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 この一連の事態を受けて、最も感情を昂らせたのはたぶん、和彦だったに違いない。

 

 珊瑚と九条からの連絡を氷浦が受けたとき、和彦も隣で無線を聞いていた。

 どこを取っても驚愕の事態ではあったが、特に、フォウの行方不明を聞いて、冗談抜きで本当に卒倒しかけた。

 

 椅子に座らされ、水を飲まされた。

 

「大丈夫かね、和彦。とにかく、落ち着きなさい」

 

「これが落ち着いていられますか!」

 

 和彦は噛みつかんばかりに言い返した。

 

「だってフォウくんは今、九条先生と一緒にはいないんでしょう? 車と共に崖から落ちて、そのとき車の運転席にいて、その後は九条先生にも行方がわからないというんでしょう? そんな話を聞かされて、どう落ち着けというんです!」

 

「まあまあ、和彦」

 

 氷浦は息子をなだめようと試みた。

 

「フォウくんのことだ、きっと無事でいるよ。あの山はそんなに深くないから」

 

「でも、外は吹雪じゃないですか!」

 

 和彦は泣かんばかりだった。

 

 いくらフォウの身のこなしが素早いといっても、これは自動車事故である。九条はけがもしていないというが、それもただの偶然の範疇に過ぎない。

 どんな傷を負っているかわかったものではないうえに、フォウは雪山にも慣れていないのだ。

 

「落ち着きなさい、和彦。よしんば雪に降りこめられていたとしても、フォウくんは自分で火を起こせるんだよ」

 

「いいえ」

 

 和彦は決然として立ち上がった。

 

「僕が助けに行ってきます」

 

 そうと決めれば猪突猛進。

 というのはフォウの専売特許であったが。和彦とて、洒落や冗談ではない。

 フォウのために何か行動を起こさなければ、今ここで生きて呼吸していることさえ自分で自分が許せなくなる。

 

 吹雪の最中の雪山へ救助に出掛けるのが愚の骨頂であることなど、リューン出身の和彦は嫌というほど知っていた。

 だから、どうだというのだ。

 彼の死ぬときは自分の死ぬとき。そう決めたではないか。

 

 和彦は氷浦の手を振り切って、外に飛び出した。

 

 いつものジープはフオウが乗って行って崖から落としてしまったので、残っているのは山道には頼りない氷浦のセダンだけだった。

 かまわず、吹雪の中を事故現場まで走らせた。

 気持ちは焦るが、研究所から町までは小旅行ほどの距離がある。着いたときは深夜をすでに過ぎ、雪や風もますます激しくなっていた。

 

 吹雪の訪れで、警察の現場検証も途中で放り出されていた。車のライトに照らし出された道には、警察のつけたチョークの跡がかすかに残っていた。

 

 それと、転落の原因になったという落石と。

 

 路肩もガードレールも、派手に壊れたままになっていた。事故のすさまじさを思って、和彦は背筋を震わせた。

 

 セダンをその場に放り出し、一気に崖を滑り降りた。

 

 吹雪とはいっても、リューンに生まれた者にとっては、この程度の風雪は怖くもなかった。いわゆる一夜吹雪といわれるもので、朝にはおさまってしまうだろう。

 だからといって油断は禁物と、リューンの民なら幼い頃から教えこまれているのだが。

 それも、大切な友の安否がかかっているなら、忘れてもいい記憶だ。

 

「フォウくん、どこだ!」

 

 吹きすさぶ風に負けじと、和彦は叫んだ。

 

「返事をしてくれ!」

 

 頼むから。

 

 フォウは雪山の歩き方を知らない。迷ったときには沢を下ってはならないという、基本中の基本さえ理解していないだろう。

 川の上に雪がつもると、見かけだけは、歩きやすい道のように見えるのだ。しかしその下には草生えや窪みによる空洞が隠れていて、踏み抜けばたちまち深い雪の下に転落である。

 そこが地面からどれほど離れているかもしれない、自然の作った残酷な罠。山男なら誰でも知っていることだ。

 

「フォウくうん!」

 

