第3章6
王家が支配し、白の境界の魔導士が魔法を使い、魔物が徘徊する世界。修行僧のイオは、成人のための修行の旅に出ていた。道中同じく修行の旅をしているという騎士サリューと道連れになり、困窮の旅を続けていた。そのサリューを追ってきた者たちに捕まってしまう。サリューは一国の姫、城を抜け出してきたのだ。サリューを城に戻すべく、旅は行き先を変更し、イオはそれに同行する。ただ、お転婆で猪突猛進の姫サリューが大人しくするとは思えないが。
司祭が仕立ててくれた馬車はそれほど豪奢なものではなかったが、二頭立てで軽やかに街道を行く。馬車の中にサリューとセス、イサ。イオとバロス、リアンが代わる代わる手綱を取って御者をした。
街道の街はどこも賑わっていて、商人が交易品を並べ、商いをしている。珍しい貴金属、宝玉、布、香辛料や薬、鎧や剣、タペストリーや絨毯、ありとあらゆるものが市に溢れている。
「素敵な物がいっぱいあるのね」
馬車から身を乗り出すようにサリューは見入った。
「危ないよ」
イオは気が気ではなかった。サリューは今にも馬車の窓から転げ落ちそうなくらい体を突き出している。そんなイオの心配に気を回す余裕もなく、サリューは窓の外の光景に目を奪われていた。
「あんな交易品がルマイヤをただ通り過ぎるなんて」
漠然とサリューはため息をつく。ルマイヤは小さな国だ。街道の起点の場所とはいえ、隊商は素通りするだけで、滅多に市を開かない。市は国の記念日か教会の祝祭日だけ催される。もちろんルマイヤの民が商いをしないわけではなく、日常の小物や衣服、農産品の出店は日常的にあるにはあるのだが、こんな贅沢品や希少品は隊商の荷車から下ろされることはない。
「あんな綺麗な物がルマイヤの市に並べばいいのにね」
「姫様、ルマイヤで市を出しても客が集まりませんよ」
脇からイサが賢しく話すが、サリューは聞いていない。
「隊商にお願いしなきゃ」
そんなセリフをうっとりとこぼすほど、エル・サザムは豊かな街だ。城塞の中に入るとそこは今までサリューが見たことのないような壮麗な都だ。街は賑やかで、表通りには瀟洒な館が並び、着飾った人々が行きかう。街のどこからでも王城が見えるほど、その尖塔は高く数も多い。王城を取り囲むように背の高い豪壮な屋敷が並び、贅を競っている。
「あの屋敷一つがうちの城ほどあるんじゃないかな」
もはや羨望ともねたみとも言えない言葉が漏れる。エル・サザムの壮大さは田舎の小さな王国の姫には想像もつかないものだ。
「あ、でも、あの隅、人がかたまっている」
サリューは屋敷と屋敷の間の小さな路地に、浮浪者がたむろしている光景を見つけた。壮麗な建物との落差が大きく、走る馬車の中からほんの少し見えるだけだが、確かに豊かな都にも貧しい民はいる。街道筋にもたくさんの浮浪者がいた。煌びやかな街ほど浮浪者は多い。
「姫、司祭殿が教えてくれた教会が見えてきましたよ」
御者をしていたバロスが教えてくれた。馬車は僧門をくぐり、壮麗な教会の中に入った。
「あそこがお姉様のいるお城なのね」
教会の窓から望む王城は、景色のほとんどを占めるほど広大高層なものだった。窓からその飾りのついた尖塔を眺めながら、サリューは教会が用意してくれた豪華な部屋で寛いでいた。
「姉姫様って、どんな御方なの」
「それは素敵なお姉様よ。私の一番の仲良しで、いつもとても優しいの」
「そうです。エリイシャ様は四姉妹の中でも、もっとも穏やかでたおやかで、美しい姫君です。どこかの姫様に真似ていただきたいものですね」
「それ、誰のこと」
「姉姫様方はそれはおしとやかでいらっしゃったんですよ。大人しく美しく艶やかで」
「お姉様たちは大人よ。いつだってあたしを子供扱いするんだから」
「それは……、姉姫様がサリュキュリア様を大切に思っていらっしゃるからで」
「だからってあたしはもう十五歳よ。大人だもん」
脇で聞いていてまだ子供だなとイオは思ったが、この場合率直さは美徳ではない。
サリューとセスの言い争いは続く。乳母の小言は分かっていてもそう簡単に性格は変えられないとサリューは口を尖らす。
「姫様、ここでは大人しくしてください。ルマイヤの隊商を見つけたら、同行して国に帰ります。この教会の司教殿に城下に入る隊商を調べてもらっていますから、今しばらく辛抱してください」
