7、義賊
乗り物から降ろされて延々と山道を歩かされたエヴァは、賊の隠れ家とやらに連れて来られた。洞窟が不自然に大きな家のようになっている。空間に干渉できる魔法があると聞いたことがあるけれど、こんな大魔術を一体どんな偉大な魔法使いが作ったのだろうか。少なくともエヴァをここに連れてきた者たちの誰かではなさそうだ。
それはそれとして、やはり恐怖を覚えられないエヴァは、場違いにも子どものようにわくわくしながらその隠れ家を見回した。
「お頭ー! 貴族の奥さん連れてきましたー!」
エヴァを連れてきた賊の一人が大声で叫ぶと、奥からわらわらと人が出て来た。その中の一人が歩み寄って来る。
「おう、聞いている。よくやった、な……? あ゙!?」
「やー、聞いてくださいよ、お頭。この人、貴族にしては文句も言わずにあの山道を登ったんスよ。根性ある――」
「馬鹿、てめえら! 王族、連れ去って来る奴があるか!」
お頭と呼ばれた男は大声で怒鳴りつけた。エヴァを連れてきた若い男はびくりと肩をすくめる。
エヴァはぱちりと瞬きをした。どうやら彼らは“元王族であるエヴァ”を狙ってはいなかったのだ。てっきり反王政派かアルドル辺境伯家に恨みがあるのかと思っていたが、そうではないらしい。不測の事態ではあったが、エヴァは笑みを崩さず“お頭”に話しかけた。
「まあ、わたくしはもう王族ではございませんわ」
「……アルドル辺境伯に降嫁したエヴァ王女だろう、アンタ」
「元、ですわ」
「はあ、クッソ……」
賊の頭領は頭を掻きながら粗末な椅子に乱暴に座った。エヴァを連れてきた若い男の一人が、しょぼくれながらおずおずと前に出る。
「え、え? 何か、不味いんスか?」
「全部不味いに決まってんだろうが! ボケが! そもそも俺はアルドル辺境伯関連の人間には手を出すなっつったろうが!」
「ひぃ!」
「そんなに怒鳴らないで差し上げて。可哀想よ」
「ひぃーん、奥さーん……!」
見かねたエヴァが助け船を出すと、男たちは皆彼女の後ろに隠れてしまった。
「てめっ……。はあ、大体、アンタは何なんだ。そいつらくらいアンタ、どうにでもできただろう」
「……そうでもありません。わたくしは確かに現国王の第一子として生を受けましたが、魔力はそこまで多い方ではないの。イチかバチかなんてものを試して、従者たちに怪我を負わせる訳にはいきませんから」
エヴァが話したことは事実だ。彼女を連れてきた若い男たちの中に魔法の使い手はいなさそうではあったけれど、イチかバチかなんてものは試さない方がいい。
そう言い切ったエヴァを、頭領は黙ったままじっと見つめた。
「……」
「何か?」
「いや? まあ、こちらの人違いだ。部下に送らせるから――」
「あら、そんなこと仰らないで。少しわたくしとお話ししてくださいません?」
「……俺らは、ご貴族様みたいに優雅に茶を飲んでご歓談するような教養もねえんだよ。日がな一日、働き続けても一日一食まともに食えねえような生活をしてたんでな」
「わたくしもお茶はいりませんわ。けれど足が痛むの。この靴は山歩きには不向きだったから」
「え、ごめんね、奥さん。やっぱりしんどかった?」
「お気になさらないで。でも、痛むわ。部下の後始末は、上司がするべきよね?」
にこりと微笑んでそう言ったエヴァに、頭領は頬を引きつらせながらなんとか笑った。けれどエヴァもここで引き下がる訳にはいかない。なにせこれは絶好の機会なのだ。これを逃せば、もうきっと出会うことのできない機会だった。
「……何が望みだ」
「相談に乗って頂きたいの」
「はあ!?」
