第5章2
王家が支配し、白の教会の魔導士が魔法を使い、森を魔物が徘徊する世界。修行僧のイオは成人になるための修行の旅の途中、行き倒れ、修行の騎士と称するサリューに助けられ、道連れとなり旅を続けた。サリューは一国の姫で、城を勝手に抜け出していたのだ。サリューを追いかけてきた御付きの者たちに追いつかれ、城に戻ることになったサリューは、またも抜け出して、北の王国の王城に潜りこむ。そこには嫁いで行った姉姫がいるのだ。久しぶりの再会に涙するサリューだったが、大陸に風雲急を告げる戦争が始まった。
焚き火の周りで眠りを取って、明け方、サリューは自分に伸びてくる腕を感じて目を開けた。
「誰……」
その手をつかむと、若い空人だった。誰かが寝ずの番をしているはずなのに、皆が眠りについている。リアンが槍を支えにして座り込んで寝ている。番の途中で寝てしまったのか。
「それらは寝ていると思ったのに」
「それら……」
寝ぼけ眼をこすって、考えた。そうだ、空人は人を物扱いする。それらとは私たちのことだとようやくサリューは気がついた。
「あたしたちが寝ていたからって、何を盗む気?」
「おかしいわね、眠りの粉を飛ばしたというのに、なんでこれは起きているの」
「起きてちゃ悪いの。あんた、泥棒ね」
「これから拾うだけ」
その手はサリューの首飾りに伸びる。
「あげない」
「これはなぜ、魔除けの石を持っているの」
ふと、不思議に思い空人を見つめた。空人は魔物と関わりを持たない。魔物も普通、空人を襲わない。それなのに、この空人は魔除けの石を欲しがっている。
「ねえ、それがあれば、魔物は寄ってこないんでしょう」
空人が聞く。
「そうだけど……」
「ちょうだい、あたしに」
サリューは眠気を隅に押しやった。この空人はまだ若い、少女のようだ。背は高いが、年の頃はサリューとあまり変わらない様に見える。彼女はせっぱつまった目をしている。空人も魔物に襲われるのか、魔物を怖がるのか、それならば、石の一つを分けてあげてもいいと、サリューは石を一つ外して、紐を通した。
「あげる」
今は早く街道に出たい。教会に行き、サルバドスに伝書を飛ばしたい。それには空人の力を借りなければならない。
「あげるけど、あたしの願いを聞いて」
「願い?」
空人の手が止まる。
「そう、お願い。空虫なら森を越せるでしょう。あたしたちは街道まで行かなきゃいけないの。空虫を貸してくれたら、この石をあげる」
「うん……。それは……」
口ごもる。
「空虫なら魔物も襲ってこないんでしょう。だからあたしたちに空虫を貸して」
空人は眉間にしわを寄せ、魔除けの石に伸ばした手を引っ込める。
「来て」
空人はサリューの腕を取り、引っ張っていく。青い葉を茂らせた灌木の先に、小さな庵があった。
「ここはあたしの秘密の場所なの」
そう言いながら中に案内する。内には草を積み重ねた簡素なベッドがあり、空人が横たわっていた。
「どうしたの。この人は」
「ワイバーンに襲われて怪我をしたの」
その空人は腕や頭を布で巻いていた。かなり血が滲んでいる。肌の色は血の気を失い、白というより、青に近い。息使いが荒く、深手を負っていることは一目でわかる。
「そんな、空人ってワイバーンに襲われないんじゃないの」
「わからない。ここしばらく、ワイバーンの気が立っているの。見境なく空を飛ぶ物を襲う。飛竜やドラゴンは言うまでもなく、空虫さえも襲いかかる。何匹かで飛んでいればともかく、一人で飛んでいたから……」
若い空人は横たわる若者の額の布を取り、水に浸してまたのせた。
「いつも私たちは森を飛び越える。街道や、林を抜けるより、近道になるから」
「空人は空人の森から出ていくことがあるの。そんな話、聞いたことはない」
「私たちだって、欲しいものがあるわ。それが森で手に入らなければ、人の街に出て行って、買うより仕方がないじゃない」
「みんな、そうしているの」
「ううん、長老たちは知らない。知らせていない。知られてはいけない」
ひどく沈んだ声で話す。彼らにも何か事情があるのだろう。空人は普通、高い梢の上に住まうと聞いていた。地上に庵を構えていること自体、何かしらのわけがある。
「あたしはサリュー、あなたは」
「エトラ。ねえ、サリュー、なぜあたしたちは天に帰れないの」
「そんなこと聞かれても」
確かに空人は天から落とされた天使の末裔だという話を聞いたことはある。ずっとずっと遥かなる昔、天を追い出され、さりとて地に降りることもできず、森に留まったという。森の梢に住み、滅多に地に降りてこない。
「この庵はどうして地面の上にあるの」
「ここは私の秘密の場所だから。だって森を出てワイバーンに襲われたなんて、皆に知られたらどんな酷い罰を受けるか、判らないのよ。梢の家に戻れないわ」
涙にうるむ翠の瞳をサリューは覗きこんだ。空人は勝手気ままにお気楽に空虫に乗って流れていく。その話とは全く違う空人の様子に戸惑った。
「あたしは天に戻りたいの」
「空虫につかまってずっとずっと飛んでいけば、天に行けるんじゃないの」
伝え聞いた話では空虫はどこまでも高く飛ぶことができるという。
「出来ない。みんな行きたいというけど、行かない」
