第13話【竜騎士の誓い】
学園の昼下がり。
食堂の窓から差し込む光が、木の机をきらきらと照らしていた。
そこに集まっているのは――ティリオ、クレイン、リリス、フィリア、そしてミア。
「でね、それで先生が本気で慌てちゃって……!」
フィリアが身振り手振りで話すと、リリスが口元を押さえて笑う。
「ふふ、それは見てみたかったわ」
そんな和やかな空気の中、ミアはパンをちぎりながらぼそりと一言。
「……あの先生、声裏返ると、ちょっと猫みたい」
「くっ、ふふっ……!」
そのつぶやきがツボに入ったのか、リリスとフィリアは肩を揺らして笑った。
クレインも思わず頷く。
「……わかる。ちょっとかわいかったよね」
ミアはにへっと小さく笑い、いつの間にかティリオの隣に寄りかかっていた。
それを見ていたクレインが、ぽつりと呟く。
「いいなぁ……ティリオの隣、落ち着くんだろうな」
「……なんか言ったか?」
「な、なんでもない!」
⸻
そんな輪の中に、転校生であるアレクが加わった。
初めて学園に現れたときから、誰にでも柔らかく微笑み、自然に距離を縮め、ティリオ達の輪にも驚くほど自然に入っていった。
「へえ、これが学園の食堂か。噂通り賑やかだね」
「アレク、ここ座りなさいよ。ほら、余ってるでしょ」
フィリアが勧めると、アレクは礼儀正しく頭を下げて席に着いた。
「ありがとう。……あ、自己紹介がまだだったね。僕はアレク。これからよろしく」
その笑顔に、ミアでさえ警戒心を見せず、こくんと小さく頷いた。
「……ミア」
「うん、よろしく、ミア」
どこまでも自然で、押しつけがましくない。
気づけば、場の空気はさらに柔らかくなっていた。
⸻
「ねえ、アレクってどこから来たの?」
リリスが尋ねると、アレクは少し考えてから答える。
「内陸の小さな村だよ。ここほど大きな街じゃなかったけど……竜騎士に憧れて、この学園に来たんだ」
「竜騎士に?」
「うん。子供の頃、空を翔ぶ姿を一度だけ見たことがある。それがずっと忘れられなくてね」
その言葉に、クレインが目を輝かせた。
「竜か……! 俺も竜騎士になれたらなぁ」
その一言で、周囲の空気が少し変わった。
竜騎士――その名は、この国の若者にとって憧れそのものだった。
だが同時に、それが“夢”であることも皆が知っている。
竜騎士になれるのは、ほんのひと握り。
王国が管理する“試練の山”で竜に選ばれなければ、その道は閉ざされる。
多くの者は挑戦することすら許されず、また挑んでも――選ばれることはない。
「竜騎士は騎士の中の騎士……選ばれた者しかなれない。だからこそ、誰もが憧れるんだ」
リリスの言葉に、フィリアが小さく肩をすくめた。
「でも、だからって貴族派が『自分たちの家から選ばれる』って言い張るのは鼻につくのよね」
「……ふふ、それは否定できないね」
アレクが苦笑し、場が和らぐ。
ティリオは黙って皆を眺めていた。
(竜に“選ばれる”か……)
その言葉に、妙な感覚が胸の奥に残っていた。
⸻
こうして、ティリオの周囲には新しい仲間が自然と集まっていった。
食堂で、訓練場で、図書館で。
アレクはいつも誰かの話に耳を傾け、時に助言をし、時に冗談を言って場を和ませた。
「アレクって、ほんと大人っぽいよね」
クレインがぼやくと、リリスも頷く。
「落ち着いてるし、誰にでも優しいし。なんだか……先生みたい」
「……ふふ、買いかぶりすぎだよ」
そう言ってアレクは笑った。だが、その瞳の奥には、一瞬だけ深い影が差していた。
それに気づいたのは――やはりティリオだけだった。
数日後。
学園における特別授業――「竜騎士学」が始まった。
教壇に立ったのは白髪の老教官。
「よく聞け。竜騎士とは、竜と騎士の絆を結ぶ者だ。ただ力ある竜を従えるのではない。竜に認められる心を持たねば、竜は決して翼を貸さぬ」
竜と契約を交わした騎士は、並ぶ者のない戦力となる。
国家の象徴にして最高戦力、それが竜騎士。
その存在は、この王国の歴史そのものと言ってよかった。
貴族派の生徒たちが胸を張る。
「竜に選ばれるのは高貴な血筋だ」
「我らが家にこそ、その資格がある」
対してクレインやフィリアは小さくため息をつく。
「血筋じゃなく、心だって言われてるのにね」
「でも実際、今の竜騎士はみんな貴族出身だし……難しいところね」
その後、教官は声を張った。
「今日は特別に、現役の竜騎士を招いた! これより実地訓練を行う!」
ざわめきが広がる教室。
生徒たちの視線は一斉に、扉の方へ。
重厚な扉が開かれると同時に、広間の空気が一変した。
鎧を纏った竜騎士と、その背後に従う竜の姿――。
灰色の鱗に覆われた大きな竜が、静かに足を踏みしめる。
その存在感だけで、教室のざわめきは一瞬にして消え去った。
「……これが、王国竜騎士の竜……」
フィリアが息を呑む。
竜は確かに巨大だが、ティリオの知る“野に生きる竜”とは違っていた。
