2.予言
井上シンゴは、友人の相沢カリンと共に「ヒマつぶし」の説明を受けていた。
「そろそろいいか?」
一口よこせだの、唾液が混じって中身が腐るだの、そんな不毛なやりとりを二人が続けた後で、中田が言った。
さすがに若干呆れたような口調だった。
「ああ、どうもすいません」
「水でも飲んでろ、バーカ」と最後に相沢が余計なことを言う。
「話聞けよ」
中田はにがりきった表情をしていたが、やがて一つため息をつき、胸元から手帳を取りだした。
「ま、さっきも言ったが、今回の仕事はそう難しいものじゃない。というか、お前らなら簡単だろう」
手帳の隙間から中田は、折り畳まれた紙片をとりだした。それを机に置き、開く。
紙片はグーグルマップを印刷したものだった。
建物が黄色と灰色。
道が白色で表現された味気ない地図に、涙のマークを逆さにしたような赤いマーカーが地点を示している。
印刷されたページの左側には、地点の住所と写真が載っている。
その下には「藤吉ビル」と建物の名前が書かれていた。
「今日の午後七時、このビルで飛び降り騒ぎがある。近所に住んでいる学生か会社員が、人生を悲観して……ってやつだな」
シンゴは壁の時計に目を向けた。
いまはまだ午後五時だ。あと二時間もある。
示されている住所は都内だ。一時間もあればそのビルまでは行けそうだ。
「その動機、正確ですか?」
「いや。推測にすぎない。飛び降りようとする人物も、まあ、そんな感じだ、というぐらいだ」
「なんだ。しょぼい『予言』だな」
相沢が呆れたように言うと、中田はにやりと笑って答える。
「お前らに回る仕事なんて、そんなもんだ」
相沢はシンゴに目を向けながら、目の前の中田を指さして言う。
「このおっさん、たまにわたしらのことをディスるよね」
それはお前が気に入られているからだろう、とシンゴは思う。
実際、目の前で文句を言っているのに、中田の口元にわずかに浮かぶ笑みは崩れない。
「でも、その『予言』は当たるんですよね」
気を取り直しながらシンゴがたずねた。
中田は肩をすくめながら答える。
「確率でいうと五分五分ってところだな。何もなく、七時を過ぎたらあがっていいぞ」
ずいぶん適当な仕事だな、とシンゴは思う。
もちろん自分たちの仕事に、適当じゃないモノが来た試しはない。
成功した場合には多少のお金がもらえる。失敗した場合には何ももらえない。
違いはその程度のもので、失敗だろうが成功だろうが、どうでもいいと思われているらしい。
自分たちはそれでいい。その方がいいぐらいだ。
でもこの大人たちは、それでよく、給料がもらえているものだ。
まあそれも、『トクガイ』の管理と保護の一環なのだと説明されれば、それまでだ。
「で、結局わたしらは何をやればいいの?」と相沢が聞いた。「その自殺志願者をビルからひそかに突き落とせ、というわけではないでしょ」
「当たり前だ。止めろ」
そう聞いて一応、シンゴは安心した。
相沢の言うとおりのことができてしまうのだから、まあ、自分たちの能力は、ちょっと困ったものではあるわけだ。
藤吉ビルまでの移動の間、相沢は退屈そうにしていた。
地面に転がっている大きめの小石を蹴ってみたり、人の少ない電車の吊革にぶら下がってみたり、何もないのにシンゴの肩にぶつかってきてみたりしていた。
あげくの果てに、こんなことも言い出した。
「早く夏休み、こないかな」
「まだ四月だぞ」シンゴは呆れながら言った。まだ四月で、シンゴは高校に入学したばかりだった。「ずっと先だよ」
相沢は吊革に体を預けながら、妙な笑みを浮かべてシンゴに目を向けてくる。
「そう思うでしょ。でも、実際、あっという間なんだな、これが。そして夏休みもあっという間に終わっていく。あーあ、永遠に続く夏休みがあればいいのに」
そう聞いてふと、シンゴは昨年の春のことを思い出す。
その頃、自分はまだ中学三年生だった。
そして一つ年上の相沢は、すでにいま着ているのと同じセーラー服に身を包んでいた。
その頃、シンゴは相沢と知り合ったばかりだった。
まだ相沢のすこし乱暴な性格も、そのくせ時折見せる彼女の優しさも知らなかった。
それから様々なことがあり、今では二人で一緒に、相沢が『ヒマつぶし』と表現する、様々な仕事を請け負うようになっている。
それが、わずか一年のことだとは。
「確かに、あっという間かもな」
ふと漏らしたその言葉に、相沢が怪訝な顔をする。
それから、不満そうにこう漏らした。
「なに達観してんだよ。高校一年生のガキのくせに」
「お前だって高校二年だろ」
「男と女では精神の発達具合が違うんだ」
そういって軽くシンゴのふくらはぎを脛で蹴る。
これもまた、絶妙に痛いところにあたる。
シンゴは歯を食いしばってその痛みをこらえる。
「……お前さ、そういうのやめろよ。めちゃめちゃ痛いんだぞ」
「ああ、痛かった? ごめん。すごい軽く蹴ってるにな。次はもっと軽く蹴るね」
「蹴るな、って言ってるんだ」
そんな風に相沢はずっとふざけていたが、電車を降りた後で少しまじめな話をはじめたのは、相沢からだった。
「で、実際、自殺志望者をどう止める?」
そう言ってから、なぜか相沢は吹き出した。
「なんだよ」
体を折り曲げて、くくく、と笑ってから相沢は息も絶え絶えに言う。
「シボウシャ、だって。自殺でシボウさせちゃだめな、自殺シボウシャ。ね、面白くない?」
「つまんな」
シンゴがそう応じても、相沢はまだ笑顔をかみ殺すように笑っていた。
やがてまじめな顔に戻って、言葉を続けた。
「そんな激ウマジョークはさておき、実際、どうしようか」
「そうだな……」
藤吉ビルに行き着くまでの道のりを歩きながら、シンゴと相沢は作戦を練った。




