悪役令嬢は攻略対象のヤンデレ騎士と結ばれる
登場人物紹介!
シェリーティア・ハヴィン
ハヴィン伯爵家長女。前世でも今世でも一人っ子。
前世の家庭環境の影響でヤンデレ好き。
それなりに女性らしい体形。シルバーブロンドの髪にアシードブルーの瞳を持つ。
ルードヴィク・メルート
メルート公爵家次男。攻略対象のはずが何故かシェリーティアに求婚。ゲームではヤンデレ騎士枠。
騎士のわりには細身。深い紺色の髪に薄青の瞳を持つ。
誤字報告ありがとうございます!
「シェリーティア・ハヴィン嬢。お慕い申し上げます。八年前、貴女と初めてお会いしたときから。貴女を見かければ無意識のうちに目で追い、貴女の瞳に映る者に狂うほど嫉妬し、貴女をぞんざいに扱う屑を暗殺しようとしたこの男が貴女に跪くことをどうかお許しください。貴女を何処かに閉じ込め生涯二人きりの世界にいたい。
愛しい私の姫、どうかこの手をお取りください」
美しい騎士に跪かれそう言われたとき、普通はどんな反応をするだろうか。
嬉しいけれど愛が重すぎる、無理、歪んでいる、と。皆口を揃えてそう返すのだろう。
突然の申し出に周囲が騒めく中、跪かれた令嬢は体を震わせる。そしてゆっくりと口を開くと、一つの言葉を返した——
◇◇◇◇◇◇
ハヴィン伯爵家の長女、シェリーティアがこの国の第二王子と婚約したのは、今から約八年前のこと。王家からの婚約の打診に、「何故うちが?」と両親が疑問に思うのも当然だった。
なんといったって、公爵家、侯爵家を飛ばしての伯爵家との縁談である。王家は王子妃に対し色々なものを求めている為、それらに該当する令嬢を探していった結果、見つかったのがシェリーティアだけだった。というわけだが。
ハヴィン家からすれば不自然なことこの上ない。それに身分差があり過ぎなのだが、伯爵家が王家からの縁談を断れるわけもなく。
そのため両親は「可愛い私の子を王家にやるだなんて•••」「身分差を理由にいじめられないかしら!?」とあわあわしながらも縁談を受ける旨を返した。
当時八歳のシェリーティアは、それらのことをどこか他人事のように見ていた。実際、他人というのは間違ってはいない。シェリーティアの精神の半分は、前世によるものから出来ているのだから。
シェリーティアが前世を思い出したのは、さらに一年前の七歳のときだ。そして理解したのは、前世の自分がそれなりに好きだった乙女ゲームの悪役令嬢として転生したこと。
ヒロイン、リリーが貴族学園で恋をする物語。その中でシェリーティアは第二王子ルートの悪役令嬢として登場する。
それらを知っていたため、婚約も当然されるのだろうと思っていた。シェリーティアからして見れば、後に婚約破棄されようが名誉が傷つけられようがどうでもいい。ヒロインを虐めずに、悪役令嬢ではなく婚約者としての仕事を淡々とこなしていれば、王子との婚約破棄は全面的に王家が責任を負うこととなるのだから。
ヒロインは男爵家令嬢だ。それにゲームの性格から王子妃には向いていないように思える。そんな者と浮気した挙句、何も非のない婚約者に公然の場で婚約破棄を突きつける。どちらが悪いかは一目瞭然だ。
シェリーティアがどこか達観しているようなのには理由があった。それは前世の家庭環境にある。彼女は家族に、ひらすらに罵られて生きてきた。何故そうなったのかは分からない。ただ、彼女に物心がついた頃にはそれが当たり前になっていた。何か行動を起こす度その行動について罵倒され、反対に何も起こさければ今度は自分自身を否定される。
そのため部屋に籠るのが普通になっていった。誰だって罵倒されるのは嫌なのだ。自分の出来が悪い所為なのかなんなのかは知らないが、こちらにも何かしらの非はあるのだろう。だから罵られないといけない。もしかしたら、何に怒られているのか気づいていないのが駄目なのだろうか。
