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 明け方に、携帯電話が急に通じた。

 

 吹雪が止んだため、電波の通りがよくなったのだろう。

 電話してきたのは氷浦教授だった。通じてすぐにかかってきたところをみると、一晩中かけ続けてくれていたのかもしれない。

 フォウを発見して、今も一緒に避難小屋で無事に過ごしていると和彦が伝えると、氷浦は大きな安堵の溜息をついた。

 

 それはたぶん、フォウのためだけではない。

 親友のためにいきなり豹変して無謀なことをするようになった、手のかかる己の養子に対しての方が大きいのではないか、と和彦は申し訳なく思った。

 

 救助隊が今まさにこちらに向かっていることも、氷浦教授から教えてもらった。

 

「わかりました。フォウくんを起こして、高台に移動します」

 

 なんと、フォウくんはこの状況でいつものようにぐっすり寝ているのかね、といって氷浦教授も笑っていた。

 

 九条とも連絡が取れているとのことだった。

 

「フォウくん、フォウくん」

 

 揺り起こしたら、フォウは猫のようにううんと伸びをした。

 いつもは起こすのが大変なのだが、伸びをしたら和彦の腕の中からはみ出てしまって、寒かったのだろう。わっと叫んですぐに目を見開いた。

 

「うへえ、寒いや」

 

 その頃にはもう薪も尽きて、ぶすぶすと煙を出すばかりになっていた。

 小屋の建てつけが悪いせいで、かえって黒煙が室内にとどまらなかったのは幸いだった。

 フォウの上着と靴下も、なんとか乾いていた。

 そう指摘すると、フォウは獲物に飛び掛かる勢いで、慌てて衣服を身につけた。

 

 火の始末を念入りにして、小屋を出た。

 

 夕べの吹雪が嘘のような好天である。

 

「おおー。お日様だー」

 

 外に出たフォウが太陽に向かって、気持ちよさそうに手を組んで背中を伸ばした。

 

「気をつけるんだぞ。沢は雪崩が起こりやすいんだから」

 

「はいはい、わかりました」

 

 危機を乗り越えたらすぐにお調子者に戻ってしまうのも、フォウならでは。

 こんなに心配しているのにと、和彦はむっとしてしまう。

 

 それも、フォウの軽口で軽くいなされた。

 

「思ったんだけどさ、和彦さんって腕輪で雪を制御できるじゃないか。夕べだって、もしかして吹雪にいうこときかせて、雪も風もない道を作るとか、できたんじゃねえ?」

 

「できるかもしれないけど、そのためにどれほど体力を消耗するかと思ったら、怖くて試せないよ。ましてや、そのプランだと僕は、君をかついでいかなくちゃいけないんだろう?」

 

 フォウの口調に合わせて、おどけた調子で和彦は返した。

 弾けるようにフォウが笑った。

 

 慎重に坂をのぼって、丘の上に出た。

 

 二人とも、遭難者というほど体力は消耗していない。このまま人里まで歩いてもいいな、せっかくの救助隊に申し訳ないけど。

 などといってはやるフォウを、和彦はなんとか押しとどめた。

 

「救助隊はたぶん、食料も持ってきてくれると思うよ。フォウくんは昨日から何も食べてないんだろう?」

 

「あっ。確かにそうだった」

 

 思いだすとすぐに鳴るフォウの腹も現金なものだ。

 

 携帯電話で場所は伝えてあるし、救助隊もそれで理解してくれたようだ。いざとなればGPS機能を使うこともできる。


 のんびりと高台に二人並んで、朝日を浴びて救助隊の訪れを待つことにした。

 

 そうしておいてよかった。

 

「おおーい、和彦、フォウ!」

 

 あたりはばからぬ大声が響いてきたと思ったら、丘の向こうから九条が現れたからである。

 

 無線機も朝になると感度がらよくなったので、九条は位置情報の伝達以外にも氷浦教授とおしゃべりをした。その中で、和彦とフォウが、自分のいるところからけっこう近くの避難小屋にいることを知ったのだそうだ。

 

