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12.黒と群青の密談

 ルシアが無事に眠ったことを確認してから、俺はそっと客間を出た。


『好きです』『うれしいです』『ありがとうございます』

 

 彼女の柔らかな声が耳の中でりんりんと鳴り続けている。歩いているにも関わらず、鼓動は走り抜けた時のように速く、なんだか全身が熱い。ため息を長くついたとて、冷めなかった。


 大切にしたいと思うのは、別に高価な魔道具だったからではない。彼女から魔力をもらえなければ俺が困るからでもない。あまりにも不憫な境遇に同情したからでもない。


 もう隠しようがなかった。飲んだ魔力に酔っているのもあるかもしれないが、たぶん、それを抜きにしてもルシアのことを好ましく思っている。


 生きた人間から魔力をもらうためには、直に触れ合わなければならない。つまるところ、愛し合う人間同士がするのと同じくらいの接触が必要だ。


 しかし俺は、妻はいらないと考えていた。なぜなら、女性と接するのは煩わしかったからだ。耳に触る高い声で笑い、むせるような色気を武器に媚びてきて、秋の空のようにころころと機嫌を変える生き物を、どう扱ったらいいのかわからなかった。


 しかし……いくら女性が苦手と言っても、相手が男なのはちょっと嫌だったから始末が悪かった。矛盾してるとは思うが、本能でそう感じてしまうと逆らえない。


 俺は積極的に夜会に出向き、貴族の独身女性の中から魔力の強い人を探すことにした。しかし、どうしても結婚はしたくなかったがために人選は難航し、諦めかけていた時にルシアと出会った。灰色の髪のせいで厄介者とされている彼女を買えば、そんな割り切った関係が叶うのではないか、なんて愚かなことを考えた。


 そう思ってたのに。


 少し控えめながら愛らしい笑顔、聴いていて心地いい鈴ののような声。いつか見た海のようにきらきら光る青い瞳に、俺はすっかり心を奪われていた。


 儀式でなくても触れてみたい。もっと言葉を交わしたい。俺のことを知ってほしい。


 俺のことを好きになって欲しい。


「はあ」


 ……本当に最悪だ。たちまち自己嫌悪に陥り、ぐしゃぐしゃと髪を混ぜた。


 俺にそんなことを願う資格があるわけがない。


 俺もまた、彼女を踏み躙ったひとりに違いないのだ。灰色の髪だから、両親から冷遇されているから、そこに喜んでつけ込んだのだ。


 割り切った関係なんか最初から成り立つわけもないと気づいたのに、あんなに真っ直ぐにうれしいなんて言われたら、笑顔の意味を勘違いしてしまう。


 ほんと、次から俺はどんな顔をして彼女に向かい合えばいいんだ。


 儀式の時は、部屋を暗くするようにして良かったと思う。彼女が俺の顔を見なくて済むようにと考えたことだったが、まさか自分が救われるとは。


「……お前、起きていたのか」


「ッッッ!!」


 目の前に魔石ランタンの青い光が揺れていて、エルがまるで幽霊のように立っていた。つい悲鳴をあげそうになったのを堪える。


「なんだよ、その顔は」


「ま、まだ仕事を残していたんだ。お前は?」


「寝る前に、邸の保護結界に緩みがないか見回りをしていた。異常はなかった」


「ありがとう、ご苦労さん……」


 ここでようやく、自分が廊下に立ちっぱなし……仕事と言うなら執務室に、せめて私室にはいないとおかしいと気づいたが、口から出したものは引っ込まない。エルは何か言いたげに俺をじっと睨むと、ため息をついた。


「……茶でも入れてこようか」


「た、頼むわ」


 十数分後、俺は私室でエルと向かい合っていた。同じように向かい合ったカップから、湯気が呑気に立ち上っている。


 気心知れた男同士だし、別に畏まったものではないはずなのに、エルは何故か尖った表情をしていた。


「こんな夜更けに、女性の部屋に入り込むとは感心しないな」


「バレてんのかよ」


「当然。心配なのはわかるが、あまりに配慮に欠けている。そもそも、ルシア様を怖がらせるようなことはするなと言ったのはお前だろう」


「うん……」


 全くもってその通りなので何も言い返せない。茶を啜る。沈黙が落ちる。エルは珍獣でも見るような目を俺を向けているままで、何も話してくれそうにないのが苦しい。


 俺は話題を探し、ルシアの部屋の本棚に書庫の本が並んでいたのを思い出した。


「そういえば、ルシアのところに本を持って行ったのはエルだよな? 彼女のリクエストか?」


 この国ではほとんど流通していない、鮮やかな挿絵の植物や魔石の図鑑。文章はもちろん隣国語で綴られているので、俺も専門用語は辞書を引きつつ読んでいるものだ。アレをそのまま読めるとなれば、それなりに外国語に堪能ということになる。


