ふなゆうれい狩り
梯子を登り切って船に乗り込むと、亡者たちの視線に囲まれたが、中心に兄貴がいた。
「ソータ、来たのか」
「俺も連れて行ってくれ」息を切らせながらそう話す。
兄貴は俺をぐっと抱きしめて「ああ、船長にお願いしよう」と言った。
甲板から船内に入ると、そこは死の世界だ。
生臭い、だけではない、腐ったような匂い、でもない、爪を焼いたような、髪の毛が燃えたような匂いも混じる。
船員たちはみな青白い顔でフラフラと仕事をさがしてはこなしている。
うまく死ねなかった亡霊たち、すでに死んでいる亡霊たち。
船長室の前まで連れてこられた。
兄は、緊張の面持ちでソータに言う。
「いいか、この船では船長の言葉は絶対なんだ、俺だってお前と一緒に行きたいが、船長が許可しなければそれはできない」
「ああ、わかった」
ノックすると入れと言われる。中に入ると、豪華な調度品、そしていつか教科書でみた大航海時代の提督のような服を着た威厳あふれる大男が目の前に立っていた。
「お前がルイの弟か」くっきりとした声で、船長は問いを投げかけてくれる。すでに事情は把握しているのだろう。
「はい、ソータと言います」食い下がらねば降ろされる。ソータは緊張に包まれた。
「ここはお前のような人間の来るところではない」船長が拒絶をする。
「きっとこの船に似合う人材になると思います」ソータは食い下がる。
「お前のような生きた人間の来るところではない」
「いえ、僕はほとんど死んでいるようなものです」
船長は兄に視線を移した。
「ルイ、お前はどう思ってる?」後ろに手を組んで直立している兄に問いかける。
「ソータと一緒に行けるなら嬉しいです」
ドシィ!!
船長は兄貴の胸を鞘のついたままのサーベルで強く突いた。
「バカ野郎、それが大事な弟に言う言葉か?」
「ぐっスミマセン」
兄が謝っている。俺のせいで痛い思いをしているのか、悪かったな、来なければよかったと、ソータはそこで後悔し始めた。
船長がため息をついている
「ここが日本だからこういう考え方になるのか?日本人は何を考えているかわからんというのは本当だな。船ゆうれい時代が長かったら精神もやられるのか……」そんな独り言を言う。
一呼吸おいて船長がきっぱりと言う。
「俺の名はアジュール、この船の船長、さまよえるオランダ人、フライングダッチマンだ。俺の目的は故郷に帰ること。故郷を探して海を永遠に彷徨う呪いを受けている。ソータ、お前の望みはかなわない。俺が探しているのはすでに死んでいる乗組員だ。お前はお前の故郷を探せ」
「僕の故郷はこの村です、だけど、兄さんのいない故郷なんて無意味だ」ソータは消え入りそうな声で答える。
兄のルイは、このソータの情けない言葉を聞いて、弟をやはり、生かして帰したいと思うようになった。
ソータは、村に帰るべきだ。俺のせいで自分の人生を歩めないなんてかわいそうだ。
「ソータ、やっぱ船長の言う通りだ、ソータはソータの故郷がある」
「兄さんの故郷でもあるじゃないか、一緒にいようよ」
「俺は俺の行きたいところがあるからな」
「それならそれに俺もついていく」
「だめだよ、俺の旅は俺だけのもの、お前の旅はお前のもの」
「母さんも一緒なんだろ?」
「母さんの旅は俺と少し違う、船に乗ったのは偶然だよ」
「母さんに会わせてくれよ」
「ソータ、母親はお前と会えない」アジュールがソータを止める。
「なんでだよ」
「間もなくこの船に、猛霊八惨のひきいる、船ゆうれいどもの群れが来る。お前の母さんは、やつらをおびき寄せるエサになってもらった。母親を守りたければお前も亡者どもを捕えて船倉に閉じ込める手伝いをしろ」