「お頭さんは、人生経験が豊富そうだもの。ずっと悩んでいることがあって、でも、誰にも相談ができなくて」
噓偽りなく、これはエヴァの本心だ。こんなこと、誰にも相談なんてできなかった。するべきでもなかった。
「……お頭ー、可哀想だよー」
「話、聞いてあげなようー」
少し苦い顔をしてしまったエヴァを見て、彼女の後ろに隠れた若い男たちがそう言う。頭領はその男たちを見て長々とわざとらしくため息を吐いた。
「お前らな、分かってんのか? 今、俺ら結構ヤバいんだぞ。そこのお嬢さんは“元”とはいえ王族で、現アルドル辺境伯夫人だ。アルドル辺境伯は元々、俺らのやることに目を光らせていて私兵も多く派遣している。今までは俺らに襲われる貴族の自業自得だとお目こぼししてきたような連中も一斉に動き出しかねん」
「でもぉ」
「でもじゃねえ。さっきも言ったが、アルドル辺境伯は俺らの獲物じゃない。対象外の貴族だ。強い権力を持っていて危険だっていうのもあるが、ここら辺の領地は結構整っていて領民も比較的に豊かで領主を慕っている。そんな奴に手を出せば、領民に石を投げつけられるだけじゃすまねえ」
「? でも、じゃあ、何で、お茶会に来る馬車を襲えって」
「はあ……。そうだな、俺が悪かった。アルドル辺境伯夫人があの茶会に参加するとは思ってなかったんだよ」
「ああ、メンシス子爵夫人のお茶会ですね? 確かに侍女に止められました」
そこまで聞いて、やっとエヴァは納得をした。やはりこの賊は、オーウェンが追っていた“義賊”らしい。そして彼らが狙ったのは“アルドル辺境伯夫人”ではなく、“メンシス子爵夫人主催のお茶会に参加する貴族夫人”だったようだ。
それにしてはこの隠れ家にエヴァ以外の貴族夫人がいる気配がない。実行犯が少ないのか、それとも元々一人しか攫う予定でなかったのか。まあ、エヴァが今考えるべきことではないかもしれない。
「止められたやつに出ようとすんじゃねえよ」
「どの程度の方なのか確認をしておかないとと思いまして……。後、この領地で“おいた”をしてはいけないという忠告も必要かと」
「……はあー、貴族怖えー」
頭領は天井を仰いで頭を抱える。そしてゆっくりとエヴァに視線を戻した。
「で?」
「はい?」
「相談ってなんだ」
「……」
「あ? まさか、この期に及んで、やっぱりありませんとか言うんじゃないだろうな」
「いえ……。本当に聞いてくれるだなんて思っていなかったので。……言ってみるものですね」
「はあ……。付いてきな、嬢ちゃん」
「はい!」
頭領たちに招かれ、エヴァは隠れ家の奥へ入って行った。
―――
「――と、いう、訳でして。困っていて」
エヴァは、ソファに座り温かい飲み物を貰って話をした。初めは端的に話そうとしたエヴァだったが、気づけば自身の生い立ちからの全てを話してしまっていた。エヴァが話をしているといつの間にか人が集まってきて、彼女のまわりで泣き始める者までいた。
「うっうっうっ……」
「ひ、ひでぇ話だ……!」
「泣くんじゃねえよ、汚ぇな」
「お頭もひどい!」
部下たちを邪険に扱いながら、頭領はエヴァに続きを促した。
「で?」
「はい?」
「はい? じゃねえんだよ。アンタのこれまでの経緯も今の状況も分かった。そんで? アンタはどうしたいんだよ」
「どう、したい……?」
「結局、どうしたいのかっていう最終的な目標がねえと、動くにも動けねえだろう。夫人の座を退きたいってのは分かったが、それは何でだ? アンタは今、目標も決めないで手段ばかりを選んでんだよ。そりゃあ、訳分からんくなって当たり前だろうが」
