第3章1
王家が支配し、白の教会で魔導師が魔法を操り、魔物が徘徊する世界。修行僧のイオは、成人の修行の旅に出ていた。道中知り合ったサリューという修行の騎士と一緒に貧窮した旅を続ける。ひょんなことから不思議なリュートをもらい、路銀のために街道の辻で大道芸をしているところをサリューを追って来た一団に捕まった。サリューは一国の姫だった。
第三章
「お姉ちゃん、美人だね。酒をくれないか」
老剣士が注文する。がっしりとした巨体に、豊かな白いひげを蓄えた豪壮な男は、給仕に来た宿の女に色目を使っている。
「まだ昼ですよ。バロス殿」
脇から五十過ぎのふくよかな体型の女性がぴしゃりといさめた。
「いいじゃないか、乳母殿。仕事が終わった後くらい」
「なりません」
イオは二人の会話を聞きながら、ようやくことの事態が飲み込めてきた。追手と思った人たちはサリューの城の者たちだった。老剣士はバロス、剣の名手としてその名の轟いた騎士だ。噂では一撃で魔物を十数匹、叩き切ったとか。一人で魔の森に入り、魔族を追いだした話は、イオも子守歌代わりに聞いていた。イオは勝手にその騎士を清冽で高貴、勇猛果敢な男だと思い込んでいた。
バロスは見かけはいかにも強そうな躯体に、こげ茶色の剛毛を荒く束ね、太い眉の下には赤茶色の力強い瞳のいかつい顔立ちだが、中身といえば給仕の女性に声をかけるわ、昼というのに酒を欲しがる。ただの酒好き女好きの親父と変わらない。
場を仕切るのは乳母のセスだ。茶色の瞳は暖かさをたたえ、灰色の長い髪をゆったりと結い上げて頭の上でまとめている。さんざんセスからお小言を喰らったサリューは大人しく椅子に座っていた。脇で少女が泣いている。年の頃はサリューより少し年上のようで、背丈は同じくらい、黒い髪と同じ黒い瞳を持つ。そばかすが目立つことを除けば、姿形、顔立ちはサリューになんとなく似ている。
「イサは心配で、心配で……」
イサの泣き声にサリューは困ったように頬杖をついている。ときどきちらっとイサを見ては、はあっと深いため息をつく。
さすがに往来で泣きごとや立ち話をすることもできないので、一行は手近な宿に入っていた。もちろん貴族以上の身分の人間が泊まる格式のある宿だ。奥に大きな部屋があり、手前に従者のための小さな部屋が二つ付いている。イオはこんな贅沢な宿に泊まったことがなく、落ち着かない。
「早く国に戻りましょう。国王陛下も酷く心配なさっておられます」
「どうせお父様はあたしが旅をしたってなんとも思っていないわ」
「そんなことはございません。それに一国の姫ともあろう御方が供も連れずに、旅をなさるなど」
セスはしつけに厳しいらしい。
「あ、一人じゃないよ。ほら、法師が一緒だったし」
「ダメです。姫というものは勝手に国から出ることは許されておりません」
「だってお姉様たちは……」
「姉姫様方は御婚礼のために国を出たのです」
セスに言われてサリューは仏頂面で押し黙った。姫は国から出ることはおろか、王城から出ることも許されていない。夏の離宮での避暑、や斎宮詣でなどの限られたときだけ、伴を連れて城を出ることもあるが、国王の認可がいる。
「姫様、今日はここに宿をとることにして、明日は早速国に戻りますからね。だいたいこんな所を人に知られでもしたら、大変なことになります。あくまでも貴族の娘として御振る舞いください」
「貴族ならこんなにお伴はいないわよ」
「姫様!」
一喝されて、サリューはしぶしぶ帰ることを了承した。
「わかったわよ、まったく。戻ればいいんでしょ。セスはうるさいんだから」
「姫様、なんて悲しいことをおっしゃるのです。今は亡き王妃様がいまわの際でわたくしの手を取って、サリュキュリアのことを頼みますと、言い残されたのです。わたくしはその時、この身にかえてでも姫様をお守りいたしますとお誓い申し上げました。わたくしの命ある限り、姫様を可憐で気高く、気品あふれた姫君にお育て申し上げねば、王妃様に申し訳が立ちません」
もはやセスの言葉は涙声である。さめざめと泣いているイサと不協和音を奏で、フーガのように繰り返す。
「おい、若いの。男はこっちで休むか」
バロスに誘われてイオは控えの小部屋に入った。従者の部屋といってもふかふかのベッドに豪華な調度が置かれ、細工の施されたランプが灯っている。バロスはマントの下から何かを取りだした。
「ま、一杯やるか」
「それってお酒ですか。でもさっきセスさんが……」
「ばあさんの言うことは気にすんな」
確かセスの前では乳母殿と呼んでいたのではなかったか。このオヤジ、セスの目を盗んでちゃっかり酒を手に入れていた。
「あの、あなたは本当にバロスさんですか。騎士バロス、天下に無双の剣の使い手という……」
「そうだ、おれがバロスだ。これでも若いころは魔物の十匹や二十匹、まとめて始末したこともある。街に行けば若い女の子が、キャアー、バロス様って黄色い声をあげて追いかけてきたもんだ」