サリューは一応頷いたものの、不機嫌に窓の外に目をやる。教会の下働きの者たちがやって来て、何かセスに耳打ちをする。食事の段取りか、それとも何かの雑用なのだろう。セスたちが一度下がると、イオとサリューだけになった。
「なんでそんなに怒るの」
「なんでもない」
すねたまま、窓から視線を外さない。
「お姉さんと比べられるのがいやなの」
痛いところを突かれたらしい。サリューは向き直る。
「だってお姉様は、」
「何」
イオは気分をほぐそうと精一杯優しく微笑んだ。サリューはすねたまま、ぼそぼそと話しだす。
「そりゃ、お姉様たちは優しいわよ。綺麗だし華やかだし、きらびやか。いろんな貴族や、王家から結婚話が持ちかけられた。舞踏会でもいつも華のよう。誰もがお姉様たちと踊りたがる。麗しの姫君たち、それがお姉様たちの呼び名。早くから王家との婚姻が決まったわ。もちろんルマイヤは小国だから、世継ぎの王子に嫁ぐわけにはいかない。二の王子、三の王子だったけど、王子妃には変わりない。あたしもそうなりたいなと思ったのに、みんな、いつもあたしにこういうの。まだ早いって」
「何が」
「舞踏会よ。出てはいけないって。ダンスもダメ、お酒もダメ。あたしがしていいのは、最初の挨拶と、乾杯だけ、それもあたしには果物を絞ったジュースなのよ」
それはしょうがないんじゃないかと、イオは思ったが、ここでそう言うとサリューが口を閉ざしてしまうことが予想できるだけに話さない。教会では十五歳はまだ子供だ。法師は十六歳の成人修行が終わって初めて大人として扱ってもらえる。貴族や王族にも同様の風習があると聞いている。
「あたしだって、まだ大人じゃないって知っているわよ。でもね、みんなお姉様ばっかり褒めるの。綺麗だって。挙句にあたしは斎宮姫にさせられた。一生、霊廟を守るために国から出ることが出来ないのよ。墓におこもりして、一日中お祈りを捧げるだけの辛気臭い仕事を押し付けられたの。それもきっとあたしが、お姉様たちみたいに綺麗じゃないからよ」
悔しそうに横を向くサリューに、イオは面食らった。イオはサリューのことが綺麗だと思う。最初は空人かと思ったくらいだ。それでもサリューは自分のことを綺麗だと言われて酷くいやな顔をした。たぶん、小さい頃から姉姫たちと比べられて自分に引け目を感じていたのだろうか。
「サリューは綺麗だよ」
「お姉様たちにはかなわない」
「たとえ人がどう言おうと、サリューは綺麗だよ。おれはそう思う」
真顔で言ってから酷く恥ずかしいセリフだと気がついた。
「あんた、変」
サリューはそう言ったが、心なしか嬉しそうな笑みを浮かべた。イオは自分の言葉に顔が赤くなり俯くしかなかった。
しばらくして司教が入ってきた。豊かな場所にある教会だけに僧も身なりに金がかかっている。セスたちも一緒に中に入る。
「姫君にお目にかかれて光栄でございます」
司教は恭しく挨拶をする。
「司教殿、御好意を感謝いたします。しかし、エル・ルマイヤの王家のすぐそばで、ルマイヤの姫とその従者である私たちを受け入れてかまわないのですか」
セスは心配げに尋ねた。
「それをおっしゃらないでください。マドレクの司祭は私の古い友人。彼に頼まれれば断ることなど、出来ましょうか。それに教会は王家の庇護を受けています。王家は民衆を守り、我々はその平穏のために仕えるのが古からの決まりです」
「しかし、ここはエル・ルマイヤの地」
「教会の古文書では王家はもともと一つだったと記されています。創世紀の王家に三つ子の王子が生まれ、王子はそれぞれ王位を願い、長き戦乱の末、国を三つに分けて統治した。王は仲たがいをする王子たちに心を痛め、嘆きの王妃は末の子供を産んだ。その姫は心優しく三つに分断された王家の真ん中の高台に城を築き、そこに王家の象徴たるサラマンドラの牙から削りだしたと言われる剣を隠した。いつかきっと王家は纏まり、いさかいが収まることを望んで……」
司教が口にした話は伝説の一つだった。伝説はそれだけではなく、多くの全く違う伝説が存在する。ただ、ルマイヤの王家が宗主国であることは確かなようだ。それぞれの国の名が、エル・ルマイヤ、アリ・ルマイヤ、ミィ・ルマイヤであり、ルマイヤという言葉を持っている。ちなみにエル、アリ、ミィは古語で北、西、南を意味する。
