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5、追憶④

 オーウェンがアルドル辺境伯領に戻り、エヴァを娶った時点で彼は爵位を継ぎ、彼の両親は隠居した。元々、早めに隠居生活を送りたかったらしく、オーウェンに仕事のあれこれを教え込むとさっさと別宅へ移って行った。そのあまりの素早さにエヴァは少しばかり驚いた。


 エヴァが驚いたといえば、もう一つ。オーウェンの年の離れた兄は病に伏した、という風にエヴァは聞いていたが、実際はそうではなかった。何でも元々、政治や統治に興味がなく、しかもオーウェンの方が向いていると分かった時点で出奔をしてしまったそうだ。


 連れ戻しても連れ戻してもまた出て行く長男に見切りをつけた両親は、全てをオーウェンに継がせることにしたらしい。けれどさすがに外聞が悪いので、“病に伏した”としている。ちなみに商人として、そこそこの成功をおさめているらしい。


 『自分にかかった養育費は全額返す』と毎年それなりの額が送られてきているそうで、困ったものだと前アルドル辺境伯夫妻は笑っていた。エヴァには理解しがたかったが、家族にはそういう形もあるらしかった。


―――


『……今はいいとして、オーウェン。貴方の跡継ぎはどうするつもりなの?』

『時期を見て、親戚の中から選ぼうと思っております。エヴァ様がお気になさることはありませんよ』

『そう』



 エヴァは、オーウェンが望んだように王城と変わらない態度をとり続けた。



『オーウェン、さすがに外でわたくしに畏まった態度をとらないでください』

『し、しかし』

『変な噂が立てば、わたくしが困るのです』

『ん、ぐ、努力致します……!』



 オーウェンが望むままのエヴァでい続けた。



『そのような雑事をエヴァ様にさせる訳には!』



 ただ、注意をしていても、オーウェンがこうやって声を荒げることは稀にあった。今回は、エヴァが辺境伯家の女主人としての仕事をしているのが気に食わないらしい。しかしエヴァは、王城にいた頃と変わらずににこりと微笑んだ。オーウェンが望んだとおりに。



『あら、わたくしのことを何もできない小娘だと思っているの?』

『そうではなく』

『……このくらいはさせてください。貴方には感謝してもしきれないのですから、それに』

『それに?』

『暇です』



 そう、暇なのだ。王城にいた頃のエヴァは、公務に勉学、奉仕活動に趣味や散歩と王妃の目に付かないように程々に忙しくしていた。用事もなく私室に篭り過ぎていると、王妃や王妃派の者たちがわざわざ訪ねてきては、ああだこうだとのたまうので、それを退ける為の理由が必要だったのだ。


 エヴァとて忙しくしていたい訳ではなかったが、では自由に過ごすとしても、のんべんだらりとしているばかりではつまらない。暇つぶしと実益が兼ねる程度であれば、仕事は悪しきものではない。



『……田舎で申し訳ない』



 オーウェンはがっくりと肩を落としながらそう呟いた。どうやら、エヴァが想定していなかった伝わり方をしてしまったようだ。これには彼女も苦笑するほかない。



『ふふ、何を言っているんです。自然豊かでいい所だわ。……もう少し外出を許可して頂ければ、もっといいのだけれど』

『け、警備の問題が』

『必要かしら』

『当たり前です、田舎だからといって、悪人がいない訳ではないのですよ?』



 オーウェンは田舎田舎と言うけれど、エヴァは本当にこの領地を気に入っていた。確かに王都に比べれば田舎だろう。けれどエヴァは、王都の華やかさが恋しくなったことなど一度もない。


 ここは静かで穏やかで、あまり触れ合うことはできないが馬車や屋敷の窓から遠くに見える領民たちはいつも楽しそうで。オーウェンはきっとこんな土地で育ったから底抜けに優しいのだと、エヴァはよくよく納得をしたものだ。



『では、オーウェン。今度のお休みに西の湖に連れて行ってくださいな。綺麗な色の魚が泳いでいると聞いたの』

『それは勿論、必ずお連れ致します』

『……』

『どうかなさいましたか?』

『オーウェン、貴方、断るということを覚えなさいな。いつもいつも二つ返事で』

『え? ええと……』



 優しいのも良し悪しだ。オーウェンはいつもいつも、エヴァの要求を聞いてきてはそれを叶えようとする。初めの内はエヴァも、そうすることでオーウェンが納得するならばと小さな願いをいくつか口にしたが、それはすぐに目に余るようになった。



『いいですか、オーウェン。次の休みはきちんと体を休めなさい。領民の生活の視察に行くのも、私兵に稽古をつけるのも禁じます。わたくしの様子を見に来るのなんてもっての外です』

