13.新しいドレス、照れ笑いのふたり
……本当に、綺麗な色。
喩えるなら、夜明けの空が一瞬だけ見せる色。あるいは、図鑑で見た異国の鳥の風切り羽の色。
姿見に映る自分を見ていると、なんだか気恥ずかしくなってくる。
「へ、変じゃないかしら?」
「いいえ! とってもお似合いです!」
リーネは満面の笑顔で言い切ったけれど、私はなんだか落ち着かなかった。
それは今着ている、うっとりするほど綺麗な鴇色のドレスのせい。
昨日の朝までは服が少なすぎて空白だらけだったワードローブには、今はまるで春が来たような色合いの服が詰まっていた。
時を昨日の昼過ぎまで戻す。
昼食をいただいたあとに書庫を覗いて、それから部屋に戻ろうとしたところだった。邸に大量の荷物が届いたみたいで、使用人の方が玄関のところに集まっていた。
どこか楽しそうな様子が気になって近寄ってみた。大小さまざまな化粧箱がこれでもかと積み上げられている。
そういえば、今までに似たものを見たことがあった。おそらく中身は服や靴。そして箱の見た目から察するに、そこそこ上等なものだと思われた。
「これって、セドリック様の新しいお召し物ですか?」
どんな服なのだろうとわくわくしながら尋ねた私に、リーネがあっけらかんと答えた。
「違いますよ、全部ルシア様のです。これはセドリック様からルシア様への贈り物です」
「えっ!?」
まさか自分の名前が出てくるとは思わず、びっくりして腰を抜かしてしまいそうになった。
「おおう、もう着いたのか。早かったな……全部ルシアの部屋に運んでやってくれ」
セドリック様は階段の上からひとこと言うと、くるりと身を翻して執務室に戻ってしまった。その日は多忙だったという彼が私の目の前に姿を見せたのは風が吹いたくらいあっという間のことで、私はお礼を言うのも忘れて立ち尽くしていた。
部屋に戻った私は、部屋のワードローブが手際よく埋められていくのをぼんやりと眺めていた。暗めの色の調度でまとめられていた部屋の片隅が、まるで春風が吹いたように明るくなっていく。
自分のために用意された、綺麗な色の服。こんなにたくさん。
私も綺麗な色の服が着たい……子供のころに思い描いていた憧れを思い出して胸がいっぱいになった。
セドリック様にお礼を言えたのは、夕食の席でだった。
「ありがとうございます……その、高かった、ですよね」
少し前に本もたくさん買っていただいているのに、服までなんて贅沢すぎると思った。しかし、セドリック様は首を横に振った。
「ああ。まあ、なにぶん数が多かったのでそれなりに……けど、この間の飛竜退治の件で結構な額の報奨金が出たから、こちらの懐のことは気にしなくていいぞ」
「そ、そうなのですか?」
セドリック様はお酒の入ったグラスを傾けながら笑顔で続ける。お強いのか、顔色は少しも変わっていない。
「そう。君の働きのおかげでもらえた金なんだから、君に還元するのが筋だろう」
「私の……?」
「そう。君がいっしょでなければ、俺の手柄にはなってなかったからな。だから気にせず収めてほしいし、他にも欲しいものがあれば言ってみてくれ。全て叶えるのは難しいかもしれないが」
「は、はい……わかりました」
落ち着かないまま、なんとか布団に入ったけれど、新しい服に袖を通すことが楽しみでろくに眠れないまま朝を迎えた。いつものようにリーネがやってきて、私に尋ねる。
「どのお召し物にしますか?」
「えっと……」
私は答えに詰まった。どれも素敵で選べなかったからだ。リーネはにこにこしているだけで急かさなかったけど、このままだと儀式に遅れてしまうと焦った私は、目を閉じた状態でえいっと一着をつまんだ。
……それが今着ている鴇色のドレスというわけだ。
改めて姿見の中にいる自分と目を合わせた。デザインはあくまでおとなしいけれど、それがむしろ仕立ての良さや生地の美しさを引き立てている。
コルセットを締めているわけでもないのに、体はかちかちに固まっている。顔は今にもドレスと同じ色に染まってしまいそうだ。
「セドリック様に笑われたりしないかしら……?」
震え声で尋ねた私にリーネは笑顔で笑いかけてくれる。
「こんなに素敵なんだから、きっととびきりの笑顔になられると思います。さあ、次は髪を整えましょう……ついでにこちらも気分を変えてみますか?」
「い、いったいどうするの?」
椅子に座りながらおそるおそる聞き返した私に、リーネは、目をらんらんと輝かせながらブラシを振って答える。
「えっと、両側をくるくるっと巻いて、上を思いっきり盛り上げて、それからですね……」
舞踏会に出向くわけでもないのに、そんな華やかな髪型にする勇気はない。私はとうとう耐えきれなくなってしまった。
「いっ、いつもと同じで大丈夫っ!」
「ええっ、そうですかあ。きっとお似合いになるのに……」
リーネは残念そうにしていたので申し訳なかったけれど、やっぱりちょっと恥ずかしい。いつも通りのハーフアップに、いつも通りの髪飾りをつけてもらう。
「明日は絶対に張り切らせてくださいね」
「もう、リーネったら……」