 しかし和彦は、あえて危険を承知で沢道を行き来した。

 素人目に安全な道に見えるということは、フォウにもそう見えているということだ。

 下手をするとすでに雪の中へ落ちこんで、身動きがとれなくなっているかもしれない。

 

 二度目に沢を下ったときだ。

 

 吹雪の中に、明るい炎を見た。

 

 正確には、見えたのはぼんやりとした光のまたたきだけだった。

 けれども和彦には確信があった。

 あれはフォウの炎だ。フォウの色だ。

 沢の向こう側。

 そこにフォウがいる。

 

「フォウくん、フォウくん!」

 

 叫んで、和彦は走り出した。

 

 危なっかしい沢の上のやわらかい雪を蹴散らし、ちらちらとまたたく明かりを頼りに探し回った。

 

 朽ちた避難小屋を見つけた。

 

 小屋というにもためらわれるほどの、物置くらいの大きさの建物だった。

 割れた窓から明かりが漏れている。

 さきほど雪に反射していた光の源だ。


 がたついた扉を蹴り開けた。

 

 そこに、フォウがいた。

 

「和彦さん⁉」

 

 振り返って、目をまん丸に見開いた。

 

 びしょぬれの全身を縮こまらせて、両手の中に自分の作った炎をおさめ、彼はそれでなんとか暖をとろうとしていた。

 

「ばっ」

 

 和彦は唇をわななかせた。

 

「ばかっ! なんてことをしている!」

 

 見れば小屋の中央には、床板を四角に切り取った火起こし場も作られている。狭い部屋の隅には申し訳程度とはいえ、薪の用意もあった。

 フォウの操る火は幻覚などではなく、マッチを擦って作る本物の炎だ。

 それを使えばすぐに、焚火をすることができたはずなのに。

 

「え、だって煙抜きの穴もないし、こんな狭い小屋の中で焚火なんかしちゃいけないのかなって……」

 

「ばか!」

 

 和彦はまた怒鳴った。

 

「君は遭難者で、ここは避難小屋なんだぞ! 命より大事なもがあると思っているのか! むせようが小屋が焼けようが、君が生きのびることのほうが先決じゃないか!」

 

「ばかばかって、ひでえなあ和彦さん」

 

 ガチガチと歯の根も合わないほど震えているくせに、フォウの口は少しも減らない。

 

「生きるの死ぬのっていうけど、ほら見てのとおり、俺は死んじゃあいないだろう? こうやってピンピンして……」

 

「うるさいっ」

 

 和彦は有無を言わさずフォウに飛び掛かった。


 まず、濡れた靴を脱がせて、靴下を強引にはぎ取る。現れた足の指にまだ血の気が残っているのを確認して、まずはほっと安堵の息を吐いた。

 よかった、凍傷にはなっていない。

 

 自分の首からマフラーを外し、フォウの裸足の上からぐるぐると巻きつける。

 両方の足を一度に巻いたので、フォウは立ち上がることもできなくなった。

 

「わわ、何すんだよ和彦さん」

 

 抗議の声を聞かないふりで、次には、薪をすべてかっさらってきた。

 心もとない量だが、朝まではほんの数時間といったところ。この吹雪も朝には止むと、リューンの民だった頃の感覚が告げている。

 とにかく今は、フォウを温めることが先決だ。

 

 厳しくフォウに命じて、手にした火を薪に移させた。

 本来なら薪からいきなり火を起こすのは難しい技だが、さすがはフォウの操る炎である。彼の精神力を糧に、たちまち薪にくらいついて真っ赤に燃え上がらせた。

 

「上着も脱いで、ほら早く」

 

「ええ? やだよこんなに寒いのに、上着がなかったらもっと寒くなっちゃうじゃないか」

 

「濡れた上着がなんの役に立つ!」

 

「大丈夫だよ、これは防水加工してあるから、中までは水もしみてないよ」

 

「だからこそじゃないか!」

 

 和彦はしかりつけた。

 

「防水加工の布だって、それが布である限り、じわじわと水は通してしまうものだろう。せっかく中が乾燥しているなら、部屋を温かくしているうちに、上着を外側から乾かしてしまったほうがいいんだ」

