毎日私のご飯を食べたいって……
どっちが夕食を作るかでひと悶着あったが結局、千草に作ってもらうことにした。
これは決して俺が現役JKの手料理なる呪文に負けたからではない……。
夕食ができるまで時間を持て余したので、再び自室で課題レポートに取り組み始めたが、さっきとは別意味で集中できない。これから幼馴染とはいえ千草――女子高生と一つ屋根の下で寝食を共にしながら、こちらは保護者代行として立ち振る舞ないといけないという難解なミッションに思考を持っていかれて論文の内容なんか一向に頭に入って来ない。
そうやって無駄な時間を過ごしているうちに夕食は完成したらしく、千草に呼ばれてダイニングへと向かった。
階段を降りている時からすでにハンバーグの美味しそうな匂いが鼻をくすぐり、無意識のうちに口の中の唾液の量が増えてくる。
四人掛けのテーブルに二人で向かい合わせに座り、いただきますと手を合わせて、さっそく一口頬張った。
「うわ、マジで美味い」
千草の作ったハンバーグはその辺の洋食店のものより俺好みの味だった。
ふっくらと蒸し焼きにされて、肉汁がしっかりと閉じ込められており、ナイフを入れるとそれが溢れ出す。ソースもケチャップととんかつソースとバターで作ったものでこれも美味しい。
千草も一口頬張りながら上出来というように首を縦に振って味わっている。
「よかった。達兄の口に合って。達兄の家に遊びに来ることはあってもご飯を作るのは初めてだったから口に合うか心配だったの」
「こんなに料理が上手いなら全然心配することないだろ」
「そうかな? 料理が上手なのと口に合うかってちょっと別でしょ」
たしかにそのとおりだと思う。いくら高級なレストランでもこちらの口に合わないなんてことは十分にある。
「それなら千草は料理が上手くて、俺の口に合うから俺にとっては最高じゃん。これなら毎日食べたいくらいだな」
「ちょ、ちょっと、それって……」
千草は顔を俯かせて、ナイフとフォークを持った手は小刻みに振るえている。
まずい、これは怒っていらっしゃるのでは……。
「ち、千草、今のは毎日、千草にご飯を作れって言っているわけじゃなくて、もちろん、俺も作るし、手伝うし。テストで忙しい時期なんかは料理とかよりも勉強に集中して欲しいと思っているから――」
少しだけ顔を上げて上目づかいでこちらを見ながら千草は小さな声で呟いた。
「バカ……」
「ほ、本当にごめん。悪気はないか――」
「もういいよ。達兄が言いたいことはわかってるし。テストとかで忙しい時はお惣菜とかも使うから心配しないで」
かるく口を尖らしながら話す様子からするとやっぱりまだ怒っているようだ。あとで何か埋め合わせをした方が今後の同居生活のためにも良さそうだと思いながらハンバーグをもう一口頬張った。
食後の後片付けは俺が担当した。とはいっても千草は作りながら同時に使っていた調理器具の片付けもしてくれていたので、俺が片付けたのは食事の時に使ったお皿などが中心だ。
なんだか、千草に甘えっぱなしだな。これじゃいけないのに。
食器を乾燥機に入れたら、普段母親がやっていたのを思い出しながらガスコンロや流し台を綺麗に拭いておく。一人の時はこのあたりの掃除は適当だったが、これからはちゃんとやらないと悪い気がしてきた。
布巾を洗って硬く絞ったところで、ちょんちょんとシャツの裾を引っ張られたので振向くと千草が俺を見上げるように立っていた。
「ねえ、コンビニ行こうかと思うけど何か買ってくるものある?」
ちらりと目だけを動かして時計を見ると時刻は午後八時を回っている。
「おいおい、もうこんな時間なんだから一人で外に行くのは危ないだろ」
「でも、まだ九時にもなってもないし。ここからコンビニまでなんて数分でしょ。小学生じゃないんだから一人で行くよ」
「いや、千草ならまだランドセルを背負えばギリ小学生でもいけ、うぐっ」
千草の小さな拳が俺の横っ腹をえぐってきた。
「誰が小学生なの。これでも身長一六〇あるんだからね」
「冗談だって。でも、コンビニに行くなら俺も買いたいものがあるから一緒に行くよ」
さっきの埋め合わせにちょっとお高いアイスでも買って機嫌を取っておいた方が今後の生活の安寧秩序に繋がるはずだ。
近所のコンビニまで二人で並んで歩く。車のヘッドライトが次々と流れ来ては一瞬だけ長い影を作っている。
昼間は日差しがあると暑く感じるが、夜の空気はまだ夏のものではない。
「やっぱり、夜はまだ気持ちいいね」
「そうだな。今ぐらいが一番いかもな」
互いに相手の顔を見るわけでもなく前を向きながら話す。
「あの、さっきはごめん。パンチしたの痛かった?」
「ん? あんなの蚊に刺されたようなもんだ」
「じゃあ、次からはもっと思いっきり打ち込むね」
千草はボディーブローを打つ真似をしながらにやっと笑った。
「ごめん、嘘です。ちょっと痛かった」
「正直でよろしい。フフッ」
俺の方を覗き込むように向けられた千草の笑顔は昔よく見た自然な感じのものだった。最初に挨拶をした時の笑顔は一生懸命作った感じのものだったので、同じ笑顔でも正反対の位置にあるといってもいい。
「何かおかしいことがあったか」
「ううん、達兄が昔と変わらない感じでよかったと思ったところ」
「なんだよ、成長してないってことか」
「そんなことないよ。私が中学生になった頃からあまり遊んだり、話したりしてくれなくなったから達兄は変わっちゃったのかなと思っていたの」
さすがに高校生にもなれば彼女でもない限り三学年も下の女の子と遊んだりはしない。それにその頃の三歳って今よりもずっと大きな差に感じていたと思う。きっと、もっと歳を重ねれば三歳差なんて全然気にならなくなるのだろうけど。
「変わるも何もそういう年頃だろ」
「でも、私はけっこう凹んでいたんだよね。達兄に何か嫌われるようなことをしたのかなって」
「そこは俺に可愛い彼女ができたとかじゃないのか」
「それは一ミリも考えなかった。だって、達兄はおばさん公認のヘタレだから」
マジで母さんは俺の知らないところで何を話してるんだ。まあ、ヘタレであることは否定しないけどさ。
「悪かったなヘタレで。でも、そんなに千草を凹ましたなら、今度お詫びに何かお願いを一つくらいは聞いてもいいぞ。バイト代がそこそこあるからスイーツビュッフェとか」
「じゃあ、リッ〇カールトンのアフタヌーンティーかな」
「……勘弁してください」
とりあえず今日のところはハーゲンダ●ツで手を打ってもらおう。