エヴァはそう言われて、少し考えこんだ。目標、目標とは……。とにかくエヴァは、この状況を変えたい。あまりにもおかしいこの状況を。エヴァだけが無責任に幸せで、オーウェンやその周りの誰かの幸せを阻害している現状を変えたい。
「……オーウェンに、幸せになってほしいです」
そう、そうだ。幸せになってもらいたい。エヴァを助けてくれたオーウェンに、幸せになってほしいのだ。ぽろっと出ていった言葉は、それこそが彼女の本心だった。
「幸せってなんだ?」
「え、えっと、ちゃんと、ちゃんとした奥様を貰って、お子に恵まれて……幸せに……」
「ちゃんとした奥様ってなんだ? 子どもができれば幸せになんのか? そもそも子どもなんて授かりもんだろう。平民だろうが貴族だろうがずっとできない家はあるぞ」
「そ、それは……」
明確な目標を定めることができたと喜んだエヴァに、頭領は厳しく指摘をしてきた。彼の言っていることは確かな真理で、エヴァは言い淀む。
「アンタはつまり、アンタのエゴでできた幸せを旦那に押し付けたい訳だ」
「……」
「それが旦那にとって本心から幸せと呼べるものなのか、実現可能なのかも考えちゃいない」
「……それは、いけないことだと?」
「いいや?」
「え……?」
頭領はエヴァに向かってにやりと笑って見せた。てっきり自身の考えのなさを責められていると思ったエヴァはぽかんと口を開けてしまう。
「俺たちを見ろ。お前の隣で泣きじゃくっている哀れな男を見ろ。俺たちはいつだって世間様から爪弾きにされてきた。だから俺たちは貴族を襲って金品を要求し、それを俺たちのような人間に配っている」
「……」
「これが正義などと言うつもりはない。俺たちのやっていることこそエゴの極みだ。金を配ったところで、俺たちみたいな人間は減らない。汚職や賄賂、特にこそこそ平民を虐めている奴を狙って襲ってはいるが、それでも強盗は強盗だ。法に定められた罪に他ならない」
エヴァは、じっと黙って頭領の話を聞いた。
「けれど、俺たちにはこの道しかない。貴族は好かないが政治をする奴がいなくなったら困るから、貴族の全てを排除したい訳でもない。ただの自己満足、これこそエゴだ」
目から鱗が落ちるとはこのことだとエヴァは頷き、そして頭領に向き直った。
「決心がつきました」
「おう」
「わたくしをこのまま連れて行ってください。先程はあまり魔法が使えないと言いましたが、それなりには使えますので少しなら手伝えるかと」
「……お断りしてぇところだがな」
「え!? お頭、断んの!?」
「男が廃るっスよ!」
「あー、うっせぇうっせぇ!」
集まってきていた部下たち一通り怒鳴ってから、頭領は意地の悪い顔を作った。
「本当にいいのか? アンタを連れて行って、娼館やら奴隷商やらに売り飛ばすかもしんねえぞ?」
「ふふ、貴方はそんなことはしないわ」
「そうだよ、可哀想に。奥さん、虐めんなよ」
「お頭、言ってることサイテーっスよ」
「お前らはさっきからどこの立場で話してんだよ」
げんなりとした表情の頭領とぶーぶーと文句を言う部下たちに、エヴァは笑いを堪えられなかった。なんて楽しい人たちだろう。エヴァはこんなに気安い関係を間近で見るのが初めてだった。彼女の前では皆、畏まった態度を崩さなかったのでそれはひどく新鮮に映った。
「王家も家も旦那も、本当にいいんだな?」
「王家はどうでもいいですし、あちらもわたくしに興味はありません。特に咎めもしないでしょう。アルドル家は古くから力のある家ですので、わたくし一人がいなくなったところで特に支障はない筈です。オーウェンは、悲しんでくれるかもしれませんが、強い人です。幻想から醒めて、現実を生きてくれると信じています」
