9.メシでもいこっか
井上シンゴと相沢カリンは、自殺しようとしていた男を止めていた。
その一時間後、シンゴと相沢は駅前のファミレスで食事をしていた。
シンゴの目の前には食べ終えた空の食器が置かれている。
相沢はまだ、注文したピザを頬張っていたところだった。
シンゴたちが並んで座る席の向かい側には、スーツを着た若い男がいた。
二十代前半の若い男で、顔をうつむけて座っていた。
食事に来たのに、まだ何も頼んでいなかった。
「だからさ」ともぐもぐと動かしていた口を止めて、相沢が言った。「何でそんなことで自殺しようと思うのさ。ねえ、シンゴ」
そう言ってシンゴに同意を求めるようにうなずきかけてくる。
だがシンゴはどうリアクションしていいのかわからなかった。
肩をすくめただけで答える。
大体、何で年上の自殺志望者に、俺たちが説教しなけりゃならないんだ。
住吉ビルの屋上で、スーツの男を助けるのは、そう難しいことではなかった。
シンゴの『手』はしっかりと男の体を固定していたし、相沢はスーツの男のオーラを捕まえていた。
相沢によれば、オーラは一度つかんでさえしまえば、ある程度は伸びるらしい。やわらかいゴムや、飴細工のように。
つかんだオーラを左手で握りしめたまま、相沢はフェンスを越え、屋上へ戻ってくるようにスーツの男に話した。
そうして相沢はシンゴに目配せをしてきた。
そのときのスーツの男のオーラがどうなっていたのかは、シンゴにはわからない。
しかし相沢の合図に従って、シンゴは『手』を離した。
スーツの男は慎重な動きで、フェンスの内側へと戻ってきた。
それから、ペタリと屋上のコンクリートへ座り込んだ。
「なにやってるんだろ、ぼく」
「お兄さん、死のうとしてた?」
相沢の左手はまだ軽く握られていた。
「うん。だけど何だか、その気をなくした」
「よし」
スーツの男はさえない顔をしていた。
社会人のはずなのに、髪もボサボサで、スーツもヨレヨレに見えた。
そうして彼は、力なく、シンゴたちを見上げてきた。
「君たちは……」
シンゴは相沢に目を向けた。
こういうときに答えるのは相沢の役目だった。
「あなたの自殺を止めにきた者たちです。大成功でした。イェイ」
そういって、笑顔を浮かべ、両手でピースをして見せる。
スーツの男は、ため息をついた。
「ぼくは、自殺もまともにできやしないんだ……」
気にするところはそこなのか、とシンゴは思う。
もちろん相沢にオーラが操られていて、注意を向ける対象に偏りがあるのはわかる。
これまでに何度も、自分たちのことをあまり気にしない、奇妙な反応を見てきた。
相沢がまじめな声色で言った。
「自殺なんかしない方がいいよ。命あってのモノダネ、っていうじゃない」
「……だけど、辛いんだ。生きてるのが」
スーツの男はそういうと、体育座りのように、足を抱え込んだ。
情けないとも思ったし、可哀想だとも感じた。
シンゴは相沢の左手を見た。その手はすでに開かれていた。
「お兄さん、もうご飯食べた? お腹すいてない?」
「……すいてる。朝から何も食べてない。どうせ死ぬんだし、って思って……」
「じゃあメシでもいこっか」
そういって相沢はスーツの男の肩をたたいた。
たぶんそのときもオーラをいじったんだろうな、とシンゴは考えた。
そうして今、シンゴたちはファミレスで自殺志望者とともに食事をしていた。