第二章3
王家が支配し、白の教会が魔法で魔物を駆逐する世界。教会の修行僧イオは成人になるための修行の旅に出ていた。しかし初秋というのに魔物が出す豪雪で行き倒れた。それを救ったのは同じく見習いの修行の旅をする騎士サリュー。2人は魔物によって雪に閉じ込められた村を救ったが、イオは魔導しながら白の魔法も使えない落ちこぼれ。出せるのは異形の魔物、それを使って魔物を滅したため、逆に魔物を出す魔族と思われ村を追い出される。魔物退治の礼をもらうアテが外れ、路銀もないまま、さすらう羽目になる。近くにあった教会で施しを受けようとして教会の先輩サマールに追い出された。かつての仲間がわずかばかりの金を分けてくれたので、サリューとともに街道筋の宿屋に入りいく日ぶりかのまともな食事にありつく。そこに不思議なリュートがあった。
曲が二十を超えたころ、さすがに宿の主人がサリューを気遣ってお開きにした。客は口々に礼を言い、帰って行く。
「騎士様。素晴らしい曲をありがとうございます」
「それほどでも」
宿屋の主人の讃辞に、サリューはまんざらでもないようにはにかむ。
「いえいえ、今まで多くのお客様を迎えてきましたが、あなた様ほどの腕のお方はめったにおいでになりません。この楽器は旅の吟遊詩人が持っていたものです。でも泊まっていた部屋から姿を消して、この楽器だけが残されていたのです。喰い逃げにしてはこんな綺麗な物を置いていくわけないし、かといって行方は分からない。とりあえずこの食堂に飾っておいたのですが、村の誰もこんな上等な楽器を弾けず、もう随分長い間、埃をかぶっていたのです」
「へぇ、それにしては調律の必要もないくらい、きちんとしていたけど」
「調律、そんなことが必要なんですか。私どもの手には負えませんね。そうです。騎士様、それをお持ちになりませんか」
「だってこれ、吟遊詩人さんのものでしょう」
「やっぱり喰い逃げだったんでしょう。宿代のかただと思えばいいのですよ。それとお二人は旅の途中でしょう。今宵の宿はお決まりですか」
「いえ、正直言いますと、私たちはこれしかお金を持っていないのです。これではどこの宿に泊まることもできません」
イオが銀貨を差し出した。
「そうですか。ではさっきの曲のお礼です。今日はうちにお泊まり下さい」
主人の案内で二人は部屋に通された。ベッドが二つ置かれていて、他に家具はない。
「ベッドだ」
思わず寝ころんだ。イオはここしばらく、ベッドで寝ていない。ローブを羽織って木陰で寝るのが常だった。
「うわー、柔らかい。ここで寝られるんだ。幸せだなぁ」
「良かったね」
サリューもベッドに腰をかけて伸びをした。
「そうだ、この宿、湯屋があるみたいだ。一緒に行くか」
「あ、いい、後にするから」
サリューが奇妙にあわてたが、イオは気に留めず屋外にある湯屋に向かった。もう随分長い間、まともに湯を使っていない。
湯屋はそれほど大きくない。数人の泊まり客が湯につかっていたが、イオとすれ違いに出て行った。もうだいぶ夜も更けている。旅人は朝が早い。その分、夜は早く寝る。当然湯屋に人が少ないのだろう。
イオは湯船の中で思いっきりその体を伸ばした。どこにでもあるありふれた浴場だ。石で組まれた四角のくぼみに湯が張られている。ここは地下から湧きだした湯を引いていると宿屋の主人が言っていた。確かにやや赤みがかった湯の色だ。
頭から何度も湯をかぶり、体の汚れを洗い落とす。教会にいたころは毎日の湯あみが時として面倒になることもあった。今にして思えば、何と贅沢なことだったのだろう。
旅に出てから滅多に湯は使えない。秋に入って朝夕、かなり冷え込んできたというのに、川に入って水を浴び、体を洗う。寒いなどと言っていられない。急いで水を浴び、汚れを落とすと、手早く水を拭き取って服を着る。すぐに焚き火に当たって暖を取らなければ風邪をひいてしまう。秋でさえそうなのだから、冬になったらどうすればいいのか、恐ろしい。
今はゆったりと湯の中で体を伸ばしていられる。これもサリューがリュートの名手だったおかげだ。こんな宿に泊まることができ、湯を使える。この幸運にイオは感謝した。
湯屋から戻ってくるなり、サリューが尋ねた。
「今、湯屋に人はいるの」
「いや、おれが最後だったけど」
「そう、じゃ、入ってくるね」
入れ違いに出ていく。
一人残されたイオはリュートを見た。綺麗な楽器だ。教会にもリュートはある。礼拝の時に楽奏は欠かせない。イオもたしなみ程度には教えられた。つい興味にかられて手に取って爪弾く。それぞれの弦が響き合い、深い音色を奏でる。イオは嬉しくなって自分の知っている曲を奏で始めた。音が飛びかい、室内が震えだす。
「おれ、こんなにうまく弾けたっけ」
不思議に思った時、空間が歪み始めた。
「これは……」
足元が見えない。音が形を取り始め、闇が小さな粉になって降ってくる。すでに宿の部屋ではない。緩やかな曲面を持った大きなうろの中にでも閉じ込められたかの様に、闇がまとわりついてくる。
「何が……」
手元を見る。リュートの弦から闇がさらさらと零れている。
「これは魔物」
あわてて右手で印を結び呪文を叫んだ。
「ワハールナー」
イオの魔法は闇の中に吸い込まれた。魔物すら出てこない。
「ガチャ」
ドアが開いてサリューが入ってきた。一瞬のうちに、闇は跡かたもなく消え、イオはベッドの端でリュートを抱えて寝ころがっていた。
「サリュー……」
「何をぼうっとしているの」
「いや、今、ここに闇が広がっていなかったか」
「寝ぼけてるの。ここは宿の部屋だよ。あ、そうか、変な夢でも見たんでしょ」
サリューは明るくけらけらと笑う。イオも周りを見回したが、闇などどこにもない。リュートも変わりなく、弦から闇は零れていない。
「そうか、夢か」
確かにあんな闇は見たことがなかった。いくらイオが魔物に取りつかれているとはいえ、闇に閉じ込められることなど経験したことも、聞いたこともない。
「それよりもう遅いから寝るよ。ランプの光、小さくしてくれる」
「あ、もちろん」
ランプの灯が落とされる前にサリューは安らかな寝息を立てていた。
リュートの演奏のお礼に宿に泊めてもらえた2人。久しぶりの湯屋で体を洗い、人心地を得た。でもまだ旅は長い。金もそこをついている。この先2人はどうやって旅を続けるのか。そして不思議なリュートは彼らに何をもたらすのか。