「どうせなら救助隊の手間を省こうと思ってな。お前たちに合流することにしたんだ」

 

「あれ?」

 

 フォウが首をかしげた。

 

「九条先生、ファラと一緒だったんじゃないんですか?」

 

「ファラ? ああ、あのコスプレした娘さんか」

 

 九条が少し申し訳なさげに頭をかいた。

 

「俺も一緒に来るよう誘ったんだが、断られちまってな。珊瑚もきっと礼を言いたかっただろうに。叱られちまうなあ。

 けれどもなんか、どうしてもお前らに会いたくないみたいなことを言うからよ。お前ら、あの子になんか嫌われることでもしてんのか?」

 

「いや、それは……」

 

 和彦とフォウは、困ってしまって顔を見合わせた。

 嫌うというなら、それはもう嫌っているに違いないけれど。

 

「どうしてもダメだと強情に言い張るし、山の歩き方も十分に心得ている娘だから、それ以上は俺もゴリ押しできなくてよ。一刻も早く帰らなくちゃいけないというんで、しかたなく洞窟の出口で別れたんだ。ああ、心配しなくても大丈夫。俺の二十倍くらいピンピンしてたぞ」

 

「えー……そういう問題じゃなくて……」

 

 どちらにしても、なんとも元気な遭難者たちである。

 救助隊の人たちが怒り出すのではないか、と和彦は密かに心配し始めた。

 

 いっそ、どの人も自力で下山できますよ、と今からでも連絡したほうがいいのだろうか。和彦がそんなことを真剣に考え始めたときだ。

 

 丘のふもとから上がってくる集団が目に停まった。

 

 あれが救助隊?

 

 よく見れば、救助隊にしては人数は少なかった。体格のいい男ばかりなので、一瞬見間違えたのだ。全員が雪山登山の恰好をしていた。ピッケルも持っているし、靴にはアイゼンがはめてある。

 

 自分たちと同じように、吹雪に迷っていた登山者だろうか。

 

 だが、近づいてくると顔だちもはっきりしてくる。どの男も、どう見ても日本人には見えない。それどころか、全員が凶悪極まりない不敵な面構えをしている。

 

「あっ! あいつらだ!」

 

 フォウがそちらを指さして、大声を出した。

 

「和彦さん、あの、先頭にいる三人だよ! あれが珊瑚ちゃんをさらった連中なんだ!」

 

 うえっ、と九条も唸った。

 

「くそ、しつこいやつらだぜ。こんなところまで追いかけてきやがるとは。数も増えてやがるし」

 

「それにしても、あいつらなんでまた、今このときこの場所へ、ピンポイントにやってこれたんですかね? 氷浦教授や救助隊でさえ、九条先生の現在地を確認できたのは今朝になって無線がつながってからだったんでしょう?」

 

「だから、無線の傍聴でもしてたんだろうよ」

 

 苦虫を噛みつぶしたような顔で九条が吐き捨てた。

 

「やつらは山岳を根城にしていた強盗団だから、そういうのはお手の物だ。交信してる内容はわからんでも、無線の発信場所を突き止める手段を持っていたに違いねえ」

 

 さんざんに失敗した珊瑚の誘拐作戦はもうあきらめたらしい。

 そのこと自体はよいのだが、あの剣幕を見たら、九条の身体を一寸刻みにするくらいのことはやりそうだ。

 

「どんだけ恨みを買ってんですか、九条先生。脱獄できたんならそれで人生の運は使い尽くしたと思って、こっそり隠れて暮してればいいのに。わざわざ復讐のために、日本くんだりまでやってきて、吹雪もかまわず山に入ってくるって、よっぽどのことですよ」

 

「まあ、大金も絡んでるからなあ」

 

「大金? その話は聞いてないですよ!」

 

 そうしている間にも、男たちは何やらアメリカ英語っぽいスラングを口々にわめきたてながら、こちらに向かって丘を上がってくる。

 ピッケルを振り回しているのはともかく、中には拳銃を取り出したり機関銃を構えたりするのが現れるに至って、ようやく和彦も真剣になった。

 