なんて考えているときに、久々に外出した先で車に轢かれて死んだ。長いのか短いのか、色々とよく分からない人生だった。
そんな記憶を持つシェリーティアは、婚約を受けた数日後第二王子との顔合わせを行った。
結果から言えば、最悪だった。
初めて会って数秒の内に「ハッ、このブスが俺の婚約者?」と言われ、品定めをするような目で「俺の婚約者になったんだ。感謝しろ」「せいぜい脚引っ張んなよ」と言われ散々だった。
なら婚約破棄すればいいのに、とシェリーティアは内心思いながらも、それを顔には出さず最低限の微笑みで流していた。
その後まともな陛下が王子を黙らせたことで顔合わせは終了し、「王城を見て回るといい」と気遣ってもらったためシェリーティアは中庭に向かった。
王城の中庭に咲く花々は素晴らしい、とても綺麗だ、とお茶会で聞いたことがある。皆が皆そういうのなら王家に対する媚びではなく本当にそうなのだろう、花はシェリーティアも好きなため気になる。
そうして中庭前の植物で出来たゲートを潜り抜け足を踏み入れたとき、シェリーティアは息を呑んだ。
午後の明るい陽光が視界一面に広がる花々を照らし、影を落として煌めかせる。視界にはキラキラと金のラメが舞い、宝石のような石でできた木々は虹色に輝いていてとても神秘的に見えた。
シェリーティアは前世を含めてもこれほど綺麗なものを見たことがない。異世界ならではの植物もある。想像以上だ、お茶会で友人が言っていたことを理解する。
暫くここにいたいと思い、中庭の中心にあるベンチに腰をかけた。どこを見ても視界には鮮やかでいて神秘的な空間が広がる。
自分の屋敷の庭も頑張ればこうなるだろうか、と俯き思考を巡らせているとき、ふと視界に影が落ちた。
顔を上げればそこには自分より幾つか年上に見える、騎士見習いの服を着た少年が佇んでいた。深い紺色の髪に薄青の瞳の少年は騎士の礼を取ると、そのままシェリーティアに話しかける。
「こんにちは、シェリーティア嬢。ここはとても穏やかで居心地がいいですね。シェリーティア嬢はこの花を見に来たのですか?」
少年はにこやかに微笑みながら、流れるような動きでシェリーティアの隣に座る。
そこまで有名ではない伯爵家の自分の名前をよく覚えているな、と関心を抱きながらも、向こうが名乗らないため自身の記憶から相手の名前を引っ張り出した。
「こんにちは、メルート様。はい、王城の花が綺麗だと友人から聞きまして。メルート様も?」
確か彼はメルート公爵家子息のルードヴィク様だ、と思いながら会話を繋ぐため質問をすれば肯定が返ってくる。
「ルードヴィクで構わないですよ、シェリーティア嬢。この中庭は騎士の訓練場からもそう離れていないので、息抜きに」
へぇ、と思いながら聞いているとルードヴィクと視線があった。改めて微笑まれるが、その目を見て少し寒気がした。
ルードヴィクの目には僅かに殺気がこもっていた。
これが通常運転なのだろうか。そう思いつつ再び会話を続ける。
「騎士は見習いとはいえ忙しい仕事でしょう。確かにこの風景を見れれば疲れが癒えるかもしれませんね」
シェリーティアは前世でも花が好きだった。部屋は花瓶に飾った花や花柄の壁紙、花の香りの石鹸など、花で溢れていたものだ。当時はそれらが家族にバレたらしつこく何かと言われそうで黙っていた。
それでも、親がいないときに招いた友人には喜ばれたなぁ、と懐かしさから目を細める。
ふっと薄く笑いを零すと、視界がぼやけてくるのを感じた。どうやら感傷的になりすぎたようだ。気持ちを切り替えようと、上がった口角を自然なものから作られたものに変える。
そうしてルードヴィクに目を遣れば、ルードヴィクの雰囲気がガラリと変わったのが分かった。
目の殺気は相変わらずとはいえ、それも純粋な殺気から甘く熱を含んだ殺気に変わった。
殺気についてはただの思い込みかもしれないが、雰囲気が変わったのは事実だ。