「なら、地に降りたら。こんなに豊かな森があるじゃない。開けたところもいっぱいあるから、みんなで家を建てて、畑を作れば、きっと素敵な生活ができるわ」
「空人は地に降りない。地に降りるなんて、出来ない」
「エトラ、空人は空になんか帰れないさ」
寝ていた空人が喘ぐように言葉を紡いだ。ゆっくり身を起こすと痛々しい傷が服の隙間から覗く。傷は腕や頭だけではなかった。
「どういうこと」
「人のお姫様か。空人が天に帰れるなんて、じじいたちの世迷言だ」
「でもミラーノ……」
エトラが泣きそうな声を出す。
「この世の中を見ろ。人と魔族がいるだけだ。どこに天使や神がいる。あんなもの、人の教会の壁に描かれているだけじゃないか」
「でも神様はいるわよ。どこかに必ず」
「お姫様は信心深いな。人の神はいるかもしれない。何せ、人には教会がいっぱいあるからな。ならばなぜ、空人の世界に教会がないんだ。おれたちは神の僕、天使の末裔なんだろう。だったらおれたちの森にこそ、教会があってしかるべきだ。なのにない。おれたちは天使の末裔でも何でもないんだ。だからと言っておれたちはこんな森の中に縛られて生きるなんていやなんだよ。狭くて不自由で、規則でがんじがらめにされた暮らしなんてくそくらえだ」
「そんな……」
空人のことを詳しく知らないサリューはミラーノの怒りが理解できない。それどころか、空人がそんな型にはまった暮らしをしていることにびっくりした。
「じじいどもは天に帰るといいながら、何もしない。天に帰るなんて話はおれたちを森に閉じ込めるためのおとぎ話だ。待っていろ、そのうち天に帰る道ができる。それを待っている間に死んでしまうんだ。それでもその次の世代に天に帰るという」
ミラーノは上を睨む。
「狭い青い森の中でだけで生きている。魔族にも人にも関わらず、ただ生きているだけだ。だが自分たちだけで生きていくなんて、もう限界なんだ」
とそこまで、言って、ミラーノは苦痛に顔を歪ませて、再びベッドに身を横たえた。
「怪我、酷いんだ。そのままじゃいけない。早く薬をつけなきゃ」
「薬はここにはないの」
「でもそれじゃあ」
サリュー達の声に起こされて、イオが来た。
「その傷、ワイバーンに噛まれたんだろう。あれは毒を持つぞ」
「法師、それはこの傷を治せるの」
エトラが身を乗り出す。
「解毒剤はある」
「出して、お願い」
「持ち歩いているわけじゃない。あれは教会に備えてあるはずだ」
「持ってきて、空虫をあげる。持ってきてくれたらお礼だってする。だから」
「エトラ、人を信用するな。空虫を渡したら、そのまま、立ち去るだけだ。こいつらは森を出たがっているんだろう」
ミラーノが懐疑の声を出す。
「信用しなさいよ。あたしは斎宮姫、霊廟に尽くすもの、嘘なんかつかないわ。必ず薬を持って戻ってくるから空虫を貸して。あたしは教会に行かなきゃいけないの」
「人は信じられない」
「でも、ミラーノ、君の傷は早く治さないと、毒がまわるよ」
イオの言葉にエトラは泣きそうになってミラーノに迫る。
「空虫で薬を取ってきてもらいましょう。このままじゃミラーノは死んでしまうわ」
「人を信じるな」
「ミラーノの馬鹿。いくら高く売れるからって、地図屋なんかになるから、ワイバーンに襲われるのよ。あんな森の奥まで一人で降りて行くなんて無茶するから」
「うるさい」
二人は睨みあった。長い沈黙の後、ミラーノは口を開いた。
「おれを連れて行け。そうしたらお前たちに空虫を貸してやる。近くの人の街までかなりあるが、空虫なら、それほど時間はかからない」
「君はそんな傷で飛べないだろう」
「それでもお前たちを見張るくらいはできる」
猜疑心をあらわにしたミラーノを言い含めることはできそうにない。一刻も早く森を出たい。それには空虫を借りることが最も手っ取り早いが、そのためには深い傷を負ったミラーノを連れて行かなければいけない。それは危険だ。
「怪我が酷くなるよ」
「それでもいい。おれを連れて行け。そうすればおれたちの空虫を貸してやる。お前たちの連れも一緒に連れて行ってやる」
イオとサリューは顔を見合わせた。けが人をほってはおけない。教会には薬があり、それさえ施せば毒は消える。ワイバーンの傷を治す薬もある。
「あたしがこれらをサザまで連れて行ってあげる。サザには教会があるわ」
「サザってサザムの西にある街道の街ね」
「そう、そこならここから一番近い」
サリューは考えた。早く教会に行って伝書を飛ばさなければいけない。ミリティア姉様に預かった信書のことも、西の王が闇に喰われたことも、西が軍を出したことも、早く伝えなければ、大変なことになる。そして何より、苦痛に耐えるミラーノを助けたい。
「頼む」
喘ぎ声でミラーノは言葉を絞り出す。気位の高い空人が人に頼み事をすること自体、尋常ではない。サリューはバロス達を起こした。飛竜はやはり一晩くらいでは飛べない。リアンが面倒をみるために森に残り、サリュー達はエトラの空虫につかまって森を離れた。空は白み始めたばかりで、青の森も、そして魔物がすむという黒の森も静まり返っていた。その上を朝日を浴びまん丸く膨らんだ空虫につかまって一行は漂う。
空人の助けを借りて、サリューたちは街道に出られるのか。親書を北の王国に届けることができるのか。




