第6話【授業初日】
鐘の音が、塔の上から高く響いた。
その音に誘われるように、生徒たちはそれぞれの教室へと歩みを進める。ティリオとクレインもその中にいた。
「座学かぁ…俺、寝る自信しかない…」
講義室、扉をくぐると──そこは半円形に階段状の座席が並ぶ、まるで劇場のような空間だった。
中央奥に位置する教壇は最も低く、教官が全体を見渡せるように設計されている。
「おぉ……これは戦場では不利な地形だな。高所を取られる」
「いや、戦わねえから。授業だから」
クレインはため息交じりに肩をすくめ、ティリオと共に中央寄りの中段の席に座った。
周囲を見渡すと、生徒たちは自然と“身分”で集まっていた。装飾の多い制服や、胸元の家紋でそれが見て取れる。
右側の上段に固まるのは貴族たち。
左下段や後方には、比較的質素な装いの平民の姿が多い。
「……また、分かれてるのか」
ティリオはぽつりと呟いた。
「まあな。名目上は“身分関係なく学ぶ”って言ってるけど……やっぱり、みんな自然とそうなるんだよな」
クレインが小声で応じた直後、扉が開いた。
入ってきたのは、厳格そうな初老の男性教官だった。背筋が伸び、深いグレーの制服の上から、銀のラインのマントを羽織っている。
「静粛に。では、始めよう」
男性は淡々と告げ、教壇の中央に立った。
「初日の授業です。まずは、問いましょう。“騎士とは何か”」
場の空気がわずかに張り詰める。生徒たちは顔を見合わせる。
教官の淡々とした口調が響く。
「騎士とはなにか。忠誠、名誉、勇気、礼節、そして──知識。力だけでなく、頭脳を持ち合わせてこそ、真に価値ある剣となる」
その後、講義は徐々に過去の王国史へと移り、やがて“空白の百年”について触れられる。
「およそ千年前……記録にぽっかりと穴が開いている時代があります。いわゆる“空白の百年”──この間に何があったのか。諸説はありますが、いまだ定かではありません」
黒板に書かれた年表を眺めながら、ティリオの眉が微かに動いた。
(空白……か。ウォルガルドの話と違う)
彼の記憶では、その百年間には確かに“大きな戦い”があった。神と、古の竜たち、そして人間たちが交錯した世界の変革期。その戦争の終わりに、世界は現在の姿に落ち着いたはずだった。
(なぜ……その記録がない?)
ふと、講義室の右奥──貴族生徒たちの集まりから、かすかな笑い声が漏れた。誰かが、眠そうに頬杖をついているティリオをからかっていたのかもしれない。
だがティリオは、内容のない笑いよりも“視線”に気づいていた。講義中ずっと、背後の席から自分を見ている存在がある。人間の目には届かぬような角度でも、竜の五感には届いてしまう。
(……敵意まではない。けれど──不快、か)
講義が終わり、席を立つとクレインが小さくあくびをしながら言った。
「お前、ああいう話、好きなんだな?」
「ああ。記録されないことこそ……最も興味深い」
「……また難しいこと言うな」
⸻
午後、マナーの授業のために別の講義棟へ移動すると、教室のレイアウトは一変していた。
五人掛けの円卓がいくつか配置されており、生徒たちは自由に着席していく。クレインとティリオは周囲の空気を読みながら、やや隅に近い席を選んだ。
「はぁ、こういう授業苦手なんだよな……料理もワインの持ち方も分かんねぇし」
「なぜ人間は1食にこれ程多くの食器を使うのか…」
「お前のその返し、ほんとぶれないな……」
クレインが苦笑していると、ひとりの少女がティリオたちのテーブルに近づいてきた。
「ここ、空いてる? 私も入っていい?」
鋭い目元と自信に満ちた声。制服の左腕には家紋──歴戦の騎士家門、〈ウォールディア子爵家〉の紋章が刺繍されていた。
「好きにしろ」とティリオが返すと、クレインがボソリと呟いた。
「……あれって、ウォールディア家の娘じゃね? 近衛候補生って噂の……」
少女は一瞬こちらを睨んだように見えたが、すぐにツンと顔を背けた。
「アンタたち、ちょっとは礼儀覚えなさいよね。平民でも、生徒なんだから」
「そういうところがまず、怖いんだけど……」とクレインが小さく呟いた瞬間、少女の拳が遠慮なくクレインの頭を叩いた。
「いったぁ!? なんでだよっ!」
「顔がムカついたから」
──どうやら、強烈な新メンバーが加わったようだった。
そこへ、リリスが教室に現れた。この授業はどうやら一般化との合同らしい。彼女はひと目でティリオたちの卓を見つけると、当然のように歩み寄ってくる。
「こちらにご一緒してもいいかしら?」
「……ああ」
ティリオが頷いた直後、その空気がぴりりと張り詰めた。
「……ちょっと、君。そこをどいてくれないか?」
現れたのは、着飾った男子貴族生徒。リリスの後をつけてきたような、取り巻きのひとりだった。
「リリス様がそのような席にお座りになるのは不適切だ」
高圧的な視線はティリオとクレインに注がれていた。
「席が足りないのか?」とティリオが素直に尋ねるが、男子生徒は顔をしかめる。
「足りないのではなく、ふさわしくないと言っているんだ」
クレインは(うわ、面倒くさい奴来た……)と内心で呻いた。やや腰を浮かせかけた彼を、隣の少女──ヴァルディナ家の娘がぴしゃりと止めた。
「その必要はないでしょ。空いてる席に行けばいい話。騎士を目指すってのに、その程度の決断もできないの?」
「そ、そうだぞ……」とクレインは無理やり便乗。
リリスも凛とした瞳で男子を見返す。
「わたくしの意志でこちらに座ります。問題があるのなら、教官にでも申し出てください」
男子生徒は忌々しげにティリオたちを睨んで去っていった。
緊張が去った後、クレインがぽつりと呟いた。
「なーんか、もう……貴族ってほんと、めんどくせぇ……」
ティリオは相変わらず、きょとんとした顔で窓の外を見ていた。
「……なぜ怒っていたんだ? 席は空いていたはずだが……」
クレインはその無垢な疑問に、ただただ疲れた顔で頭を抱えるのだった。
───
こうして、ティリオの初日の授業は終わりを迎えた。
しかし、彼にとってはすべてが“未知”であり、同時に“発見”でもあった。
歴史の欠落。人間社会の理屈。形式ばった作法。
それらはすべて──竜として過ごした日々には存在しなかったもの。
だが彼は“騎士”になると決めた。
知らぬことがあるのならば、学べばいい。
己の内に燃える誓いだけは、誰にも嘘をつかない。
騎士になるということ。
それはただ“強くなる”だけではない。
その本質を、ティリオは少しずつ、理解し始めていた。