なんでだろうと不思議に思いつつもそこまで深く気に留めることもなく、シェリーティアは適当なところで会話を切りあげた。
帰宅し、自室に入ると着替え始める。重いドレスをずっと着るのは窮屈だ、さっさと部屋着に変える。
そうして「疲れた〜」とベッドにダイブし枕に顔を埋めたところで、一つ前世の記憶を思い出した。
ルードヴィク・メルートは攻略対象だ。
彼は前世のシェリーティアと似た家庭環境で幼少期を過ごす。その所為で彼は感情が希薄で人間不信だった。
そしてそれから成長し、19歳という若さで騎士団長となったルードヴィクを、ヒロインが癒して攻略する。そんなストーリーだった。
シェリーティアがこの乙女ゲームを好きだったのもルードヴィクがいたからだ。彼と家庭環境が似ていて、それでもヒロインに出会ってから強く生きようとする姿に惹かれた。
でもそこに悪役令嬢との描写なんてなかったよなぁ、と乙女ゲームについて考え始める。
確か悪役令嬢は良くて国外追放、最悪一族処刑だった。だが現実でそれは起こらないだろう。
シェリーティアは王子の婚約者の立場に執着する気も、ましてやヒロインを虐める気もない。現在シェリーティアが自由に動けているところを見るに、断言はできないがよくあるゲームの強制力とやらもないのだろう。
ならば穏便に過ごして婚約破棄されるだけで済む。
問題はなさそうだ。それにしても何故今思い出したのだろうか。そんなことをぼやけた思考で繰り返し考える。そうして徐々に薄くなった意識を手放す直前、シェリーティアはやっと自分は眠かったのだいうことに気がついた。
そうして過ごした幼少期に馳せていた思いを現実に戻す。瞑っていた目を開ければ、目の前では第二王子とヒロインが仲睦まじく寄り添っている。攻略対象者達はそれを取り囲み、周りの役者も揃ったところで、第二王子の声が高らかに会場に響き渡った。
「シェリーティア・ハヴィン!貴様との婚約をこの場において破棄する!」
「畏まりました」
婚約破棄の意は受け取った。この夜会には特に用もないしもう帰ろっと。シェリーティアはそう思い、彼らを背に歩を進め始めたところで、それを一つの声が引き止める。
「待て」
シェリーティアが振り返れば攻略対象の一人がこちらを睨んでいた。
「婚約破棄の意、受け取りました。他に何か?」
「貴様ッ!!何故こうなったのか理由は思い当たらないのか!!」
「はい」
ゲームではヒロインを虐めた罪で断罪されるが、ここではシェリーティアは何もしていない。ゲームとは違う。
「胸に手を当てて考えてみろッ!!」と言われても、シェリーティアは「さぁ?」としか返せない。呆れながらそんな馬鹿みたいなやりとりをしていると、甘く可愛らしい、どこか含みのある声が上がった。
「ひどいっ!あんなに私のこと虐めたのに!それを忘れたって言うんですかっ!?」
ヒロイン登場だ。手で顔を覆いながらも口元がにやけているのを隠せていない。ふむ、あいつは転生者なのか。馬鹿だな。シェリーティアは内心悪態をつく。
こちらも今の暮らしを壊されたくはないのだ。万が一ゲームの強制力が働いたときのために、虐めていない証拠は用意しておいた。
まあ、このような事態になった原因は、強制力ではなく馬鹿な転生者の意思のようだが。
「私は貴女を虐めていませんし、名前すらも存じ上げておりません。それでも私が虐めたと言うのですか?」
"今世"では挨拶も交わしたことがないため名前は知らない。が、言質を取るため分かりきった質問をする。
「そうです!!嘘をつくのは良くないですよ!!」
よし言質はとれた。ブーメランだなぁ。思いながらシェリーティアはヒロインに返す。
「その言葉そのまま貴女にお返しします。まず、私が貴女を虐めたのはいつ何処での事です?」
淡々とそう返せば、ヒロインは歪んだ笑みを隠しきれない様子で声を弾ませて言った。
「ひと月前、放課後に三階の物置部屋で殴る蹴るの暴行をされました!