 

「ええー……」

 

「寒いなら僕の上着を貸すから!」

 

「だめだよそんなの。それじゃあ和彦さんが寒くなっちゃうじゃないか」

 

「僕はいいんだ!」

 

「なんだよそれ。俺のことをいっつも子ども扱いしやがって。俺はあんたが助けに来てくれなくったって、自分でなんとかできたんだからな!」

 

「ああ、もう!」

 

 さすがの和彦も、堪忍袋の緒が切れた。

 いつもならフォウとのこういった言い争いを我慢して続けるだけの忍耐力はあるつもりだが、今は非常事態である。南国生まれの呑気な言い分に耳を傾けている場合ではない。

 

「うわっ、なにすんだよ和彦さん、俺は嫌だって言ってるじゃねえかよ。この程度の寒さなんか……」

 

「うるさい!」

  

 和彦は強引にフォウの上着をむしりとった。

 足をマフラーで二本まとめてくるまれているフォウは、抵抗らしいこともできない。


 上着の下は例によって油断にもほどがある半袖シャツ姿なので、たちまちフォウは寒さで震えあがった。

 なるほど、これがあるから、上着を脱ぎたがらなかったわけか。

 

 かまわず和彦はフォウの上着を広げて濡れ具合を確認した。

 いちばんひどい肩のあたりを火の近くへ向けると、たちまち上着から蒸気が上がり始める。

 

 震えているフォウに自分の防寒着をかぶせようとしたが、フォウは両手を振り回してそれを拒んだ。

 

「ダメだって言ってるじゃねえか! 和彦さんだけに寒い思いをさせて、それで一人だけでぬくぬくとしていられる俺だとでも思ってんのかよ!」

 

 確かにそれは、そのとおり。

 

 溜息をついた和彦は、どかっとフォウの隣に座り込んだ。

 戸惑うフオウの肩を引き寄せ、自分の肩ごと防寒着の中へくるみこんでしまった。

 

「これならいいだろう?」

 

 男二人には、和彦の防寒着では小さすぎるのは承知のうえ。できるだけフォウを抱え込んで小さくなって、自分の体温も使って彼を温めようとした。

 

 本人が主張したとおり、シャツまでは濡らしていないのが救いだった。

 手の指も、さっきまで炎で温めていたおかげで凍傷とは縁がなさそうだ。

 

「……面目ない」

 

 やがて、小さな声でフォウが言った。

 

「まさか、こんなことになるなんてよ。俺はただ、村で九条先生への伝言を届けたら、すぐに研究所へるつもりだったから……」

 

「僕は君を責めているんじゃない」

 

 和彦はフォウをたしなめた。

 

「ただ、君は南国生まれのせいか、どうしても吹雪や寒さを軽視してしまうじゃないか。この程度の一夜吹雪でも、油断をすれば低体温症で死んでしまうこともあるんだよ。

 僕がリューンから来たせいで、過剰に心配しているとか、そういうわけじゃないんだ。この地方に住む人でも、君がずぶぬれで火も起こさずに一夜を過ごそうとしていると知ったら、馬鹿な真似はよせと叱ったはずさ」

 

「火は起こしてたじゃないか」

 

「あれは、起こすとはいわない」

 

 薪は威勢よく燃え、照り返しで二人をほんのりと温めてくれた。


 和彦がフォウのむき出しの腕を擦ってやると、フォウはぶるっと震えて猫のように喉を鳴らした。身体が温まってきたので、気持ちもくつろいできたようだ。

 現金だなあと、和彦は笑ってしまった。

 

「それで、村にいたはずの君が、なぜここにいるんだ?」

 

 概要は珊瑚と九条からの無線で語られたはずだが、動転したあまり、和彦は事の次第がよくわかっていなかった。ただ、フォウが吹雪が迫る中で遭難したということばかりが頭に突き刺さり、闇雲に飛び出してきたのだ。

 

「俺にも実は、あんまりよくわかってないんだけどさ」

 

 ぼそぼそとフォウが話しだした。

 

「最初は氷浦先生のところに、アメリカからの国際電話があったんだ」

 

