第7章5 および終章
王家が支配し、魔道士が魔法を操り、魔物が徘徊する世界。修行僧のイオは姫サリューと共に旅を続けていた。大陸を巻き込む戦争が起き、サリューは特使として奔走する。戦いが収まる気配が見えたので、一旦母国ルマイヤに戻ろうとしたが、そこも南の国の軍が攻め込んできていた。一縷の望み、なんでも望みを叶えてくれると言う伝説の剣、火龍の剣を求めてサリューは魔の山に向かう。イオも教皇の命を受けて火龍の剣を求め向かう。それだけではない、陰謀を成就するために枢機卿や、大陸の覇権を望む王軍も集結する。
大地でサリューはアダマに駆け寄った。切り倒されてなお、アダマには意識があった。
「止めて、戦いを止めて」
「あいつは……何をしている……」
「見えないの」
「空気が震えているのか。あいつは闘っているのだな」
「サマールを止めてよ。もう闘わなくていいでしょ」
「犬だ。あいつは犬だった。言うことを何でも聞いてしっぽを振る犬だった。どんな時も従順についてきたというのに」
かすれる声はとぎれとぎれだ。
「違う、サマールは犬じゃない」
「そう、魔族だ」
「魔族だって人よ。人なのよ。心を持って生きているんだから」
ふっとアダマが笑う。
「何よ」
「そうか、人だったんだな。あいつは。道具じゃなかったんだ。おれの失策だ」
自嘲的な笑いだった。僅かに指先が何かを探している。サリューがその先を見ると法杖が転がっていた。
「これが欲しいの」
「力が、力が欲しい」
「あげる、あげるからサマールを止めて」
上空のサマールは心を飛ばしつくして、剥き出しの幼子になっていた。
「そしてサマールに愛しているって言ってあげて」
サリューは法杖をアダマの手に持たせようと、近づけた。男の指に力は残っていなかった。カランと音を立てて法杖は岩の上に落ちた。
男の魂も堕ちた。
「そんな……」
サリューは法杖を拾った。
「お願い、私の願いを聞いて。戦いを止めて。サマールとイオが闘わなきゃいけない理由なんてないわ」
法杖は何も変化しない。その一片の金鎖すら動かない。印も呪文も知らないサリューに法杖を使えるすべがあろうか。天空には光が交差し、力が飛び散る。明るい銀色の光と、鈍い銀のきらめきが出会う度、空気がかき回され、天地が揺れる。よろよろとリアンが現れた。
「まだ、終わっていないの。あれを止めて」
「ヒュー。またこりゃ、ど派手な……」
二つの光のぶつかり合いが、黒い雲を呼ぶ。あたりは昼間というのに、夜の闇が降りたようだ。
「止めろ、もう止めてくれ」
「いやだ、お前が憎い」
憎悪がサマールの光を彩る。
「なぜ……」
「お前は大切にされた。マーリオはいつだってお前に優しい。おれは、おれは一度としてアダマに抱かれたことはなかった」
慟哭だ。マーリオの声は幼子のように切ない。
「どれほど、お前のようになりたかったか」
これがあれほどまでにイオをいじめたサマールの言葉なのか。イオの方こそ、サマールのようになりたかった。いつだって秀でていて、誰からも称賛の声を浴びていた。たぐいまれな法力と、その秀麗な姿で、誰もが彼をほめちぎる。そんなサマールをイオは羨望していたというのに、そのサマールがイオを妬む。
「希代の天才法師と言われたあなたが……」
イオは光の楯でサマールの攻撃を防ぐのが精いっぱいで、杖を繰り出すこともできない。
「アダマに振り向いてもらいたかった。それなのにおれは道具だった」
悲鳴に近い。そう叫ぶとサマールは天空を焦がすような雷を発する。受け止めた杖がその力を纏い、光の渦を生む。共鳴が始まり、あたりに柔らかな光が漏れる。
「させるか」
「止めろ、もう」
「いやだ」
サマールは一本の矢のようにイオに向かっていく。イオは光の渦を振り下ろした。
静寂が支配した。アダマのそばで銀色の髪を広げてサマールはその身を横たえていた。幼子のような無垢な微笑みを浮かべて、こと切れていた。長い耳も艶やかで美しく、額に生えた角さえ、銀色を帯びて淡く光っていた。
黒曜石の岩は生やしていた竜をその身の内に納め、何もなかったような平板の上にアダマやサマールを戴いている。その脇に銀色に輝く魔の剣が転がっていた。
「お前が勝者か」
地を這う声がした。
「誰よ」
「お前ではない。銀髪の者、お前だ」
