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 山はやはり、日暮れと共に吹雪になった。

 

頂上はもやとガスで真っ白となり、耳が痛くなるほどの轟音をたてて、絶え間なく風が吹く。

 周囲は雪で真っ白。いわゆる、ホワイトアウトになっている。

 気温は零下をはるかに下回って何もかもが凍り、それをまた強風が吹き散らして、細かい氷のかけらとしてしまう。

 ときおり、小さな雪崩が発生しては地面を揺らした。

 

 そんな劣悪な自然の猛威の中で。

 

「おい、大丈夫か。青い娘っこ」

 

 崖に開いた自然の洞窟。

 その奥に身を縮めた九条が、同じように膝を抱えて小さくなっているファラに呼びかけた。

 

 入口は二人がかりで雪を詰めてふさいだ。

 本来なら真っ暗になるところだが、洞窟の中には明かりがあった。

 不思議なこの小娘が、当たり前のようにふところから小型コンロを取り出したのだ。

 

 それと、鉱石で作った火打石と。

 

 娘が妙に慣れた手つきでコンロに火をつけるのを、九条は驚きつつも感謝するしかできなかった。

 温かいというほどの火力ではないが、湯も沸かせたし、かろうじて人間の輪郭くらいはわかるくらいの、明かりの役も果たしている。

 

 しかも、二人とも身体が濡れる前に洞窟へもぐりこむことができたので、体温の低下もなんとか防げていた。

 風の吹きこまない狭い避難場所に二人で身を寄せている今は、雪山遭難という言葉から想像されるよりもましな状態である。

 

 何より二人は、あのひどい落下でも、幸いにも擦り傷程度のダメージを受けただけで、たいしたけがもせず。

 そのうえ、すでに救助隊を待っているという幸運な身の上なのであった。

 

「あのメチャクチャな状態で、よくも無線機が壊れなかったもんだぜ」

 

 ふう、と九条が息をついた。

 雪山では携帯電話の電波はあてにならない。バッテリーも、低温下では信じられないほど早く消耗する。

 ゆえに九条を始めとした村の住人は、常に無線機をポケットに入れておくのが習慣になっていた。

 

 その無線機も、繋がっていたのは吹雪がひどくなるまでのほんの一時。

 しかしそのわずかな間に九条は、氷浦教授と連絡を取ることができたのだ。

 

 珊瑚もあの後、警察に救助要請を出したとのことだった。

 氷浦教授もこの一大事に、珍しく、自ら町まで出てくると約束してくれた。

 警察で珊瑚が心配のあまりパニックになっているというので、明日の朝までの保護も氷浦に頼んでおいた。こちらは奇跡的に怪我ひとつなく、洞窟を見つけて無事でいるのだから、と伝言を頼んだ。

 

 どんなに雪山に慣れている救助隊であろうが、天候がおさまるまでは何もできない。

 それは珊瑚にもわかっていることだ。

 今はただ、待つしかない。

 

 だから、九条の唯一の懸案は。

 

「フォウのやつは、どこにいっちまったのか」

 

 車から放り出されたとき、九条はファラを守ることだけを考えた。

 フォウについては、自分で自分の身を守れるやつだと信じることしかできなかった。

 というよりも、九条とて自分とファラだけで精一杯だった。

 

 気が付けば、不思議なこの娘と二人で谷底にいて。

 フォウの姿はそこになく。

 何度も大声で叫んではみたが、返事もなかった。


 そのうちに吹雪が襲ってきて。

 

「大丈夫」

 

 九条は自分に言い聞かせた。

 

「フォウのことだ。きっと無事だ」

 

 ふと、ファラが顔を上げて九条を見やった。

 

「それは、あの炎使いの小僧のことか」

 

「お前、フォウを知ってるのか」

 

「あいつなら、心配しなくてもいい」

 

 そう言って、ファラは薄く笑った。

 

「お前にかばわれて地上に落ちたとき、衝撃で意識を取り戻した私の目の端に、軽やかに木の枝へ飛び移るあいつの姿が見えていた。私のかつての世界にも、あの小僧によく似た、しなやかな猛獣がいたものだ。あの身のこなしがあれば、あの後も上手に着地できたことだろう」

 

 それは、そうかもしれないが。

 

「フォウのやつは南国生まれで、寒いのが苦手だからなあ」

 

 娘はきょとんとした。

 