 目交ぜでフォウに合図を送り、腕輪をはめた左手をそっと地面の雪の上につけた。

 

 声を出さぬよう気を付けながら、念をこめる。


 九条に知られたくないというよりは、よけいな説明をする時間が惜しかったというほうが正しい。

 腕輪の輝きは幸いなことに、防寒着の袖に隠されて九条の目には止まらない。

 

 和彦の足元の雪が凍った。

 

 剣呑な男たちの足元に向けて、一直線を描くようにして、地面の雪がどんどん凍っていく。その部分だけが、氷で作った道のように、硬質な輝きを発する。


 しかしそれは地面で音もなくひそやかに進行しているので、男たちは誰も気づかない。

 

 氷の道が先頭の男のところまで達した。

 

 気づかぬままそこを踏みつけた、その足が凍った。

 驚いた男は叫びながら足を地面から引き抜こうとするが、もう一方の足も凍って、雪道に張り付いてしまっている。

 両手で片足を抱えて引きはがそうとしているが、足はしっかりと地面に縫いつけられて、それ以上動けない。

 

 二人目、三人目と、次々と男たちの足が凍り付いていった。


 ほんの少しでも雪に足の裏が触れていれば、それが運の尽き。走りかけのおかしな恰好のまま、固定されてしまう。

 

 ガッデム、とかなんとか叫びあっていた男たちが、憤怒の形相で銃口を九条のほうへ向けた。

 急に自分たちの足が凍り付いた原因と対策を考えるよりは、九条を襲撃するという当初の目的を果たそうというつもりだ。

 

 どっこいそのときには、フォウが動いている。

 

「やらせるかよっ」

 

 素早くマッチを擦り、生じた炎を輪の形にして投げ付けた。

 続いて二つ、三つ。


 どの輪も狙いどおり、銃を握りしめた男たちの腕へすぽんとはまった。

 はまったらすぐ、炎がぎゅうと手首を締め付ける。

 肉の焦げる嫌な臭いがして、男たちが情けない悲鳴を上げた。


 拳銃も機関銃も、こうなってはなんの役にも経たない。

 男たちが火を消そうと腕を振ったせいで、銃は手から離れて地面に落ちる。落ちた銃や機関銃には、さらにフォウの炎が追いすがる。

 炎に包まれた武器は、もはや拾い上げることもできないくらい熱を持っている。

 

 その間に動き出したのは、今度は九条だった。

 

「このっ、野郎ども!」

 

 フォウと和彦が止める暇もなく、すごい勢いで男たちに飛び掛かった。

 当たるを幸い次々と殴り倒していく。

 

「よくも俺の娘に怖い思いをさせやがったな!」

 

「あーあーあー。もうっ」

 

 呆れながらもフォウが加勢に出た。

 炎をまとわりつかせたまま、混戦の中へ飛び込んでいく。


 こちらも腕っぷしは折り紙つきだから、二人そろえば天下無敵。

 大暴れしているうち、男たちは全員が地面へはいつくばる羽目になった。

 

 最後の一人を雪の上に叩きつけ、九条は背中からのしかかってそいつの腕を背中に折り曲げた。

 無意識に手が腰の後ろをまさぐっている。

 だが、もうそこに手錠はない。

 そのことに自分でも気づいて、ちっと舌打ちをした。

 

「フォウくん、九条先生!」

 

 今さらのように、和彦は二人のところへ駆け寄った。

 九条は気づいていないが、手錠がなくとも、いったん地面へ倒れこんだ男たちの身体は、和彦が凍り付かせてしまっている。

 このまま官憲がやってくるまで、知らぬ顔をして氷の彫像のままにしておくつもりだ。

 

 もちろんそのことに、フォウは気づいていた。

 和彦をちらりと見やって、いたずらっぽく目くばせをよこしてきた。

 

 下界へ目を向けて、陽気な声を張り上げる。

 

「おっ! ようやく救助隊のおでましのようだぜ!」

 

