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銀鱗の竜は、人の道を往く  作者: 空飛ぶペンギン
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第1話【竜の決意】

湖の畔に、風がやさしく吹き抜ける。水面には夏の雲がゆらゆらと映り込み、遠くで鳥のさえずりが響いていた。


その静かな風景の中、巨体を横たえた一頭の緑色の老竜が、穏やかな目を細めていた。うろこは深く刻まれ、ところどころ苔むしたような色を帯びている。その傍ら、まだ小さな茶色の子竜が草の上に寝転び、老竜の言葉に耳を傾けていた。


「いいかい、チビ助。我々竜には、三つの生き方がある」


老竜――ウォルガルドは、どこか懐かしむように語りはじめた。声は重くもやさしく、まるで長い風が木々に語りかけるようだった。


「竜として、竜の里で穏やかに暮らすもの。人に化け、人の世界に混じって生きるもの。そして――」


一拍置いて、琥珀色の瞳がわずかに細まる。


「パートナーとして、人の騎竜となり、共に戦うものだ」


子竜はもぞりと体を起こした。瞳を伏せ、やがて小さな声でつぶやいた。


「……ぼくは……」


「急がなくともよい。竜の一生はとても長い。ゆっくり決めなさい」


ウォルガルドの言葉に、子竜はうつむいたまましばらく黙っていた。だが、ふと思い出したように顔を上げ、老竜の横顔を見つめた。


「ねえ、ウォルガルド。昔、騎竜だったって聞いたよ。どうして、騎竜になったの?」


老竜は遠く空を見上げた。まるで、はるか昔の光景を思い起こすかのように。


「……とても、勇敢なやつだった」


その声は、どこか懐かしさと誇らしさを混ぜ合わせていた。


「仲間が死に、敵に囲まれてもなお、一人で街を守ろうと戦っていた。全身傷だらけになりながら、それでも立ち続ける姿を見て……ワシはその男と共に戦いたいと、心から思ったのだ。今思えば、あの頃のワシは青臭いガキだったがな」


子竜は少し黙ってから、ぽつりと呟いた。


「ウォルガルドは……強いの?」


「ぼくは弱いから……きっと戦えないと思う」


その言葉を聞いた老竜は、ゆっくりと首を傾け、顔を子竜に近づけた。そしてふっと、鼻息を吹きかける。突然の突風にあおられて、子竜は後ろに転げ落ちる。


「わっ!」


もんどり打って草の上を転がる子竜を見て、ウォルガルドは声を立てずに笑った。


「たしかに今は弱い。だが、それはお前に志が無いからだ。目標を見つけなさい。さすれば、それに向かって自らを高めることができよう」


「……ウォルガルドの言ってることはいつもむずかしい」


「そうさな。ではまず、人化の術を教えよう。お前の選択肢を広げるのだ」


その日から、子竜の人化の訓練が始まった。上手くいかずに尻尾を消し忘れたり、耳が竜のままだったりと、失敗を繰り返しながらも、少しずつ人の姿に近づいていった。


だが、静かな訓練の日々は、ある日突然終わりを告げる。


森の奥から唸り声と足音が響いてきた。姿を現したのは、粗野な体格をしたオークの群れだった。


「わあっ……! なに、あれ!」


驚いた子竜は慌てて逃げ出すが、森の中で行き止まりに追い詰められる。背中の鱗が逆立ち、足は震え、頭の中は真っ白だった。


「……だ、だれか……!」


そのときだった。


風が唸り、馬のいななきとともに一人の騎士が現れた。鎧を身にまとい、剣を振るい、次々とオークをなぎ倒していく。戦いが終わったとき、その騎士は馬を下り、子竜にやさしい声で語りかけた。