『そ、それは』

『使用人たちが皆、心配しています。勤勉で仕事熱心なのは美徳ですが、下々の者を安心させるのも貴方の仕事ではなくて?』

『はあ……』

『その日はわたくしも外出しようと思います。その方が貴方もゆっくりできるでしょう。休みが決まったら――』

『何故ですか!?』



 話を聞いていたか? とエヴァは言いかけたが、すんでのところでそれを堪えた。



『あ、すみません。いきなり大声を……』

『いえ、驚きましたが、そうではなく』

『ですが、その、私の休日に貴女がわざわざ外出するとなると、不仲を疑われかねません。エヴァ様の評価が下がるのは、いいことでは決してなく――』

『……はっきり仰いな。貴方が外出をするなと命じれば、わたくしはそれに従います』

『……私が、エヴァ様にそのようなことを申し上げる筈がございません。ですが、どうか、お考え直しを。どうか……』



 いつになく熱心なオーウェンに、エヴァはまた苦笑した。



『そうね、貴方がわたくしのことをエヴァと敬称なしで呼ぶなら、考えてあげてもいいわ』

『え、は!? いや、いやいや、しかし、お、公の場では既に……』

『その公の場で何度も間違えそうになるからでしょう? 普段から直す必要があると思うの』

『し、しかし……』

『あら、別にいいのよ。家令に言って、貴方の休みに合わせて外出をする手はずを整えればいいのですから。警備も彼に言えばどうにでもなるでしょう』

『お待ちください! 努力を致しますので……!』

『ふ、ふふふ、そんな顔をしないで。貴方が約束を守ってくれれば、わたくしも守りますから』

『からかわないでください……』

『まあ、人聞きの悪い。ふふ、からかってなんていないわ』



 からかってなどいない。エヴァは、本音を伝えただけだ。せめて名前を、本当の妻みたいに呼んでもらえたら。そう思っただけだ。


 結局、オーウェンの休日にエヴァは外出しなかった。一緒に庭園を散歩して、暖炉の前で一緒に読書をして、ボードゲームに興じて。本当に仲の良い夫婦のように過ごした。


―――


 エヴァはオーウェンと暫く共に暮らして、分かったことがある。それは、彼が思った以上に自身を慕ってくれているということ。


 エヴァが屋敷の者たちにそれとなく聞くと、オーウェンは“王族”というものに憧れを持っていたそうだ。それこそ、絵本に出てくるお姫様と、勇者を導く王様とそれを支える優しいお妃様に夢を見るように。……お世辞にも、現国王夫妻は絵本に出てくるタイプではなかったし、エヴァと半分しか血の繋がっていない妹なんて騒がしいばかりの我儘娘だったから、さぞ落胆したのだろうことは容易に想像できた。


 おそらくその中で、エヴァがあまりにも静かだったから、オーウェンの目に留まったのだ。対比がアレだったから、エヴァ自身に特別な魅力や能力がなくても、彼の目にはとてもよく映ってしまったのだろう。騙しているようで、エヴァはただただ申し訳なかった。でも、同時にオーウェンに夢を見せることができる自身を初めて誇りに思いもした。


 このまま主従のように、友人のように、仲良く過ごしていけるなら、なんて素敵なことなのだろう、とエヴァは思う。……けれど、それは本当にオーウェンにとってよいことなのだろうか。


 この屋敷の人は、何も言わない。決してエヴァを貶めない。あんなによい領主が、こんな、ただ王族の血筋を持っているだけの女に捕まっているのに、何も。


 責められたい訳じゃない、貶められたい訳でもない。あの頃に戻りたいとは思わない。でも……。エヴァの苦悩は日に日に深まっていった。



『オーウェン、貴方、いい人はいないの?』

『いい人、ですか? いい人……善人という意味でしょうか?』

『そうではなく、愛する人という意味です』

『そ』

『そ?』

『それは、勿論、エヴァ様を……っ、あの、け、敬愛しております』

『……そう、ありがとう』



 そういうことじゃない、と叫ばなかっただけ、エヴァの理性はまだ機能していた。


―――


『ねえ、やっぱり旦那様は奥様とお子を作らないおつもりなのかしら?』



 ふと思い立って書庫へ移動していた廊下で、エヴァは侍女たちが楽しげに話している場面に出くわした。出くわした、といっても実際には侍女たちからは見えないように咄嗟に隠れてしまったのだけれど。



『下世話よ、やめておきなさいな』

『だって、気になるじゃない! あんなにも仲良く見えるのに……。やっぱり本心では――』

『やめなさいって、誰かに聞かれてクビにされたって知らないから! 私を巻き込まないでよね!』

『何よ、ケチねえ!』



(……そうね、それは当たり前の疑問だもの)


 皆、言葉にしないだけで、オーウェンの子どもを欲しがっている。きっと、オーウェンの両親も。けれど、オーウェンはエヴァへの忠誠心で外で子どもを作ってくる気も今の所はなさそうだった。オーウェンは、エヴァに対して好意を持っているのに、決してそれは恋情にはならない。それをエヴァは痛い程に知っていた。


(……人の不幸の上に成り立つ幸せって、こんな気持ちなのね)


読んで頂き、ありがとうございました。

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