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11.枕元でお話、近づく心

 夜。ちょうど布団に入ったところで、ノックの音が響いた。


「……入るぞ」


 入ってきたのはなんと、セドリック様だった。初めて見る寝衣姿はなんというか、ガウンを羽織っていたとしても少し目に毒だった。


 いつもは高い襟で隠れている首や胸元があらわになっていて、どうしても目がいってしまう。それから、自分の寝衣もそれ以上に胸のところが開いていることを思い出してしまって、顔を熱くしながら胸元をかき合わせた。


 私ってば、何をじろじろ見ているの。頭の中が忙しくなってひとりあたふたしている私、しかしセドリック様はあくまで落ち着いた様子だ。こちらに足音を立てずに寄ってきて、声を殺し気味に言った。


「こんな夜更けに押しかけて悪いな。どうしても様子が気になったものだから」


 私の様子をここまで気にする理由なんてひとつしかない。明日は儀式ができるのかを気にされているのだろう。


「お薬がよく効いていますので、問題ありません。明日は時間通りに執務室に伺います」


「いいや。明日は休みで構わないと伝えにきたんだ。今は差し迫ったものもないので、俺のことは気にしなくていい。体が良くなるまで、ゆっくり休んでほしい」


「わ、私は平気です。もうお腹も痛くないですから」


 とは言ったものの、本当は……罪悪感のようにピリッとした痛みが走り、布団の下でお腹を押さえる。


「そうは見えないんだがな……」


 セドリック様は苦笑いした。魔術師の方を相手に隠し事をしようなんて浅はかだったようだ。私を見つめる紫が濃くなっていくような気がする。


「大丈夫です。ちゃんと務めを果たさなければいけないのはわかっています……でなければ」


「でなければ?」


「私はここにいられません……」


 シーツを握りしめる手が勝手に震えはじめる。実家にはもう戻れない。私が突き返されてくるだけならまだしも、払ったお金を返せと言われたら? お父様はどうするだろう。きっと鞭で打たれるだけではすまない。今度は命がないかもしれない。


 涙を堪えていると、静かな部屋にぎりっと歯を噛み締めて鳴らす音がわずかに響いた。私のものではない。


「なあ。俺が君を買うのに、いったいいくらかかったと思っている?」


 セドリック様の尖った眼差しと、冷たい声色が突き刺さる。


 私にはお金の価値が今ひとつわからないけれど、セドリック様に提示された金額を見たお父様の瞳は眩いばかりの金色に輝いていたように思う。「まさかお前がこんな大金に化けるなんて思わなかった」と顔を腫れ上がったみたいに赤くしながら。


「……大金とは聞きましたが、よくわかりません」


 ようやく言えたものの、口がからからに渇いて、震えはさらに大きくなるばかりだ。どうしよう、


「……ごめん。君は知らなくていい。とにかく、俺は金で君を買った。足りない魔力を補うための魔道具として」


「飲むか?」セドリック様は枕元に置かれた水差しからコップに水をなみなみと注ぎ、私に差し出した。ありがたくひと口だけいただいて、サイドテーブルに置く。


 残りは後で飲もうとしたのだけど、なぜかセドリック様が残った中身を一気に飲み干してしまった。


「……伝えたいことがある」


 視界を覆うように大きな手が伸びてくる。私はつい、今までお父様に同じことをされた時にそうしてきたように目を強く瞑った。けれど、セドリック様の手は私の頭を優しく撫でるだけ。絡まった髪を慎重に梳かすように何度も。


「なんでしょうか」


 今までに経験のないくすぐったさに耐えながら、私は尋ねた。


「道具は確かにモノだが、日々の手入れは欠かせないし調子が悪ければ休ませて、自分の手に負えなければ職人に診てもらいもする。人間を相手にするのとそう変わらない」


 私は目を開き、やっとの思いでセドリック様の顔を見た。笑顔。


「ましてや君はモノではないんだ、そうだろう?」


「……はい」


「アルヴェン家に帰りたいか?」


 私は首を横に振る。


「まあ、仮に帰りたいと言っても帰さないが。せっかく手に入れたんだ。埃をかぶってしまうと分かっている場所になんか帰せるか」


 私に語りかける声は、最初に出会った時のように真摯で、見つめる瞳には濁りはない。髪の上を滑る手が時おり額に触る。なんだか嬉しくて涙が出そうになる。


 セドリック様に触れられる時、私の胸の中に満ちるのが幸せという感情なのだと、今ならはっきりわかる。


「なあ。少しでいいから君の話を聞いてみたい。いつもいつも、俺ばかり話しているから。そのせいで君は苦しかったのではないか?」


 ねだるような声色。だけど私は応えることができない。


「すみません。私からお話できることは何もないのです」


「いや、別にそんな気負った話でなくてもいいんだ。昔から好きだったものとか、子供の時に楽しかったこととか、そんな些細なことで充分」


 なおのこと耳に胸に小さな棘が刺さる。残念ながら、私の記憶のどこを振り返ってもそんなものは見当たらないのだ。


「……私には、本当に何もないのです」


 ようやっと言って俯くと、どうしても艶のない灰色の髪が目に入る。きっと、私の人生もこんな色をしていたと思う。


 私は、どうしてか灰色の髪に生まれてきた。私は両親から恥と言われて家の中に隠されて、ろくに外を知らずに育ってきた。


 家庭教師がついていたこともあったけど、私の出来が悪いからと冷たくされていた。そのせいで、話すことは問題なくできるけれど、読み書きは少し怪しい。


 やがてその家庭教師は私の前からいなくなってしまった。自分でやめたのか、両親の判断なのかはわからない。それ以来、私には新しい人がつくこともなかった。


 それからの日々は、妹たちや弟が両親の愛を受けてのびのびと育っていくのを、私は離れたところからぼんやりと見ているだけだった。私も同じように、可愛いお人形や、楽しいお話が書かれた本、綺麗な色の服が欲しいとか、学校に通ってみたいと思ったこともあったような気がする。


