サウダーデ
目を覚ますと、満月にかがやく海の上をただよっていた。空は雲一つなく、満天の星空である。
会った事の無いはずの母の声がする。
「ソータ」
「────母さんなのか」
いつのまにか海中に放り出されたのだろうか。
自動膨張式のライフジャケットが起動していた。
「大きくなったねえ」
「ああ、うん、母さん」
「ソータ、私の息子。大きくなった姿を見ることができて私は幸せです」
「俺も連れて行ってくれよ、母さん」
「だめよ、私と兄さんは、故郷に帰るところだから、あなたは、あなたの故郷を目指しなさい」
「故郷はこの村だろ」
「────あなたはあなたの故郷を探して、世界のどこかに、あなたの帰る場所があるのよ」
母さんがそう言うと、俺の頭に不思議な映像が流れてきた。
奇抜な建物、流れる運河、大きな橋、ビル群。これは……都会?
母さんがこれを見せてくれてるんだろうか。
「帰る場所というのは、あの家なんじゃないのかい?」
「あなたの帰る場所は、あなたが幸せになれる場所よ」
映像を見ているだけで、なぜか懐かしさに胸が温かくなってきた。
初めて見た場所なんだろう、なのに不思議と見たことがあるような気がする。
「……帰れるだろうか」頬が温かい、涙があふれてくる。
「きっと帰れるわよ、そんじゃあまたね……」
再び意識が遠ざかる────
◇◇◇
気が付くと、あたりは明るく、日が昇ったばかり。太陽の感じから、おそらく朝6時だ。俺は小舟の上にいた。
あたりにガレオン船はない。置いていかれたんだ。
あるいは、夢だったのかな?気のせいだと思っていたが、自動膨張式のライフジャケットは確かに起動していた。
波をかぶったのかもしれない。幸いなことに岸が見える。帰ろう、とにかく家に帰ろう。
死にたかったつもりは全然ない、と思っているが、心配されるのも気恥ずかしい。
家に戻ると父さんたちは起きていた。
「帰ったのか」
「ああ、ただいま」静かに返事をする。
リビングに父さんとカレンが座っていた。
「寝てなかったのかい?」ソータが声をかける。
「ああ、徹夜で遊ぶつもりなら、先に電話のひとつもするべきだろ」父さんが返事をする。怒っているようだ。
「ケータイを持たせてくれたら電話もするかもね」
「口のへらない……まあせっかくなんでそこに座れよ、話をしよう」
リビングのソファーに座ると、カレンがコーヒーを、マグカップに入れて出してくれた。
「父さんは、カレンと結婚しようと思う」
そこから父さんからきいたのは、カレンと、どうやら籍を入れるらしい。いわゆる結婚します報告だった。
どうだろう、昨日の俺なら、疎外感にまた不安になったかもしれない。
しかしなんというか、今は素直におめでとうと思えた。
「おめでとう、父さん、カレンさん、おめでとう」
「ありがとう」
「ありがとうソータ」
カレンは、父と出会ったからここに住もうと思ったんだろうか?
アメリカの家族の事をどう思っているんだろうか。
これからの事を考えるには、聞いていたほうがいいだろうかと思い、それらを聞いてみた。
「わたしは、アメリカの両親のことを大切に思っているよ、わたしの両親の生まれたところでは、人はみんなサウダーデを追いかけているんだよ」
「サウダーデ?」
「そう。サウダーデは幸せだった過去に帰りたい!という強い思いだったり、本当の幸せの国はここではないどこかにあるかもしれないという孤独な感情なんだよ、最盛期、人生で一番いい時代、という意味もあるんだよ」
「へえ?みんな孤独なんだ?」
「そういう思いにとらわれる人がいるよ、ってことなんだね」
「もう少し詳しく教えてくれないかな?」俺は兄さんと母さんとアジュールさんのことと重ねて考えた。
「うーん、例えば、うーんなんて言ったらいいのかな」
父さんが説明を続けてくれる。
「カレンはちょっと前からこの村のことを調べるようになって、この村の風景や歴史を知って、なんとなく、ああ私はここに来るために生まれてきたんじゃないかって思ったんだって」
「ふうん?」
「サウダーデはポルトガルの言葉らしいけど、日本人にだってわからない感情じゃないんじゃないかな、日本のどこかに私を待ってる人がいる、なんて思う人もいたみたいだし」
「あなたのお父さんと一緒にここで暮らすことが、カレンにとってのサウダーデなのよ」
「そ、そうなんだね。みんな、故郷に帰りたいのか、アメリカの故郷は?」
「そうね、パパとママのところにいると、どうしてもここから抜け出さなきゃ!って思しょうがなかったわ。だけどこの村にいると、逆にパパとママのことを大切に思えてるような気がする。パパとママもサウダーデ」
「うーんそういうもんなんだねえ」
父さんが話を続けてくれる。
「日本だって、田舎から都会に出て働いて、一生田舎に戻らないひとだってたくさんいるだろ、だけど、そういう人たちにとっても、やっぱり故郷っていうのは大切なもんだと思うなあ」
「父さん、父さんはこの村を出たいと思ったことないの?」
「俺は、この村にいるのがいいんだ。外に出るか、同じところにずっといるか、どっちだって自由だよ」
ソータは、昨夜あったことを話すべきか、黙っておくべきか考えていた。
不思議と、カレンが今までよりぐっと身近な人に感じられた。
今回のこと、色々なこと、兄さんと母さんが帰るところ、アジュールさんが帰るところ。
みんな、孤独で、みんな、いつかどこかに帰りたいと思っているのかな。
父さんやカレンは、帰るところを見つけてよかったんだろう。
そんなことを考えていると、今なら言える、今なら言える気がする。思っていることを伝えようとソータは決意する。
「父さん、俺、東京の大学に行っていいかな?」
俺は俺の故郷を探そう。母さんが見せてくれた俺の都会のふるさと。
俺は、俺の幸せの場所を探そう。
今回のことで強く、そう思った。
潮騒が遠くに聞こえていた。
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