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銀鱗の竜は、人の道を往く  作者: 空飛ぶペンギン
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第11話【火種と眠り猫】

森での実地訓練から数週間。

季節は進み、学園の空気は日に日に冷たく張りつめていった。


剣術の稽古、魔法の演習、学科の講義――どこかぎこちなくなった空気の正体は、言うまでもなかった。


貴族と平民。

建前では平等とされているはずの学園で、両者の“見えない壁”は日増しに厚みを増していた。


 


「……そこは我々が使う教室だ。下々の者が踏み入るべきではない」


午前の講義前。上級貴族の生徒が、淡々と平民の生徒たちを教室から追い出す。


「でも、先生は空いているところに――」


抗議しかけた平民の少年は、その冷たい視線に圧されて言葉を飲み込んだ。


こんな場面が、日常になりつつある。


 


だが、全ての者がそれに従っているわけではない。


「……威張るだけで剣もろくに振れないくせに、偉そうね」


模擬戦の場。フィリア・ウォールディアは相手の貴族派の剣を鋭く打ち払い、冷ややかに言った。


そしてもうひとり、堂々と声を上げる者がいる。


「家柄は手柄じゃないわ。誰かの功績で威張るくらいなら、自分の力で証明してみせて」


リリス・エストレーリャ。その凛とした言葉は、多くの平民生徒に勇気を与えていた。


──学園内は今、二つの派閥に分かれていた。


一つは貴族派。

血筋と家柄こそが騎士の本質――そう信じる者たち。

「騎士は高貴な家に生まれ、その環境で育つからこそ品格を得る」と考え、平民を明らかに下に見る者も少なくない。

彼らにとって学園は、力を磨く場であると同時に“身分の差を確認する場所”でもあった。

その象徴が、ユリウスをはじめとする古くからの名門の生徒たちだ。


 

もう一つが実力派。

対して「強さこそが騎士の証」と信じる者たち。

家柄よりも技、血筋よりも心を重んじる。

中には名門の出ながらもこの思想を掲げる者もおり、リリス・エストレーリャやフィリア・ウォールディアがその代表だ。

平強さと信念があれば対等――それが彼らの旗印だ。


両者は表立って争うことは稀だが、授業の組分け、模擬戦、教室や設備の使用など、あらゆる場面で火花を散らす。

その衝突は小さくとも、確実に学園内の空気を熱くしていた。



だが――


実力派の最大の欠点は“統率力”のなさだった。思想は共有していても、立場も背景もばらばら。

一枚岩ではない彼らは、組織だった貴族派にはどうしても押されがちだった。


 


そんな渦中でも、あるひとりの生徒だけは、騒動の外にいるかのようだった。


ティリオである。

異質な実力を持ち、派閥争いにも、誰の言い分にも、積極的に首を突っ込むことはなかった。


ただ傍観し、必要なときに剣を振るう。それが彼のスタンスだった。


 


――そんな彼の隣に、いつの間にか居ついていたのが、小柄な少女だった。


「ここ、安心する……」


ミント色の髪をしたその少女は、いつも大きな帽子を被っていた。人との距離感は妙にゆるく、ふにゃりとした笑みを浮かべてはすぐにうたた寝してしまう。


名前はミア・ニーベル。


まるで猫のような気まぐれさを持つその少女は、気がつけばティリオの隣にいて、彼と同じ空気をまとっていた。


ティリオは、彼女が“獣人”であることに気づいていた。

匂いと気配で、それはすぐに察せられた。


だが、彼はあえて何も言わなかった。

彼女がそれを隠している理由も、黙っていることの意味も理解していたから。


 