 だけど、灰髪の私は何も望んではいけないと言い聞かされていたから、自分は何が欲しいのかすらだんだんわからなくなった。そのうち私は部屋に閉じ込められ……いや、閉じこもるようになった。


 愛を惜しみなく注がれているきょうだいたちを見なければ、寂しさや悲しみを感じない。両親や使用人たちからの冷たい視線に晒されることもない。


 やっぱり、お腹が痛い。


「ごめんな……」


 私が頭に巡らせていたものが魔術か何かで通じてしまったのだろうか、セドリック様は背中を丸めて俯いた。表情が全く見えない。


「すみません」


「いや、ありがとう。何も言えないことを申し訳ないと思う必要もない。でも、もし君の気持ちを言葉にしてくれたら、俺にとって耳や胸が痛いことでも、ちゃんと聞いて受け止める」


「私が何か言うのは、わがままではないのですか」


「わがままというなら、俺こそがそうだ。ああもう、俺のことを罵ってくれてもいい。むしろ罵ってほしい……罵られるべきだ」


「ええっ……?」


 主人に歯向かうなんて許されないことだろうに。それにもちろん私にはセドリック様を罵る理由があるわけがない。どうしてそんなことをおっしゃるのかわからない。


 首を傾げた私から顔を背けたセドリック様は、まるで石像にでもなってしまったように寄ることも引くこともなく黙っていた。


「あの……」


 やっぱり何も答えてもらえない。もしかして、このまま私が何かを言うまで動かないおつもりなのだろうか。


 すっかり夜も更けたのに、このままではセドリック様がお休みになれない。何かを言わなければと必死で頭を回した私は、恐る恐る口を開いた。


「あの、少し考えてみたのですが……セドリック様に、お伝えしたいことがあります」


「何だ!?」


 セドリック様が急にこちらを向いた。私はその勢いに負けそうになりながらも、もう引き返せないと腹を括る。恥ずかしいから本当は黙っていたかったけれど……。


 私は、喉の辺りでくちゃくちゃに丸まっていた言葉を少しずつ広げていく。


「私、セドリック様のお話を聞くのは好きです。触れられるのも嫌ではありません。それに、こうして部屋に訪ねてきてくださってうれしいです」


「はあっ……?」


 セドリック様が、まるでガラスを引っ掻いたような声を上げた。男性の喉からもこんなに高い声が出ることに驚きながら、私はびくびくと続きを言った。


「わ、私を買ってくださって、ありがとうございます」


 とうとう言ってしまった。心臓が痛いくらいに騒いでいる。


 口実なんてなんでもいい。私は、あの暗い部屋から、灰色の日々から連れ出してもらえたことに恩を感じている。私にできることは少ないけれど、この人の望みにはどうしても応えたいと思う。


 セドリック様は声になりきっていない呻きをあげ、顔を覆ってしまった。小刻みに震えているようにも見える。やっぱり気に障ってしまったのだろうか。


「あの、大丈夫でしょうか」


「……俺はもうだめだ。それと、君は体調がひどく悪いようだな。今すぐ寝たほうがいい」


「あの、私はお腹が少し痛いだけですが……あっ、ごめんなさい。本当はまだ少し痛くて。ですが、お薬も飲みましたので、寝れば良くなるかと……あの、それよりも」


 あなたが心配です、と言おうとしたけれど、遮られる。


「よし、ならば寝てもらおう! 今すぐに!!」


 まるで叫ぶように言ったセドリック様が、目の前で意味深に指を動かすのをぼうっと見つめるだけの私。


「俺は魔術師だ、催眠魔法で君を寝かせることくらい、造作もないことだ」


 今の言葉に呪文が秘められていたのだろうか、急に強い眠気が襲ってきた。倒れそうになった上体を支えられて、ベッドにそっと横たえられる。温かい手が頬を滑っていく。


「おやすみ、ルシア」


 砂糖を舐めたみたいに甘い声が頭から胸に落ち、心臓をさらに温めていく。熱くてとても寝られそうにないのに、魔法の力は強力だった。瞼は分厚い本のように重くなり、意識はみるみるうちに枕に吸い取られていく。


 紫の瞳が徐々に近づいてくるのが見える。


 目を閉じたのと同時に、額に一瞬だけ温かいものを感じた。口付けを落とされたのだと分かった。儀式でもないのに、そんな必要もないのに。


 考えたくても思考は上手くつながらず、何かを言われた気がするけれど、耳が先に眠ってしまったようで聞き取れなかった。


 胸の中に、あなたの香りが残っていた。こんなに幸せな気持ちで眠りにつくなんて、生まれて初めてのことだった。


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