それから、二週間前は昼休みに校舎裏で怖い人達に取り囲まれ、五日前からは毎日授業の間に私の物が壊されたり取られたりは勿論、階段から突き落とされて殺されそうになったこともありました!」
ヒロインは全てゲームで起きたことをすらすらと話す。ここまで馬鹿だと呆れるしかない。
貴女自身がそうであるように、貴女を虐めてないのだから私も転生者だという考えはないのか。
もしそうであるのなら、断罪の対策くらいしていると思わないのか。
ましてやゲームで起きた虐めくらいこちらも知っているのだから、最低限それは必ず対策されているとは思わないのか。
ここはゲームとは違う現実なのだ。現実で逆ハーエンドに進み冤罪をかけるなんて、馬鹿すぎる。ここにはヒロイン至上主義なんてない。被害者ぶるのに失敗したら破滅するのはそちらなのに。
思いながらシェリーティアは一つ一つ証拠を並べ始めた。
「まずひと月前の放課後は、私は職員室にいました。証人はそのときに職員室にいた先生方です。
次の二週前の昼休みは自宅にいました。その日は学園を休んだので。証人は学年主任の先生で。
そして五日前からは学園にいる間常に自分のクラスにいました。証人はクラスメイト。私と貴女はクラスどころか学年が違います。貴女が私のクラスに来ない限り虐めるのは不可能。
そもそも違う学年の階に行くのは相応の理由がない限り校則違反ですね。貴女はわざわざ校則を違反して私の学年に来て虐められたと?」
言い終わった頃には、ヒロインは俯きぷるぷると震えていた。王子含めた攻略対象らは口を開けぽかんとしている。
数秒沈黙が降りると、ヒロインは顔を上げてシェリーティアをキッと睨みつける。シェリーティアからすれば子猫に睨まれたところで何とも思わないのだが、ヒロインはニッと歪んだ笑みを見せると王子に縋りつく。
「ねぇ、ウィル!シェリーティア様との婚約は破棄されたんでしょ? てことは今度はウィルは私と婚約するよね? 王子の婚約者候補、将来は王子妃になる私をあの人は傷つけたんだよ?なんか罰してよ!」
理論が無茶苦茶だ。それでも第二王子は洗脳済みらしい、シェリーティアに向かってありもしない罪を裁いた。
「そうだな。リリー、可哀想に。シェリーティア!貴様は私の愛しい婚約者を傷つけた!よって貴様を国外追放とする!今すぐ出て行け!」
よりによってまともな陛下がいないときにとかだるい、とシェリーティアはうんざりとため息をつきつつ、でも陛下は明日他国の訪問から帰ってくるんだし大丈夫か、と思い直す。
だが今すぐというのは少し困る。少なくとも今日中はどこかに行かないといけない。いっそのこと誰かに匿ってもらおうか。
シェリーティアは国王がハヴィン家を切れなくするため、家の価値を高めてきた。それは他の貴族にも言えることで、不当な理由で国外追放されたシェリーティアを罰せられる覚悟のうえ勇敢にも匿ったとなれば、家の評価は上がるだろう。王家とハヴィン家に恩を貸すのには絶好の機会だ。
そう考えながらシェリーティアはカーテシーをして夜会の会場を後にしようとする———と、一つの影がシェリーティアに声を掛けた。
「シェリーティア嬢。お待ちください」
ふわりと深い紺色に薄青の艶やかな甘い殺気が、シェリーティアの行先を遮る。
「ルードヴィク様。どうされましたか?」
シェリーティアは冷静に返しながらも内心混乱していた。攻略対象である彼がヒロインの傍ではなく、観客の一人に混ざっていたことに気づいたからだ。
ここはゲームと違うとは言え、さすがにイレギュラーすぎる。それでいえば幼い悪役令嬢と対面したこともそうなのだろうが、それが八年越しに影響してくるとは思えない。
シェリーティアは混乱しながらも事態を分析する。そして意識を目の前の現状に戻したとき、ふとぱちりとルードヴィクと目が合った。
ルードヴィクはシェリーティアにふっと甘く妖艶な笑みを浮かべる。絶世の美形の甘い微笑みが流れ弾で、背後から黄色い悲鳴と何かが倒れる音が聞こえる。大人の色気は怖い。
ルードヴィクはそれほどに美しく微笑みながら、一度シェリーティアの手を取り口付けると跪いた。
「貴女に婚約者はいないのですよね?」
そして冒頭に戻る。
それを聞いたシェリーティアは口元に手を当てて目を見開く。そして屑とは王子のことだろうかと変に冷静な思考が覗きつつ、一つの思いが体を震わせた。
ヤンデレ最っ高ッッッッ!!!!!!