山で育てられ、人と契約を結ぶために訓練されてきた竜――。
その鱗は淡く灰色を帯び、威圧感よりも制御の利いた力を感じさせた。
「ほら見ろ。竜は我ら高貴なる者を認めるのだ」
ユリウスを筆頭に、貴族派の生徒が胸を張って前に出る。
「いずれ我らが竜に選ばれ、真の騎士となる」
だが、その言葉に竜は一切反応を示さなかった。
低く唸るでも、視線を向けるでもなく、ただ静かに竜騎士の隣に佇んでいる。
「……相手にされてないわね」
フィリアが小声で呟くと、貴族派の生徒たちは不快そうに顔をしかめた。
⸻
一方、ティリオはじっと竜を見ていた。
竜の褐色の瞳が、ふいに彼と交わる。
――わずかに首が垂れた。
竜が人に頭を下げるなど、本来あり得ない。
だがその仕草は、同族として、格上に対する礼に他ならなかった。
(……やはり、気づいたか)
ティリオは何も言わず、ただ視線を逸らした。
その場を取り繕うように小さく息を吐く。
竜騎士も、生徒たちも、その一瞬のやり取りに気づく者はいなかった。
ただひとり、隣に立つアレクを除いて。
⸻
授業の後半。
竜騎士が生徒たちの質問に答え終えた頃、アレクはふとティリオに声をかけた。
「……なあ、ティリオ。俺、竜騎士を目指してるんだ」
1度聞いたアレクの夢の話を思い出す。ティリオは無言でアレクの顔を見た。
アレクは照れくさそうに笑った。
「小さい頃からの夢なんだ。正義のために竜と並び立つ――それが俺の目指す騎士の姿だ」
ティリオはしばし言葉を失った。
夢。
竜に選ばれることを望む、人の願い。
その真っ直ぐな瞳を見て、胸の奥に得体の知れない感情が広がっていく。
⸻
授業の最後に竜騎士は言った。
「竜に選ばれるのは、血筋ではない。
心の在り方だ。
それを忘れるな」
貴族派は唇を噛み、実力派は目を輝かせる。
生徒たちそれぞれの胸に、新たな火が灯った瞬間だった。
ただ一人、ティリオだけは黙したまま。
目を閉じて――自分の中の竜が静かにざわめくのを、感じていた。
竜騎士と竜が去ったあとも、講堂には重い余韻が残っていた。
生徒たちはそれぞれの胸にざわめきを抱えたまま、三々五々と談笑を始める。
「見たか? 竜のあの眼差し……!」
「本物を前にしたら、体が勝手に震えたわ」
実力派の生徒たちは興奮冷めやらぬ様子で声を弾ませている。
一方で、貴族派の面々は苦々しげな顔だった。
「……どうして竜は、我らに目を向けなかったのだ」
「所詮、まだ正式な試練に臨んでいないだけだ。いずれ我らが選ばれる」
言葉では強がっていたが、その瞳には揺らぎが見える。
ユリウスは黙ったまま立ち去った。
彼の背中からは、苛立ちと焦りが滲み出ていた。
⸻
「すごかったよね、竜!」
中庭に出ると、クレインが相変わらずの調子で無邪気に声をあげた。
「灰色の鱗なのに、光に照らされると銀色に見えた! ああいうの、なんか好きだなあ」
フィリアは腕を組み、真剣に分析する。
「野に生きる竜とは違う……でも、それはそれで美しい在り方よね」
「竜に選ばれる資格は、心の在り方か……。なら、誰にでも、俺たち平民にだって希望はある」
クレインその声には、わずかに震えるような力強さが宿っていた。
ミアはといえば、ベンチに腰かけて小さな欠伸をしていた。
「ん……竜って、匂いがあったかいね」
「お、お前……嗅いだのか?」
クレインが目を丸くするが、ミアは眠たそうに肩をすくめる。
「うん、安心する匂い……ティリオと似てる」
その一言に、場が一瞬だけしんと静まった。
ティリオは苦笑いを浮かべて頭をかいた。
⸻
「……なあ、ティリオ」
少し離れた場所で、アレクが声をかける。
「お前、竜のこと……どう思った?」
「どう、とは?」
ティリオが問い返すと、アレクはしばし黙って、やがて静かに微笑んだ。
「俺は……やっぱり竜騎士を目指したいって思った。今日、確信したんだ」
「……夢、か」
「そう。俺にとっては夢なんだ。正義を貫くためのな」
ティリオはその言葉を胸に刻むように聞いていた。
アレクの真っ直ぐな瞳には、迷いも偽りもなかった。
(夢、ね……)
自分にはなかったもの。
竜である“本当の自分”を隠しながら過ごす日々の中で、初めて芽生えた小さな疑問。
――もし、自分にも夢を持てるとしたら?
答えはまだ見つからない。
だが、アレクと視線を交わした瞬間、心のどこかでわずかに熱を覚えた。
その夜、学園の寮の廊下では、生徒たちの話し声がいつまでも止むことはなかった。
「竜騎士になるのは俺だ」
「いや、私のほうが」
貴族派も実力派も、互いに刺激を受けて火花を散らしていた。
だが、その中で――ひとり静かに机に向かっていたのはユリウスだった。
彼の瞳には、冷たい決意が宿っていた。
「……必ず証明してみせる。家の誇りこそが、竜に選ばれるに値することを」
そして、静かな夜が更けていく───