「……いいや。ルシア様は特に何も言わなかったから、絵が綺麗なものを選んで置いただけだ。若い女性が好みそうな本はここの書庫にないだろう」


「ああ、なるほど……」


 この邸は一昨年建てたばかりで、書庫の棚はまだ四分の一も埋まっていない。現状、並んでいるのは小難しい専門書がほとんどだ。女性の間で流行っている小説や詩集を調べて置いてやらないといけないな、と俺が思っている前で、エルは難しい顔で腕を組んで、宙に視線を投げている。


「なにか?」


「いや、ルシア様は外国語どころかアルメラ語もちょっと怪しいかもと思って。もちろん会話はできるが……俺も昔はそうだったんだが、なんとなく似たものを感じた」


 エルは実は平民出身で、領主の目に留まって魔術学院に入れられるまでは読み書きが一切できなかったと聞いている。


「国語すらって、そんなことがありうるのかよ。彼女は貴族令嬢なのに、まともな教育も受けたことがないってことか?」


 と、口にしてハッとする。彼女が育った環境が普通ではないことは、もうすでにわかっている。


「……あえてそんなふうに育てられたのではないかと思う。何も知らなければ、自分の置かれている状況を理不尽と思うこともないだろう。いや、気づいたとしても抵抗できない」


「暴力を振るわれて、食事を抜かれて、どこかにモノのように売り払われても、それが普通だと思うってことか?」


「そうだな。知識がなければ相手の本質も見抜けず、身も心も搾取されるだけになる……こんなことは言いたくないが、買ったのがお前だったことがルシア様にとっては幸いだったかもしれない」


 銀色の瞳が針のように細くなって、俺に深く突き刺さる。たまらなくなり、茶で口の中を濡らした。


「……もしかして、あの噂は本当だったのか」


「らしい。証言も複数取れたそうだ」


 エルはともすれば闇に紛れてしまいそうなほど低い声で言うと、硬く口を結んだ。ただの知識ではなく、実際に目の当たりにしたことがあるのだとわかる表情をしている。エルは、俺の知らない暗い世界を身をもって知っている。


「幸い、なあ……」


「ああ。破格の金額を示してさっさとアルヴェン家から引き離したのが最善だったということだ。そこに時間をかけていたら、他に取られていた」


「そうしたら……」


 その先はもう言葉にならなかった。ルシアが他に行けばどうなっていたかなんて、俺の貧相な想像力でも薄々わかったからだ。


 社交界の隅っこでうごめいていた噂。アルヴェン伯爵は、灰髪の娘を家から追い出すため、もはやなりふり構っていなかった、というもの。


 本当はルシアを出家させる気なんて微塵もなく、金になるならなんでもいい……そんな焦燥を剥き出しにして、あちこちに話を持ちかけていたようだ。


『娘を買ってくれないか』と。


 最初こそ一般的な婚資程度の金額。しかし話はまとまらず、そこから相手を変え、交渉を続けるうちにジリジリと値段は下がって、ある相手から提示されたのは、老いた家畜をやりとりするくらいの金額だったようだ。


 おそらくはそれで合意しかけていたのだろうところに、事情をほとんど知らない俺が、金貨がぱんぱんに詰まった皮袋をぶら下げて滑り込んだ……というわけだ。


 俺は一切傷つくことなく、話があっさりまとまってしまったのはそう言う事情だったらしい。


 その後、伯爵はルシアを塵芥のように家から掃き出したあと、籍を抜いてあっさり縁切りしたのである。父親や夫という後ろ盾のなくなった女性がどんな目に遭うかなんて誰にでもわかるのに、だ。


 欲の捌け口、思い通りになる操り人形、それこそ実験台に生け贄。


 一応表向きでは人身売買が禁止されてる国で、金を出して人を買おうとする人間なんて、総じて碌なものじゃない。もちろん俺もそうだ。再び襲ってくる自己嫌悪に、吐き気を催した。


 ルシアの目に俺がどう見えてるかなんてわからないが、俺が何か話すたびに返ってくる彼女の笑顔が、俺を惹きつけると同時に心を抉ってくる。俺が痛いのはいい。これは罰だから。


 だけど、誰よりもかわいそうで、誰よりも清らかな人。これ以上、彼女の心が傷つくことはあってほしくない。


「……彼女を幸せにしたいと思うのは傲慢だろうか」


 彼女の心に刃を突き立てておきながら、俺は彼女を好ましく思っている。視線を交わすたびに、守ってやりたいという思いが胸に湧いてくる。


 なんて自分勝手なのだろう、と思う。


「少なくとも俺はそんなお前の自分勝手さに救われたと思っている。同じように、思うようにやってみたらいいんじゃないか。まあ、ルシア様がどう思うかはわからないが」


 エルは俺に温度のない視線を向けると、いつものように行儀良く茶を啜る。


「思うように、か……」


 俺は立ち上がり、机に置いていた書きかけの手紙を手に取った。ルシアの持ち物を見た時に思いついたのだが、どう書いたものかと数日迷っていたものだ。まずはこれを送ることにしよう、と思った。

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