10.黒衣の魔術師の独白II
彼女を取り巻いていた状況は思ったよりずっと深刻だった。
彼女からそこまでの悲壮感は感じなかった。瞳には少し影はあるものの別に暗くはなく、控えめながらも笑顔がちゃんと出る。身体はかなり痩せているように思っていたが、美を求めてやまない年頃の女性にはよくあることだと思っていた。
細い方が美しいなんて価値観は俺は持っていないが、まあ、一般論として。
食事に関しては確かに懸念はあった。うちは倹約を心がけているし、俺は高級といわれる食材や洒落たものは好まない。料理人の腕は確かだし、量は十分とはいえ、王都の伯爵家で育った彼女には質素な食事だと思われるかもしれないと思っていたのだ。
しかし、彼女の反応はといえば、『こんなに美味しい料理は初めて』だった。大きな目をきらきら輝かせながら、あっという間に平らげてしまった。
俺が一緒でない時はどうだろうと、リーネやエルンストに聞き取りをしたところ、俺がいないところでも美味しいと顔を綻ばせて、完食していたとのこと。
だから食事が原因で倒れたと聞いた時、少し食べすぎただけだろうと軽く考えていた。
しかし、ルシアを診察してくれた医者は、わざわざ俺の帰りを待っていてこう言った。
『彼女には慢性的な栄養不足からくる所見が多数認められます……それと……』
医者はつぶさに書き込まれた診療録を見ながらさらに苦々しい話を続け、最後まで聞いた俺は耳の痛さに耐えかねて頭を抱えた。
ていうか、栄養不足ってなんだ? と思った。
ふと、アルヴェン家にルシアを迎えに行った時に、ひと目だけ見た彼女の妹の姿を思い出した。
顔はルシアにとてもよく似ていたが、ちっとも痩せてなんかなかった。もちろん両親も同じような感じで、なんなら肉付きが良すぎるくらいだった。
あの中でルシアだけが、今にも折れてしまいそうなほどに細かったのだ。
そして、先ほどルシア本人から話を聞いて、全てがつながったような気がした。食事の時は部屋でひとりにされていたと言うのなら、どう考えても、他の家族とは違う食事を出されていたと考える方が自然だ。
つまり、ここから導かれる結論は。
ルシアは躾の名の下に、まともなものを食べさせてもらえていなかった。それもルシアが思っていたような、灰色の髪に生まれた娘の将来を思う親心からではなく、おそらく純粋な悪意からだ。
……厄介者だったというなら、当然といえば当然の扱い。だが、彼女はそのことをもしかすると善意だと信じ込んでいて。
腹の底に、ドロドロとしたものが噴き上がってくる。
「なあにが『灰髪なんだから、せめて美しく』だ、クソが……ぶっ飛ばしてえ」
美しくと言うのならなんで、彼女の体には折檻されてできたのであろう傷が無数にあるっていうんだ。ああ、むかつく。むかつく。衝動的に杖を喚び出した。
砲撃魔法の呪文が喉元まで出てきている。魔力はおかげさまで満ち満ちている。ここからアルヴェン家を吹っ飛ばしてやることもできる。一発お見舞いしてやりたいくらい腹が立っている。
アルヴェン伯爵が別れ際に見せた、下卑た笑顔が瞼の裏に張り付いている。『親子の縁もこれまでなので、アレはもうノイマン卿の好きにしてもらって構わない』と。
その言葉の通り、つい先ほどアルヴェン家から正式にルシアと縁切りしたという内容の書状が届いた。本人にはまだ伝えられていないが、彼女にはもう家族と呼べる人、実家と呼べる場所がなくなってしまったのだ。
だけど、家族、家族ってなんだろうな、と思う。
彼女の両親は、年頃の令嬢には相応しくない服を着せて、食事も満足に与えず、孤立させ、暴力まで振るい、挙げ句の果てにはよく知りもしない男にあっさり売り渡して、最初から家族にはいなかったことにしてしまった。
灰色の髪に生まれたことは、彼女のせいではないのに。
俺は杖をしまって、頭を抱えた。目の奥が脈打つように痛む。
苛立ちの矛先は、もちろん自分にも向いていた。
夜会で出会って気になった彼女が、アルヴェン家で厄介者扱いされている、そのせいで今にも出家させられるかもしれないと聞いたとき、俺は何を思った?
あの時の気持ちをもちろん忘れるわけがない。体が冷たくなって、唇を噛む。
……じゃあ、都合がいいとしか思わなかった。それどころかこんな幸運があるのかと、胸が高鳴りすらした。
確かに儀式という名の無理を強いる形になるが、修道院で暮らすよりもいい暮らしを約束すれば、彼女もきっと納得してくれるはずだと。
「クソが……」
俺だって、彼女を粗末に扱ったアルヴェン家の連中と同じか、それ以上に罪深いということに気がついてしまった。
『儀式ができなくなってしまったら困りますものね……』
俺が魔道具だなんて言ってしまったばっかりに、ルシアはその言葉に忠実に俺の魔道具であろうとした。今日のことだって、本当は苦しいとも言えず、倒れてしまうまでひとりで抱え込んでいた。
この件でルシアに非はないのに、申し訳ありませんと何度も頭を下げて、怯えた目を俺に向けて、大粒の涙をこぼした。
目を閉じる。脈打つような痛みはさらに増し、胸の奥も凍るように冷えている。
俺は彼女にとって、彼女の両親と同じ……機嫌を損ねてはいけない人間でしかなかったのだ。
心を開いてくれている。互いに持ちつ持たれつの関係が築けつつある、そう無邪気に信じていた俺は、本当に馬鹿だったと思う。