リーネとはお互いにすっかり打ち解けて、こんなふうに笑い合えるようになった。今朝も楽しく支度を終えると、私は部屋を出て、執務室のドアをノックした。
「ルシアが参りました」
「どうぞ」
セドリック様はまるで影のように、カーテンを引いて薄暗いままの執務室の中央に立っていた。
そういえば。セドリック様はいつも黒の服をお召しになっている。何か信念があるからなのか、単に好きだからなのかは定かではないけれど、どんな色も素敵に着こなしてしまいそうなのに。
「……おはよう」
「おはようございます。あの、こちら、さっそく着てみました。本当にありがとうございます」
「ああうん、どういたしまして」
いつもとは違う私を見て何とおっしゃるだろうかと思っていたけれど、改めて深く頭を下げた私にセドリック様はそっけなく返事をして、影のように私の前に立った。
見上げると、セドリック様も少し眠そうに見えた。お仕事が押したのだろうか。私は心配と謎の悲しさが入り混じった気持ちで彼に向かい合った。
「では」そう合図すると、セドリック様は私の顎にそっと手を添えた。そこからは言葉はない。私は目を閉じて、心を鎮める。
静かに唇が重なる。もちろん私たちの間に愛はなく、これは単に私の魔力をお分けするための儀式だ。あくまで彼は魔術師で、私は彼の魔道具である。
ぬくもりはすぐに離れた。儀式は今日もつつがなく終わったようだ。魔法でカーテンを開いたあとはこのまま流れるように朝食へと誘われるのに、今日は違った。
「んん……まいったな……」
朝日を浴びたセドリック様はなぜか口を手で覆った状態で、私のことをじっと見つめて動かない。いつもなら、きちんとお礼を言われる。それがないということは、考えられることはひとつだ。
「あの、な、なにか不手際がありましたでしょうか?」
「ああいや、その服がな……」
セドリック様の視線を辿るように自分の胸元へ、それからスカートに目を落とし、ハッとした。どことなく冷めた態度の理由に思い至ったのだ。
「せ、せっかく贈ってくださったのに、うまく着こなせなくてすみません」
セドリック様の視線があるところに刺さったままな気がして耐えられず、私は俯いた。きっと失望させてしまったんだ……と思った。
実は、胸のあたりが余っているのを詰め物でごまかしているのだ。すぐにぴったりになりますよ、とリーネは言ってくれたけれど。
すかすかの胸を隠すように押さえる。お母様が呪文のように繰り返していた、体が細ければ細いほど美しいというのは、ほとんど嘘っぱちだとお医者様から言っていたのを思い出してしまったのだ。
つまり、私は女性的な魅力には程遠い、ただの痩せぎすなのだと突きつけられたのだ。
足元が崩れたような感覚がまた襲ってくる。動揺が表情に出てしまっていたのか、セドリック様は、はっと肩を跳ねさせ首を激しく横に振った。
「ああっ違う違う!! あまりに似合ってるものだから、つい見惚れてしまっただけだ……これは決して世辞じゃないぞ。本当に……」
「ほわあ……」
見惚れた? 私に? 思いもよらぬ言葉を浴びて、次ぐ言葉をなくしてしまう。パクパクと口を動かすだけになった私から目を逸らし、セドリック様は早口で続けた。
「……なんだ、君の特徴を伝えて向こうに見立ててもらったのだが、大当たりだったな……と。別に俺が選んだわけじゃないんだ……まあなんだ、とびきり可愛いのにしてくれとは言ったが」
大当たり、から向こうは声が小さすぎてほとんど聞き取れなかった。とにかく……お忙しい中、私のために時間や心を割いてくださったことに間違いはなくて。
「ありがとうございます。どの服もとっても素敵で嬉しいです」
すっかり顔を熱くした私に、セドリック様は笑いかけた。紫色の瞳が嬉しそうに輝いている。
「気に入ってもらえたならよかった。そういえば、髪もすごく綺麗になったよな」
「はっ、はい……おかげさまで」
実家にいた頃は自分で必死に世話していた髪も、今はリーネが丁寧に手を入れてくれるおかげで見違えるように輝いている。
セドリック様は私の灰色の髪を慈しむような手つきで撫で、そのまま滑るようにひと束手にした私の髪に、何の躊躇もなく口付けを落とした。どこか優雅な仕草を見せつけられて焼け焦げそうになった私を見て、満足げに笑った。
「うん。飾りがいがあっていいな」
ふたりきりの部屋。自分だけに向けられた微笑みに、心臓の音がさらにうるさくなる。うっかり聞かれてしまわないように、口をぎゅっと引き締めた。
決して忘れてはならないことがある。
セドリック様にとって、私は魔道具であるということ。
愛用の道具を丁寧に磨いたり、自分好みに装飾を施すのは、魔術師の方にとってはごく普通のことらしい。だから、私にも同じことをしているに過ぎない。だって私は魔道具なのだから。そう、魔道具なのだから。
ちゃんとわかっているから、わきまえたいのに。
それでもセドリック様に優しく触れられるのが、くったくない笑顔を向けられるのがとにかく嬉しくて幸せで、どうしても心がふわふわしてしまうのを止められない。