「おれが……。お前は誰だ」
「我が息子、よく来たな」
「息子だと……」
イオはセスから渡された杖を握りしめた。杖は大きな力を出し、ぼろぼろになっていた。握るイオの手の中でもろく折れていく。
「お前は誰だ」
大きな影が岩から湧きだす。銀色の髪を持つ大男だ。イオより頭二つ分は大きい。がっしりとした体を黒い毛皮のマントで覆っている。空人ほどは高くないにしても、その巨体ははるかに存在感がある。
「お前は……」
その姿に圧倒された。
「父だ。魔王ともいう」
人前にその姿を現すことのない魔王が、目の前にいる。イオは息をのんだ。
教会の絵にさえ、その姿をはっきりと描かれることのない存在、言い伝えにも、伝聞にも、その姿を現すことのない神秘に包まれた魔王が降臨している。
「魔王が、父なんて……」
サリューはサマールの脇に座ったまま、立てないでいる。
「おれが魔族……」
イオはサマールを見た。銀色の髪が血の中に沈んでいる。
「おれが魔族とでもいうのか、どこが魔族だ。おれは人間だ」
「そうかな、我が息子だ。その銀髪が何よりの証拠だ」
言われてイオは髪に触れる。こんな髪の色はめったになかった。煌めく銀髪、忌み嫌われる色。
「魔王のしきたりだ。魔王の子が生まれると、その子は人の間に落とされる。子は人の間で、蔑まれ、うとまれて育つ」
魔王は燃えるような赤い目で、サマールを見下ろした。
「魔族には魔物が付いて回る。そんな子を人が喜んで育てるはずはない」
サリューはサマールを見た。安らかな微笑みを浮かべている。彼は今までの人生に幕を下ろし、ようやく安らぎの中に落ち着いたかの様だ。
「酷い、自分の子を!」
「それが定めだ。魔王の子は人に虐げられ、人を憎んで育つ。そして力を欲する。力の元、すべての権力を握るために、魔の剣を求めてここにたどりつく。ここまで登ってこれる者、その力のある者だけが、魔王の世継ぎにふさわしい」
淡々と話すその男の声を泣きそうな顔でサリューは聞いていた。
「その剣は子供をおびき寄せるためだったの。持つ者にあらゆる望をかなえるという剣は……」
「そんなものはない。その剣か。それは大方、この地にたどりつきはしたものの、力尽きた騎士が持っていたものだろう」
サリューは打ちのめされていた。ここまで登って来たのは何のためだ。ルマイヤに平和を求めるため、大陸に平穏をもたらすためではなかったか。その剣がただの剣に過ぎなかったとは。
「来い、我が息子よ」
イオは震えていた。怒りで髪の毛が炎のように逆立つ。
「魔族の皆にお披露目をせねばな」
黒い大男が手を差し伸べる。イオに延ばされた手は太く力強い。イオは小さく首を横に振った。
「どうした、来い」
「……いやだ」
「何……」
「いやだ、おれはいやだ」
「魔王になるのだぞ、この大陸の覇者だ。すべての力の王者だ。その世継ぎにしてやろうというのに」
「いやだ」
すでにイオの髪は光を持ち、赤みがかった銀色の炎のように逆巻いて揺らめいている。サマールの落とした剣を拾う。温もりがあった。サマールの温もりが、イオの手に伝わる。
「おれはいやだ」
「ならば、倒すだけだ。魔王の息子はお前だけではない。そしてこれからも生まれる。そいつらの中から世継ぎを選べばいい」
魔王は黒いオーラを纏い、巨大な黒い翼を広げた。空気が渦を巻き、羽ばたきの度に黒い羽根が舞う。イオは黒曜石に手を付き呪文を唱えた。何本もの竜が伸びてくる。その一匹にまたがると、イオは魔王を追った。
「あんたがここに罠を張ったお陰で、どれだけの人の運命が狂わされたか」
「それが定めだ」
火の玉がイオを襲う。
「止めて、親子で戦うなんて」
サリューが叫ぶ。が、叫んでも空中にいる二人には聞こえない。
「ワハールナー」
いくつもの熱球を出して飛ばすがことごとくかわされる。魔王はその強い翼で風を起こし、熱球を外していく。そして自らが作る火球を矢継ぎ早に繰り出すのだ。イオはその球をかわすことで精いっぱいになる。
「定めなど誰が決めた」
「知らぬ。私も幼き頃、人に虐げられた。何の理由もなく、人が私をないがしろにし、暴力を加える。恨んだ。憎んだ。怒りがいつも私の中にあった。それが私に力を与えた」
「だからおれにも人に虐げられろというのか」