「この程度の吹雪がなんだというのだ」

 

 九条は鼻白んだ。

 日本で豪雪地帯と呼ばれるこの土地に住みついて数年。すっかり土地の人間になりきったつもりでいたところに、こんな幼い顔をした小娘から小ばかにされるのは初体験である。

 

「それに、あいつは炎使いだ。自分で火も起こせる。そのことはお前も知っているのだろう?」

 

 しかも、と娘は付け加えた。少し苦々しい口調で。

 

「あいつが危険に陥れば、必ずリューン・ノアが助けに来る。私たちが心配してやる必要はあるまい」

 

「なんだそりゃ。そのリューン・ノアってのは、人の名前か」

 

 ファラは肩をすくめることで九条に答えた。

 

 実のところ、九条は本当にそのリューン・ノアというのが和彦のかつての名前だと、はっきりとは聞いたことがなかった。彼が知っているのは、親友の氷浦がどこかで一人の青年を拾ってきて、しばらくするとそれを自分の息子だと言い出したことだけだ。

 

 そのときも九条は、そうかそうかと言ってすませてしまった。後付けで記憶喪失だなんだという設定が加わったことにも、興味はなかった。

 氷浦がそうしたいのだから、受け入れてやる。

 親友というのは、そういうものだ。

 

 だが、話の流れから、なんとなくそれが和彦のことではないかと思った。

 だから九条も、娘と同じように肩をすくめてみせた。

 

「確かに、そう思っていたら少しは気が楽にならあ。和彦のやつは、吹雪にも極寒にも耐性があるみたいだからな」

 

「いい心がけだ」

 

 小娘にほめられてしまった。

 

「楽な気持ちになれるなら、無理にでもなっておいたほうがいい。どっちにしろ私たちはこの吹雪がおさまるまで、ここから動くことはできぬのだから」

 

 ファラは腰のあたりをまさぐっていたかと思うと、そこに結びつけていた小袋から豆のようなものを取り出した。

 半分に分けて、片方を手のひらにのせて九条へ差し出す。

 

「食え」

 

「なんだ、こりゃ。煎り豆か?」

 

「リューンの民はいつでも、吹雪に巻かれてどこかに避難して一夜を過ごすことくらい、覚悟をしている。そのために、体力を維持する食料も必ず携帯しているのだ。我々にとっては常識だ。少なく見えるかもしれんが、この豆は栄養価が高く、腹持ちがいいのだ。そのかわり、ゆっくり噛んで食うのだぞ」

 

「ふうん」

 

 九条は感心してファラを見た。

 

「たいしたもんだな、娘っこ。お前、雪国の生まれか」

 

「ああ。私の故郷は雪と氷の世界だ」

 

 ファラは少し遠い目をした。

 

「さっきも言ったが、この程度の吹雪は我々にとって、日常茶飯事の部類だ。うろたえるほどのこともない。私の世界の人間なら、幼い子供でもすぐに雪洞を掘って、楽々と一夜を過ごすだろう」

 

「はあー……」

 

 こうも力強く断言されてしまったら、返す言葉もない。

 あれこれ気に病んでいる自分が、なんだか過保護な甘ちゃんに思えてきてしまう。

 

「いや」

 

 気を取り直して、九条は唇を引き結んだ。

 

氷浦教授からはフォウの行方不明のほかにもう一つ、不穏な情報を聞いていた。

 珊瑚からのまた聞きだという話ではあったが、例の強盗団は、珊瑚をさらった挙げ句、車からふっ飛ばされて目を回したあの一人を除いて、残りの連中は警察にも把握されていないのだという。

 かろうじて捕まえたあの男も、反抗的なばかりか英語しか喋らないので、警察でも手を焼いているらしい。

 

 と、なると。

 

「天候がおさまるのが先か、やつらがやってくるのが先か」

 

 珊瑚は警察に保護されているので、もう襲われることはないだろう。

 それだけが救いだ。

 

「やつら、とは」

 

 ファラが九条の物思いに口を挟んだ。

 

「あの娘をさらおうとしていた、あの連中のことか」

 

「ああ、そうだ」

 

「あいつらは山登りの支度をしていたぞ。お前は気が付かなかったのか?」

 

「なにっ?」

 