 おーいと手を振ると、雪の坂道を上がってくる人々が手を振り返してきた。

 その中には珊瑚と氷浦教授の姿もあった。


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「なんだと? 結局、機械人形の残骸は発見できなかったというのか!」

 

「はい。申し訳ありません」

 

 ファラはアイザスの居室に戻ってきていた。

 

「いろいろ探ってはみたのですが、あの町の者は誰も、戦闘があったことさえ知らない様子でした。同じ日に大きな雪崩があって、町の一部が埋もれてしまったという話も聞きました。おそらく、その混乱の中で機械人形も雪に流され、行方不明になってしまったのではないかと……」

 

「行方不明などということがあるか!」

 

 アイザスがかんしゃくを爆発させた。

 

「雪に流されたものは、必ず雪の中で見つかるものだ!」

 

「しかし、それが品物であれ人であれ、雪に埋もれてしまったものを探すのが至難の技だということは、アイザス様もご存じのはず……」

 

 ファラは静かに抗弁した。

 

「春になって雪が溶けねば見つからぬ……ということもございましょう。もう少しお時間をいただければ、そのうちに私めがきっと……」

 

「もういい!」

 

 投げ付けられた枕はファラの足元に落ちた。

 ファラは黙ってそれを拾い上げ、片腕に抱えた。

 

 アイザスはまだ病床にある。

 時には強がって兵錬場に姿を表すこともあるが、すぐに真っ青になってへたりこんでしまう。

 いつまでたっても、どんな治療をしても、リューン・ノアにえぐられた腹の傷はじくじくと熱を持ったまま、癒着するきざしもない。

 それがリューンの腕輪の力であり、だからこそアイザス・ダナはリューン・ノアを憎みつつ、腕輪を欲しがる。

 駄々っ子のようにわがままを言って、部下に八つ当たりする。

 

 それがわかっていて。

 

 ファラは、アイザスに対する思慕の情を覆すことはない。

 己を初めて人間として認めてくれた人。底辺を這いずるしかなかったはずの人生から、引き上げてくれた人。

 その人のためなら、一生を捧げて悔いはない。


 けれども。

 

 ふと、あの地球人を思いだした。

 

 娘を案ずる父だった。

 初対面でありどう見ても怪しい人物だったはずのファラに、なんのこだわりもなく接してくれた。

 自分の娘にするように気遣いの言葉をかけ、ファラに自分の上着を着せかけてくれた。あの温かさは、今でもはっきりと思いだせる。

 

 こういう人が父であったら、と夢想した。

 

 ぶるふる、と首を振って、ファラは急いで自分の頭から記憶を追い出そうとした。

 

 いいや、あいつらはすべて敵。

 アイザス様のために、倒さねばならぬ者のうちの一人。

 

 なのに。

 思いだすたびに胸の奥が温かくなるのは、なぜなのか。

 

 枕を抱え、黙礼をして踵を返そうとしたら、アイザスがまた荒れた。

 

「待て! 俺の枕を持ち去って、お前はいったい何をどうする気なんだ!」

 

「アイザス様に汚れた枕を使っていただくわけにはいきません。新しい枕と取り替えて参ります」

 

 さすがにこの返事にはなんの文句も考えつかなかったのだろう。ウッといってアイザスが詰まった。


 その間にと、ファラは急ぎ足で部屋を後にした。

 

 廊下でムルスに出会った。

 

 ムルスはまだ、新しい腕の制御に苦心しているようだった。

 銀色に光る機械仕掛けの、表面に金属の継ぎ目がたくさん入った腕。指も金属がむき出しのまま、関節代わりのベアリングで繋がれて、ぎこちなく開いたり閉じたりしている。

 

「おお、ファラさま。お帰りなさいませ」

 

 端に寄ってかしこまったムルスが、ファラの表情に気づいて、怪訝な顔をした。

 

「なんだ? 私が、どうかしたか」

 

「いえ、その」

 

 口ごもりながら、ムルスが答えた。

 

「何かよいことでもございましたか?」

 

「え?」

 

「なにやら、楽しそうに微笑んでおられましたが」

 

「……そうか?」

 

 ファラは少し頬を赤くした。


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