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 ありゃ、とフォウは呟いた。

 村に来てみると、村人が診療所を遠巻きにしていたからだ。


 治療のためでないことは明白だった。

 そもそも、ここに住んでいるのは村でたった一人とはいえ、人間ではなく動物が相手の獣医である。

 人間だって動物のうちだろうと本人は言って強引に治療したりもするが、それも、緊急の場合に限られているはずだ。


 しかしフォウも、この獣医の人となりはわかっているつもりだった。

 人が集まっている理由が珍しい治療の見学のためとかでないなら、理由は明白だ。


「なんだなんだ、また九条先生の癇癪が爆発か?」


 ジープから飛び降りるなり、フォウはいつもの大声を出して皆のところへ駆け寄った。とたんに全員から人差し指をたてられ、しーっと叱られて面食らった。


「え、なんなの」


 皆がくいくいと診療所のほうへ顎をしゃくった。

 それでフォウも口を閉じて、中の様子をうかがっている村人たちに右へならえした。


 とはいっても、息をひそめて耳をすます必要はなかった。


「冗談じゃねえぞ、てめえら!」


 たちまち中から九条の罵声が響いてきたからである。


「でていけ、この野郎!」


 声に続いて、すごい破壊音と共に人間の形をしたものが転がり出てきた。

 一緒に吹っ飛んできた玄関扉は、ガラスも粉々になっている。


「ど、ドクター・クジョー!」


 ガラスまみれになった訪問者が、思い切り悪く中へ向かって呼びかけた。

 九条に投げ飛ばされるまでは、背広をきちんと着てネクタイもしていた痕跡があった。


「お願いしますよ、このとおりです!」


 哀願するその言葉には妙な訛りがあった。よく見れば顔だちも日本人らしくはなかった。

 長い鷲鼻と赤ら顔。肌の色もピンクがかっている。

 いわゆるアングロ・サクソン系だ。


「これはやつらを一網打尽にしたあなたにしかわからないことでしょう? なにか手がかりがありましたら、ぜひ私たちにヒントなりとも……」


「うるせえ! 全部まとめて死刑にしとけば簡単だったのに、俺の言うこともきかずにやつらをまとめて刑務所なんかに収容したのは貴様らだろうが! 今さら、どの面さげて俺にお願いなんかしてきやがる!」

 

「で、ですからそれは……」


「言うな! 聞きたくねえ。とにかく俺は、金輪際てめえらの手助けはしねえんだ。自分たちでなんとかしやがれ、このうすらトンカチどもめ!」


 見れば、診療所の外には立派なリムジンも停まっていた。

 運転席から出てきたもう一人の背広姿の男も、九条の剣幕に押されて、割って入ることもできないでいる。


「まあまあ、九条先生」


 しかたないのでフォウが間に入った。


「何があったか知りませんけど、いきなり暴力はいけませんよ、暴力は」


「なんだとお? 誰が言うにしても、てめえだけには言われたかねえよ! てめえこそ、いつだって瞬間湯沸かし器みてえにカッカしてやがるじゃねえか」


 それはまあ、そのとおりなのだが。


 だからといって、事情がわかるまではどちらの味方もできないので、フォウはとりあえず九条の拳を押さえるほうに回った。


 ありがたいことに、フォウがそうしていたら村人たちも、落ち着いてくださいよと言いながら加勢にきてくれた。

 基本的にこの村では、争いを好まぬ、穏やかな生活が標準なのである。


 そういっている間に、謎の西洋人もあきらめがついたらしい。

 哀願するのをやめて、運転手の助けを借りながらリムジンに乗り込んだ。


「おとといきやがれ!」


 走り去るその後ろ姿に、九条が拳を振り回した。


 村人は争いも嫌いだが、相手のプライベートに立ち入ることも遠慮しがちである。

 とりあえず事がおさまったとみると、三々五々と立ち去っていってしまった。


 残されたのはフォウだけである。


「あん? なんだ、今日はお前一人か」


 九条はようやく観察力を取り戻した。


「和彦のやつはどうしたよ。お前だけが一人で村に来るなんて、ずいぶん珍しいじゃねえか」


 フォウは一応、氷浦教授の助手という立場である。基本的に職場は研究所のほうであって、村の手伝いをするのはあくまで余技だ。

 一方の和彦はこの村に移り住んでからずっと、時間のあるときには村に来て、あれこれと村人の雑用を引き受けている。限界集落の貴重な若い男手であるし、氷浦教授も息子がそうやって村人に受け入れられることを望んでいたからだ。

 ゆえに、フォウが和彦にくっついて一緒に来ることはあっても、フォウが単独で村に来ることは滅多にない。


 その滅多にない用事は当然、フォウの名目上の雇用主である氷浦教授によるもので。


「昨日の吹雪で、研究所の非常用の薪をだいぶ消耗しちゃったんで、和彦さんは今、樵となってるとこですよ。俺も午前中はその手伝いをしてたんですけど、氷浦教授が九条先生に連絡したいことがあるって」