――そして、事件は起きた。


その日の昼休み、中庭で。

フィリアとリリスは、貴族派の中心格であるユリウスと数人の貴族生徒に正面から意見をぶつけていた。


「貴族の尊厳?笑わせないで。人を踏みにじるのが誇りっていうなら、そんな名は地に落ちて当然よ」


「この学園は、“学ぶ”ための場所のはず。選民思想を振りかざすなら、貴族の塀の中で寝てなさい」


フィリアとリリスの強い言葉に、貴族派の生徒たちの顔色が険しくなる。


そのとき――


「なにを……ッ」


感情的になった一人の貴族生徒が、リリスに詰め寄ろうとした拍子に、通りすがりにいたミアにぶつかってしまった。


「きゃっ……!」


軽い悲鳴とともに、ミアは転倒。帽子がふわりと宙に舞った。


 


次の瞬間。


露わになったのは――ミアの頭に生えた、丸くふさふさした猫の耳だった。


ざわめきが、瞬く間に広がる。


「……あれ、耳……!?」

「まさか、獣人……?」


一気に凍りつく空気。

誰もが息を飲んだまま、ミアを見つめる。


彼女は、動けなかった。帽子を拾い上げようとする手が、小さく震えていた。


 


そして、その場に静かに割って入った者がいる。


ティリオだった。


「……退け」


ただ一言。低く、淡々と。

それだけで、空気が変わった。


彼の金の瞳が、貴族生徒たちをまっすぐに見据える。


目に見えぬ圧が、周囲を支配した。

誰もが動けず、言葉も出ない。


ティリオはしゃがみこみ、ミアの帽子を拾って渡す。


「……ほら」


ミアは、ぎゅっと帽子をかぶり直し、顔を伏せたまま小さく呟く。


「ごめん……迷惑、かけた……」


「別に、お前が悪いとは思わない」


ティリオの言葉は、それだけだった。だが、その静けさが何よりも強い“否”を突きつけていた。


 


フィリアも、静かに立ち上がる。


そしてリリスもまた、何かを噛みしめるようにミアを見つめる。


 


波紋は、確かに広がった。


けれどその中心で、ひとつの“立ち位置”が明確になり始めていた。


異質で、強くて、優しい存在。

名も無き一人の少年が、“この学園の均衡”に風を吹かせようとしていた。



― 間章


獣人であることが露見してから数日。

ミア・ニーベルの周囲を取り巻いていた微妙な空気は、少しずつ形を変えていた。


恐れ、好奇、偏見――そういった目はまだ完全に消えたわけではない。

けれど、それ以上に彼女の人となりを知る者たちは、少しずつその輪を広げていた。


 


今日の昼休み、中庭のベンチでは、珍しく賑やかな声が響いていた。


「……へぇ、それで寮監に見つかって説教されたってわけね」


呆れたように笑うフィリアの声。


「だって、消灯時間っていちいち見てると逆に寝られないじゃん……」


木陰の芝に寝そべりながら、ミアが帽子を目深にかぶったままぼやく。


「すごい理屈……! それで正当化するとは……」


思わず吹き出したのはクレイン。

芝に座った姿勢で、膝を抱えながら楽しそうに笑っている。


「でもさ、それって裏庭の方だったよね? 私、寮の窓から見たかも」


と、リリスが頬杖をつきながら思い出すように呟いた。


「えっ、えっ……もしかして、あの時……?」


ミアが身を起こして振り向くと、リリスはふっと微笑んだ。


「顔も名前も、前からなんとなく知ってたのよ。一般科の方で、いつも屋根の上で昼寝してる子って」


「……あ、それ、たぶん私だわ」


ミアが帽子のつばを少し下げると、皆の笑いが重なった。


 


和やかな空気。

身分も種族も違う、だけど心地よい時間。


「ねぇ、これってさ……」


ぽつりとクレインがつぶやいた。


「……なんか、いいね。こういうの。うらやましいな、ティリオ」


クレインの視線の先にいるのは、少し離れた木陰のベンチに座るティリオだった。


相変わらず静かに本を読んでいた彼の隣には――

気がつけば、ミアがいつの間にか移動して座っていた。


「……あれ? いつの間に……?」


「ん。なんか、ティリオの隣って……落ち着くんだよね」


ミアはあくび混じりに答えながら、気がつけば彼の肩に頭を預けていた。


 