「少なくとも、あれはこの世界の山登りの恰好なのだろう。防水防寒の機能がありそうな上着とそろいのズボンに身を固めていたし、耳を覆う帽子もかぶっていた。靴の裏にも雪を噛めるような刻みが入っていたし、雪庇に突きさすための斧も持っていたではないか」

 

「ううむ」

 

 九条は唸った。

 

 確かに、言われて思いだしてみればそうだった。

 動転していたとはいえ、元刑事としては不見識に恥じ入るところである。

 

「そういえばあいつらの別名は、山岳強盗団だったっけな。警官隊との銃撃戦で不利となると、すぐに険しい雪山に逃げ込むという手を使うんだったか……」

 

 豪雪は犯人の足跡を消し、証拠を埋めてしまう。山が州境になっていれば、警察の捜査権にも関わる複雑な問題になる。

 彼らはそこを狙って強盗を繰り返していたのだが。

 あたふたしている上層部に業をにやした九条は、命令などすっとばして彼らを追いまくり、一網打尽にしてしまった。


 そいつらが脱獄して日本まで来たばかりか、山男の恰好をしているということは。

 

「あいつら、そんな準備までしてやがったか。つまり、吹雪なんかものともせずに、今すぐにでも俺を探してやってくるかもしれん、というわけか。参ったなあ。すまんな、娘さん」

 

「……まさかお前、私のことを案じているのか?」

 

 面食らった様子で、ファラが言った。

 

「お前に心配される筋合いはない。私はお前の事情になんの関係もないし、関心もない。あいつらがここに攻めてきたところで加勢をする気はないぞ」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

「私はお前の娘のように、簡単にさらわれたりもせん」

 

 ファラはむっとしたふうに言った。

 

「あれは、お前の娘だったのだろう?」

 

「……ああ、そうだ」

 

 万感の思いをこめて、九条はうなずいた。

 

 実は珊瑚も和彦と同じで、九条がアメリカのずさんな人別登録の制度を利用して、強引に養女にした娘だった。まだ親子になって数年しか経っていない。

 だが、その養女のために九条は刑事をやめた。

 日本の片田舎に引っ越して獣医をやっているのも、すべては珊瑚のためだった。

 

 たぶん、人の絆というのは、思いの強さと時間との掛け算なのだろう。

 一緒に過ごし始めてからの時間が短くとも、思いが強ければ、本物の親子になることはできるのだ。

 

「大事な大事な娘だ。あんたはその大事な娘を守ってくれた。それだけでも、俺にとっては恩人だ。ありがとよ」

 

 面と向かって礼を言われたことに虚を突かれたのだろう。

 ファラが少し、鼻の頭を赤くした。

 

「女をさらうやつは、どんな世界であろうが悪人だ」

 

「ああ、そうだな。どんな世界にも悪人はいる。……そして、どんな悪人の心にも、良心ってもんがあるのもまた、事実だ」

 

「ほう?」

 

 意外な話のなりゆきに、ファラが片方の眉を上げた。

 九条は唇の端を曲げ、苦笑を返した。

 

「悪辣非道な強盗団を全員逮捕したはいいものの、やつらは陪審員の良心ってやつのおかげで死刑を免れ、全員が牢につながれることになった。そのときは俺も腹を立てたもんだがな。しばらくして、そのうちの一人が俺に会いたいと連絡をよこしてきたんだ」

 

 刑務所に入ってようやくまともな健康診断を受けるようになったその男は、自分が末期がんで余命が長くないことを知った。

 たまたま、その男は強盗団のリーダーだった。

 リーダーは涙を流して九条に訴えた。

 

 あんたは俺たちを逮捕した憎い刑事だが、俺の人生で出会ったうちで一番信頼できる人間だ。

 俺にはあんたしか頼れる人がいない。

 お願いだ、俺の娘を救ってくれ。

 

「そいつには、生まれつき難病をわずらってる娘がいた。それも、一日二十四時間、ずっと医療ケアが必要な病気だった。やつが強盗に手を染めたのも、アメリカの病院のバカ高い治療代を稼ぐためだったんだ」

 

 俺には隠し金がある。今までの強盗でためた、汚いカネだ。

 しかし俺は、自分のぜいたくにそれを使ったことは一度もない。

 すべては娘のため。娘を生かし続けるため。

 

 男は金の隠し場所を九条に教えた。暗号も教えた。俺が死んだ後も、金が続く限り娘の病院代を払い続けてくれ、と腕にすがりついて訴えた。

 

