01.井上シンゴと相沢カリン
この世界には超能力者が存在する。
井上シンゴが右の脇腹に鋭い痛みを覚えたのは、昼休みのことだった。
購買で昼食を買おうと、クラスメイトと共に廊下を歩いていたら、背後から、突如として何者かに打撃を受けたのだ。
それなりの衝撃と痛みがあった右脇腹を押さえながら、シンゴは素早く振り返った。
半ば予想していたことではあったが、そこには相沢カリンの姿があった。
「よっ、シンゴ」
相沢は小柄だ。
見上げるように笑顔を向けるその目をにらみつける。
「何すんだ。いてーよ」
突然の打撃は相沢の仕業だった。
これまでに何度かやられたことがある。
打撃自体は大した力がこもっていないのだが、いつも当たりどころが悪い。絶妙に痛いのだ。
相沢は否定するけれど、こいつは何か格闘技の経験があるのでは、とシンゴは半ば真剣に考えていた。
相沢はにやにやとするばかりで何も言わない。
いったい何なんだ、とシンゴが機嫌を損ねようとしたそのあたりで、相沢が言った。
「今日の放課後、ヒマ?」
「……まあ、ヒマだけど」
「じゃ、いつものヒマつぶし、やらない?」
相沢は丸い目でシンゴをのぞき込んでくる。
シンゴはこの目が少しだけ苦手だった。
女子の顔のパーツとしては、いい形をしている。
だけどその目には、何を見られているのかわかったもんじゃない。
「いいよ」
「そうこなくちゃ。じゃ、放課後に校門で」
相沢は右手の親指を立てると、現れたときと同じように、昼休みの人混みの中に潜り込むように消えていった。
小柄なその姿はすぐに見えなくなる。
まだ少し痛む右の脇腹を押さえながら、移動中だった購買の方向へと向き直る。
話の途中だったクラスメイトたちが、何とも微妙な表情でシンゴの方を見ていた。
「デートの約束?」とクラスメイト。
「何聞いてたんだよ」とシンゴは答える。「ヒマつぶしの約束」
歩きながら、クラスメイトたちがじっとシンゴを見つめる。
それから一斉に口を開いた。
「何それ。怪しいんだよな」
「約束って、エロいやつじゃないの」
「お前と相沢先輩ってさ、本当につきあってないのかよ」
シンゴは何も言わず、肩をすくめただけで答えてみせた。
放課後、話を持ちかけてきた相沢は校門にはいなかった。
何なんだいったい、とぐるりと周囲に目を向けると、昇降口から小走りに駆けてくる相沢が見えた。
「ごめんごめん、掃除当番なのすっかり忘れてた」
シンゴの元にやってきた相沢は、若干息を弾ませながらそんなことを言った。
その程度の忘れ物や思い違いをしているのは、相沢には珍しいことじゃない。
シンゴは別段気分も害せず、駅へと向かう道へ並んで歩きはじめる。
「それで? 今日はどうすんの」
相沢にたずねると、彼女はスマホを肩にかけた通学カバンから取り出しながら言った。
「ちょうどいい仕事が見つかってさ。これから駅前のスタバで説明を受けられるよう、段取っておいた」
「へえ」
夕方のスタバは混んでいた。空いている座席が見あたらない。
店にたどり着いたシンゴは、店内の様子を見ただけで気が滅入った。
並ぶのも、人混みも大嫌いだった。
「何でこんなに混んでるんだよ」
普段は、ガラガラなことはまれだが、こんなに混み合っているのも珍しい。
「なんか新作でも出たのかな」相沢はそういうと興味深そうに、壁のチラシへと目をやっていた。「あ、やっぱりそうだ」
相沢が壁のガラスに指を差す。
そこには、チョコレートなんとかと英語で書かれた、黒っぽいチラシが張られている。
興味がないシンゴはそのチラシを一瞥しただけで、店内に目をやった。
「んで、いつものおっさんなわけ? 来てるのは」
「だと思うけど……あ、ほらいた」
スターバックスの店内のもっとも奥のボックス席に、その男は座っていた。
黒いスーツを着ており、頭は坊主頭だった。かなり大柄で、強面で、肩幅が広い。
その席の隣には幅の関係でとても座れそうもないし、対面の席は空いていたが、誰も座ろうとはしていなかった。
「先行ってて。わたしは新作を頼まねばならない」
「え、やだよ」と抗議をするが、聞き入れられないことはシンゴにもわかっていた。
やむなく歩いて、スーツを来た男の前に座った。
混んだ店内で、異様な雰囲気を放っていた男の前に、高校生が座る。
馬鹿だぞあいつ、という空気が店内に満ちたのは、シンゴにもわかった。
「どうも」と言ってシンゴは小さく頭を下げる。
「うん」とスーツの男は低い声で応えた。
何だ知り合いか、と店内の空気が変わるのが、シンゴにはわかった。
店の入口を振り返ると、相沢が待ちきれない様子で体を揺らしながら順番待ちをしている。
まだしばらくかかりそうだ。
どうせあいつが来るまで話もできないしな、気詰まりだな、と思っていると、男が先に口を開いた。
「調子はどうだ」
この人の名前ってなんだっけ。中なんとかだ。そうだ確か中田だ。
そう思い出しながら、シンゴは答えた。
「ぼちぼちっす」
「強まりも、弱まりもしていないのか」
いつも報告はしているのにな。自身の状態を聞かれたときにいつも感じる反感を意識しながら、シンゴは答えた。
「まあそうですね」
「ふうん……」
中田はじっとシンゴの目をのぞき込む。
このおっさんは普通の人なんだよな、とシンゴは考えていた。
自分たちとは違う。
彼らは自分たちとは違って、いわゆる『トクガイ』ではない。
『トクガイ』。特別該当者。
普通の人の持ちえない、特殊な能力を持つその存在は、実際に自分がなってみるまでシンゴは知らなかった。
とはいえ大人は大人で、しかも公にされていない仕事をしているせいか、中田や彼の同僚はいつも、得体の知れない雰囲気を放っている。
それでもシンゴは、彼らのことは嫌いではなかった。
何かあったときに真剣に相談に乗ってくれるのは、彼らしかいない。
そしてそれもまた仕事のうちだろうけれど、それなりに真摯に応対をしてくれる。
「まあ、今日は大した仕事じゃない。気楽にやれ」
中田は頬杖をつくと、テーブルの上のコーヒーを一口飲んだ。
ふとシンゴは店内に満ちるコーヒーの香りを強く感じた。
コーヒーか。いいな。
まあそのうち相沢が、自分の分も買ってきてくれるだろう。
だがそう期待した自分がバカだった、とシンゴはその後すぐに思い知ることになる。
やっとテーブルに現れた相沢は、自分の分の例の新作、チョコレートなんとかしか持ってきていなかった。
「お前さ、そういうときは、俺の分も買ってきてくれるもんじゃないの」
「何でシンゴの分も買わなくちゃいけないわけ?」
「先輩だろ。おごれよ」
「おごってくださいだろ、後輩」