イオの力は爆発した。銀色のオーロラがあたりを覆う。サマールとの戦いで暗く垂れこめていた雲があるというのに、あたり影を消し去るほど明るい。
「それこそが、魔王の力」
魔王の黒いオーロラが銀のオーロラを喰う。黒い触手が地を這い、空に伸びてイオに掴みかかる。イオは剣で叩き切ったが、あまりにも数が多い。捕えられたイオは空中に固定された。
「イオ!」
「うるさい、小娘」
魔王の力が降ってくる。
「ホイッ」
リアンがサリューを抱きかかえて飛ぶ。
「離れようぜ」
リアンの銀髪が波打つ。長い戦いの間にいたるところに傷を受け、服もターバンも焦げて、破れていた。髪をくるんでいたターバンが千切れて風に飛んで行く。
「リアン、それ……」
リアンのターバンの下から髪の毛が逆巻き、尖った耳が現れる。額の上から二本のらせんを描く角が突き出していた。
「リアン、あんた、魔族だったの」
「へへ、見えちまったか。さあ、トンズラするぜ。あいつらに巻き込まれるのはいやだろう」
ひょうひょうと笑い、渦の中心に目をやる。巨大な渦の中から鈍く光る力が迸っていた。
「イオ!」
飛び交う光の筋が熱を持って空気を焼く。
「我が手に堕ちろ」
魔王の声が響く。もはやどこから発している声かわからない。頂の上のすべての空間が魔王にでもなったかの様に、声はいたるところから聞こえる。
「イオを助けなきゃ」
「そいつは難しいぜ」
空は黒い靄に覆われていく。触手は何もない空間から伸び、巨大なクモの巣を作る。噂はあった。魔王は地を操り、空を支配する。地の中から現れ、何もない空間からものを生み出す。その力は魔族をはるかに凌駕する。
「リアン、力を貸して」
「さてさて、お姫さんの願いはいつだって厳しいぜ」
リアンは上を向き、胴震いした。きつく眼を閉じると全身に力を込める。びりびりと布が裂ける音がする。千切れて舞う布の下から、巨大な鷹のような三対の新たな翼が突き出た。今まであった一対の翼と共に、背に展開する八枚の翼が銀色の光の粉を撒き、バサッとはためくと一気に宙を切った。
「リアン、ありがとう」
「行くぜ」
リアンは黒い渦の周りを旋回する。
「止めて、戦わないで」
叫ぶが声は届かない。空から炎が吹き出し、雷鳴がとどろく。
「イオ!」
イオが何処にいるかわからないが、魔王の位置は判った。闇より深い暗黒がそこにある。何度かあたりを飛び、イオを探す。中空に光る点があった。
「あそこ!あそこに飛んで」
リアンに示す。
「ヘイヘイ」
なんとかリアンもそこまで近づこうとするが、クモの糸が侵入者を阻む。
「来るな……、サリュー、戻れ……」
糸に絡みとられたイオが呻く。手に剣はない。指すら糸にがんじがらめに抑えられて、印を結ぶこともできない。多くの触手がさらにイオに伸びて行く。それでもまだイオはもがき、糸から逃れようとする。
と、触手がサリューに伸びる。
「サリュー、逃げろ」
「わかってるって」
リアンが触手をかわし、その下をくぐり、反転して上に逃れる。逃れたリアンに何本もの触手が伸びる。
「さあ、私の世継ぎとなれ」
「いやだ」
「お前だって憎いだろう。どこでどう育ったか知らぬが、お前の周りには魔物が付いて回ったはずだ。そのたびにお前はうとまれ、嫌われただろう」
「そうだよ、悪いか」
イオはもがく。もがいてもなお触手はほどけない。
「人の中でお前は居場所がなかっただろう」
魔王の高笑いが反響して何重にもなって木霊する。空間すべてから声が発せられているかの様に。
「憎め、人を憎んで喰い散らかそう。あんな下賤な者どもを駆逐してやろう」
「違う……」
苦しげにイオは漏らす。魔王の力はすべてイオに注がれた。
リアンがイオの絡まるクモの糸に突っ込んでいく。
魔王が雷を出した。天空を焦がす光と熱がクモの糸のような触手の上を走る。その力がイオに届く前に、リアンが突き刺さるように触手を引きちぎった。クモの巣からはじかれたイオをサリューが掴む。
「させるか」
触手がリアン達を襲う。その塊がリアンの背にあたり、弾かれた。黒曜石の上に叩きつけられたリアンは羽根が傷つき飛び上がることが出来ない。
「リアン、大丈夫」
リアンのおかげで、大事のなかったサリューが駆け寄る。リアンは傷ついた翼をたたむこともできず、痛みに喘いでいた。ゆるゆると魔王が降臨した。
