第5話【竜、学び舎にてルームメイトメイトを得る】
──静寂が支配する入学式の講堂。
天井の高い空間にはステンドグラス越しの光が差し込み、整然と並ぶ新入生たちの頭上に淡く染まった影を落としていた。
ティリオはその中心から少し外れた位置で、まるで別の時空にいるかのようにぼんやりと天井を見上げていた。
(数日前の、あの“試験”……)
巨大な演武場での実技試験。素手で戦ったことで騎士候補生らしからぬと罵られたこと。けれど、迷いはなかった。あれが自分のやり方だ。
その後、街でリリスと歩いたひとときの記憶が、微かに胸の奥をくすぐる。
(……あの少女は、今も元気にしているだろうか)
ほんの少し、視線が遠のいたその瞬間――
「おい、聞いてるか?」
耳元にぴたりと近づいた声に、ティリオは反射的に肩を動かしかけたが、目の端に見覚えのある少年の姿を捉え、動きを止めた。
「クレイン……だったか?」
「おう。やっと名前覚えてくれたか。で、お前、寮は?」
「……寮?」
「やっぱ知らないのか。入学通知にあったろ、今年の新入生は二人部屋。俺ら、どうやら同室らしい」
クレインは気さくな笑みを浮かべ、式典の終わりを告げる合図と同時に人の波の中へと歩き出した。
「……そうか」
ティリオは短く応え、彼の後を無言でついていった。
割り当てられた部屋は、学園の男子寮棟の二階にあった。
高い天井に、石と木材で組まれた落ち着いた内装。机とベッドが二組、窓からは王都の南側を見渡すことができた。
「けっこういい部屋だな。これで学費タダってんだから、ありがたい話だぜ……」
クレインはそう呟きながら、自分の持ってきた大きな鞄をベッドのそばに置き、中から衣服や文具、小さな本を器用に並べていく。
一方のティリオはといえば、部屋の隅に立ったまま荷物ひとつ出す気配がない。
「……お前、荷物は?」
「必要な時に出す」
「え? どこから?」
「……亜空間から」
「お前、急にファンタジーの住人みたいなこと言うな。いや、まあ魔法はあるけど……普通、そういうのって高位魔術師くらいじゃないと無理だぞ?」
「そうなのか」
ティリオは心底意外そうに首を傾げる。その表情に嘘も見栄もなく、逆にクレインが混乱する番だった。
「……マジで何者なんだ、お前。貴族って感じでもないし、かといって平民にも見えないし」
「竜だ」
「……は?」
「冗談だ」
「冗談はもう少し冗談らしく言ってくれよ、まったく……」
クレインはため息をつきながら、それでもどこか嬉しそうに笑った。
「ま、いいや。オレはオレのペースで整理するから、お前は……なんだ? 立ってるだけで落ち着くとか?」
「……そうかもしれない」
◇ ◇ ◇
その夜。
二人は寮の食堂で夕食を取った。長テーブルが並ぶ広い食堂には、初々しい新入生たちの話し声が響いている。
「うわ、思ってたよりうまいな、このシチュー」
クレインは口いっぱいにスープをかき込みながら言った。
対面に座るティリオは、スプーンの使い方もままならず、最初は器を直接持ち上げようとしてクレインに止められた。
「お前、それ野営のスタイルだろ! ここでは食器使え!」
「……不便だ」
「人間社会ってそういうもんなんだよ! もしかして、ホントに山育ちとか?」
「そうだ」
「いやマジかよ……」
◇ ◇ ◇
二人の部屋に戻ると、クレインはベッドに腰を下ろし、ふぅと息を吐いた。
「さて、明日からいよいよ授業か……1日目は座学、2日目は基礎訓練って聞いたけど、オレは剣術がちょっと苦手なんだよな……。お前はどうなんだ、ティリオ?」
「戦うことに関しては……問題ない」
「なんで一瞬間があった? いや、まあいいか。頼りにしてるぜ」
クレインはひときわ親しげな笑みを浮かべた。
一方のティリオは、静かに床にシーツを敷き始めていた。
「……おい、それ何してんだ」
「寝床を作っている」
「いや、ベッド空いてるだろ!? なぜあえて床!?」
「高い場所で寝ると、敵に襲われた時に隙が生じる」
「……敵なんていねぇよここは! もうだめだ、このルームメイト野生児だ!」
クレインの叫びが、夜の寮に響いた。
だが、どこか楽しそうでもあった。
◇◇◇
朝の光が石造りの窓枠から差し込んでいた。
ティリオは、ゆっくりと目を開けた。
(……ここは)
