みんなの質問コーナー
(スタジオ照明が柔らかく灯り直される。音楽がやや明るいトーンに変わり、会場の空気もやや和らぐ。司会席に立つあすかは、やわらかな笑顔でカメラに向き直る)
あすか
「ここまで、少しずつ濃度が増してきた議論。そろそろ皆さんの頭も、ふわっと煙が立ちそうかもしれませんね……。というわけで!」
(間を取って)
あすか
「ここで、少しテンポを変えて、スタジオの観覧席からの質問コーナー、“声を聞く時間”をお送りします!」
(軽い拍手。観客席から明るく照らされた一角に、マイクを持つ若い女性が立つ)
質問者(大学生風の落ち着いた女性)
「はじめまして。私は哲学を学んでいる者です。今日は皆さんのお話にたくさん感動して、思いきって手を挙げました。
質問は、ドストエフスキーさんにです。」
ドストエフスキー(穏やかに微笑む)
「どうぞ。」
質問者
「“人は悪を選ぶことで、自分が生きていると感じる”というお話がとても印象的でした。
でも、それは“快楽”や“破壊”を肯定することにもつながりませんか? 悪を肯定する誘惑に、どう向き合えばいいのでしょうか?」
(ドストエフスキーが少しうつむき、考えるように指先を組む)
ドストエフスキー
「……ご質問、ありがとうございます。
私は人間の“内面の矛盾”を、そのまま書こうとした作家です。確かに、悪には一種の快楽があります。
でもそれは“破壊する喜び”ではなく、“自分が何者かだと感じたいという切実な願い”の裏返しなのです。
悪を否定するためには、まず悪の中にある“叫び”を聞く必要がある。その声を聞いた上で、初めて“善”を選ぶ力が生まれます。」
(あすかが感心したように頷く)
あすか
「“悪を否定するには、まずその叫びを聞く”……名言いただきました!」
(場内やや笑い)
あすか
「続いて、もう一つ。今度は男性の方、どうぞ!」
(中年の男性。職業は公務員風)
質問者2
「荀子先生にお聞きします。
“礼”や“教育”が大切というお話、まさに今の日本でも通じると思いました。でも、現代は“個性”や“自由”が重視される時代です。
“型にはめる教育”は時代遅れ、という批判に対して、どう答えますか?」
荀子
「……良い問いだ。まず、“礼”とは“型にはめる”ことではない。むしろ、“共に生きるための作法”を学ぶ場だと、私は考えている。
個性は否定しない。だが、欲望のままに個性を貫けば、他者との関係が壊れる。“自由”とは、秩序の中でこそ光るものだ。」
質問者2
「……ありがとうございます。“自由は、秩序の中でこそ光る”……納得です。」
(あすかが満足げに)
あすか
「名言、連発ですね。じゃあ、あとひとつだけ!ラストは、この方!」
(女子高生らしき明るい声)
質問者3
「カトリーヌ様に質問です!私は将来、政治家を目指してます。
でも“政治って汚い”ってよく言われて、ちょっと不安になります。
カトリーヌ様は“善い政治”って、どうやって保てると思いますか?」
(カトリーヌが穏やかに笑みをたたえて)
カトリーヌ
「それは、すばらしい志ね。
“善い政治”とは、最初から決まったものではないの。あなたが“何のために苦しむか”で、初めて形になるものよ。
誰かを守るために痛みを受け入れたとき、はじめて“善き政治”があなたの中に宿る。
それでも、“悪女”と呼ばれる覚悟があれば……ね。」
(質問者が小さく深く頷く)
あすか(静かに)
「……言葉の余韻が、じんわり沁みてきますね。
それでは、質問コーナー“声を聞く時間”はここまで。ありがとうございました!」
(拍手。観客席がやや明るくなり、温かい雰囲気のなか次のラウンドへ移る準備が進む)
あすか
「それでは、いよいよ本日の最終テーマへと参ります。
善と悪は、対立するものか? それとも……共にあるものなのか?
歴史の知性たちが最後に向き合う、“根源の問い”。どうぞお見逃しなく!」