「もう大丈夫。怪我はないか?」


子竜は言葉も出せずにただうなずいた。騎士は微笑み、すぐに馬にまたがると、颯爽と去っていった。


その夜、焚き火のそばでウォルガルドにその出来事を話す。


「騎士、か。そうか……そいつはお前を助けたのだな」


「……すごく、かっこよかった。強くて、優しくて……」


子竜の瞳がまっすぐに光を宿す。


「ぼく、決めた。ぼく、騎士になる」


老竜は一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに目を細めてうなずいた。


「よいだろう。ならば、お前の旅はここから始まるのだな」


◇◇◇



風が吹き抜ける高地の岩場に、白銀のうろこをまとった竜がいた。

かつては小さな茶色の竜だったティリオは、50年におよぶ修行を経て、堂々たる竜へと成長していた。


全身のうろこは淡い銀光を帯び、陽の光を受けるたびに虹色の輝きを放つ。かつて無垢で弱かった子竜は、いまやどの若き竜にも引けを取らぬ強さを誇っている。


修行の終わり際、数度の脱皮を経て、身体は倍以上に大きくなった。翼は山を越えるほどに広がり、鋭く透き通る金色の瞳は、どこか神性を感じさせるものとなっていた。


だが――


「……なぜだ、お前は竜体だとあれほど神々しいのに、人化するとまるで別人になるのだ?」


目の前で腕を組むのは、老竜ウォルガルド。ティリオの師にして、騎竜としての過去を持つ伝説の竜である。


人化したティリオは、まるで真逆の姿をしていた。

褐色の肌に引き締まった体躯。髪は夜空のような黒で、どこか異国の雰囲気をまとっている。竜の白銀と金の神々しさとは、まるで別種族に思える。


「知らん。これが人間の姿だと教えられた通りに変じたら、こうなった」


「ふむ……人化とは奥深いものよな……」


ウォルガルドはしばし顎に爪をあて、しわがれた声で唸った。


ティリオはふと、空を見上げた。

50年という歳月。長いようで、あっという間だった。

だが、あのとき見た“騎士”の背中は、今も記憶に焼き付いている。


「ウォルガルド。……そろそろ、行こうと思う」


「行く……とは?」


「騎士になるために、人の里へ。そして――“騎士学園”に通うのだろう?」


ティリオの問いに、ウォルガルドは一瞬、無言になった。


そして、静かにうなずいた。


「……よくぞ覚えていたな。人の騎士となるには、剣の腕だけではなく、知識と教養が必要だ。騎士を育てる“学び舎”が、王国にある」


「……“学園”とは、戦場の名ではないのか?」


「違う」


「……鍛錬の場か?」


「うむ、そう思っておけ」


ティリオはその新たな概念に驚きながらも、目を輝かせた。

人の世界には、まだ知らぬことが多い。

だが、それを学ぶためならば、自らを偽ってでも踏み込む覚悟があった。


それから数日後、ティリオは旅の支度を整え、長らく暮らした湖と山を後にした。


───

旅立ちから二日目、ティリオは街へ向かう山道を進んでいた。

岩肌の続く峠道の中腹。風が運ぶ異臭に、ティリオは立ち止まった。


焦げた毛皮、血のにおい、そして――人の恐怖の匂い。


「……魔物か」


すぐさま駆け出す。人の姿ながら、山道を走るその速さは馬をも凌駕する。


視界が開けたところに、倒れた馬車と魔物の姿が見えた。

二足歩行の獣――牙をむき、馬車に向かって唸り声を上げている。従者らしき者が剣を構えるも、腰が抜けて動けていない。


ティリオは言葉を発することなく、ただ加速した。


そして、振り上げた拳を迷いなく叩きつけた。


ドガン!


魔物は空を飛び、数メートル先の岩壁にめり込み、動かなくなった。

一撃。抵抗の隙も与えない、完璧な打撃。


その場にいた全員が息を呑んだ。


「……倒した、のか?」


「まさか、一人で……」


従者たちのざわめきを背に、ティリオは魔物の死骸に目もくれず、未だに無事な馬車へと歩み寄った。


「怪我人は?」


その声に反応するように、馬車の扉が開いた。

中から姿を現したのは、上品な淡いピンクのドレスをまとった少女だった。


光に透ける栗色の髪、気品を感じさせる佇まい、そして真っすぐにこちらを見る瞳。

間違いなく“いいところのお嬢様”だとわかる外見だったが――


ティリオは、態度を変えなかった。


「お前も、無事か?」


「ええ、助かりました」


少女はドレスの裾をつまみ、優雅に一礼する。


「私はリリス・エストレーリャ。危機を救ってくださって、感謝いたします」


そのとき、少女の背後から従者が現れ、怒気を含んだ声を発した。


「お嬢様、このような無礼な男に――!」


「エドガー、やめなさい」


少女――リリスは、静かに制した。その声には、従者が即座に口をつぐむだけの威厳があった。


「従者が失礼しました。お礼を申し上げます」


「礼など必要ない。……通りがかっただけだ」


「ふふ、あなたはお名前を?」


「……ティリオ」


「ティリオ様、ですね。お一人で、街へ?」


「リュミエール学園に向かっている」


リリスはその言葉にぱっと表情を明るくした。


「まぁ、それは偶然ですわ。私も今期から入学する予定なんです。一般科ですけど」


「……“一般科”?」


「学園にはいくつかの課程があって、私は学問や教養を中心に学ぶコースに進みますの。あなたは?」


「騎士科と聞いている」


「騎士志望、なんですね。なら、同じ学園に通う者として、ご一緒しませんか?」


「……歩いた方が早い」


「ふふ、それはそうかもしれませんけれど――馬車の中で、騎士学園のことをいろいろとお話しできますわ。知らないより、知っていた方が有利でしょう?」


ティリオは数秒、沈黙した。


(確かに、街や学園のことは知らぬ。ならば、学ぶべきだ)


「……わかった」


そうして、ティリオは初めての“馬車”に乗ることとなった。


がたがたと揺れる車体にわずかに眉をひそめながらも、彼は真剣な表情でリリスの話を聞いていた。


彼女は彼の正体が竜であることを知らない。

だが、その純粋な言葉と好奇心は、ティリオにとって心地よいものだった。


目的地、リュミエール学園。

そこから、彼の新たな物語が本格的に動き出す。



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