いっそ清々しい気持ちで、エヴァはそう言い切った。そうだ、エヴァ自身が必要であったことなんて、一度としてなかった。オーウェンは優しい人だから、悲しんでしまうかもしれない。けれど、この歪な関係を終わらせて未来を生きてもらう為には、もうこの手段しかないのだ。
「俺らに付いて来るってことは、お屋敷で傅かれての生活もできなくなんだぞ?」
「それこそ、大丈夫だわ。わたくし、妹が生まれてからの半年程、放っておかれたことがあるんです」
「おい、放っておかれるってなんだよ」
余計なことを言ってしまったとエヴァは口に手を当てたが、まあ話して困ることもないだろうと説明を始めた。
「ある日突然、部屋に世話役が一人も来なくなったの。呼んでも誰も来なくて……。ふふ、半年後に新しく就任した侍従長がそれに気付いて泡を吹いていたわ」
「いや、笑いごとじゃねえだろう」
確かに笑いごとではなかった。どうせ王妃が手を回していたのだろうけれど、いきなりに誰からも応えてもらえなくなった幼いエヴァは、普通ならば死んでいてもおかしくはなかっただろう。それを王妃が狙っていたことは明らかだ。実際に死んでいたとしても、所詮は妾腹の子だとどうにでもするつもりだったのだろう。
「でも、当時わたくしはもう赤ちゃんという歳ではなかったし、幸いにも王城には中庭に果実がなる木があったから食べるものには困らなかったわ。使用人の子どもだと勘違いした者たちが、仕事をさせてくれたりもしたの。昔のことなので全て覚えている訳ではないかもしれないけれど、洗濯とか掃除とか全くできないこともないわ」
その時のことを、エヴァはよく覚えている。通常であれば関わり合いにならないような階級の使用人たちがよくよく彼女を構ってくれたのだ。
着替えも用意してもらえなくなったエヴァに自身の子どものお下がりを着せてくれ、厨房から食事を貰ってきてくれ、桶にはったお湯で体を拭ってくれた。仕事を教えてくれ、間違ったことをすれば叱ってもくれた。
この時のエヴァは、誰かに憐れまれたり蔑まれたりする妾腹の王女ではなく、ただの一人の子どもだった。髪の色でエヴァが王女だと分かりそうなものだったけれど、当時の彼女の髪色はまだ青が濃く、王家の色には見えなかったのだ。
親に放置される使用人の子どもは、下級層になれば実はそこまで珍しくなかったのだ。そういう子どもは使用人たち全体で育てる風習があったようで、そのおかげでエヴァは生きている。
「……そんな図太いなら、大丈夫そうだな」
「うふふ、そう、わたくしって図太いの」
そう、エヴァは、強く図太いのだ。会ったこともない実の母がそうだったように。
「だが、そうだな。髪は切れ、ついでに色も変えろ。そんなにあからさまな王族の色じゃあどこにも行けない」
「え、お頭、マジです?」
「女の人に髪切れとか、神経どうなってんスか」
「構いませんわ、さくっとやってくださいな」
「ええぇー!」
「いいのぉー!?」
「髪の毛って売れるって聞いたことがあるのだけれど、わたくしの髪も売れるかしら?」
「あっははっ! その色の髪持って行ったら即刻牢屋だろうよ!」
「まあ、残念……。迷惑料をお支払いしたかったのだけれど」
「はんっ、嬢ちゃんがそんなこと考える必要はねえさ。まあ、その衣装と宝石は売らせてもらうがな」
「ええ、是非貰ってください。……わたくしには過ぎたものだったわ」
煌びやかなドレスも宝石も、エヴァにはもう必要ない。オーウェンが与えてくれたものを何一つも返さずに売り払うのは少しばかり心が痛んだけれど、これ以上の迷惑をかけないようにする為だから許してほしいとエヴァは祈った。
読んで頂き、ありがとうございました。