シェリーティアは愛に飢えていた。それは前世の影響が全てだった。
一般的な家族の形とはかけ離れたあの家庭で、シェリーティアに無償の愛をくれる者はいなかった。
友達からの友愛とも近所の人からの親愛とも違う形の愛。
今世で家族と呼べる人達からの愛は確かにシェリーティアが求めていたものだったが、それに対しシェリーティアは、彼らはあくまでも「自分に親しくしてくれる人」程度の認識で、自分が求めるものとは「何か違う」という思いを抱き続けた。
この虚無感の理由を、自問自答を繰り返して辿り着いた答えは「自分ただ一人を求める愛」を求めていたから、だった。
前世で愛に飢えていたシェリーティアは人間不信気味だ。ちょっとしたことでは勿論信頼できないし、友人とのことだって「仲良くすること」と「信頼すること」は分けて考えてきた。
そんなシェリーティアが唯一信頼できる人間が「自分ただ一人を求める愛」をくれる者。自分を重いほどに愛し大切にしてくれる者だった。
それは今世の家族にも該当した。シェリーティアにとって「家族」は仲が良く愛し合っていて無条件に信頼できる人のことだ。
その点「愛し合う」のところはシェリーティアからの愛が足りていないため少しずれているが、信頼できる人間には分類された。
と、前世の影響の所為でヤンデレ好きになったシェリーティアは、二つ返事でルードヴィクの手を取ろうと自身の手を伸ばした——ところで思い止まる。
——彼の相手が私でいいのだろうか。
シェリーティアの自己肯定の低さが顔を覗かせたためだ。この自分を低く見る癖も前世の影響によるものだった。
シェリーティアの前世の影響はいつだって碌な方向に作用しないのだが、シェリーティア自身は無意識のためそれに気づかない。
ふと、俯くシェリーティアの視界に影が落ちた。顔を上げればルードヴィクが愛おしそうに微笑む。八年前と同じ状況に、シェリーティアは何故が胸が温かくなるのを感じた。
「シェリーティア嬢」
深みのある低い声が会場に響く。いつの間にか周りはしーんと静まり返っていた。
「は、い。どうかなさいま、し……」
その続きの言葉はルードヴィクの唇に吸い込まれた。
「ん、!?」
前世と今世合わせ初めての口付けに戸惑っていると、熱い何かがシェリーティアの唇をノックする。
シェリーティアが驚いて口を開いてしまうと、ルードヴィクがこれ幸いと深く熱を入れてくる
「何やってるんですか」
寸前で、ルードヴィクの側近が彼に声を掛け、それを止めた。
「少しくらいいいだろ」
ルードヴィクは振り返り、不機嫌そうに側近を睨む。
「何が『少しくらい』ですか。シェリーティア嬢、大丈夫ですか? このような場で無理矢理男に唇を奪われてさぞ怖かったことでしょう」
側近はルードヴィクの背後から顔を覗かせ、シェリーティアに心配そうに声を掛ける。
「はい。だ、大丈夫です」
シェリーティアは助かったと思うと同時に、ここが夜会会場であることを思い出し、頬を朱に染めて答える。
その透き通る白い肌を薄らと朱色に染めた天使のような美しさに、周囲は思わずほぉっと感嘆の息を漏らした。
「チッ。可愛い俺のシェリーティア嬢が減るだろ」
ルードヴィクの荒い言葉遣いにシェリーティアは戸惑いの色を浮かべながらも返す。
「…本当に、私でいいのですか?」
シェリーティアは眉を下げルードヴィクを見上げ——きる前に強く抱きしめられた。
「貴女だからです、シェリーティア嬢。貴女の儚い微笑みに心を奪われてから八年間、貴女に相応しい男になれるよう努力しました」
それから、とルードヴィクは背の低いシェリーティアの耳元へと顔を寄せて囁く。
「愛しています。貴女が他の誰かのものとなってしまったら何をするか分からない。
そうなる前にもう一度、貴女に分からせた方がいいですか?」
ねぇシェリーティア? と自身を呼ぶ甘い声とともに唇に触れられるのを感じて、シェリーティアは上気した顔で首を横に振る。
「ふふ、それは良かったです」
腕の力が緩められると、シェリーティアは自分が寂し気にルードヴィクを見つめていることに気がついた。
「シェリーティア。私と婚約してくれませんか?」
改まって言われたその言葉に、シェリーティアは瞳を潤わせルードヴィクに寄り添った。
「よろしくお願いしますっ!」
その様子を面白く思わない者がいた。ヒロイン再登場である。
「ちょっと!国外追放なんでしょ!?さっさと出て行きなさいよ色女!」
「色女…?」
「ひぃっ!」