「連絡? そんなの、いつもの短波無線を使えばいいことじゃねえか」


「何度呼びかけても返事がないって、氷浦教授は言ってましたよ。吹雪でアンテナ設定がずれてんじゃないかって」


「ありゃ」


 九条はさっきまで激怒していたのを忘れたかのように、ぺろりと舌を出すと診療所に駆け戻っていった。

 基本的に、喜怒哀楽も激しいが切り替えも速い人なのだ。


 この村までは曲がりなりにも電話線が引かれている。

 携帯電話の基地局からの電波は、かろうじて届いたり届かなかったり。

 この村よりもっと奥地にある研究所では当然、状況はさらに悪い。

 そのために氷浦教授と九条先生は、二人ともアマチュア無線の免許を取っている。


 それでも、その唯一の通信機器が通じなくなっているとなれば、誰かが伝令役を務めなくてはならない。


「うわ、ほんとだ。ありがとよ、フォウ」


 九条は無線機をあれこれと調節した。

 ガガーピッとレトロな雑音を発していた機械が、そのうちに明瞭な音を発するようになってきた。


 氷浦教授の声が次第にはっきりと機械の向こうから聞こえてきたので、フォウは遠慮して診療所の外に出た。


 今日はいい天気。


 昨日までの吹雪が嘘のように、空は真っ青に澄み渡っている。

 だが、こういう好天はあてにならないのだ、と和彦が言っていた。


 三日吹雪いて一日休み。その後にはまた吹雪がやってくる。

 雪と氷の世界に暮らしていた者の経験則である。


「リューン、か」


 牧場の柵に座って足をぶらぶらさせながら、かりそめの青空に向かってフォウは呟いた。


 ただでさえ南国香港に生まれたフォウにとって、雪国の話は遠い別世界のおとぎ話のようだった。

 こうやって豪雪地帯で暮らすようになってさえ、どこか現実味を欠いている。


 ましてや、別世界にもほどがある、平行宇宙からやってきた亡国の王子なんて。

 その王子と出会い、共に闘い、今ではかけがえのない友となっているなんて。

 そのこと自体がおとぎ話だ。


 友、という単語が次の連想を呼んだ。


 九条先生と氷浦教授も、互いに友と呼び合う仲である。

 しかもその付き合いは、二人がアメリカで暮していた頃から続いているらしい。


 当時の氷浦教授はアメリカ国防省の研究所に所属していて、一方の九条先生はなんと、ニューヨーク市警の刑事だったという。

 じゃあ獣医の免許はどこで取ったのかが気になるところだが、九条が刑事だったことは養女の珊瑚からも聞いたことがあった。

 しかも今よりもっと苛烈な、任務遂行のためにはどんな無茶でもしでかす暴れん坊だったとか。


「あ」


 それで気が付いた。


 さっきの客は、刑事としての九条に用事があったのではないか。

 死刑だの刑務所だの、物騒な言葉が飛び交っていたのがその証拠だ。

 あれはアメリカの刑事局から派遣された使者で、かつて九条先生が逮捕した犯人が脱獄したとかなんとかで、助力を頼みに来た……という推測はどうだろう。


「でもなあ」


 フォウは首をひねった。


「もうとっくに引退して、しかも外国に移住しちゃった刑事の助けが必要って、どういうことだ? 情報提供? だったらわざわざ日本くんだりまで訪ねてこなくても……」


 反対側に首を倒して、よく考えてみようとしたときだ。


 ばあん、とドアが開いて九条が飛び出してきた。


「フォウ! いるか!」


「はっ、はい?」


「おう、まだいてくれたか。助かったぜ、悪ィが今から俺を町まで連れてってくれ」


「え、ええ? そりゃ別にいいですけど」


「氷浦の許可はもらってある」


 そう言いながら九条先生はさっさとフォウのジープに乗り込んだ。

 唖然としていたら、早くしやがれと怒鳴りつけられた。


 慌てて運転席に乗り込み、エンジンをかける。


「けど、九条先生だって自分の車は持ってるじゃないですか。なんで俺に運転させるんです?」


 というよりも、限界集落に暮らす者で車を所有していない者はない。田村のおばあさんだって免許返納もせずに、必要な時はでかいランドクルーザーを一人で乗りこなしている。

 近隣の村から呼ばれて、ひどいときには病気の家畜を運搬することさえある九条はもちろんのことだ。


 そう指摘すると、九条はヘッと鼻を鳴らした。


「そりゃあもちろん、お前の腕っぷしが必要だからよ」


「はあ? 俺に何をさせる気です?」


「強盗団との真っ向勝負だ」


 向かい風に前髪を散らしながら、大真面目な顔で九条先生は言った。


「やつらは珊瑚を狙ってる」


「えっ、珊瑚ちゃんを?」


「俺が昔、やっとの思いで捕まえた強盗団だ。強盗といえば可愛い感じがするが、行きがけの殺人放火、なんでもありのひでえやつらだった。けれども証拠が足りないとかで陪審員のやつらが有期刑にしちまった。案の定、全員そろっての大脱獄だ」


「それで、なんで珊瑚ちゃん?」


「馬鹿野郎。俺に復讐するには、一番手軽で一番効果的な手段じゃねえかよ、それが」


 苦々しい口調で九条は言った。


「氷浦のアメリカの知り合いが、わざわざ連絡してきてくれたんだと。やつらが俺を狙って日本にやってきたって。そうなったら、危険なのは珊瑚だって子供でもわかるだろうが。間に合えばいいが、そうでなければお前にも、ひとつ大暴れしてもらわにゃならん」


「うわあ」


 フォウは口でだけ驚いてみせた。


「そういうことなら」


 アクセルを思いっきり踏み込んだ。


 走りながら、フォウはもう一度、首をかしげた。

 何か、引っかかった気がしたのだ。


 今の九条の話。整合性としてはなんの問題もない。けれど、何かがおかしいような。前後関係のつながりが? それとも、動機の強さ?


 いや、考えている場合ではない。今は珊瑚の身が危ないのだ。


 ジープはいっさんに北の大地を走り抜けた。


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