「我が世継ぎとなれ、人を憎め、人の里を我が手に納めよ」
「あなたはあなたの親を憎むべきなんだ」
イオはリアンに寄り添った。もう何もない。セスの杖も、サマールの剣も失い、印を結ぶべき右手もまだクモの糸が絡まって自由が利かない。リアンは翼を折られ、しばらくは飛べないだろう。サリューの剣も失っている。
「我が手に」
人の姿に戻った魔王がイオに近寄る。
「シャラララ……」
細い音がした。イオはリアンの翼の下の何かを手に取った。それにサリューが手を添える。二人の眼が合う。そして魔王を睨みつけた。
「いやだ」
イオとサリューが同時に叫ぶ。
「小賢しいやつ」
魔王の背後の空間が歪み、魔物がわいてくる。
「喰い殺せ、世継ぎはいくらでもつくれる」
魔王の腕が振り下ろされる前にイオとサリューはリュートを突き出す。光が零れた。
「キュイイイイイーーーーーン!」
硬質の音が空気を震わせる。音が金色の輝きを孕みながら、弦から広がる。大きな空気の渦が起きた。空間がたわみ、そのすべてをリュートは吸い込む。あたりの魔物も魔王すらも己が腹に流し込もうとする。
「何が……」
魔王は呆然と表情を失い、大地に立つこともできず、羽根を広げる機会も逸し、空気の波に飲み込まれる。
リュートは一切を吸いこんだ。
「リアン、大丈夫」
サリューは大地に寝転がっているリアンを覗き込んでいた。
「ああ……」
翠の目を開いて、言葉を出す。ややあってゆっくり身を起こした。黒い翼から血が出て、多くの羽根が抜けている。
「翼、痛くない」
「けっこう、痛いさ。泣きそうだよ。でもまあ、骨がバッサリ折れてるなぁ、まぁ、そのうち治るだろう。翼が生えたばかりの頃はいろんな所にぶつけてこのくらいの傷、しょっちゅうしていたからな」
「これ、どうして今まで判らなかったんだろう」
イオが翼をなでる。
「かなり楽に折りたたみがきくんだ。背の中に隠しておける。だから街に出ていても誰にも気づかれない。耳と角は折り畳むことが出来ないから、仕方なしにターバンの下に隠しておいた。おれが吟遊詩人でよかったぜ。誰も怪しまないからな」
「これからもそうやって隠すのか」
「いや、すぐには無理だろうな。翼の骨がかなり折れている。畳んでも背中に納まりきれない」
リアンは横を向いて笑う。
ふと、思い返したようにイオを見つめると口を開いた。
「お前もそのうち、生えてくるんだぞ」
「そうだな……」
アダマが羽化と言っていた。魔族の羽化については話にわずか流布しているだけだ。大人になればイオも羽化する。魔王が言ったことが確かなら、イオもまた魔族なのだ。いつか耳が尖り、角が突き出てきて、翼が生える。
「隠せるんだからいいじゃない。魔法使いは法衣を着るんでしょ。あれにはフードがついているから、隠すのは簡単だよ」
にっこりとサリューが笑い、つられてイオもほほ笑んだ。その時が来れば対処の仕方を考えればいい。
黒雲が切れて日が差してきた。境界が守られればお互いに生きていける。それぞれが己が立場を守り、ひそやかな交易を続けていれば、大陸の平穏は保たれる。
「サマールをどうしよう。彼をこんな所に置いておけないな」
イオはサマールのとこまで下りて行くと、そこに黒い髪の魔族の女性がいた。彼女はサマールにすがって泣いている。サマールと同じ翠の眼が涙で潤んでいる。家族らしい同じ色の瞳の一群がサマールの遺体を運んで行く。
「あなたたちは」
尋ねたが答えはなかった。ふと森から視線を感じてイオが振り返ると、こげ茶色の目がこちらを見ていた。イオと視線が合うとさっと森の奥に消えた。
「もう教会に戻れないな」
イオは呟きふっと背に手をやる。ここにいつか翼が生えてくるのだ。そして耳と角がイオを異形の姿にする。
「じゃあ、教会籍を離れて城付きの魔法使いになればいいじゃない。うちの城で雇ってあげるから」
「戦いは終わらないよ」
イオはサマールの剣を拾った。古い剣、この剣を求めてこれからも多くの騎士がここに登ってくるだろう。今までも多くの命が失われ、これからも失われるのか。
「これがサラマンドラの剣と言われていたなんてね」