シェリーティアを貶す言葉に、ルードヴィクは殺気を全身から溢れさせる。魔力が暴発されかねないその状況に、会場は悲鳴と「逃げろ!」と叫ぶ声で混乱に陥った。
「シェリーティア嬢は俺の手を取った、俺の婚約者だ。屑に色目を使ったのはお前の方だろ?」
「こ、こんやくしゃ…」
ルードヴィクが周りの温度を下げまくり、シェリーティアが婚約者という響きに再び頬を染めていると、この場に合わない呑気な声が一つ上がる。
「あーあ。あの女やっちゃったな。シェリーティア嬢、ルードヴィク様を正気に戻してくれませんか?」
その声にシェリーティアは、これ以上はやばいと頷いた。
ルードヴィクに駆け寄ると、ドン、と背後から勢いのままに抱きつく。
「っシェリー、ティア?」
「ルードヴィク様」
「どうしたんですか、シェリーティ——」
「好きです」
シェリーティアは、こちらを振り返り目を見開くルードヴィクの両手を取る。
「好きです、ルードヴィク様。大好き。だから貴方が悪役になるのは嫌です」
悪役令嬢は自分一人で足ります、とシェリーティアは無邪気に笑う。
それを見たルードヴィクは「ああ、もう可愛い。本当にシェリーティアは…」と意味の分からない言葉を呟くが、最終的にはシェリーティアに場を譲ってくれた。
「ヒロインさん」
もう名前忘れた、とシェリーティアは暗く笑う。
「あ、あんたも転生者なの!? 道理で上手くいかないと思った。でももうこれで終わりよ。あんたは——」
「馬鹿なの?」
「はあ!?」
甲高い声で耳が痛いとでも言うように、シェリーティアはわざとらしく両手で耳を覆う。
「この婚約は王家側が伯爵家に縋ってきたものなの。この意味わかります?」
「でもゲームでは!」
「王子に一目惚れしてましたもんね。でも私は恋なんてしてない——は少し違うか。今は恋してますけど、王子はどうでもいいんです。ここはゲームとは違う。不敬を承知で言いますが、伯爵家を捨てられようが名誉を傷つけられようが、非があるのは王家側なんです」
「シェリーティアが傷つけられたら俺が黙ってないけどね」
ルードヴィクが背後からシェリーティアを抱き締めると、それは頼もしいですと弾んだ笑い声が返ってくる。
「ねえ!もうウィル不敬でしょ!?殺してよ!!」
ヒロインが刺客を用意ってもはや悪役令嬢じゃん、と思っていると、何処からともなく降ってきた刺客がシェリーティアを狙うが、ルードヴィクがそれを難なく弾く。
「ナメてるの?俺は騎士団長だよ?」
騎士団長、という言葉を聞いた刺客らが一斉にルードヴィクに跳びかかる
「そこまでだ」
前に、低く威圧感のある声が響く。
皆が会場入り口を振り向けば、国王が臣下とともに佇んでいた。
「父上!?何故!?」
国王は王子の声を無視するとシェリーティアへと向く。
「愚息がすまなかった。この場において、シェリーティア嬢とウィリアムの婚約を正式に破棄し、責は全面的に王家が負うことを宣言する」
臣下の礼を取ったシェリーティアは「承知致しました」と婚約破棄の意を受け取る。
「それと、先程のシェリーティア嬢の言葉は間違っていないため罪には問わない。安心せよ」
「ありがたく存じます」
「では、夜会はこれで解散とする」
国王の宣言とともに、会場に残っていた人々が帰宅の準備を始めた。
「シェリーティア嬢。詳細は後に話そう。後日、伯爵家に迎えをやるから登城するように」
「承知致しました」
国王はシェリーティアから王子らへと視線を遣ると、連れて行けと騎士に命じた。
そうして騒ぎ立てる王子らを会場から連れ出したことで、夜会はやっとひと段落したのだった。
◇◇◇◇◇◇
「シェリーティア」
「何でしょうか」
ルードヴィクはシェリーティアの隣で馬車に揺られながら話しかける。
今はシェリーティアを公爵家の馬車に乗せて伯爵邸へ送り届けている最中だ。夜会後、シェリーティアともっと一緒にいたい、とルードヴィクがシェリーティアを離さないためこうなった。
シェリーティアは送っていくとの誘いを断ろうとしたのだが、ルードヴィクによるお姫様抱っこで連れられてしまった。
「俺はシェリーティアが嫌がっても、もう離せないよ?」
そう言うルードヴィクの瞳は、僅かに揺れている。
「シェリーティアは俺のものだから。シェリーティアが逃げ出しても絶対に捕まえる。もしその瞳に他の男を映したら、その瞳を取りたくなるかもしれない。本当に俺でいいの? 駄目と言われてももう離さないけれど」
