エンディング:終わりではなく、“問い”として
(ラウンド5が静かに終わり、スタジオの照明が少しだけ落ち着く。
コの字型のテーブルに座る四人は、わずかに姿勢をゆるめている。司会者あすかが中央に立ち上がる)
あすか(ゆっくりと)
「……ありがとうございます。
言葉の熱がまだ、この空間に残っていますね。皆さんの目の奥に、議論の火が灯りっぱなしで。ちょっと、まぶしいくらいです。」
(微笑を浮かべながら、観客席を向く)
あすか
「“善と悪”というテーマ。あまりにも古くて、あまりにも新しい。それは誰かに教わるものじゃなく、でも一人で決められるものでもなく、こうして対話することで、ようやくその輪郭が浮かび上がってくる。…そんな気がします。」
(テーブルに目を向ける)
あすか
「ではここで、皆さんから最後に一言ずつ、今日の対談を振り返って感じたこと、
あるいは視聴者に伝えたい“ことば”をお願いできますか?」
(荀子がゆっくりと立ち上がる。手を後ろで組んで、落ち着いた声で)
荀子
「…人の本性は、変わらぬと私は思っている。悪を抱えたまま、善へと向かおうとする。その過程こそが、“人間らしさ”というものなのかもしれぬな。」
(あすかが小さく頷く)
(モーセは椅子に座ったまま、目を閉じて語る)
モーセ
「律法を授かって以降、私は何千度も、“これは善か”と自問してきた。だが今日、その問いを人間の言葉で語ることに、少しだけ意味を感じた。
…神は、それを喜ばれるかもしれん。」
(カトリーヌら静かに立ち上がり、あすかに軽く会釈してから、聴衆に向かって話し出す)
カトリーヌ
「私の名は、歴史の教科書に“悪女”と記されるかもしれません。
でも、それでも良い。
もしその“悪”の中に、誰かの未来を守った“善”があると信じられるのならば――。」
(少し目を伏せて)
「…私は、その矛盾の中で、これからも眠り続けます。」
(ドストエフスキー立ち上がらず、両手を膝に乗せたまま、空間に語りかけるように)
ドストエフスキー
「人間は、善と悪の間で裂かれた存在です。
でもそれを“苦しみ”と呼ぶのは…もしかすると、私たちだけなのかもしれない。
神は、“その矛盾”にこそ、人間の尊厳を見出されている――…そんな気が、今はしています。」
(あすかがゆっくりと中央に戻り、両手を胸の前で軽く合わせる)
あすか
「……きっと今日の対談に、“正解”はありません。
でも、問いがたしかに残りました。それは明日、誰かが誰かに優しくする時に、あるいは、自分自身に厳しくしようとする時に、そっと思い出されるような、そんな問いだと信じています。」
(スタジオの照明が柔らかく広がる。音楽がゆっくりと入り始める)
あすか(最後に微笑みながら)
「ご覧くださった皆さんにとって、今日が“考える物語”のはじまりになりますように。
それでは、またお会いしましょう」
(深々と一礼。拍手の中、映像はフェードアウト)