がははと高笑いして酒をあおる。
「ただのオヤジじゃないか」
「何……」
きっと睨まれ、イオはあわてて何でもないですと笑ってごまかす。飲んだくれの年寄りに見えるが、それにしては、さっきの剣さばきの鋭さは侮れない。サリューが止めなければとっくの昔にイオは串刺しになっていた。
「時にお前さん、本当に魔法使いなのかい」
「はぁ、どうも自信ないんですけど。ちゃんと呪文を唱えて印を結んでいるというのに、出てくるのは魔物ばかりで」
自信ができるはずもない。魔法使いの仕事は魔物を退治することなのに、魔物を出す白の魔法使いなど前代未聞だ。
「お前さん、どうもとんでもない星を背負っているようだな」
「皆さん、そうおっしゃいます」
「法師なんていいとこのガキだと相場が決まっているが、さっきの話じゃあ、食うや食わずで彷徨っていたとか」
イオは今までのいきさつをかいつまんでバロスに説明した。確かに法師は貴族や裕福な商家の子供であることが多い。法師は妻帯することが出来ない。だから弟子を取り、魔法使いになるように育てる。正式な法師となり二十五歳を過ぎると、弟子をとることができる。その師匠をメンターと呼び、弟子を育て指導し親代わりにもなる。
法師の身分は貴族と同列であり、教会が生活と身分を守っている。それゆえ、貴族や商人は自分の子供を法師にしたがる。法師になった者は自分の親族から弟子を取り、また貴族たちは親族の法師に自分の子供を預けようとする。その際裏で多額の金が動くとも、メンターに対し、謝礼金が支払われるとも言われている。教会に上納金を納める貴族も多く、自然魔法使いには裕福な家の出の者が集まる。その結果、教会は血族で固まり、有力な後ろ盾を持つ者は出世も早く、権力を握る。その力にあやかるために貴族たちはさらに自分の子弟を教会に送り込む。出身の貴族のランクで、自然と教会内のランクも決まってくる。力のない貴族や商人の出身だと、教会は冷たい。
マーリオのように何の後ろ盾もなく、己の才覚で教会の要職に就く者は珍しい。さらに自らの血族でもない他人の子供、イオのような孤児を引き取ることは異例中の異例だ。マーリオは孤児のイオを拾ってきて育てただけでなく、その他に数人の孤児を弟子にしている。
「いいメンターに出会って良かったな」
「それがそうでもないんです。おれ、ちゃんと魔法が使えないし」
「それがさっきの化け物か」
「あのくらいなら可愛いものです。室内でザルド(うろこに覆われた牛のような形の巨大な化け物。背中に太いやりのようなとげが並び、人の背丈ほどの太さのある足で、家など簡単に踏み潰す)を出したり、飛竜を出すつもりがワイバーンだったり、ほんの小さな明かりのための光を出そうとして、溶岩を噴出させたことさえあるんですよ」
「そいつはおっかねえな。よく教会が潰れなかったもんだ」
「それは大丈夫です。おれの魔法は数分しか持ちませんから」
不幸中の幸いというべきか、イオの魔物は現れても数分で消えてしまう。たいていは五分持てばいい方で、二、三分の幻のようなものだ。
「それより、あのお姫様はどのような方なんですか」
「サリュー姫か」
「あの、サリュキュリア姫では……」
確か、セスがそう呼んでいたはず。
「そんな長ったらしい名前、舌を噛んじまうだろうが。いい姫様だよ。きっぷはいいし、明るく豪放磊落、剣を取れば並みいる騎士でも歯が立たない」
「それは姫の素養では……」
イオは呆れて大きく口を開いた。少しは姫らしい一面を聞けるかと思いきや、これでは武術大会に出る騎士の口上と同じだ。
「そうだな、本来は双子のエクゥード王子の資質でなければならないんだが、こいつがまた弱虫、泣き虫、困った王子で、まあ、姫と王子は見かけがそっくりで区別がつかない。おれが城に招かれたのは軍隊の武術師範という名目だったが、あそこの軍はチンケなもんでな、それでおれの仕事は王子の指南役になった」
「エクゥードって、あ、そうか。エドって言っていた兄って、エクゥード王子様のことなんだ。で、王子様はお強くなられたわけですね」
「全然」
バロスは大仰に手を広げた。
「そっくりなもんだから王子は姫を身代りにして剣の練習場に送り込んだのさ。おれも騙されて結局姫に剣を教えちまった。ま、大きくなったらおれでも見分けがついたがな。それでも姫はあれでえらく剣の筋がいい。面白くなって教え込んだわけだ」
嬉しそうに高笑いをして酒をあおる。普通、姫に剣を仕込む指南役がいるか。このいい加減な親父のおかげであのやんちゃな姫が生まれたのかもしれない。
一国の姫とバレたサリュー。そのお付きの者たちと共にに国に帰ることになった。それに同行するイオ。これからは安寧な旅になるのか。まだまだ旅は続く。暗雲も続くのか。