サリューが触れる。触れても何も起きない。この剣はただの剣で、魔族しか持てないような魔の剣ではない。サマールが力をふるったおかげで錆は吹き飛んでしまい、細みの鋼は透き通るように煌めいている。柄にあった細工もはっきりとしていた。絡み合う二匹の竜が彫り込まれている。
「赤い瞳か……」
サリューは思い出した。魔の剣は火龍の剣、火竜の紅い眼がはめ込まれていると。サリューは首にかけていた魔除けの宝石を外した。魔女ミティに貰った真っ赤なルビー、魔除けの石だ。紐を外す。
「何をするんだ」
イオが不思議そうに覗きこむ。
「火竜の剣にするのよ」
サリューは柄に彫り込まれた竜の間のくぼみに宝石をぐいと押し込んだ。
「そっか、そいつがあれば誰も姫さんの国を襲わねえよな」
リアンが笑って膝を打った。
「そうよ。あたしはこれに願い事をするの。誰もルマイヤを襲わないって、襲った者には大いなる災いが降ってくるってね」
「面白いぜ」
「そうすれば誰もルマイヤに手を出せないでしょう。ルマイヤを通らなきゃ、他の国に行けない。誰も軍を進めることはできない。教皇の杖が元に戻れば闇も収まるでしょう。森だってすぐ元に戻るわ。魔王がいなけりゃ、魔族だって森から出てこない」
サリューは立ち上がって剣を天空に向けた。日の光を受けて刀身がきらめく。
「よし」
柄にはめ込んだルビーを見てサリューは幅広の革のベルトを刀身に巻きつけ、鞘代わりにした。
「これは火竜の剣だからね」
「そうだね。これは三人の秘密にしよう。魔の山から持って帰った剣だから、サラマンドラの剣と言っても誰も疑わない」
イオもにっこりと笑う。
「そいつはあんたら二人の秘密にしなよ」
「え、リアン、あんたにも秘密を守ってもらわなきゃ」
サリューがむっとなってリアンを見る。
「おれか、おれは翼が畳めないんだぜ。人の間に住めるかよ。おれはずっとここにいる」
「だってそれじゃ……」
リアンは痛そうに立ち上がると、リュートを拾った。螺鈿の細工にどこも傷はない。爪弾くと綺麗な音が零れた。
「おれがこの中に閉じ込められたとき、誰も話しかけてくれなくてさびしかった。ここにいる魔王もこれからずっと寂しい思いをするんだとしたら、おれくらい、話し相手になってやってもいいだろう」
リアンはそう言って黒曜石の岩に座り込むと、軽やかなダンス曲を弾き始めた。
「父さんか。あまり実感はないけど、ここにいるんだな」
父についていろいろな想像をした。いわくありげな子供だったとマーリオが教えてくれたが、まさかこんな出生だとは思いもよらなかった。リアンのリュートに触れる。半球の胴が生き物のように音に震えている。
「あんたら、さっさと山を降りな。みんなが待っているぜ」
「本当にいいの。イサが待っているよ」
「イサにはおれは死んだと言ってくれ。それで泣いてくれると嬉しいな」
リアンはにやりと笑って手を振る。サリューとイオはそれを合図に山を降りた。
「うまいことやりな。イオ、いや弟よ。さあ、親父、これからはおれがずっとそばにいてやるよ」
終章
「ねえ、お母様」
小さな姫が大広間で王妃を捕まえた。
「なあに」
「ルマイヤって戦わない国でしょう。何で玉座に剣があるの」
「あれね、あれはね、ずっとずっと昔、この国のお姫様が魔の山に行って、持って帰った火竜の剣なの。あれがこの国を守っているの。誰もこの国に攻めてこない様にって、あの剣に願い事をしたのよ。誰もルマイヤを襲わない。刃向うものには大いなる呪いが掛けられちゃうの。だからルマイヤにはどこの国も軍を進めることができないの。他の国はルマイヤを通らなければ別の国に行くことはできないから、大陸には戦いがないの。あの剣はね、この地、すべての平穏を守ってくれているのよ」
「ふうん」
姫はしげしげと剣を見ていたが、不意に駈け出した。
「お母様、お山からリュートが聞こえるよ。今日はきっといいことが起きるね」
王妃は微笑んで姫を見送った。この地では天気のいい日、風向き次第で魔の山からリュートを奏でる音が聞こえる。なぜそんな音が聞こえるのかは誰も知らない。
了
長い間、読んでいただきありがとうございました。全てが丸く収まったと思います。ハッピーエンドで最後を迎えることができまして、感無量です。読んでいただきありがとうございます。ほんとうにありがとうございます。