見慣れぬ天井。厚い石壁。隣のベッドから聞こえてくる規則正しい寝息。
一瞬、野営でもしていたかのような錯覚に陥ったが、すぐに昨夜の出来事が蘇る。
──騎士学園。寮。ルームメイトのクレイン。
そうだった。昨日からここにいる。
彼はそっと体を起こし、床に敷いた薄いシーツから抜け出した。
石畳の床の冷たさが足裏に心地よい。だが、どうにも空気が重い。
どこか息苦しさを感じたティリオは、無造作に窓へと歩き、両手で開け放った。
キィ……と軋む音を立てて開いた窓から、ひやりとした早朝の風が流れ込む。
澄んだ空気が肌を撫で、鼻をくすぐる。草の香りと、ほんのりと香ばしいパンの焼ける匂いが混じっていた。
「……ふむ、いい風だ」
そのとき。
「……さ、寒ッ!?」
ベッドから跳ね起きるようにクレインの声が上がった。
「おいティリオ! 窓、開けてる!? 今朝は冷えるって言ってただろ!? って……」
言いかけて、クレインは言葉を飲み込んだ。
そして、次の瞬間。
「……なんで裸!?」
ティリオはまるで当たり前のように、全裸のまま窓辺に立っていた。朝日に照らされる筋肉のライン。色気ではなく、どこか野生動物のような威圧感すらあった。
「……?」
ティリオは振り返ると、涼しい顔で答える。
「わすれていた」
「いや、“忘れてた”って……いや、下着すら!? どんな寝相してたら脱ぐんだよ!」
クレインが頭を抱える横で、ティリオは淡々と、昨日支給された制服を亜空間から取り出し、ゆっくりと腕を通す。無駄のない動きである。
「はぁ……頼むから、その格好で外出ないでくれよな……」
◇ ◇ ◇
二人は食堂へと向かった。朝の食堂はほどよく賑わい、すでに多くの生徒が朝食を取っていた。
ティリオは、用意されていた食事の中から肉料理ばかりを選んでトレーに乗せていく。ベーコン、ソーセージ、ローストミート、さらに骨付きの鶏肉まで。
「お前、野菜……いや、せめてスープとか……サラダとか……」
クレインは呆れながらも、自分のトレーにサラダとパンを乗せて席についた。
ティリオはすでにベーコンを二枚口に放り込んでいた。
「……うまい。人間の食は、火を通すだけでここまで香りが変わるとは」
「うん、まずその“人間の食”って言い方やめようか」
そう言いながらクレインがパンを齧ったときだった。
──聞き覚えのある声が、耳に届いた。
「まあ、朝からずいぶんと豪快ですね、ティリオさん」
その声にティリオは顔を上げる。視線の先には、制服姿のリリスが立っていた。
その姿は品があり、整えられた金の髪に淡い水色のリボンが揺れている。微笑みを浮かべた顔は、まるで朝日に照らされる花のようだった。
リリスはティリオのことをいつの間にか”様”ではなく”さん”付けで呼んでいた。
ここが学び舎であることもあり、自分なりの切り替えなのだろう。
「おはよう、リリス」
ティリオはごく自然に返す。
「ふぇ……お前……その人、貴族だろ!? なんでそんな普通に……ってか、タメ口……!?」
クレインは慌てて立ち上がり、姿勢を正す。
「リ、リリス様でいらっしゃいますよね!? あの侯爵家の……っ」
リリスは苦笑して首を振った。
「ここは学び舎です。騎士を目指す者に身分は関係ありません。どうかお気になさらず」
そう言ってリリスは、自分のトレーを持ったまま後ろを振り返る。
そこには三人ほど女生徒が控えていた。彼女たちは眉をひそめていた。
「リリス様、このような平民などとご一緒なさらず、あちらで召し上がっては? 皆、貴族区画に……」
彼女の指差す先には、明らかに貴族ばかりが集まり談笑している一角があった。
リリスは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに柔らかい笑みに戻る。
「あなたたちは、あちらで召し上がって。わたくしはこちらでご一緒しますから」
そう言って、リリスはティリオとクレインの座るテーブルに自分のトレーを置いた。
「ご一緒しても、よろしいかしら?」
ティリオは短く頷いた。
クレインは──まだ驚きの途中だった。
「……あの、オレ……座ってていいんですよね……?」
リリスはくすくすと笑いながら、小さく頷いた。
「もちろんです、クレインさん。お隣、よろしいですか?」
「は、はいっ!」
こうして、学園生活の二日目は始まった。