「司教様。サラマンドラの剣はすべての力の元、大陸の覇権を握る魔の剣とも言われているのでしょう」
「乳母殿、そうかもしれません。ただ、王家が元はルマイヤだった。その創世の姫君をお守りすることは、教会の務めだと思います。もちろん、エル・ルマイヤには私と違う立場の僧がいます。私も表だって行動を起こせるわけではありません」
司教の顔に苦悩が浮かぶ。ルマイヤと違ってエル・ルマイヤは大国。多くの人の利権が錯綜し、権力が複雑な人間関係を生んでいるはずだ。教会が王家と一線を画す、というのが理想といっても、そう済まない状況もあるだろう。
「姫様、長旅だったのでしょう。食事の用意が出来ております。今宵はお城で舞踏会がありまして、うるさいとは思いますが、その際は鎧戸をお閉めください。まずは食堂までおいで下さい」
司教とその供の僧たちが部屋を出ていき、サリュー達が残った。
「姫様、ここは司教様の計らいを受け入れて隊商が来るのを待ちましょう」
セスとバロスに言い含められた。
「わかったわ。私だってそのくらい我慢できるわよ。司教様が食堂で待っていらっしゃるのでしょう。私は着替えます」
凛と言い放ったサリューを残して一同は部屋を出た。司教の計らいで従者のための部屋も用意されている。もちろん侍女のイサだけはサリューの着替えを手伝うために残った。
「姫様、もう用意はできましたか」
返事がないが、そうそうゆっくりとしてはいられない。セスがドアを開けると、奥のソファーの脇からきらびやかなドレスが覗いている。
「姫様、あまり司教殿を待たせるわけにはいきませんから、そろそろ食堂の方に参りましょう」
セスの呼びかけに、うーというかすかな唸り声がする。
「姫様……」
訝って近寄ると、豪華な衣裳の女性が猿轡をかけられ縛られている。
「姫様、どうなさいました」
セスがあわててその戒めを解いたが、そこから現れた人物はサリューではなかった。
「イサ、どうしたのです。誰がこんなことを、姫様は……、姫……」
あたりを見回す。サリューの姿は部屋の中にはない。着替えのためにイサを残して皆、部屋を出た。そのさい、いったい何が起こったのか。
だんだんセスの顔が怒りに満ちていく。
「姫が逃げ出したのですね」
セスが怒鳴る。と自由になったイサが涙を撒き散らしながらセスに詰め寄った。
「私、私は、実家に帰らせていただきます」
「イサ、そんなことはどうでもいいのです。姫はどこに行ったのです」
「セスさん、私のことはどうでもいいんですよね。そうですよ、私なんかどうでもいいんです。どうせ、私なんか。私なんかどうでもいいんですから。六歳の時、お城に上がってから私は苦労のしどうしです。お姫様の遊び相手だという話だったのに、やることといえば剣のお相手、姫様がお城を抜け出す時は無理やりお伴をさせられ、下町のガキ大将と喧嘩ばっかり。挙句、国を離れてこんな異郷で姫様に縛りあげられるなんて、もう身も心も疲れました。実家に帰らせて下さい。もういやです」
イサは大声で泣き出した。こうなってしまっては彼女から何も聞き出せない。王宮に上がってからイサは不運の連続だ。上の三人の姫の侍女になっていたら、わがままに振り回されることもなかったし、こんな異国で路頭に迷うことはない。たまたま付いた姫がサリューだったために被らなくてもいい苦労を重ねている。田舎から出てきたのんびりとした少女はすっかりいじけていた。
「司教様が腹減らしているんじゃないか」
のんびりとリアンが声をかけた。
「そうよ。大変だわ。姫様が勝手に出ていったことがわかったら……」
「司教様の立場もないな。あの御方、多分、おれたちをここに匿っていることだけでも教会の他の僧に睨まれるだろうし」
セスとバロスがイサを見た。
「何ですか……」
「お前は見た目、姫様に似ているよね。その髪を結いあげてベールをかぶればなんとか誤魔化せるわ」
「え、え、え……」
もちろんイサに反論する余地はない。
イサを身代わりにして抜け出したサリューは、どこにいくのか。大人しくしていないヤンチャな姫に振り回されるイオは、どんな騒動に巻き込まれるのか。




