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第5章3

王家が支配し、白の教会の魔導士が魔法を使い、森に魔物が徘徊する世界。修行僧のイオは成人のための修行の旅に出て行き倒れ、同じく成人の修行の旅に出ていると称する騎士サリューに救われ、道連れになる。サリューは一国の姫で城を抜け出してきたのだ。サリューを追いかけてきた御付きの者たちに追いつかれ、城に戻ることになった。北の大国に着いた時、サリューは抜け出し、王城に潜り込む。そこには嫁いで行った姉姫がいるのだ。束の間の最下位に涙するサリューだったが、折悪く戦争が起こってしまう。サリューは特使になり西の国へ和平の親書を届けに行ったが、すでにそこは死の闇が蠢いていた。なんとか逃げ出した物の、ワイバーンに追われ、空人の森で立ち往生してしまう。

  空虫はその体の下に何本もの長い触手を持っている。それを体に巻きつけてぶら下がるような恰好で飛ぶのだから、真下がよく見える。サリューは何度も飛竜に乗って空を飛んでいたが、こんな風に足元に広がる森を見ることは初めてだった。

「すごーーーい、絶景」

「はしゃがないでください。姫様……」

 脅えてイサは固く眼を閉じ、両の手で顔を塞いでいる。

「あら、イサも見てごらんなさいよ。すっごく綺麗だから」

 イサは言われてそっと指の隙間から下を見るが、短い悲鳴をあげて、ますます体を硬くする。それも当然といえば当然だ。空虫の触手はごく細い紐のようなもので、空虫が巻きつけているだけで、人がそれを握ると、空虫は触手を解いてしまうとエトラに注意されていた。人ができることはただぶら下がっているだけ。イサも時には飛竜に乗ることもあるが、その時は鞍も鐙もあるし、何よりベルトで固定できる。手綱に捕まることもできる。それなのに空虫の触手は頼りなく、親指ほどの太さだ。数本が絡みついているとはいえ、いつ落ちてしまうか気が気ではない。

 イオはミラーノと一緒に、セスとバロスが、サリューとイサ、そしてエトラは先導のため、一番先の空虫にぶら下がっている。

「サザに着いたら、そのまま、ルマイヤに帰りましょうね」

 涙声でイサが言う。

「でも戦いが始まろうとしているのよ。止めなきゃ」

「それはサルバドス様がなさいます。きっと」

「でも」

「姫様は霊廟でお祈りをしてください。歴代の王さまがきっと何か知恵を貸してくれます」

 イサのいうこともわかる。でも、サリューは自らの手で戦いを止めたい。

 霊廟を思い出す。斎宮姫は大陸の危機の時に先祖の声を聞き、力を得るといわれている。ただ、ここ数年、夏になると霊廟の守りをしたが、何の声も聞いたことがない。霊廟はただの墓に過ぎないのか、最初の頃は問いかけもしたがあったが、何の返事もないので、そのうち試すことを止めてしまった。サリューは朝夕、お祈りをして掃除をするだけの毎日にうんざりして、天気がいいとイサを伴って下の村に降りた。もっともサリューが掃除をすることはめったになかったが。

 村はイサの生まれ故郷で、村長であるイサの父も住んでいる。明るく剛毅な男で、サリューは彼が好きで、暇さえあると監視の目を盗んでは村に降り、近所の子供たちと遊びまわったり、イサの父の弾くバラライカを聞いたりして過ごしていた。

「手前の林で降りるんだ」

 ミラーノが下を指さす。空虫はゆっくりとしぼんで林に降り立つ。

「街まで結構あるよ。歩くのに辛くない」

サリューがミラーノに聞くと彼は苦しげに歩きだした。

「街に空虫が降りたら、人目を引き過ぎる」

 ミラーノの歩みが苦しげなので、バロスが肩を貸す。人としてかなり大柄なバロスも、空人にとっては背の低い方になってしまう。

 街外れの路地にミラーノは入っていく。軒の酷く低い家が連なり、朝もやの中でひっそりしている。その道の端には毛布にくるまって寝ている者がいる。ミラーノはその一軒に入って行った。軒は低いが店の奥行きはかなり広い。食堂か酒場なのか、丸いテーブルがいくつもあり、それぞれに丸い椅子が数個づつ置かれている。壁際には長椅子があり、その上に何人もの人が眠りを貪っていた。