ソータはアジュールから、鎌と金色の鳥かごのようなものを渡された。
◇◇◇
甲板に出ると帆柱の上にも鳥かごがぶら下がっている。
中には強く輝く光が閉じ込められている。
アジュールが帆柱の上の鳥かごを指さして言う。
「ソータ、お前の母親はもう10年以上海をさまよっていたが、ただ一人、船ゆうれいにならなかった強い魂を持っている。猛霊八惨はなんとしてもお前の母を船ゆうれいにしたいらしい」
甲板から再度母を見上げる。
ここから見上げたところで、ただ鳥かごが光っているだけなんだが、そう言われると写真でしか見た事のない、りりしく愛しい母の印象があるような気がしてきた。
「船ゆうれいは、死人が猛霊八惨によって平たい海藻のように変えられた姿で、海を漂っている。海に引き込む力は強いが、今回はお前の母親のところに向かおうとしているので、ここまで登ってこようとするだろう。そこを刈り取り、この魂カゴの中に入れたまえ」
「わかりました」
気が付かなかったが、海面をただよう波はことごとく船ゆうれいだ。
「もうれんやっさ もうれんやっさ いなだくれえ」
「もうれんやっさ もうれんやっさ いなだくれえ」
おびただしい数の船ゆうれいが同時にこの言葉を唱えながら船に登ってくる。
しかし船員たちも手に鎌を持って、登ってくる船ゆうれいをザクザクと収穫していく。
船ゆうれいたちには感情が無いのだろう、たまに船員たちをくぐりぬけて船内に入ろうとする船ゆうれいはいるが、隠れることも逃げることもなく、ジワジワと母の方へ向かうだけなので、そういった個体もアジュールのとりまきが難なく回収していた。
「もうれんやっさ もうれんやっさ いなだくれえ」
「もうれんやっさ もうれんやっさ いなだくれえ」
しばらくそうしていると、大きな波が船をおそい、船体がぐらりと揺れる。
白波の上に、数珠を持ってなにやら念仏を唱えながら、白装束の青白い痩せた男が立っている。
「出たな猛霊八惨」アジュールが叫ぶ。
「あれが猛霊八惨?」あれが兄の仇なのか。
白装束の男から波が起き、みるみるうちに大渦になってゆく。あの渦に船を巻き込むつもりだろうか。
船体がすこし渦のほうに傾き始めた。しかしアジュールは余裕である。
「そろそろ充分収穫できただろう……そら!欲しいんならやるぞ!」
アジュールは白装束の男めがけてバケツを放り投げた。
バケツは底を抜いてある。
猛霊八惨はバケツを受け取ると渦をとめ、バケツの数をみるみる増やし、すべての船幽霊に持たせた。
船幽霊たちはいっせいに船に海水をかけ沈めにかかる。……のだが……バケツは底が抜けているため海水をくみあげることができない。
「もうれんやっさ もうれんやっさ いなだくれえ」
「もうれんやっさ もうれんやっさ いなだくれえ」
「ハハハ!幽霊はいっぱい狩れる、あいつの思惑は外れる、いい気分だ、嵐も耐えるガレオン船に水責めとは恐れ入るぜ!」アジュールは上機嫌だ。
「ぐぬぬぬ、かくなるうえは」猛霊八惨は大きな波を呼びだした。最後に船をひと飲みにするつもりだ。
船ゆうれいたちの波、海の底から湧き上がる亡者たちのビッグウェーブ。その衝突を避けるために甲板の亡霊たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。
船は波にのまれる、どこか捕まるところを探さねば!と、足に力を込めた時、
ビリッと空気が震え、上空に強く光るものがあった。
「母さん」
「────ドンッ!」
母さんが発した強い雷光の直撃に、今度は船ゆうれいたちが無力になる。あれがセントエルモの火?
勝負は決した……のか?強い光に眩暈をおぼえ、ソータは気を失った。