「父さんに?」

 

「研究者はたいていメールを使うのに、直接電話なんて珍しいなあと思ってたら、血相変えた氷浦教授が九条先生に無線連絡をしようとして、けれど九条先生のとこの無線の設定がずれててて、つながらなくて。そしたら氷浦教授が俺に、九条先生のところへ言って無線の設定を直すよう言ってきてくれって」

 

「ええ? 伝言を頼むんじゃなくて?」

 

 それはつまり、どうしても直接に話さなくてはならない内容だった、ということか。

 

「そしたら九条先生がいきなり飛び出してきて、珊瑚ちゃんが危ないから町へ連れてけって、すごい剣幕で。だから九条先生を乗せてジープで高校まで行ってみたら、そこでは、珊瑚ちゃんがアメリカ人の集団にさらわれたといって大騒ぎになってたんだ」

 

「アメリカ人……?」

 

 和彦はさらに首をかしげた。

 

「な? わけわかんねえだろ? 俺だってチンプンカンプンさ。けど九条先生が後を追えってわいわい言うし、もちろん俺だって珊瑚ちゃんを助けなきゃと思ったから、学生たちが教えてくれた方向へ向けてジープを飛ばしていって。そしたら……」

 

「そうしたら?」

 

「ファラがいて」

 

「ええ⁉」

 今度こそ、和彦は困惑のあまり大声を上げてしまった。

 

 ファラといえば、アイザス・ダナの懐刀。

 徒手空拳での戦闘を得意とするリューンの女戦士ではないか。

 

「なんでそこで、ファラが出てくる?」

 

「俺だって知りたいよ」

 

 投げやりにフォウが答えた。

 

「とにかく、俺たちが着いたときにはファラが珊瑚を助けようと奮闘してたんだよ。えらい装備の四人組の強盗団とか聞いてたのに、全員ファラに簡単にのされちゃってて。

 そしたら、機関銃を持った男一人が息を吹き返しちまってさ。そいつが油断をみすまして、ファラを気絶させて。珊瑚ちゃんを盾にして俺たちのジープを奪って。ファラをジープに乗せて、珊瑚ちゃんごと逃げようとしたってわけさ」

 

 聞いているだけて和彦は頭が混乱してきた。

 

「だから、俺と九条先生はもう無我夢中でジープに取りついて。なんとかハンドルを取り返して。誘拐犯を車外に蹴りだしたのはいいものの、そこにいきなり落石が……」

 

 和彦は頭痛さえ覚え始めた。

 なんだ、このわけのわからない話は。

 

 思えば九条や珊瑚からてんでばらでらにこの混乱した事態についての連絡があったときも、氷浦教授はそれでも冷静に話を聞き、理解もしていた。

 さすがは異郷からやってきた亡国の王子を自分の息子にしてしまう人だ。胆力が違う。

 

「いや、それだけが理由じゃないだろ」

 

 フォウが言った。

 

「俺もずっとひっかかってたんだけどさ。この一連の事件、裏に隠れたなんかの事情があるんだと思うんだ。俺たちにはそれがわからないから、ハチャメチャなわけのわからない話に思えるだけで、氷浦教授にはちゃんとわかってるんじゃないかな」

 

「それは……その事情を、九条先生が父さんに話していて、二人は何がどうなっているか知っている、ということか」

 

「たぶん」

 

 九条と氷浦は昔からの親友同士だ。

 その昔というのがどれほど前のことか、和彦も知らない。しかしあの二人なら、互いのことをなんでも打ち明けあっていて不思議はない。

 

 しばらく黙って考え込んでいたら、フォウの身体がぐたりともたれかかってきた。

 見れば、身体が温まってきたせいだろう、フォウはとっくに眠り込んでしまっている。

 

「しょうがないなあ」

 

 苦笑して、和彦はフォウを抱え直した。


 考えるよりもまず行動、はフォウの習い性だが、自分が提出した謎を和彦に丸投げして自分は寝てしまうあたりがまた、いかにもフォウらしい。

 

 外から聞こえる吹雪の音もいくぶん弱まってきた。

 夜明けはもうすぐだ。


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