「おや、ミラーノ、どうしたんだ」

 浅黒い顔をした男が起きてきた。

「魔族の館に降りてしまってね。ドジを踏んだよ」

 店の奥からも人が起きだしてきて、ぞろぞろと集まってくる。

 サリューは身構えた。店にいたのは人だけではない。空人もいた。角が生えたり、耳が尖っていたりする者もいた。

「ここは何なの」

「酒場だよ。ようこそ、アルハンの店に。ここは集いの店」

 浅黒い男は、恭しく頭を下げた。いくら汚れているとはいえ、サリューの出で立ちは姫のそれである。

「ここには魔族もいるの」

「おや、なぜ魔族がいてはいけないのかね」

 ひょうひょうとした声で答える。アルハンにサリューは返事が出来ない。

 周りでは眠そうに椅子に座っていたり、長椅子に寝そべっていたり、又は朝の支度を始めている者もいる。ここにいる者たちはいがみ合っているようには見えない。

「空人は天に帰れないんだ。いや、もともと天から降りてきたのではないかもしれない。ここにいるとそんな風に思える」

 ミラーノは椅子に座り込んで荒い息をしていた。ここまでの空の旅がかなり堪えているようだ。大人しくあの庵で待っていれば、楽なはずなのに、彼はそれほどまでに人が信じられないらしい。

 アルハンはサリュー達にも椅子をすすめた。

「チュナ、お客さんだ。粥でも差し上げてくれ」

 チュナと呼ばれた魔族の女性が小麦の粥が入った椀を配っている。

「魔族は自分たちの森で手に入らないものをここで仕入れる。人も魔族の産物を商う。もちろん表だってできる商売じゃないが、結構それぞれの暮らしに必要な物だったりするんだな」

「でも、魔物は森に住むって、昔からの決め事じゃないの。こんな所に出てきていいの」

「誰が決めたのさ」

「それは……」

 そんなことを考えたこともなかった。魔族や空人が人と交易をしていることさえ、全く知らなかった。

「勿論、領域がぐちゃぐちゃになったらお互い困るよね。穏やかに暮らしたい。それなのに人が領土を広げたがっている。戦いを起こしてでもね。それはなぜ」

「戦いを起こしたいなんて思っていないわ」

「お姫様はね。でも戦いを起こしたがる輩は多いだろう。その戦いで追い出された魔物や空人がここに流れてくる。ここは吹き溜まりさ」

 サリューは何が何だかわからなくなってきた。空人に会ったのも、今回の旅で初めてのことだ。魔族など、話の中でしか知らなかった。それはピンと立った耳、まっ黒でくるくると巻くくせ毛に浅黒い肌、牙が覗く口は深く裂け、爪が鋭く伸びているという姿だったが、チュナはかわいらしい少女だ。黒い髪はくせ毛だが、裂けた口も伸びた爪も、牙もない。額に親指ほどの角があるが、聞いていたような醜さは微塵もなかった。ただ、澱んだ疲れだけが、その身から滲んでいる。

「森が焼かれて、逃げて来たの」

 その声は澄んだ幼子の響きを持つ。獣の呻きだと聞かされていたサリューは一瞬、誰が発した言葉かわからなかった。

「森って、あの北と西の国の堺にあったやつ。道みたいになっていたところなの」

「そう、あそこよ。ほんの数日前、激しい雷が山を穿ち、森を吹き飛ばした。大地は揺れ、ワイバーンたちは逃げ出した。あそこは彼らの営巣地だったのよ。彼らの怒りが他の森に伝わって、森は鎮まらない。どこの森も魔物が荒れて、魔族にだって抑えらないわ。私たちは森を追われて一部は他の森に行ったんだけれど、傷ついた者もいる。それで私たちは薬を求めてここに来たの」