独り言のような話しには確かに不安の色が滲んでいた。それだけではない。恐怖や愉悦、嫉妬、哀しみ、自嘲、狂気のような愛、など色々な気持ちが複雑に絡む。
でも一番強いのは不安に見える。
シェリーティアはふっと柔らかく微笑むと、ルードヴィクの頬に手を添える。
「本当に今更です」
でも…、とシェリーティアはルードヴィクに寄りかかり言う。
「……ルードヴィク様がいいのです。貴方が好きだから」
「むしろ私が離しません。目を取られるのは困りますが…怖いのなら、私を貴方に閉じ込めてください。私が逃げられないように」
シェリーティアの言葉にルードヴィクは目を見開き、そして、静かに頬に涙を伝わせる。
「そうだね……。好きだよ、シェリーティア。愛している。だから」
「溺れるくらいに愛すから」
覚悟していろ、と妖艶に瞳を光らせるルードヴィクに、シェリーティアは「変なスイッチ押しちゃったかも…」と慌て出した。
◇◇◇◇◇◇
「ふえぇぇぇ…シェリー、きれ、いよ」
「お母様。泣くのが早いです」
シェリーティアは目の前で号泣する母に、まだ式も始まっていませんよ、と苦笑する。
「お母様。お父様が呼んでいるようですよ」
それから母は、部屋を訪ねてきた従者の案内で父の元へと向かっていった。
部屋が静まり返る。
ぽつんと、部屋に一人。さっきまでは母がいて賑やかだった分、僅かな寂しさがシェリーティアを襲う。
とりあえずゆったりしていよう、とソファーに深く腰をかけ直したところで「シェリー」と自らを呼ぶ甘い声が聞こえ、顔を上げる。
「あ、ル、」
唇を塞がれたと思ったら、そのまま深く口付けられる。口紅が塗ってあるのに!!と欲に忠実な夫となる人の胸をポカポカと叩く。
「ッはぁ、何するん、ですかっ!!」
口紅がついてしまいます、と乱れる呼吸の中(物理的に)苦し気に言うが、その原因となった当の本人は「え〜」と不満気な声を上げている。
「シェリーが可愛すぎるのが悪い」
「貴方が悪いです!!」
ああべっとり口紅が付いちゃったじゃん、とルードヴィクの唇を拭き取り、自分のも塗り直すシェリーティアは、プロの化粧により元が良いのもあって絶世の美女に仕上がっている。
「式なのに一目惚れするゴミがいそうだな…」
「いっ、いませんそんな物好き!むしろルドに惚れる人がいそうで嫌です」
シェリーティアは、思ったよりルードヴィクの笑みが黒くて焦った。
ちなみに、焦ったことを誤魔化そうとして言ったことはわりと本音だったりする。
「さあ、シェリー。愛しい俺の姫。お披露目の時間だ」
ルードヴィクはシェリーティアの手を取り、優雅にエスコートをする。この世界では新郎新婦ともに入場するのが一般的だ。
「はい!ルドも私以外に見惚れたら駄目ですよ」
「シェリーこそ俺以外の男を見るなよ」
見た奴を片付けないといけなくなるからな、と独り言ちるルードヴィクに「消さなくていいですから!!!!」と叫び声が部屋に響いた。
「新郎ルードヴィク・メルート。
貴方はここにいるシェリーティア・ハヴィンを
病める時も健やかな時も
富める時も貧しき時も
愛し 慈しみ 支え合うことを誓いますか?」
「誓います」
「新婦シェリーティア・ハヴィン。
貴女はここにいるルードヴィク・メルートを
病める時も健やかな時も
富める時も貧しき時も
愛し 慈しみ 支え合うことを誓いますか?」
「誓います」
「では誓いのキスを」
神官の声に二人が向き合うと、ルードヴィクの指がシェリーティアの首筋から頬をなぞる。
「なにを、」
しているんですか、と。そう問おうと開いた口を閉じる。
蕩けきった甘い微笑みをするルードヴィクに何も言えなくなったから。
整った顔が近づいてきて、唇に柔らかい感触を残す。
幸せを全身で表現するルードヴィクに若干苦笑しつつも、自身も目元と胸が温かくなるのを感じてシェリーティアは無言で寄り添う。
限りない喜びで溢れる涙にぐっと唇を噛み締めていれば、背中に大きくて温かい手が回された。
そっと上目で手の持ち主へ視線を向ければほころぶような笑みがあって、思わずくすっと笑ってしまう。
これからずっと、自分の隣には唯一無二の人がいる。
「私の方が好きですから。愛して離しません」
「何を言うかと思ったら。負けるわけがない、俺の方が愛してるに決まってる」
勝負事を持ち込んだときのような真剣さで言い合うのが可笑しくて、二人で顔を見合わせた後しばらく笑い合った。
この日、悪役令嬢は攻略対象のヤンデレ騎士と結ばれた。
END
お読みいただきありがとうございます!
