことを鏡で見て確認している。
ならば、これを飾ってくださったのはセドリック様しかいない。けれど、確かに儀式の時に髪に触れられたけど、手には何も持っていなかったはずなのに。
浮かんだ疑問はすぐに消えた。だって、あの方は名高い魔術師なのだ。私に気づかれないようにバラの一輪をそっと喚び出して髪に飾るなんて造作もないことだろう。
「ルシア様。こちら、よろしければお使いくださいませね」
アンナが一輪挿しの花瓶を持ってきてくれた。私は少し迷ったけれど、髪からそっとバラを抜いて花瓶に挿した。
鼻腔をくすぐった優しい香りに胸がいっぱいになる。私に花を贈ってくださる方が現れるなんて、夢にも思わなかった。
私が幸せな気持ちになる時、心の中には決まって笑顔のあなたがいる。
近寄りがたいほどの美貌とは裏腹に、純朴で誠実で、人懐こくて、心の温かい方。
灰色だった私の視界を鮮やかに彩って、今日が楽しいと、明日が楽しみだと思わせてくださった。
言葉をかけられるたびに、目が合うたびに、触れられるたびに、あなたへの思いが深まっていく。
暖かな雨が地面を濡らし、固かった蕾を綻ばせるように。ただ灰色で乾いていて、何もなかった私の心にある想いが芽生え始めている。
私はきっと、セドリック様に恋をしている。
お金で買われた道具のくせに。生意気なことに。