 チュナは店の奥に目をやった。そこに仲間がいるようだ。

「そんな話はいいわ。それより薬を取りに行って」

 エトラにせかされてイオは立ち上がる。

「サリュー、一緒に行くか。伝書を飛ばすのだろう」

「その姫は置いていけ」

 眠っていたと思っていたミラーノがきつい眼を向けた。

「どうして」

「彼女は人質だ。お前だけが行け」

「あんたね、何さまのつもり。別にイオはここまで来てあんたを見捨てやしないわよ」

「人は信用しない」

「まったく、あんたの傷を気にしてあげたのに」

「わかった。サリュー、ここで食事でもして、体を休めていてくれ。すぐに戻ってくる。代わりに伝書を出しておくよ」

 イオが出て行く。アルハンは粥を皆に配るために、大鍋を用意していた。その時、帽子がずれ、尖った耳が見えた。

「彼も魔族なの」

 チュナに聞く。

「いいえ」

 でも彼の耳は彼女と同じくぴんと立ち、先が尖って長い。

「彼は魔族ではないわ。でも人でもない」

「空人……。それにしちゃ……」

 と口に出来ない言葉を想像した。アルハンは人の良さそうな表情をしているが、その姿形はどちらかといえば、いや、かなり醜い方だ。

「彼はね、魔族と人の合いの子なの」

 サリューはアルハンを見つめた。魔族と交わった血の存在に驚愕した。

「そんなに驚くことはないわ。たまにいるのよ。でも隠れているだけ」

 魔族の混血と聞いてセスは顔をしかめ、外に出て行った。イサもそれに従う。ミラーノもそれを止めることはなかった。バロスは彫像のように動かず、椅子に静かに座っている。その表情に驚きはなかった。

 サリューは漠然と周りを見ていた。朝靄は消え、街は活気づいていく。外を人が往来し、馬車が荷を運んで行く。路地にも朝の営みが始まり、煮焚きの煙がたなびき、視界を霞めている。眠そうな顔をした遊び女達が、長い髪を洗いだす。化粧を落とした彼女たちの顔に、疲れが浮かぶ。アルハンの店にも朝の食事をとる客が入りだした。粥が木の器に注がれ、薄いパンが添えられる。余分に金を払えば、干し肉を砕いた物が混ぜられるが、対価は木銭が一枚程度でかなり安い。それでもそれを購えない者たちが、残飯をあさっている。朝の風の中に澱んですえた酷い匂いが混ざる。

「こんな所は初めてだわ」

「人の間に魔族や空人がいること?」

「それもあるけど、街というのにここは、なにか……」

 言葉を言い淀む。貧しい人々がぼろを着て街のあちこちに座り込んでいる。朝の食事にさえこと欠く人々があまりにも多い。それをどう表せばいいのだろう。

「貧しい人が増えているのよ」

 チュナが言う。その言葉こそ、サリューが言い淀んだ言葉だ。

「ここ何年も下町には人があふれるようになったのさ」

 アルハンが口を挟む。

「北だけじゃない。西も酷いね。まあ、あそこは闇が口を開けているから仕方ないけどさ、南も酷くすさんでいると聞くよ」

「南が……」

 サリューの聞いた話では、南は明るい牧歌的な国のはずだ。暑い気候で、夏の間、人々は長い午睡を取るという。のんびり、ゆったりした気性で、明るく享楽的だ。南からの交易品は、目も覚めるような鮮やかな色遣いが特徴だ。織物にしても毛糸や工芸品も明るい色が多い。

「そんな、何が変わっているの」

 サリューの問いにアルハンは何も答えなかった。チュナは他の客に粥を配り、エトラはミラーノに粥を食べさせていた。

立ち寄った街は魔族や人が交易をする場所だった。ひっそりと、それでもお互いが身を寄せ合って暮らしている場所。サリューやイオは、魔族の全く知られていない一面を見て驚くのだった。これから彼らの旅はどうなるのだろう。

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