◆王子達のその後について
「ルド?」
シェリーティアは手紙を読んでハッと乾いた嘲笑を漏らすルードヴィクの顔を覗き込む。
ルードヴィクが手紙を読みながら寝室に入ってきたのも気になる。何か急ぎの仕事だろうか。
二人きりで住みたいと言うルードヴィクとともに新しい屋敷に移ってから、騎士団の仕事が如何に忙しく大変なのかを見て知った。(※主に団長の暴走の後処理)
仕事について部外者の素人が何か言うつもりはないが、それでも体が心配なのだ。
そんなシェリーティアの不安に揺れた声に、ルードヴィクは大丈夫だよと明るく話す。
「あの屑達の処分が決まったみたいでね」
そう言うと、ほらとそれが書いてあるらしい手紙を渡してくる。
シェリーティアは渡された手紙にある印を見て、それが国王からのものであることに気づき体が硬直する。
決して軽い感じで扱ってはいけないそれを、ルードヴィク宛のものだよね? と冷や汗をかきながら返却した。
そして、
「でもシェリーも当事者だよな?」
と満面の笑みで圧を掛けてくるルードヴィクに耐えきれなかったシェリーティアは、何かあったら脅されたと言おうと心に決め手紙を読み始めた。
そこには王子は城付近の「罪を犯した貴族が入れられる塔」に送られたと綴ってあった。言い換えれば貴族専用の牢だ。そこで半年の謹慎処分となった。
そしてヒロインは家の爵位返却のうえで国境付近に飛ばされ一年間の労働となったらしい。
婚約破棄騒動にしては罪が重すぎる気がする、とシェリーティアの頭に疑問符が浮かぶ。
いくら王家の不祥事とはいえ陛下は王子をここまで見捨てるだろうか。『責は全面的に王家が負う』とは仰っていたが、これでは悪印象を全て王家に集めているようなものだ、とシェリーティアは整った形の眉を寄せる。
暫く考えたところでルードヴィクなら何か知っているかもしれない、と思いシェリーティアは隣に座るルードヴィクへ顔を向ける。
するとそこには黒い満面の笑みを浮かべているルードヴィクがいた。
へ、と声が漏れそうになったところでルードヴィクが口を開く。
「シェリーを傷つけたんだ。ほら、ちゃんと償ってもらわないといけないだろ?」
お前の所為か。思わず言いそうになり、慌てて口を手で覆う。
「ですが、いくらなんでも処分が重すぎるのでは」
ないですか、と。その言葉はルードヴィクの唇に飲み込まれる。
「っ•••、ふっ、ふざけないでください!」
「シェリー? 俺は至って真面目だよ?」
「ルドの真面目は真面目じゃないです。"それよりも"王子達のことですが、流石にこれは——」
ため息をついたシェリーティアは言おうとしていた言葉を続けられなくなる。別に再び唇を塞がれたわけではない。顔を上げたシェリーティアの瞳に映ったのが、笑っているようで笑っていないルードヴィクの笑顔だっただけで。
「る、ルド?」
この黒さはまずい、とシェリーティアは慌て始めるがもう遅い。気がついたときには背にソファーの柔らかい感触があった。正面にいるルードヴィクは変わらず黒い笑顔でシェリーティアに語りかける。
「今日はもう屑の名前を聞きたくないな」
「シェリーは可愛いよね。このタイミングで王子のことを話すなんて、俺がどうなるか分かってたはずだろ? それとも期待してる? ねえ、俺の可愛いシェリーティア」
"王子"は役職名ですよ、なんて言おうにも圧をかけてくるせいで言うに言えないシェリーティアは、今日は諦めるかと苦笑しながらも愛おしそうにルードヴィクに身を任せた。