 犯人が隠匿した金品を、知っていて官憲に告げないのは、刑事としての九条には許されない。

 だから九条は、刑事をやめた。

 

「そいつのため、というわけじゃねえ。潮時だったんだと思うよ。珊瑚を養女にしたところだったしな。きったはったの刑事稼業からは足を洗って、片田舎の寒村でほそぼそと暮らす、優しい動物のお医者さんになることにしたのさ」

 

 珊瑚を拾ったから、というのも、犯罪者の願いに応えてしまった理由の一つだったかもしれない。

 娘を持つことの嬉しさ、苦しさ。

 さまざまな思いに共感してしまった。だから、断れなかった。

 

「だが、そのことを他の連中がかぎつけやがったんだろう。あいつの隠し金を取り出すための暗号は、今となっては俺一人しか、知る者はないからな。脱獄して日本くんだりまで奪いにきても、十分に元は取れると踏んでの乱暴狼藉ってことだ。珊瑚をさらったのも、きっと、俺が簡単に口を割るまいと思ってのことさ」

 

「ふむ。確かにお前に言うことをきかせるのは大変そうだ。ほんの短いつきあいの私でもそう思うのだから、お前に追いまわされた経験のある犯罪者は、ますますそう思うだろう」

 

 ファラは真面目な顔で九条の昔語りを聞いていた。

 

「では、雪山登山の準備をしていたのも、自分たちの得意技だというだけではあるまい。娘をさらったら山に立てこもって、自分たちの要求を通そうというつもりだったのだろうよ」

 

「なるほどなあ」

 

 そうならなかったのはひとえに、この不思議な娘が介入してくれたおかげではある。

 そうでなければ、九条とフオウも誘拐の現場に間に合わなかったはずだ。

 

 珊瑚を人質にされることだけは防げたが。まだ状況は少しもよくなっていない。

 強盗団は野に放たれたままだし、雪山装備を備えているなら、今すぐここに現れてもおかしくないということになる。

 

「なあに。やってきたら、ぶちのめすだけのことよ」

 

「そうか」

 

 ファラも少し笑った。

 

「なら、私も手伝おう」

 

「関係ないんじゃなかったのか?」

 

「話を聞いて、心持ちが少し変わったのだ」

 

 この男のような父親を持って、あの娘は幸せだ。


 ファラの父親は奴隷だったが、だめな奴隷でもあった。寸暇を惜しんで働いていた母親に比べて、何かというと言い訳をし、仕事をなまけようとした。

 長子が女だったということで母をよく殴る蹴るしていたが、ファラが成長してくると、遊女に売ろうといって勝手な胸算用をしていた。

 アイザス・ダナの命令で娘を親衛隊に差し出す羽目になって、誰よりも落胆していたのは父親だった。

 もう顔も名前忘れた。思いだしたくもなかった。

 

 ファラはちらと九条を盗み見た。

 

 こんな父親の元で育ったら、どうだったろう。

 どんなときもまっすぐに前を向き、決してくじけることがない。そのくせ人情には弱く、誰かのために命をかけることができる。

 強盗団の首領でさえ、彼のことを慕ったというではないか。

 

「ああ、タバコが吸いてえな」

 

「冗談をいうな。閉め切った洞窟の中だぞ」

 

「わかってるよ。冗談だ」

 

 そう言って九条は笑った。

 あまりにもおどけた顔をしてみせるので、ついファラも笑ってしまった。

 

「やっぱり、可愛い娘さんじゃねえか」

 

 満足そうに、九条が腕組みした。

 

「そのくせ腕っぷしがたって、ぶっきらぼうで、上から目線の喋りをする……おっとっと、それは今あんたが演じてるキャラクターに合わせてるのかもしれんが。とにかく、変わった娘さんだ」

 

 ほめ言葉には聞こえなかったが、ファラにとってその言葉は、不思議に心地よく響いた。

 

「いいから先に寝ろよ、娘さん。交代といこうぜ」

 

 眠るつもりはなかったが、九条の言うままに、ファラは素直に身体を地面へ横たえた。九条が防寒着を脱いで、上にかけてくれた。

 断ろうと思ったのに、何も言えなかった。

 九条の体温を感じながら、ファラは黙って上着の中で丸まった。


 本当に不思議だ。

 だが。


 こういうのも、悪くはない。


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