ティリオは、といえば。

その様子を特に気にするでもなく、黙々とページをめくっている。


「……なんて自然な……」


呆然とつぶやくクレインに、フィリアとリリスがくすりと笑う。


「まあ、ティリオって“誰でも受け入れてる”ように見えて、“誰も寄せつけてない”って感じだったけど……」


「ミアには、何か通じるものがあるのかもしれないわね。ふにゃっとした感じとか」


「いやいや、あのふにゃ感は唯一無二でしょ……」


 


陽だまりの中で、風が柔らかく通り抜ける。


それは確かに、まだ不安定な学園の中で、小さく灯った一つの“居場所”だった。


それぞれ違う形で孤独を抱える者たちが、少しずつ隣り合い、言葉を交わす。


笑い合い、寄り添うように。


――それがどれほど貴重で、尊いものか。


きっと、ティリオ本人だけが、まだ気づいていない



閑話 ― ミア・ニーベルという少女


 


人の姿をしていても、耳の形一つで、世界は変わる。


 


――小さな頃、ミアはよく夢を見た。


草原を駆け、風に乗って走る夢。

誰かと並んで笑っている夢。

何のしがらみもなく、ただ自由に跳ね回る夢。


目覚めたあと、そうでない現実が訪れるたびに、夢の中の自分が遠く思えた。


 


かつて、獣人という種族は「使役種」として扱われていた。


特にこの国、〈ラストリア王国〉では、その制度が最も長く続いた土地の一つだ。


見た目は人間に近いが、鋭い感覚と身体能力を持つ獣人は、戦場でも労働でも、便利な“道具”として利用された。


「人に仕えることが自然」――


そんな歴史が、何世代にも渡って刷り込まれ、文化になり、差別へと変わっていった。


今でこそ奴隷制度そのものは禁じられている。

けれど、目に見えぬ“下”の意識は、なお根強く残っていた。


 


街を歩けば、警戒の目。

店に入れば、棚の裏に隠れる店員。

隣に立てば、半歩離れる誰か。


子供だったミアには、そのすべてが「なんとなく分かる」ものだった。


そして次第に、帽子が、襟が、言葉が、彼女の防壁になっていった。


 


「この国じゃ、まともに生きられないよ」


獣人の里を出る時、姉はそう言った。

人と対等に暮らしたいなら、北の自由都市群か、西方の連合王国の方がずっと生きやすい、と。


ミアもそう思っていた。

――でも。


(私、この国に、来たかったんだ)


 


学園の存在を知った時、胸の奥がざわめいた。


どんな身分でも、実力で道を切り開けると、そう掲げられていたから。


実際には、貴族の派閥も偏見も、今も根深く残っている。


それでも。


「やってみたかったんだ。どうしても」


ミアは呟く。


 


たとえ忌まれようとも、恐れられようとも――

笑って、夢を語って、並んで歩ける未来が、もしあるのなら。


この学園でそれを見つけたかった。


 


少し前の自分なら、そんなこと口にするのも怖かった。


けれど、あの日、帽子が風に飛んで、正体が露見して――

それでも、傍に立ってくれた人たちがいた。


睨んでくれたフィリア。

驚きながらも笑ってくれたクレイン。

少し距離を取りながらも、真正面から声をかけてくれたリリス。


そして。


「……何も変わらない」


そう言ってくれた、金の瞳の少年。


 


ミアは、空を見上げる。


雲一つない、澄んだ蒼。


かつて見た夢の中の空と、よく似ていた。


 


(……もしかして、もう始まってるのかもね)


 


ひとりの獣人の少女が、かつて恐れていたこの国で、

小さく、確かに、“仲間”というものを手に入れようとしていた。


 


そのことを、誰も知らない。

でも、それでいい。


 


たったひとつ、彼女はそっと心に誓った。


――もう、誰かの下じゃなくていい。


今度は、自分の足で歩いていくんだ。



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