1
1
生まれたときから奴隷だった。
そういう階級に生まれついたのだから、そのこと自体はなんとも思わなかった。
生まれながらにして誰かの所有物であることは、リューンでは当たり前の話である。極寒の世界は生き物すべてにとって過酷な環境だ。過酷な世界では強い者が頂点に立つ。
なんの不思議もない、それが世の中の理でもあった。
だが、ファラは。
奴隷の家庭に生まれたからという、それだけの理由でアイザスに従っているのではなかった。
あれは確か、七歳くらいの頃だったか。
女だてらにと馬鹿にされながら、棒切れを振り回し拳をふるって、近所の年上の男の子をことごとくケンカでぶちのめしてしまった。
そのことで、両親共に奴隷頭からしかり飛ばされていたときのことだった。
「それの何が悪いのだ?」
奴隷小屋をふらりと訪れたアイザス・ダナが、本気で首をかしげなら、そう言ったのだ。
「奴隷だからか? 女だからか? どちらも理由にはならぬではないか。こいつは強いのだから、力を振るうのは当然のことだろう」
あれこれと抗弁している奴隷頭を完全に無視して、アイザスはファラの前に立った。
幼いながらもリューンの王族である主人の顔を、奴隷が直接見られるなど滅多にないことだ。
ファラは慌てて地面に這いつくばった。
額を地面にすりつけながらも、そっと主人を見上げてみる。
眉目秀麗という噂は、伊達ではなかった。
リューン王家には母親違いの兄弟王子がたくさんいる。その中でもアイザス・ダナは最も容姿に優れていると評判だった。
子供であれなのだから、大人になったら輝くような美男子になるだろう、と市民の間でもよく話題になっていた。
その美しい人が今、目の前にいる。
「名前はなんという」
「ファ……ファラ、ともうします」
「お前のいちばんの得意はなんだ? 剣か、弓か」
は、とかしこまってファラは答えた。
「なにもないほうが、わたしはつよくなれます」
うまい説明ではなかったが、アイザスは理解してくれた。
少し驚いて目を見張ったが、すぐに大声で笑いだした。
「それはいい。徒手空拳で格闘するのが得意の女というのも面白い」
「お……それいります」
「次の御前試合に出場するのだ、ファラ。素手での格闘の部門にな。必ず勝て。対戦する全員を倒すのだ。容赦はするなよ」
「ぼ、坊っちゃま」
奴隷頭が慌てて口を挟んだ。
「奴隷が試合になど、出られるはずもないでしょう。ましてや、こやつは女ですぞ。女が御前試合に出ることは、そもそも許されておりませぬ」
「黙れ。俺が出すといえば、出すのだ」
アイザスはにべもなく言った。
そうして、ファラを見下ろして尊大に告げた。
「優勝すれば、お前を俺の軍団に入れてやろう」
あまりの驚きに、ファラは顔をあげてしまった。
奴隷の子としては許されぬそのふるまいに、奴隷頭はしかし、苦々しい顔をして横を向いただけだった。
主人がすることに文句がいえぬ点では、彼もまた同じ立場である。
「娘、ファラといったな。勝てる自信はあるか」
「はい。それがアイザスさまのおこころにかなうことならば」
どぎまぎしながら、ファラは答えた。
「剣だろうと槍だろうと、あいてがどんなぶきをつかっても、かならず素手で勝ってみせまする」
ファラにとって、アイザスの笑みは太陽よりも輝いてみえた。
「いいぞ。ファラ、俺の兵士になれよ。待っているぞ」
その日、その瞬間から。
ファラの命は。アイザスと共にある。
そのアイザスの前で今もファラは、初めてその姿を仰ぎ見たときと同じ、胸の高鳴りと晴れがましさを感じていた。
「アイザス様、ファラが参りました」
かしこまって、一礼する。
「うむ」
アイザスはなぜか、いつもよりも機嫌がよかった。
なかなか治らぬ傷口について焦れることも、八つ当たりで怒鳴り散らすこともない。
ベッドに半身を起こし、身を乗り出して言った。
「ファラ、探してきてほしいものがある。リューン・ノアの住む、あの世界でだ」
「は? 探す、とは?」
「シラドの作ったガラクタの残骸だ」
ファラはしばらく無言で考えた。シラドとは、なんであろうか。
アイザスはすぐ焦れた。
「知らんのか。ジャメリンが最近、あの世界から連れてきた人形作りだ。機械を組み合わせて、人間と同じように動いて闘うことのできる人形を作れるのだという」
「は……申し訳ありません。寡聞にして、そのような者の話は聞いておりませんでした」
「ムルスの新しい腕を見ただろう。あれを作ったやつだ」
「えっ。そうなのですか」
頭を下げて恐縮の形をとりながらも、内心で舌打ちをした。
またしてもあのジャメリンか。
あいつめ、どれだけあの世界にちよっかいを出せば気がすむのだ。ましてや、その世界から誰かをデュアルの軍団に引き入れただと?
そんなことが公になったら、大変なことになるのではないか。
とはいっても、ジャメリンの横やりについて告発すれば、アイザス・ダナがあの世界に干渉していることも表ざたになってしまう。
悔しいが、見て見ぬふりをするしかないのが現実だ。
などとアイザスの立場を思うファラのことなど気にもかけず、アイザス・ダナはやけに嬉しそうにしていた。
「それがな、そいつが満を持して作った機械人形が、リューン・ノアによって簡単に倒されてしまったのだと。しかも、尻に帆かけて逃げ帰った人形使いは、その残骸を回収することさえ忘れてきて、ジャメリンから大目玉をくらったとか。はは、気味がいいだろう」
「はあ……」
アイザスの哄笑に迎合する気には、ファラはなれない。何がそんなにおかしいのかも、理解はできても共感はできなかった。
ましてやその人形作りとやらには、ムルスの腕についての借りがあるのだろうに。
恩人の失敗を嘲るような真似は、リューンの騎士としてほめられたものではない。
そこまで考えて、ファラはハッとして自分を戒めた。
なんてことを、私としたことが。
お前はいつからアイザス様を批判できる身分になったというのか。
リューンの騎士道をうんぬんできるのも、そもそもアイザス様が、女の自分を親衛隊に取り立ててくれたからではないか。
「それで、アイザス様。その人形の残骸を、何に使うのでございましょう」
「決まっているだろう。やつらに渡してやって、恩に着せてやるのよ。ムルスの腕のお返しだと言ってやるつもりだ。そうすれば、いつも俺のことを小ばかにしているジャメリンが、悔しさを押し殺して俺に礼をいうだろうよ。その顔を見るのが楽しみだ」
そんな理由で、というたしなめの言葉をも、ファラは喉の奥に押し込めた。
長患いをすると、人は視野が狭くなるものだ。ずっとベッドで悶々と暮しているアイザス様の気がそれで少しでも晴れるなら、よいことではないか。
ここにムルスがいなくてよかった、と思った。
ムルスはファラよりも直截だ。相手がアイザス・ダナでも、間違っていると思えばずけずけと意見したりする。
そうしたところでアイザスが正論を受け入れるわけもなく、ますます苛立たせてしまうだけなのに。
「場所は、やつらがよく出現する町の外れあたりだったそうだ。首尾よくガラクタを見つけたら、回収して戻ってこい。もしリューン・ノアや炎使いの小僧が邪魔だてしようとしても、今回は相手にはならず、回収を優先するのだ。いいな」
「承知しました」
一礼して、ファラは踵を返した。
さまざまに湧き出る苦い思いを、一息に飲み下しながら。